ログイン妊娠中、情緒が不安定な私・朝比奈静葉(あさひな しずは)を心配して、夫が気を利かせ、親友の九条夏帆(くじょう かほ)と一緒に美味しいものでも食べて気分転換でもしてほしい、という計らいで、プライベートジェットを手配し、帰国させてくれた。 帰国後私は、その足で夏帆が予約してくれた行きつけのレストランへ向かった。 だが、個室のドアを開けた瞬間、室内にいた全員が一斉に顔を上げ、きょとんとした。 私はすぐに、部屋を間違えたことに気づいた。 「静葉さん?」誰かが私の名を呼び、鼻で笑ったようだった。「さっきグループチャットで言ったでしょ?今日の同窓会は、大学入試で高得点を取った人限定だって。あなたみたいな偏差値すら平均に届かないのが来てどうするの?」 その言葉が終わるのと同時に、個室内にくすくすと笑い声が広がり、続いて別の声が聞こえてきた。 「どうせ拓野さんが来るのを知ってて、よりを戻しに来たんだろう」
もっと見るそれから、1か月が過ぎた。郊外にある安人の墓、そこには彼の写真をモチーフにした花飾りが置かれていた。穏やかな日差しの中、私は白い雛菊を手向け、しゃがみこんで墓石の埃を優しく拭った。「安人、会いに来たよ。ママは裁判に勝ったよ。悪い人たちもちゃんと罰を受けることになったから。安人は向こうでゆっくりしててね。ママもそのうち会いに行くから、それまでちゃんとママを忘れないでいてね」話しているうちに、込み上げる感情で喉が詰まり、私は目元が熱くなった。すると風に靡いて花びらがゆらゆらと揺れ、まるで安人が返事をくれているようだった。それから、私は安人と何時間も話し続けてのどがカラカラになるほどだった。ふと顔を上げると、そこにはずっと私のために日よけをしてくれた陽翔がいた。安人を亡くしたあの日、私は毎日、ベッドで抜け殻のように横たわり、食べることも話すことも、泣くことさえしなかった。ひどい鬱状態に陥った私は、突然暴れ出したり、叫び声を上げたり、物を投げたり、頭を壁にぶつけたりしていた。夜中に泣きながら目を覚ましても、なぜ自分が泣いているのかさえ分からないこともよくあった。あの時、私の世界はどんよりしていた。生きている意味なんてどこにもない、安人のところへ行けば楽になれると思っていた。陽翔が現れたのは、そんな時だった。彼がどうやって私を見つけたのか、どうして狂ってしまった私を見捨てなかったのか、今でも分からない。陽翔は私をあの暗い部屋から連れ出し、病院やカウンセリングへと導いてくれた。更に、私を救うため、陽翔は躁鬱についての書籍をむさぼるように読んだ。書棚には分厚い専門書が並び、どれもが何度も読み返され、書き込みで真っ黒だった。私が発作で陽翔の顔を爪でひっかいたり、胸を叩いて怒鳴り散らしても、彼は逃げることはなかった。いつもただ、静かにそこにいてくれた。だから、陽翔の腕には私の噛み跡があり、手にはひっかき傷、肩には物をぶつけた時の青あざが絶えなかった。それでも彼は「そんなの大したことない」と言って、いつも私を優しく宥めていた。人脈を使い、専門医を次々と紹介して、私の治療のために奔走してくれた。海外の有名な専門家も、彼が何度も足を運んだから、ようやく診察してくれるようになった。そうやって2年間。陽翔の地道な努
こうして、SNSでは、安人が自閉症の子供であったこと、そして拓野が安人の診断後、頻繁に家を空けていたことが暴露された。さらに莉香が市長の娘であり、当時拓野の元で研修医をしていた過去も明らかになった。安人が溺死した日、拓野を連れ出したのが他ならぬ莉香だったことも判明した。すると噂を聞きつけた人々は裁判の事件番号まで特定し、私が安人のために戦っていることに気が付いてくれたのだ。その後、真相が次々と浮かび、莉香が以前起こした医療事故まで掘り返された。ある被害者家族が証拠動画を投稿したのだ。当時の被害者は莉香のミスで死亡したが、最終的に責任を取ったのはある男性医師だった。さらに元同僚を名乗る人物からの長文では病院内での莉香の悪行――カルテの偽造、責任転嫁、研修医という身分を盾にした傍若無人な振る舞い、が詳細に綴られていた。投稿には数万件ものコメントが殺到し、莉香と拓野への怒りと非難が渦巻いた。【自閉症の子供を不倫相手に殺させて、元夫は隠蔽?妊婦を病室から追い出して流産させた?人間としてあり得ない】【市長の娘なら人を殺しても無罪なの?隠蔽工作のプロじゃん、どんだけバックが強烈なんだよ!】【あの神谷って医者、院長だよな?医者失格だろ】【この女性が可哀想すぎる。元夫と愛人にこんな目にあわされて。絶対勝訴してほしい】一つ一つ読むたびに私の目頭が熱くなり、胸が締め付けられ、最後には画面の文字が霞んで見えなくなった。その時、横から伸びてきた手にスマホを奪い取られた。「こういうドラマチックな展開は好き?」顔を上げると、陽翔が口元にいつもの笑みを浮かべていた。「あなたがやったの?」私は尋ねた。「何もしていないよ」陽翔は言った。「ただ、皆に真実を見つけただけさ。俺が殴られただけで、連中の評判を叩き落とせるなら安いもんだろ?」それを聞いて、私は陽翔の襟を掴んで自分の方へ引き寄せ、勢いよく唇を重ねた。彼は一瞬驚いたような顔をしたが、やがて目を細めて私を見た。切れた唇の端が引きつって痛いはずだが、それでも彼はキスを続けるように求めてきた。「ちょ、ちょ、こっちは運転中なんだけど!少しは遠慮してよ」見かねた夏帆が呆れ果てた声で注意してきた。こうして、案の定二度目の裁判当日、法廷には大勢の記者が詰めかけ、傍聴席はカメラや
