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彼を選んだ日、兄と幼馴染が泣いた

彼を選んだ日、兄と幼馴染が泣いた

By:  イヌフトンCompleted
Language: Japanese
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兄を菅原(すがわら)さん、幼なじみを藤木(ふじき)さんと呼ぶようになった。 二人は眉を寄せて、「どうしてそんなによそよそしくするんだ」と聞いてくる。 私は静かに笑った。 「だって、あなたたちは『友紀の兄』と『友紀の幼なじみ』でいたいんでしょう?」 その一言に、二人は不機嫌そうに私を責めた。 「友紀ちゃんはお前の代わりに植物状態の男と結婚して、一生を棒に振ったんだぞ。あの子に優しくするのは、お前が借りがあるからだろう!」 でも、彼らは知らなかった。 今度、植物状態の男と結婚するのは――菅原友紀(すがわら ゆき)ではない。 この私、菅原明菜(すがわら あきな)なのだ。

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Chapter 1

第1話

兄と幼なじみがまた、友紀が私の代わりに嫁ぐのは惜しいとそれとなく口にしたとき、私はもう最初のうちのように驚きも悲しみもしなかった。

私がうつむいて黙り込むと、兄はしばらくしてから気まずそうに笑った。

「明菜ちゃん、木南はたとえ植物状態になっても、いつかは目を覚ますかもしれない。そのとき彼と結婚している人こそ、海市でいちばん幸せな女になるんだよ」

心の中で私は冷たく笑った。

――植物状態の人と結婚するのがそんなに幸せなら、どうして菅原友紀(すがわら ゆき)を手放したくないの?

私は何も言わなかった。二人は私がまだ首を縦に振らないのだと思い、表情をどんどん険しくしていった。

けれど彼らは間違っていた。私はもう、嫁ぐと決めていた。

礼儀として翌日、私は木南家を訪ねた。

木南家の人たちはその知らせを聞くと、飛び上がらんばかりに喜んだ。

優弥の母は私の手を握り、涙を拭いながら言った。

「みんな、優弥がこんな状態になって、菅原家はきっと婚約を破棄するだろうって言ってたのよ。でも、私は信じてたの。菅原家の人は約束を裏切らないって」

そう言って、彼女は私を奥の部屋へ案内した。ベッドの上で、木南優弥(きなみ ゆうや)は静かに眠っていた。

血の気を失った顔、閉じられた瞳。生命の気配は感じられない。

それでも、彼の身に漂う気高さは失われていなかった。私は思わず息を呑んだ。

私と優弥の婚約は祖父の代から決められていた。

六年前――天才と呼ばれた木南家の長男は、交通事故で植物状態になった。

兄と幼なじみは私を不憫に思い、婚約を解消したいと願った。けれど、「菅原家は情が薄い」と世間から言われるのを恐れ、彼らはひとりの孤児を引き取った。そして二十歳になったら、私の代わりに嫁がせるつもりだった。

その孤児――友紀が菅原家に来てからというもの、二人は次第に彼女に抱いてはいけない感情を抱くようになった。替え玉扱いへの罪悪感もあって、彼女を過剰なまでに甘やかした。

