佳奈side
その日のうちに、担当が戻ったことを報告するため葉山さんに電話をかけた。受話器を握る手に、わずかに汗が滲んでいる。
「葉山さんですか、お久しぶりです。坂本です。担当の件、聞きました。今後は、以前のように私が担当させて頂きますので、どうぞよろしくお願いします。」
電話口の向こうで、葉山さんの弾んだ声が聞こえた。
「あ、坂本ちゃんー?良かったー!君と話していると、色々と刺激になってアイデアが浮かぶんだよ。また引き続きよろしく頼むねー。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします……。」
がむしゃらにやってきたことが、こうして葉山さんの刺激になっていることを知り、私は嬉しくて仕方がなかった。
久々に大きな仕事を担当することができ、意欲が燃え上がる。体中に、再び活力が満ちていくのを感じた。それは、長いトンネルの先にようやく光が見えたような気分だった。
「あ、そうだ。坂本ちゃん、今度、打ち合わせがてらご飯でも行かない?君に話したいことが山ほどあるんだ。」
普段なら行かない仕事も兼ねた食事の誘い。しかし、この時の私は、仕事への飢えと、葉山さんというクリエイターへの揺るぎない信頼から、迷いなく快諾した。
佳奈sideその日のうちに、担当が戻ったことを報告するため葉山さんに電話をかけた。受話器を握る手に、わずかに汗が滲んでいる。「葉山さんですか、お久しぶりです。坂本です。担当の件、聞きました。今後は、以前のように私が担当させて頂きますので、どうぞよろしくお願いします。」電話口の向こうで、葉山さんの弾んだ声が聞こえた。「あ、坂本ちゃんー?良かったー!君と話していると、色々と刺激になってアイデアが浮かぶんだよ。また引き続きよろしく頼むねー。」「ありがとうございます。よろしくお願いします……。」がむしゃらにやってきたことが、こうして葉山さんの刺激になっていることを知り、私は嬉しくて仕方がなかった。久々に大きな仕事を担当することができ、意欲が燃え上がる。体中に、再び活力が満ちていくのを感じた。それは、長いトンネルの先にようやく光が見えたような気分だった。「あ、そうだ。坂本ちゃん、今度、打ち合わせがてらご飯でも行かない?君に話したいことが山ほどあるんだ。」普段なら行かない仕事も兼ねた食事の誘い。しかし、この時の私は、仕事への飢えと、葉山さんというクリエイターへの揺るぎない信頼から、迷いなく快諾した。
佳奈sideモヤモヤとした日々は、ある日、突然解消した。「あの藤原部長、ちょっとご相談が……」部門のデスクでぼんやりと資料を眺めていた時のことだった。私の仕事を引き継いだ後輩が、部長の藤原の様子を伺うように声を掛けていた。その顔は困り切っていて、用件を言いづらそうにしている。「あの、坂本先輩も少しいいですか?」私も呼ばれたことで、引き渡した案件に何か問題があったのかと思いすぐに席を立った。他の人に聞かれないよう部屋を取り移動をした。「それで、話というのは何なんだ。」部長の藤原も、何かトラブルがあったのかと思い、険しい顔で後輩に問い詰める。「あ、はい、それが……坂本先輩から引き継いだ葉山さんなんですが、担当変更の挨拶をしたところ、坂本さんがいいと言われてしまいまして。」葉山さんとは、うちの部門の主要なクライアントだ。新商品や事業のWeb広告を依頼している。年齢は三十代前半で、独創的で斬新なデザインが目を引き、十代から三十代の若い層を中心に、注目を集めている敏腕クリエイターだった。重大な発注ミスや、訴訟などの最悪のケースを想
