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父の薬

Author: 影畑凛星
last update publish date: 2026-07-25 00:29:01

翌朝。

綾香は父と共に朝食を取っていた。

昨夜から、薬のことが頭から離れない。

本当に医師の処方なのか。

それとも――。

「どうした?」

父が不思議そうに尋ねる。

「何でもないわ」

綾香は微笑んだ。

食事を終えた父が薬を飲もうとした瞬間、綾香はわざとグラスへ手をぶつけた。

「あっ」

水がこぼれる。

薬も一緒に床へ散らばった。

「申し訳ありません!」

橘恒一郎が慌てて駆け寄ってくる。

「綾香お嬢様、お怪我は」

「大丈夫よ」

綾香も急いでしゃがみ込んだ。

散らばった薬を拾い集める。

その中から一粒だけ、誰にも気づかれないようハンカチへ包み込んだ。

橘は回収した薬を確認すると、

「新しいものをご用意いたします」

と言って薬箱を持ち去っていく。

綾香は密かに安堵した。

これで調べられる。

◇◆◇

昼過ぎ。

綾香は九条総合病院を訪れていた。

御影家と長年付き合いのある総合病院。

幼い頃から何度も来ている場所だ。

それなのに今日は妙に落ち着かなかった。

誰かに見られている気がする。

昨夜からずっと。

振り返っても誰もいない。

けれど視線だけがまとわりついてくる。

(気のせいじゃない)

綾香はバッグを握り締めた。

病院の受付を通り過ぎようとした時だった。

「綾香?」

低い声がした。

綾香は振り返る。

そこには白衣姿の男が立っていた。

整った顔立ち。

切れ長の目。

感情を簡単には読ませない冷静な視線。

九条遥臣。

九条総合病院の院長の息子であり、自身も医師として働いている男だ。

海外で研修を積んだエリートとして有名だが、愛想がなく近寄りがたいとも言われている。

前世でも名前くらいは知っていた。

だが、まともに話した記憶はない。

「……遥臣?」

「珍しいな」

遥臣はカルテを抱えたまま近づいてくる。

「お前が病院へ来るなんて」

「少し相談があるの」

「相談?」

綾香は周囲を確認してから声を潜めた。

「検査をお願いしたいものがあるの」

遥臣の眉が僅かに動く。

「検査?」

「知人の猫が、誤って薬を飲んでしまったみたいなの」

沈黙。

遥臣は何も言わない。

ただ綾香を見ている。

その視線が痛かった。

「猫?」

「そうよ」

「……その猫のために、お前が病院まで来たのか?」

綾香は一瞬言葉に詰まった。

自分でも苦しい言い訳だと思う。

だが父の話はできない。

誰を信用していいのかわからないからだ。

「とにかく調べてほしいの」

綾香はバッグから薬を取り出した。

遥臣は薬を受け取る。

そして数秒、それを見つめた。

遥臣は、彼女がまるで別人になったかのように感じ、探るような視線を向けた。

「時間はかかる」

「どのくらい?」

「数日」

綾香は即座に首を振った。

「もっと早くならない?」

遥臣が眉を上げる。

「追加料金なら払うわ」

「……知人の猫のために?」

綾香は黙り込んだ。

完全に疑われている。

それでも引くわけにはいかなかった。

「お願い」

遥臣はしばらく綾香を見つめていた。

やがて小さく息を吐く。

「変わったな」

「え?」

「昔のお前なら、そんな顔はしなかった」

綾香の心臓が跳ねる。

まるで別人だと言われた気がした。

「何のこと?」

「いや」

遥臣はそれ以上追及しなかった。

その代わり、不意に周囲へ視線を向ける。

何かを警戒しているように見えた。

「一人で来たのか?」

突然の質問だった。

「え?」

「送迎とか」

「ないわ」

遥臣は黙る。

何かを考えているようだった。

「ついて来い」

「どこへ?」

「検査室だ」

そう言って歩き出す。

綾香も後を追った。

途中、すれ違う人々の視線が妙に気になった。

そのたびに遥臣が半歩前へ出る。

自然な動作だった。

だが結果的に、綾香は周囲の視線から隠される形になる。

(もしかして……)

この人も気づいているのだろうか。

誰かに見られていることを。

検査室の前で、遥臣が足を止める。

「最後に一つだけ聞く」

真剣な声だった。

「この薬、どこで手に入れた?」

綾香は息を呑んだ。

もう誤魔化せない気がした。

「それは……」

父のことを話すべきか。

迷う。

だが。

「父が――」

「綾香」

聞き慣れた声だった。

全身が凍りつく。

ゆっくり振り返る。

そこには理央が立っていた。

穏やかな笑みを浮かべながら。

「ここにいたんだな」

その瞬間、綾香の背中を冷たい汗が流れ落ちた。

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