毎月、信じられないほどの小遣いを与え、数え切れないほどのバッグやアクセサリーを買い与え、彼女の望みをすべて叶えようとした。

そして私は、何度も譲らざるを得なかった。

友紀が「お姉ちゃんの部屋、日当たりが良くて好き」と言えば、私は譲った。

「そのアクセサリーとバッグ、素敵ね」と言えば、それも譲った。

「私、凝固機能が悪いの。血液型が合うのはお姉ちゃんだけよ」と言われれば、私は血を差し出した。

――たった六年で、彼女は皆の愛情を独り占めにした。

兄も幼なじみも友紀に惹かれ、表でも裏でも「自分で婚約を果たすべきだ」と私に言うようになった。

けれど、あのとき友紀を引き取って代わりに嫁がせると決めたのは、ほかでもない彼ら自身だった。

木南家から戻ったあと、私はリビングに掛けられたカレンダーを見上げ、予定の日に印をつけた。

そして、心の中で日を数えていると――

兄の菅原誠(すがわら まこと)と幼なじみの藤木輝(ふじき ひかる)が、ほとんど同時に部屋へ飛び込んできた。

次の瞬間、二人はためらいもなく、左右から私の頬を打った。

耳の奥がキーンと鳴り、口の中には鉄の味が広がった。

力いっぱいの平手打ちだった。瞬く間に、私は意識が遠のきかけた。

それでも二人は何の説明もせず、スマホを取り出してビデオ通話を始めた。

「友紀ちゃん、見て。明菜ちゃんをビンタしたよ。ミッション、クリア!」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられ、息ができなくなった。

