Masukだが、まだ正式に付き合っているわけではなく、あくまで友達としての距離感で接していた。信行が真琴の正体を知り、DNA鑑定までしたことについて、貴博は彼女に一切知らせなかった。彼女のペースを乱したくなかったからだ。……この日の夕方。真琴がアークライトからホテルへ戻ろうとした時、和夫に呼び止められた。「茉琴さん」振り返り、笑顔で挨拶する。「黒田部長」真琴の顔を見て、和夫は言った。「午後から何度か電話を入れたんだが、ずっと電源が切れていたからね。だからホテルに戻って君を待っていたんだよ」真琴が口を開く前に、和夫はさらに続ける。「今夜、市が主催する懇親会があってね。各IT企業がこぞって参加するんだ。光雅さんはもう向かっていて、私はここで君を待って、一緒に連れて行くところだ」一日中研究所にこもって少し疲れていた真琴は、やんわりと断った。「私は今日はやめておきます。この件は、兄がそちらにいれば十分だと思いますので」そう言われて、和夫が納得するはずもない。「今の君は東都市や各IT企業から引っ張りだこの、得難い人材だよ。我々なんかよりよっぽど重要だ。君が行かなくて、今夜の懇親会に何の意味があるんだい?それに皆、君の専門的な話を聞きたがっている。少しだけ、ほんの少し顔を出すだけで帰って休んでいいから、なんとか付き合ってくれないか?」部長にここまで言われてしまい、相手が目上の立場でもある以上、真琴も「分かりました」と頷くほかなかった。そして少し重い体を引きずり、彼に同行することにした。会場は東都市警察署の隣にある、エグゼクティブ向けの高級ホテルだ。参加しているのは主にIT企業で、地方から視察や勉強のために来ている企業もいくつかあった。会場に入り、周囲の会話を耳にして初めて、真琴は明日正式な座談会が控えており、今日は事前の顔合わせとして集められたのだと知った。和夫と共に宴会場へ入り、真琴はごく自然にアークライトの同僚たちの席に混ざった。ここ最近、彼らと一緒に仕事をしている時間が一番長かったからだ。貴博はメインテーブルの方にいて、信行も前方のテーブルで幹部たちと同席していた。今夜の集まりは比較的カジュアルで、皆自由に歓談しており、雰囲気も和やかだった。正式な交流会ではないため、皆リラックス
「その後、あの人があの火事で亡くなって……そしたらお兄ちゃん、今度は彼女のことが忘れられなくなっちゃって。たった一年で、黒髪が真っ白になっちゃったの。今じゃ、家族の誰も怖くてお兄ちゃんに何も聞けないし、彼女の話も出せないくらい」そこまで一気に語り、紗友里は再びじっと真琴を見つめた。視線が合っても、真琴は彼女の言葉をはぐらかすように、ただ微笑むだけだった。その反応を見て、紗友里は真顔で訴えかける。「ねえ、知ってる?茉琴は、亡くなった奥さんにそっくりなの。あなたが本当は、私がずっと慕っていた『あの真琴』なんじゃないかって、本気で疑ってるくらい。本当はね、あなたとお兄ちゃんをくっつけようなんて思ってないの。仮にあなたが私の知る『彼女』だとしても、よりを戻せなんて言わない。ただ、お兄ちゃんのあの抜け殻みたいな姿を見てるのが、すごくやりきれないのよ。だから真琴、本当のことを教えてくれない?お兄ちゃんのところへ行って、きっちりケリをつけてやってほしいの。彼を過去から抜け出させてあげて。じゃないと、お兄ちゃん、そのうち本当にダメになっちゃうから」その懇願を聞きながら、真琴は目を伏せて食事を続けた。朝食を終え、お茶を一口飲んでから、ようやく紗友里の目を見て言った。「紗友里。私を友達として信頼して、ここまで包み隠さず話してくれたことは……正直、すごく嬉しかったわ。でも残念だけど、私はあなたの義姉の真琴ではないの。それに、当時の義姉さんが姿を消した理由は、二度とお兄さんと関わりたくなかったからだと思う。死ぬまで二度と顔も見たくないって、そう願ったはずよ。昔も今も、お兄さんの問題の根本は彼自身にあるの。他の誰かのせいじゃない。嫌な言い方になるけれど、仮に私があなたの顔を立てて彼を慰めに行ったとしても、彼の心は開かないわ。言い換えれば、もし私がかつての真琴だとして、あんなにあっさり彼を許してあげるのは、彼に優しすぎると思わない?ましてや、私は別人なんだから」紗友里がどれほど誠実に、はっきりと想いを伝えてくれても、真琴が信行に正体を明かす気も、彼と関わりを持つ気も一切なかった。それに、彼女が知る信行の性格からして、もし目の前で正体を明かせば、彼は絶対に手放そうとはしないだろう。「正式な離婚手続きはまだ済んでいない」とまで言い
