LOGIN兄を菅原(すがわら)さん、幼なじみを藤木(ふじき)さんと呼ぶようになった。 二人は眉を寄せて、「どうしてそんなによそよそしくするんだ」と聞いてくる。 私は静かに笑った。 「だって、あなたたちは『友紀の兄』と『友紀の幼なじみ』でいたいんでしょう?」 その一言に、二人は不機嫌そうに私を責めた。 「友紀ちゃんはお前の代わりに植物状態の男と結婚して、一生を棒に振ったんだぞ。あの子に優しくするのは、お前が借りがあるからだろう!」 でも、彼らは知らなかった。 今度、植物状態の男と結婚するのは――菅原友紀(すがわら ゆき)ではない。 この私、菅原明菜(すがわら あきな)なのだ。
View More輝は壇上を見上げ、涙に濡れた目で言った。「明菜ちゃん、迎えに来た。俺たちはたくさん間違った。でも、もう終わったんだ。友紀がしたこと、全部調べた。全部分かったんだ」――そう。私の潔白を証明するなんて、きっと難しいことじゃなかったのだ。あの頃、私がどんなに弁解しても、誰も聞こうとしなかった。きっと彼らも、見抜けなかったわけじゃない。ただ、私の痛みがどうでもよかっただけ。私が傷つけば友紀が笑う――それで十分だったのだ。目の前の輝は以前とはまるで違っていた。無精ひげが伸び、シャツは皺だらけ。体中から酒の匂いが漂っていた。優弥が眉をひそめた。「藤木、イカれたのか?ここは僕と明菜ちゃんの結婚式場だ。どういう神経してるんだ?」輝は顔を赤くして、声を張り上げた。「俺は正気だ!イカれてるのはお前のほうだ!明菜ちゃんは俺のものだ!お前が寝たきりだったあの数年、ずっと俺がそばにいた!明菜ちゃんは俺を愛してるんだ!お前に嫁ぐのは、ただ怒って意地を張ってるだけだ!」私は息をのんで優弥を見た。彼が誤解してしまうのではないかと怖かった。けれど優弥は、ふっと片眉を上げて笑った。「なるほど。じゃあ、ずいぶん無能だな。何年もそばにいながら、明菜の心ひとつも掴めなかったんだな。やっぱり、僕のほうが魅力的みたいだな」私も思わず笑いをこらえきれず、口元を押さえた。輝の目が血走る。「明菜はお前を愛してなんかいない!ただの八つ当たりだ!傷ついたから、誰かに庇ってほしいだけだ!お前が木南家の跡取りじゃなかったら、明菜は絶対お前なんか選ばなかった!」優弥は肩をすくめ、淡々と答えた。「それは残念だな。僕は木南家の跡取りなんだから」輝は言葉を失い、唇を震わせた。優弥は腕時計をちらりと見て、微笑んだ。「さて、そろそろ乾杯の時間だ。藤木さん、せっかくだから一緒にどう?聞いたところによると、お酒は強いらしいじゃないか」輝が何か言い返そうとした瞬間、藤木家の人々が駆け込んできて彼を押さえつけた。必死に彼を押さえ込み、謝りながら連れ出していった。「申し訳ありません、兄が取り乱して……どうかご容赦を、木南社長」「いいさ。今日は僕たちの大事な日だから……ただ、今後は――僕の妻に近づくなよ」藤木家の者たちは深々と頭を下げ、輝を半ば引
私はもう悟っていた。――この人たちとは、何を話しても通じない。だから、背を向けた。木南家のボディガードたちは私の意を汲み取って数人を扉の外へ押し出した。それからの二日間、彼らはあらゆる手を使って私に連絡を取ろうとした。けれど、私の態度は終始変わらなかった。結婚式の前夜。優弥が招待客の最終確認をしていた。「本当に菅原家には知らせないでいいのか?彼は、君にとって唯一の家族なんだろう」――唯一の家族?昔の誠は確かに私の唯一の家族だった。仕事の帰りに、好物を買って帰ってきてくれた。輝が遊びに来ると、わざとむくれた顔で私をかばった。「お前の考えてることなんて分かってるぞ。俺の妹は、まだ子どもなんだ」――そんなふうに言っていたのに、時が経つにつれて、すべてが変わってしまった。私はそっと首を振った。優弥は何も言わず、手元のリストから誠の名前を静かに消した。翌朝は早かった。メイクさんたちが夜明け前から準備に追われていた。「花嫁様、本当に綺麗です。これまでたくさんの花嫁を見てきましたが、こんなに美しい方は初めてです」扉を開けて外へ出ると、一番に目に入ったのはタキシード姿の優弥だった。彼はブーケを手に、静かに片膝をつく。「明菜ちゃん……ずっと、この日を待っていた」胸の奥が熱くなり、視界が滲む。――まさか、私のことをこんなふうに想ってくれる人に出会えるなんて。かつて婚約という言葉が呪いのようだったのに、いまは救いのように思えた。司会者に「木南優弥さんと結婚することを誓いますか」と問われ、私は迷うことなくうなずいた。すると司会者が冗談めかして笑う。「普段は冷静沈着なビジネス界の帝王が、今日はすっかり泣き虫の新郎さんになってしまいましたね」――そういえば、昨日の夜。彼がぽつりとこぼしていた言葉を思い出した。「目を覚ましたとき、何より怖かったのは――君を失っていることだった。君がもう誰かの妻になっているんじゃないかって……でも、よかった。藤木が愚かだったおかげで、僕はまだ間に合った」会場全体が感動の空気に包まれていたそのとき――突然、扉が勢いよく開き、誰かが駆け込んできた。「明菜!あんた、人間の心ってないの?家がめちゃくちゃなのに、よくも結婚なんてしてられるわね!」その怒鳴り声に