まさか、訳もわからず受けた二発のビンタが――

彼らと友紀が遊んでいたゲームの一環だったなんて。

画面の向こうから、友紀の甘ったるい笑い声が聞こえてきた。

「お兄ちゃん、輝、ミッション達成ね!約束どおり、今日はちゃんとご飯食べるわ~!」
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第1話
兄と幼なじみがまた、友紀が私の代わりに嫁ぐのは惜しいとそれとなく口にしたとき、私はもう最初のうちのように驚きも悲しみもしなかった。私がうつむいて黙り込むと、兄はしばらくしてから気まずそうに笑った。「明菜ちゃん、木南はたとえ植物状態になっても、いつかは目を覚ますかもしれない。そのとき彼と結婚している人こそ、海市でいちばん幸せな女になるんだよ」心の中で私は冷たく笑った。――植物状態の人と結婚するのがそんなに幸せなら、どうして菅原友紀(すがわら ゆき)を手放したくないの?私は何も言わなかった。二人は私がまだ首を縦に振らないのだと思い、表情をどんどん険しくしていった。けれど彼らは間違っていた。私はもう、嫁ぐと決めていた。礼儀として翌日、私は木南家を訪ねた。木南家の人たちはその知らせを聞くと、飛び上がらんばかりに喜んだ。優弥の母は私の手を握り、涙を拭いながら言った。「みんな、優弥がこんな状態になって、菅原家はきっと婚約を破棄するだろうって言ってたのよ。でも、私は信じてたの。菅原家の人は約束を裏切らないって」そう言って、彼女は私を奥の部屋へ案内した。ベッドの上で、木南優弥(きなみ ゆうや)は静かに眠っていた。血の気を失った顔、閉じられた瞳。生命の気配は感じられない。それでも、彼の身に漂う気高さは失われていなかった。私は思わず息を呑んだ。私と優弥の婚約は祖父の代から決められていた。六年前――天才と呼ばれた木南家の長男は、交通事故で植物状態になった。兄と幼なじみは私を不憫に思い、婚約を解消したいと願った。けれど、「菅原家は情が薄い」と世間から言われるのを恐れ、彼らはひとりの孤児を引き取った。そして二十歳になったら、私の代わりに嫁がせるつもりだった。その孤児――友紀が菅原家に来てからというもの、二人は次第に彼女に抱いてはいけない感情を抱くようになった。替え玉扱いへの罪悪感もあって、彼女を過剰なまでに甘やかした。毎月、信じられないほどの小遣いを与え、数え切れないほどのバッグやアクセサリーを買い与え、彼女の望みをすべて叶えようとした。そして私は、何度も譲らざるを得なかった。友紀が「お姉ちゃんの部屋、日当たりが良くて好き」と言えば、私は譲った。「そのアクセサリーとバッグ、素敵ね」と言えば、それも譲った。
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第2話
二人はその言葉を聞くなり、ほっと胸をなでおろした。向こうがビデオ通話を切ると、ようやく私の腕を取ってきた。「明菜ちゃん、痛かっただろ?本当にごめん。友紀ちゃんがね、もしミッションを達成できなかったら、ご飯を食べないって。あの子、体が弱いだろ。食べないなんて絶対に駄目だし……だから、お前に我慢してもらうしかなくて」黙り込む私に、二人は焦ったように立ち上がった。「悪かった、つい力が入っちゃって……ほら、行こう。病院で診てもらおう」そのとき、また友紀から電話がかかってきた。彼女の声は、相変わらず弱々しく甘い。「お兄ちゃん、輝、ずっと何も食べてなくて、低血糖で動けないの。庭まで迎えに来て、部屋まで背負ってくれない?」二人の表情が一変した。電話を切るとすぐに、私のことなどすっかり忘れたように、庭へ向かって駆け出していった。その背中を見送りながら、私は冷ややかに笑った。――こんなこと、もう何度目だろう。けれど、もうどうでもよかった。翌朝の食卓でも、友紀は相変わらずみんなの中心だった。私の少し腫れた頬を見て、彼女は申し訳なさそうに顔をしかめた。「お姉ちゃん、顔まだ腫れてるのね?ごめんなさい、昨日はただの遊びのつもりだったの。まさか本当に叩くなんて思わなかったのよ」誠と輝も、私の頬を見たが、そこに同情の色はひとかけらもなかった。むしろ笑いながら友紀をなだめた。「たかがビンタ一発だ。肉が削げるわけじゃなし。友紀ちゃんは本当に優しすぎるんだ」私は黙って、ただ箸を動かし続けた。