ところが陽翔の方が早かった。私が駆け寄るのを見ると表情を一変させ、ようやく手を伸ばして、拓野が振り下ろした拳をしっかりと掴み取った。拓野は一瞬呆然とし、力を込めて腕を引き抜こうとしたが、全く動けなかったのだ。陽翔の指はまるで鉄の鎖のように彼の手を掴んで離そうとしなかった。そこでようやく、拓野は気づいたのだ。先ほどからあれだけ殴られていたこの男、本当は並外れた腕力の持ち主だった。では、なぜやり返さないのか?だけど、私にとって拓野の考えなどどうでもよく、ただ、陽翔が殴られたという事実だけが許せなかった。そう思って、私は歩み寄り、思い切り拓野の頬を平手打ちにした。「いい加減にして!」腫れ上がった陽翔の顔を見て私の怒りが頂点に達し、奥歯を噛み締めて私は言い放った。「江藤先生の仇を取りたかったら私にかかってきなさいよ。なんでうちの旦那に手を出すわけ?」しかし、それを聞いた拓野は喉を鳴らすと、ゆっくりと振り向いて、目を赤らめながら言った。「お前たち、最初からデキていたんだろ?」掠れた声で彼は問う。「離婚する前から、関係を持っていたのか?」私は息をのんだ。「静葉、被害者面するなよ!海外にいた数年間、こいつとずっと一緒だったんだろ?妊娠した子だってこいつの子なんだろ!前から浮気をしていたから離婚を急いだのか?もうとっくに俺と別れる気だったんだろ?」その言葉に耐え切れず、私は再び拓野をひっぱたいた。先ほどより力を込めたせいで掌がしびれるほどだった。すると、さすがの拓野も口を閉ざした。目が熱くなるのを抑え、私は痛みを感じながら一語一句噛みしめて言った。「長年夫婦だったあなたなら、私の生活を知っているはずよ。毎日安人とあなたの世話に追われ、あなたに食事を届けながら、安人の付き添いで通院してたのよ。自分の買い物の時間さえないのに、そんな余裕があるわけないでしょ?私をどうこうと疑う前に、自分は私を妻としてちゃんと扱ってきたのか、胸に手を当てて考えてみなさいよ!」そう言って、私は拓野を一瞥もせず、陽翔の手を引いて歩き出した。すると周りを囲んでいた人たちも自然と道を開けてくれた。それから、裁判所を出て角を曲がり、周りに人がいなくなったのを確認し、私は立ち止まった。そして振り返りざまに背伸びをして、私は陽翔の首に強く抱き着いた。
一方、私が視線を上げた先に拓野がいるのに気が付くと、思わず眉をひそめた。拓野は側面の入口側に立って自分を見つめ、完全に固まっていたのだった。そして、後ろから押されて、ようやく我に返ったように歩き出した。しかもなぜか階段を上がる時に足がもつれ、転びそうになっていた。それを、隣の健二に支えられて、ようやく体勢を立て直した後も再び視線を向けてきたのだった。そう感じて、視線を逸らそうとした時、目の前がふっと暗くなった。側から伸びてきた温かい手が、長い指で私の両目を優しく覆った。その掌からはかすかに木の香りがして、拓野の視線に向けていた私の注意力をすぐに引き戻した。「いつまで見てるつもり?」上から、陽翔の低くて落ち着いた声が聞こえてきた。「静葉、そろそろ証拠資料を確認しておかないと」そう言って、陽翔は手を離そうとせず、そのまま私のこめかみを軽く押した。すると隣から漏れた夏帆のクスクスとした笑い声が聞こえてきた。私は舌を出しておちゃらけてみせると、資料を真剣に見る陽翔に視線を向けた。彼は顔を上げなかったが、その口元が微かに動いたのが見えた。それからいよいよ、裁判が始まった。この裁判を、私はずっと待ちわびていた。安人が自分から外に出たはずがない。莉香が故意に連れ出したと、私は確信していた。だから、離婚後の数年間、海外にいても私は証拠を探すために時々帰国していた。そして、莉香が幼い頃から、親の権力を盾に同級生を虐めてきた証拠を少しずつ集めていた。そのどれもが被害者の生徒が退学させられるという、理不尽な光景ばかりだった。そんな資料を目の当たりにして、胸の中に抱えていた真相への疑惑も次第に明らかになってきた。それから、私は更に必死になって証拠を探し回った。陽翔は、私が何度も国内に戻ることに文句一つ言わず、それどころか航空券を予約し、常に隣で支えてくれた。その内、チケットを取るのさえ面倒に感じ、思い切ってプライベートジェットを買った彼は、私と一緒に現場へ駆けつけ、わずかな可能性を求めて、ありとあらゆる証拠を探しに付き合ってくれた。こうして、私たちはようやく真相にたどり着いたのだった。一般人が撮った動画の中に、粗い画質ながらも莉香と安人が映っていた。その画像の中で莉香は、安人が水に落ちるのを見ていながら
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