友紀は相変わらず暇を持て余しているらしく、私に次々とメッセージを送ってきた。写真もあれば、動画もある。どれも、あの二人――誠と輝が彼女のためにどんなに奔走し、どんなに従順に仕えているかを見せつけるものだった。【家出したからって、あの二人の心が戻ると思ってる?そういう駆け引きなんて、私はとっくに飽きるほどやってるの】【あんたがいなくなってちょうど良かったわ。菅原家のお嬢様の座なんて、最初から私のものだったのよ】――既読をつける気にもなれなかった。すべて通知オフにして、画面を閉じた。けれど、結婚式の二日前。誠が突然、木南家に現れた。玄関先で声を荒げ、「明菜ちゃんに会わせろ!」と叫んでいる。優弥に迷惑をかけたくなかったし、木南家の人たちに変な印象を持たれるのも避けたかった。それで急いで外へ出て、彼を追い返そうとした。けれど彼は、玄関のところにどっかと腰を下ろして堂々と座っている。「明菜ちゃん、木南も目を覚ましたし、お前たちはもうすぐ結婚するんだろ?ってことは、木南家と菅原家はもう親戚みたいなもんだよな?それに、俺たちの両親はもういない。お前には俺しかいないだろ?」やたらと前置きが長い。――こういう時の彼は、必ず頼みごとがある。予想どおり、次の瞬間には本題を口にした。「俺はこれから木南の義兄になるわけだ。なのに、あいつがこんな真似をするなんて、許せるか?」話を聞いてみると――彼の口から聞かされたのは――ほんの数日のあいだに、優弥が菅原家への徹底的な制裁に乗り出したという話だった。菅原家が手中に収めかけていた複数の契約はすべて白紙になり、さらに、長年の取引先までもが「木南家と揉めた」と聞くや否や、木南家を敵に回すのを恐れて次々と契約を打ち切ったのだという。わずか数日で、菅原家の事業はほとんど麻痺状態に陥った。藤木家も同じような状況だった。――けれど、優弥は一言も私に話していなかった。「それはビジネスのことよ。彼には彼の判断がある。私が口を挟むことじゃないわ」淡々と答えると、誠は怒りを含んだ声を上げた。「明菜ちゃん、お前……そんなに冷たいのか?菅原家が今日あるのは、じいさんと父さん母さん、二世代にわたる努力の結果だ。そのすべてを捨てる気か!」この数年、誠の心はすっかり友紀に向いて
受け取るのをためらう私に、優弥は微笑んで「遠慮しないで」と優しく促した。「どうせもうすぐ結婚するんだ。君が受け取ってくれないと、かえって落ち着かない」その言葉に、周りの人たちがどっと笑い声を上げた。温かい空気が広がる中、私はなぜか涙が止まらなかった。――ここへ来るのは二度目なのに、二十二年間暮らしたあの家よりもずっと温かい。優弥は私がどんなふうに傷ついてきたのかを知っている。そして、そっと言葉をくれた。「もう泣かないで。あんな人たち、目が節穴なんだ。あんな女に騙されるようじゃ、救いようがないよ」彼は菅原家で私が受けた仕打ちや、ここに来るまでに話したことを包み隠さず家の人たちに話してくれた。優弥の祖母は怒りのあまり立ち上がり、机を叩いた。「代わりに嫁を立てたまではまだ分かるわ。けれど数年もしないうちに、他人の女に唆されて明菜ちゃんを傷つけるなんて……あの菅原家と藤木家の若造たち、なんて愚か者なの!明菜ちゃん、この件はもう気にすることじゃないわ。これからは木南家でゆっくり暮らしなさい。結婚式のことは、すべてこちらで準備するわ」ありがたかったけれど、私は少し戸惑った。そんなに急にすべてを任せていいのだろうか――迷う私の耳元で、優弥がそっと囁いた。「心配いらない。僕がいる限り、木南家で君を傷つける者はいない」その声と仕草にどこか懐かしさを覚えた。皆が解散したあと、私は思い切って尋ねた。「……優弥くん。私たち、どこかで会ったことがある?」彼は少しがっかりしたように言った。「覚えてないんだね。君が生まれたばかりのころに、おばあちゃんと一緒に会いに行ったんだよ。僕の腕の中にすっぽり収まる、もちもちした小さな子。あのときの香り、今でも覚えてるよ。それに、君の三歳の誕生日にも行ったんだ。覚えてないかな?お守りを贈ったよ。これを持っていれば、どんな時も無事に過ごせますようにってね。君が大きくなるのをずっと楽しみにしてた。まさか事故に遭ってこんな形になるとは思わなかったけど……もっと驚いたのは、僕が眠っている間に君があんな苦しい日々を過ごしていたことだ。全部、僕のせいだ。でももう大丈夫。僕が目を覚ました以上、誰にも君を傷つけさせない」私は思わず息をのんだ。「あなたがくれたの?」私には、子どものころ
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