朝食が終わり、二人が出かけると、部屋には私と友紀だけが残った。人前ではおしとやかな友紀も、今はまるで別人のように唇を吊り上げた。「明菜、気づいてないの?二人とも、もうあんたのことなんて好きじゃないのよ。いくら本物のお嬢様だって言ったって、結局ビンタされる身でしょ?お兄ちゃんも輝も、私のことが大事で仕方ないのよ。ご飯食べたくないって言うだけで、あの人たち大慌てなの」最初のうちは、そんな言葉に胸を刺されていた。けれど、何度も繰り返されるうちに、もう何も感じなくなった。「――好きにすればいいわ。そんなクズ、欲しいなら全部あげる」冷たく言い放つと、彼女は目を見開いた。私が言い返すなんて、思ってもいなかったのだろう。
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第3話
二人は、私の予想外の返答に目を見張った。しばらくして、輝が何かに気づいたように声を上げた。「まさか俺たちのために、お守り取りに来たんじゃないよな?俺、ああいうの身につけないからな」「俺もいらない」誠もすぐに言い添えた。「もう帰れよ。ここからまだ先は長いし、誰もお前を背負ってくれないぞ」私は二人を無視して、早足で山道を登った。これ以上、言葉を交わす気にもなれなかった。二人は、私がまた芝居をしていると思ったに違いない。つかず離れず、私の後を追いながら笑っていた。けれど私はもう、彼らの存在を意識することさえなかった。本堂で香を手向け、深く頭を下げたあと、おみくじを引いた。――大吉。その紙を見つめていると、友紀が鼻で笑った。「お姉ちゃん、神様にお願いしたの?私より可愛がってもらえますように、って?でもね、人の心なんて思い通りにならないの。神様でも無理よ」輝はその言葉の裏にある挑発に気づいたようで、急いで彼女を宥めながら、私を責めた。「もういい歳だろ。友紀ちゃんと張り合うなんて、みっともないぞ」私は冷めた目で彼らを見やり、皮肉を込めて言った。「自意識過剰ね。私がお願いしたのはあなたたちのことじゃないわ」友紀はわざとらしく目をそらし、くるりと背を向けて去っていった。誠は信じられないといった顔で、私の手にあるおみくじを覗き込む。そこに書かれた名前を見て、彼は目を見開いた。「……優弥?お前、あの廃人のために来たのか?」輝も驚いたように口を開いた。「もしかして、良心が痛んだのか?友紀ちゃんが植物状態の男と結婚するのが気の毒だから、代わりに祈りに来たとか?」誠が鼻で笑う。「偽善者め。本当に悪いと思うなら、自分が嫁げばいいだろ。あの廃人に」彼らの声は友紀に聞こえないように、やけに小さかった。――そんなふうに誰かを思いやるような優しさを、私は昔、一瞬だけ知っていた。藤野山から戻った夜、私は夢を見た。優弥が、木南家の古い屋敷の回廊の先に立っていた。陽の光がトレリスを抜け、青い石畳に影を落としている。その光景を見ているうちに、胸の奥に妙な既視感が広がった。――この場面、どこかで見たことがある。彼に近づこうとしたその瞬間、騒がしい声に現実へ引き戻された。窓辺に駆け寄ると、誠と輝が友紀に
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第4話
優弥は細長い目で私を見つめていた。その眼差しに吸い寄せられるように、気づけば私はそっと手を伸ばしていた。誠と輝が、同時に息をのんだ。「おい、誰だお前。口の利き方に気をつけろ。ここがどこだと思ってるんだ、勝手に暴れるな!」友紀は冷ややかに笑った。「お姉ちゃんって婚約者がいるんでしょ?そんな男とベタベタして、みっともなくない?」輝が私と優弥がつないでいる手に気づき、顔をしかめた。「恥を知れよ。菅原家の令嬢がこんな連中とつるむとはな!」誠も鼻で笑った。「まったく……両親が死んでから、俺は甘やかしすぎたみたいだな。まさかこそこそと男を作っていたとは」二人の言葉は、まるで私を傷つけることを楽しんでいるかのようだった。友紀はそんな彼らの隣で、満足げに口角を上げた。もし以前だったら、私は黙ってその場を離れ、誰もいないところでひとり泣いていたかもしれない。けれど――今日は違った。私が言葉を探すより早く、優弥が口を開いた。「僕が何者でも構わない。だが、君たちは彼女を傷つけた。謝れ」その声は静かだったが、圧倒的な自信と威圧がにじんでいた。誠と輝は、初めて人から見下ろされるような口調を受け、怒りに震えた。