佳奈side「昨夜は本当にごめん。」宿からマンションに帰ってきた日の夜、朝よりも少し顔色が良くなった啓介が、リビングのソファで再び謝ってきた。「うん……。」啓介も無理やり連れていかれたわけだし、その後、仕事の話もされて帰るに帰れなくなったことも分かる。頭では理解しているが、楽しみにしていた分、簡単には許すことが出来ず、一日中、そのわだかまりが胸に沈殿していた。「最近、佳奈が元気ないように見えたから気になっていたんだ。だから、本当は昨日、ゆっくりお酒でも楽しみながら色々と話ができたらと思っていたのに、本当にごめん。」「え……そうだったの?」啓介がそんな風に私のことを思っていてくれたなんて知らなかった。私も、本当は打ち明けたかったけれど、それは自分だけの都合だ。勝手に不貞腐れていた自分が、急に恥ずかしくなった。「私こそごめんなさい。昨日、啓介と久々に夜のんびり過ごすことができると思って、すごく楽しみにしていたの。啓介も断れない状況だったし、しょうがないって分かっていたんだけど……。」「俺も、楽しみにしてた。だから、なんで今なんだよ、空気読めよって、結城さんたちを恨んだよ。」
佳奈side『ごめん、タイミング見計らってすぐに戻るから。』少ししてから啓介からメッセージが届いた。私は、テレビをつけて啓介が戻ってくるのを待った。しかし、一時間経っても、二時間経っても、啓介は戻ってこない。部屋には、テレビの音だけが虚しく響いている。「あーもう、なんなのよ。全然戻ってこないじゃない。」痺れを切らした私は、道中で買った赤ワインを開けて一人で飲み始めた。啓介が用意してくれた日本酒は、二人で飲もうと思っていたのに、日付が変わっても帰ってこない。怒りにまかせて日本酒も開けて飲み始めたが、一人で飲むお酒はちっとも美味しくない。虚しくなって途中で封をして布団に入った。怒りと悲しみと寂しさが胸の中で渦巻いていた。そして、啓介が部屋に戻ったのは、うっすらと陽の光が部屋に差し込んだ明け方だった。啓介は飲み過ぎてまだお酒が残っているのか、ぐったりと布団に横になっている。(せっかく、せっかく二人でのんびり過ごせると思ったのに!!!)二日酔いで気持ち悪そうにしている啓介をひとり部屋に残して、朝風呂へと向かった。冷たい水を顔に浴び、私の心と身体は冷え切っていた。
佳奈side「ふぅー気持ちいい!!!やっぱり足を伸ばせるって最高ー!」この日、車で一時間ほどの場所にある温泉旅館に来た私たちは、束の間の休日を楽しんでいた。夕食前に大浴場の温泉に入り、日頃の疲れを癒す。露天風呂から見える、深い緑の山々と、遠くに流れる川の自然溢れる景色に心も体も解き放たれていくのを感じていた。部屋に戻ると、浴衣姿の啓介がくつろいでいる。「温泉良かったな」「ね、気持ちよかった。露天風呂からの景色もいいし最高だね。」「ああ、そうだな。これ、夕食後に一緒に飲まないか。」啓介は、鞄から小さな日本酒の瓶を出して冷蔵庫に入れた。来る途中で買った赤ワインもあり、今宵はお酒を嗜みながらのんびりと夫婦の時間を過ごすことができそうだ。啓介がこっそり用意してくれていたことが嬉しかった。「ありがとう、嬉しい。」食後のことを思うと、期待に胸が弾む。私は浴衣姿の啓介に抱き着き、彼の頬に「チュッ」と音を立ててキスをした。私を見つめながら、頭を優しく撫でてくれる。啓介の温かい手に、私は全身の力が抜けていくような安堵を感じた。
啓介side「三田は意識も高いし、勉強熱心だから大丈夫だよ。それに、受注してくる人たちは分かっていない人がほとんどだ。三田がいることで、よりいい物が生まれるんだよ。」「え……?」三田は不思議そうな顔をして、俺の顔を見返している。しかし、その瞳は、何かを理解しようと、純粋でまっすぐだった。「俺たちも気を付けているが、長年の癖で、つい専門用語を使ったり、説明も分かっている前提で進めている時もある。三田は、三年以上この業界にいるから初心者ではないけれど、分からない人は、どこが分からないのか、どこを重点的に知りたいのか、意見をもらえると俺たちも気づきになるんだ。だから遠慮せずに聞いてほしい。最初は恥ずかしいかもしれないけど、ここには馬鹿にするようなヤツは一人もいないから。」「はい……。ありがとうございます。」俺の言葉を聞き終えた三田は、涙目になりながら静かにお礼を言った。三田の必死さが伝わってきて胸が熱くなる。「今日は、そろそろ帰らないか?残業ばかりだと疲れるだろ。」三田の支度が終わるまで入口で待って施錠をし、静まり返ったオフィスを二人で後にした。外に出ると、夜の冷たい風が頬にあたる。「それじゃ、気を付けて帰れよ」