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第2話

作者: 夕子
白石グループのビルを出ると、紗季はタクシーで病院へ向かった。

道中、頭の中は怜司のことでいっぱいだった。

会ったことはない。知っているのは、名前と噂だけだった。若くして事業を任され、判断は冷静で、やり方は容赦がない。ビジネスの世界ではすでに一目置かれる存在で、颯真でさえ、四つ年上のその兄には逆らえないらしい。

巡り巡って、自分は白石家に嫁ぎ、颯真の義姉になるというのか。

紗季はどこか現実味のないまま、もう覆らないこの結末を受け入れようと、自分に言い聞かせた。

ぼんやりしている紗季を見て、看護師が少し声を張った。

「ご主人は?予約されている中絶手術には、パートナーの同意書への署名が必要です」

紗季はそこでようやく我に返った。「必ず家族の同意が必要なんですか?私の署名ではだめですか?」

「だめです。手術を受ける以上、相手の方にも知らせておく必要があります」

紗季の胸がずしりと沈んだ。結局、その同意書を持って病院を出るしかなかった。

紗季は家で一晩待ったが、颯真は夜通し帰ってこなかった。戻ってきたのは翌朝になってからだった。

この十数時間で、紗季の心は何度も引き裂かれた。それでも颯真の姿を見た瞬間、胸の奥にはまだ鋭い痛みが走った。

どこへ行っていたのかは聞かなかった。ただ疲れ切った彼の顔を見つめながら、探るように同意書を差し出した。

「ここにサインして」

颯真は一睡もしていなかったせいで、目を開けているのもつらそうだった。

目がしょぼつき、同意書に何が書かれているのかよく見えないまま、ペンを取ってサインし、それからようやく紗季に尋ねた。

「これ、何?」

紗季は書類を引っ込めようとした手を一瞬止め、静かに嘘をついた。

「この前、西山の別邸を私にくれるって言ってたでしょう?」

颯真には、たしかにそんな約束をした覚えがぼんやりとあった。

だが、不動産の譲渡書類が、こんな薄い紙一枚で済むものだろうか。

颯真は手を伸ばして取り戻し、きちんと見直そうとした。けれど紗季はすでにそれをバッグにしまっていて、彼の指先に触れたのは、白く細い紗季の手だけだった。

その瞬間、颯真は自分が何をしようとしていたのか忘れてしまった。少し力を込めて紗季を腕の中に引き寄せ、また口づけようとする。

「いい子だから、俺に……」

昨日耳にした言葉を思い出した途端、紗季の全身に寒気が走った。紗季は慌てて颯真の腕から抜け出した。

「だめ。ちょっと用事があるの。今から出かける」

紗季が慌てて距離を取るのを見て、颯真は彼女の鼻先を指でちょんとつつき、からかうように笑った。

「今夜、集まりがあるから一緒に連れていきたかっただけだよ。少し時間を空けておいてって言おうとしただけ。欲しがりさん、何を想像してるの?そんなに俺が欲しい?」

以前なら、こんなふうにからかわれれば、紗季は恥ずかしくなり、甘い気持ちにもなった。

けれど今は、ただひどく胸が痛むだけだった。涙がこぼれる前に、紗季はバッグを手に家を出た。

「わかった。用事が済んだら行く」

病院に着くと、紗季はサイン済みの手術同意書を医師に渡し、手術室へ入った。

一時間後、手術が終わり、麻酔が少しずつ切れていった。

下腹部にずしりとした痛みが押し寄せる。腹の奥を強く殴られたように痛み、冷や汗が止まらなかった。

紗季は病院の片隅にひとり座り込んでいた。水を飲む気にも、何かを食べる気にもなれず、顔からはすっかり血の気が引いていた。

ようやく少し落ち着いたころには、外はもう暗くなっていた。颯真から、どこにいるのかとメッセージが届いた。

そこで紗季は、今夜の集まりのことを思い出した。

医師からは安静にするよう言われていた。けれど颯真に異変を悟られたくなくて、住所を聞き、そのまま向かうしかなかった。

バーの中は人の声で満ち、騒がしかった。

二階の個室へ行き、扉を開けた瞬間、紗季は莉緒の姿を目にした。

意味ありげなその視線と合った途端、紗季の胸に嫌な予感が広がった。

帰ろうとして振り返った瞬間、颯真の胸にぶつかった。

颯真は紗季の肩を抱き、そのまま中へ連れていき、部屋にいる人たちへ笑って声をかけた。

「紹介するよ。青木紗季。俺の……友達だ」

四年も付き合ってきて、颯真が紗季を自分の交友関係の中へ連れてきたのは、これが初めてだった。それなのに、紹介された関係はただの友達。

その言葉を聞いた瞬間、紗季の胸の奥がぎゅっと締めつけられた。たったの「友達」が、こんなにも苦く、こんなにも残酷に響くなんて思わなかった。

紗季は手を固く握りしめた。爪が掌に食い込み、指の関節は白くなっていた。

一方の莉緒は平然とした顔で立ち上がり、紗季に向かって堂々と手を差し出した。

「青木さん、久しぶりね。私のこと、覚えている?以前、何度も会ったよね」

紗季が覚えていないはずがなかった。

初めて会ったのはレストランだった。莉緒は自分から挨拶に来て、熱いスープを紗季に浴びせた。

二度目は温泉旅館だった。莉緒は浴室の扉に鍵をかけ、換気口を塞いだ。そのせいで、紗季は中で窒息しかけた。

三度目はコンサートホールだった。莉緒は人混みの中で紗季の足を引っかけ、転んだ紗季は押し寄せる人混みに倒れ込み、何度も踏まれた。

二人が顔を合わせるたびに、決まってろくなことが起こらなかった。けれど颯真がずっと、莉緒は自分の後輩だと言っていたから、紗季は一度も深く追及しなかった。

昨日、四度目に莉緒を見たとき、ようやくすべての真実を知った。

紗季が偶然だと思っていたあの出来事は、すべて莉緒がわざと仕組んだ復讐だった。

そして颯真も、本気で紗季をデートに連れていきたかったわけではない。ただ、その機会に莉緒の鬱憤を晴らさせるためだったのだ。

颯真は最初から最後まで知っていた。それでも、紗季が傷つくのを黙って見ていた。そのうえ、莉緒を庇うための言い訳までしていた。

では今回も、颯真が紗季をここへ連れてきた目的は、これまでと同じなのだろうか。

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