次の瞬間、菅原家のボディガードたちが一斉に優弥を囲んだ。その場にいた誰もが彼が怯えて膝をつくのを待っていた。友紀は勝ち誇ったように笑い、あざとく言い放つ。「うちは決して権力を笠に着たりしないわ。でもね、あんたみたいな普通の人間なら、身の程って言葉は覚えておいたほうがいいと思うわ」私は咄嗟に優弥の前に立った。――彼は病み上がりのはず。もし何かあったら……友紀は唇を歪め、私を見下ろした。「お姉ちゃん、ほんと見る目ないよね。あんな立派な木南家の御曹司を捨てて、こんな男にうつつを抜かすなんて。木南家の御曹司はたしかに廃人だけど、資産は桁違いよ。一生未亡人みたいに暮らすことになっても、少なくとも不自由はしない。羨ましいくらい」「……廃人?木南優弥のことを言ってるのか」優弥の声が低く響いた。唇の端にうっすらと笑みが浮かぶ。「へえ、ずいぶん心が広くなったじゃない。人の婚約者のことを言ってるだけなのに、そんなにムキになってどうするの?木南優弥が廃人じゃなかったら、うちの姉があんたなんかと関わるわけない
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第5話
だがあの二人――誠と輝は、いまや私の敵側に立っていた。そして、私を庇うどころか、何の関係もない他人を必死に守っている。思わず笑みがこぼれた。「そんな気遣いはいらないわ。三人で仲良く暮らせば、それで十分よ」私の言葉に優弥が吹き出した。――彼らは、私がこんなふうに口でやり返す人間だとは思っていなかったのだ。昔、誠は私を甘やかし、輝は私を想ってくれていた。その頃の私は、何もかも穏やかに受け入れる良い子だった。やがて二人の心が少しずつ友紀へ傾き始めても、私はただ黙っていた。何も言わず、何年も耐えてきた。――沈黙していれば、いつか分かってくれる。私がどれほど我慢しているのか、きっと気づいてくれる。そう信じていた。けれど、後になってようやく悟った。沈黙は何も癒してはくれない。むしろ、すべてを壊していく。私が黙っていることを、彼らは「恥じて口をつぐんでいる」と解釈し、あるいは「自分たちの行いは傷つけるほどのものじゃない」と思い込む。やがて本気で、自分たちは正しいのだと信じ込むようになった。誠が怒りに任せて手を上げた瞬間――優弥の足が閃き、誠の胸を蹴り飛ばした。鈍い音が響き、誠は地面に転がって立ち上がれない。ボディガードたちが一斉に動いた。だがそのとき、どこからともなく黒塗りの車列が現れ、次々と降りてきた黒服の男たちが優弥の前に立ちはだかった。輝が息をのんだ。「……あれ、木南家の連中じゃないか?なんでここに?まさか婚約の話をしに来たのか?」彼らは慌てて友紀を庇い、警戒の色を浮かべる。だが、黒服の先頭に立つ男は一直線に優弥のもとへ歩み寄り、頭を下げた。「若様、ご無事ですか」「――若様?」誠たちは目を見開いた。友紀が悔しそうに言った。「木南家の若様って、あの植物状態の人でしょ?嘘でしょ……」優弥は整った顔立ちに気品をまとい、人ごみにいてもひときわ目を引く存在だ。それがただの男なら、あの二人もまだ納得できただろう。けれど――彼は海市一の名門、木南家の本家の跡取りだ。友紀は、自分の隣に立つ二人を見て、何も言えなくなった。――どうあがいても、彼らは優弥には届かない。「僕は平気だ。菅原さんに怪我がある。本邸に医者を呼んで。すぐ戻るから」そう言って私のほうへ軽く頷いた。その一瞬
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第6話
受け取るのをためらう私に、優弥は微笑んで「遠慮しないで」と優しく促した。「どうせもうすぐ結婚するんだ。君が受け取ってくれないと、かえって落ち着かない」その言葉に、周りの人たちがどっと笑い声を上げた。温かい空気が広がる中、私はなぜか涙が止まらなかった。――ここへ来るのは二度目なのに、二十二年間暮らしたあの家よりもずっと温かい。優弥は私がどんなふうに傷ついてきたのかを知っている。そして、そっと言葉をくれた。「もう泣かないで。あんな人たち、目が節穴なんだ。あんな女に騙されるようじゃ、救いようがないよ」彼は菅原家で私が受けた仕打ちや、ここに来るまでに話したことを包み隠さず家の人たちに話してくれた。優弥の祖母は怒りのあまり立ち上がり、机を叩いた。「代わりに嫁を立てたまではまだ分かるわ。けれど数年もしないうちに、他人の女に唆されて明菜ちゃんを傷つけるなんて……あの菅原家と藤木家の若造たち、なんて愚か者なの!明菜ちゃん、この件はもう気にすることじゃないわ。これからは木南家でゆっくり暮らしなさい。結婚式のことは、すべてこちらで準備するわ」ありがたかったけれど、私は少し戸惑った。そんなに急にすべてを任せていいのだろうか――迷う私の耳元で、優弥がそっと囁いた。「心配いらない。僕がいる限り、木南家で君を傷つける者はいない」その声と仕草にどこか懐かしさを覚えた。皆が解散したあと、私は思い切って尋ねた。「……優弥くん。私たち、どこかで会ったことがある?」彼は少しがっかりしたように言った。「覚えてないんだね。君が生まれたばかりのころに、おばあちゃんと一緒に会いに行ったんだよ。僕の腕の中にすっぽり収まる、もちもちした小さな子。あのときの香り、今でも覚えてるよ。それに、君の三歳の誕生日にも行ったんだ。覚えてないかな?お守りを贈ったよ。これを持っていれば、どんな時も無事に過ごせますようにってね。君が大きくなるのをずっと楽しみにしてた。まさか事故に遭ってこんな形になるとは思わなかったけど……もっと驚いたのは、僕が眠っている間に君があんな苦しい日々を過ごしていたことだ。全部、僕のせいだ。でももう大丈夫。僕が目を覚ました以上、誰にも君を傷つけさせない」私は思わず息をのんだ。「あなたがくれたの?」私には、子どものころ
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第7話
友紀は相変わらず暇を持て余しているらしく、私に次々とメッセージを送ってきた。写真もあれば、動画もある。どれも、あの二人――誠と輝が彼女のためにどんなに奔走し、どんなに従順に仕えているかを見せつけるものだった。【家出したからって、あの二人の心が戻ると思ってる?そういう駆け引きなんて、私はとっくに飽きるほどやってるの】【あんたがいなくなってちょうど良かったわ。菅原家のお嬢様の座なんて、最初から私のものだったのよ】――既読をつける気にもなれなかった。すべて通知オフにして、画面を閉じた。けれど、結婚式の二日前。誠が突然、木南家に現れた。玄関先で声を荒げ、「明菜ちゃんに会わせろ!」と叫んでいる。優弥に迷惑をかけたくなかったし、木南家の人たちに変な印象を持たれるのも避けたかった。それで急いで外へ出て、彼を追い返そうとした。けれど彼は、玄関のところにどっかと腰を下ろして堂々と座っている。「明菜ちゃん、木南も目を覚ましたし、お前たちはもうすぐ結婚するんだろ?ってことは、木南家と菅原家はもう親戚みたいなもんだよな?それに、俺たちの両親はもういない。お前には俺しかいないだろ?」やたらと前置きが長い。――こういう時の彼は、必ず頼みごとがある。予想どおり、次の瞬間には本題を口にした。「俺はこれから木南の義兄になるわけだ。なのに、あいつがこんな真似をするなんて、許せるか?」話を聞いてみると――彼の口から聞かされたのは――ほんの数日のあいだに、優弥が菅原家への徹底的な制裁に乗り出したという話だった。菅原家が手中に収めかけていた複数の契約はすべて白紙になり、さらに、長年の取引先までもが「木南家と揉めた」と聞くや否や、木南家を敵に回すのを恐れて次々と契約を打ち切ったのだという。わずか数日で、菅原家の事業はほとんど麻痺状態に陥った。藤木家も同じような状況だった。――けれど、優弥は一言も私に話していなかった。「それはビジネスのことよ。彼には彼の判断がある。私が口を挟むことじゃないわ」淡々と答えると、誠は怒りを含んだ声を上げた。「明菜ちゃん、お前……そんなに冷たいのか?菅原家が今日あるのは、じいさんと父さん母さん、二世代にわたる努力の結果だ。そのすべてを捨てる気か!」この数年、誠の心はすっかり友紀に向いて
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第8話
私はもう悟っていた。――この人たちとは、何を話しても通じない。だから、背を向けた。木南家のボディガードたちは私の意を汲み取って数人を扉の外へ押し出した。それからの二日間、彼らはあらゆる手を使って私に連絡を取ろうとした。けれど、私の態度は終始変わらなかった。結婚式の前夜。優弥が招待客の最終確認をしていた。「本当に菅原家には知らせないでいいのか?彼は、君にとって唯一の家族なんだろう」――唯一の家族?昔の誠は確かに私の唯一の家族だった。仕事の帰りに、好物を買って帰ってきてくれた。輝が遊びに来ると、わざとむくれた顔で私をかばった。「お前の考えてることなんて分かってるぞ。俺の妹は、まだ子どもなんだ」――そんなふうに言っていたのに、時が経つにつれて、すべてが変わってしまった。私はそっと首を振った。優弥は何も言わず、手元のリストから誠の名前を静かに消した。翌朝は早かった。メイクさんたちが夜明け前から準備に追われていた。「花嫁様、本当に綺麗です。これまでたくさんの花嫁を見てきましたが、こんなに美しい方は初めてです」扉を開けて外へ出ると、一番に目に入ったのはタキシード姿の優弥だった。彼はブーケを手に、静かに片膝をつく。「明菜ちゃん……ずっと、この日を待っていた」胸の奥が熱くなり、視界が滲む。――まさか、私のことをこんなふうに想ってくれる人に出会えるなんて。かつて婚約という言葉が呪いのようだったのに、いまは救いのように思えた。司会者に「木南優弥さんと結婚することを誓いますか」と問われ、私は迷うことなくうなずいた。すると司会者が冗談めかして笑う。「普段は冷静沈着なビジネス界の帝王が、今日はすっかり泣き虫の新郎さんになってしまいましたね」――そういえば、昨日の夜。彼がぽつりとこぼしていた言葉を思い出した。「目を覚ましたとき、何より怖かったのは――君を失っていることだった。君がもう誰かの妻になっているんじゃないかって……でも、よかった。藤木が愚かだったおかげで、僕はまだ間に合った」会場全体が感動の空気に包まれていたそのとき――突然、扉が勢いよく開き、誰かが駆け込んできた。「明菜!あんた、人間の心ってないの?家がめちゃくちゃなのに、よくも結婚なんてしてられるわね!」その怒鳴り声に
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第9話
輝は壇上を見上げ、涙に濡れた目で言った。「明菜ちゃん、迎えに来た。俺たちはたくさん間違った。でも、もう終わったんだ。友紀がしたこと、全部調べた。全部分かったんだ」――そう。私の潔白を証明するなんて、きっと難しいことじゃなかったのだ。あの頃、私がどんなに弁解しても、誰も聞こうとしなかった。きっと彼らも、見抜けなかったわけじゃない。ただ、私の痛みがどうでもよかっただけ。私が傷つけば友紀が笑う――それで十分だったのだ。目の前の輝は以前とはまるで違っていた。無精ひげが伸び、シャツは皺だらけ。体中から酒の匂いが漂っていた。優弥が眉をひそめた。「藤木、イカれたのか?ここは僕と明菜ちゃんの結婚式場だ。どういう神経してるんだ?」輝は顔を赤くして、声を張り上げた。「俺は正気だ!イカれてるのはお前のほうだ!明菜ちゃんは俺のものだ!お前が寝たきりだったあの数年、ずっと俺がそばにいた!明菜ちゃんは俺を愛してるんだ!お前に嫁ぐのは、ただ怒って意地を張ってるだけだ!」私は息をのんで優弥を見た。彼が誤解してしまうのではないかと怖かった。けれど優弥は、ふっと片眉を上げて笑った。「なるほど。じゃあ、ずいぶん無能だな。何年もそばにいながら、明菜の心ひとつも掴めなかったんだな。やっぱり、僕のほうが魅力的みたいだな」私も思わず笑いをこらえきれず、口元を押さえた。輝の目が血走る。「明菜はお前を愛してなんかいない!ただの八つ当たりだ!傷ついたから、誰かに庇ってほしいだけだ!お前が木南家の跡取りじゃなかったら、明菜は絶対お前なんか選ばなかった!」優弥は肩をすくめ、淡々と答えた。「それは残念だな。僕は木南家の跡取りなんだから」輝は言葉を失い、唇を震わせた。優弥は腕時計をちらりと見て、微笑んだ。「さて、そろそろ乾杯の時間だ。藤木さん、せっかくだから一緒にどう?聞いたところによると、お酒は強いらしいじゃないか」輝が何か言い返そうとした瞬間、藤木家の人々が駆け込んできて彼を押さえつけた。必死に彼を押さえ込み、謝りながら連れ出していった。「申し訳ありません、兄が取り乱して……どうかご容赦を、木南社長」「いいさ。今日は僕たちの大事な日だから……ただ、今後は――僕の妻に近づくなよ」藤木家の者たちは深々と頭を下げ、輝を半ば引
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