あの頃の真琴は、信行に対して本当に心の底から絶望していたのだろう。「真琴を大切にしないと、後で絶対に後悔するぞ」と、以前から何度も忠告してきたはずだ。結局、そのツケがそっくりそのまま自分に回ってきたというわけだ。二人が復縁できるかどうかについては、拓真は何も口にしなかったし、その手の慰めも一切言わなかった。あまりにも現実味がなさすぎるからだ。結婚していたあの数年間、信行は修復の余地など残さないほど彼女を追い詰めていたのだから。拓真の言葉に信行は黙ったままだったが、脳裏には三年以上前の出来事ばかりが次々と浮かんでいた。自分が真琴にどれほど酷いことをしてきたか。彼女が以前、どれほど自分を好きでいてくれたか。あの日記帳に綴られていた、切実な言葉の数々を。しばらく黙り込んだ後、拓真を見て言った。「もう遅い時間だ。帰って休め」だが、拓真は心配そうに尋ねる。「本当に残らなくていいのか?お前、一人で大丈夫か?」信行はふっと笑い、少し力のない声で言った。「お前が思っているほどヤワじゃないさ。それに、まだそこまで追い詰められたわけじゃない。五十嵐に負けるとは限らないだろう」その言葉を聞いて、拓真はようやく安心したように言った。「そうか、その意気があるなら大丈夫だな。じゃあ、俺は先に帰る」そう言って、ソファにかけてあった自分の上着を手に取り、病室を出て行った。拓真が去ると、元から静かだった病室は、さらにシンと静まり返った。一人ベッドに座り込んでいても、信行に眠気は一向に訪れない。頭の中は真琴のことでいっぱいだった。「信行……私、これからお父さんがいなくなっちゃうの」「信行、私、ずっとあなたとお友達でいていい?ずっと一緒に遊んでくれる?」「信行……」過去のあれこれを思い返せば返すほど、真琴が以前どれほど自分や片桐家に依存していたか、自分がどれほど彼女を誤解していたかを思い知らされ、信行の胸は強い罪悪感で締め付けられた。窓の外へ目を向けると、まん丸な月が浮かんでいる。その光の中に真琴の顔が見えた気がしたが、もう二度と、彼女といたあの頃には戻れない。……翌日の午前中。真琴がホテルのレストランで朝食をとっていると、紗友里がやって来た。椅子を引いて向かいに座るなり、紗友里は空気が抜けた風船
ドアの前に歩み寄り、真琴は声を潜めて尋ねた。「……どなた?」すると、扉の向こうから穏やかな男の声が返ってきた。「俺だ」光雅の声だと分かり、真琴はドアのロックを外した。そして尋ねる。「東都に戻るのは二日後じゃなかったの?どうしてこんなに早く?」その柔らかな問いかけに、光雅は答える。「用事が片付いたから、戻ってきた」真琴が扉を大きく開けると、光雅が中へと入ってきた。真琴もドアを閉め、彼の後を追って部屋の奥へと進む。デスクの前に立ち止まった光雅は、ふと振り返り、真琴に向かって言った。「中原(なかはら)さんが言っていたぞ。十時過ぎに、ホテルの前で五十嵐と片桐が顔を合わせていたと」真琴が口を開く前に、彼は言葉を続ける。「片桐の奴、おそらくお前の正体に感づいているな」それを聞いても、真琴は驚く様子もなく、感情を波立たせることもなく、ただふっと笑った。「知ろうと知るまいと、大した問題じゃないわ。辻本真琴はもう死んで、戸籍も抹消されているのよ。私が認めない限り、彼がいくら真実を知っていても意味がない。仮に今さら認めたとしても、もう何の意味もないしね」いかなる時も感情を乱さない彼女の姿を、光雅は高く評価していた。どれほど重大な局面でも決して取り乱すことなく、どっしりと構えている。これほど肝の据わった女性は、そういるものではない。ポケットに両手を突っ込み、彼は言う。「お前が気にならず、ペースを乱されないなら、それが一番だ」その後、二人は少しだけ言葉を交わし、光雅は「夜も遅いから休め」と促した。これ以上、夜中まで仕事などするなと念も押す。こんな深夜に押しかけて邪魔をするつもりはなかったが、下から見上げた時に彼女の部屋の明かりが点いているのが見え、思わずノックしてしまった。光雅を見送り、真琴はドアを閉めた。ベッドに戻り、薄い掛け布団を引き寄せて背もたれに寄りかかると、サイドテーブルの本を手に取る。しばらくページをめくり、やがて心地よい眠気が訪れたところで、ようやく明かりを消して眠りについた。……一方その頃、病院。信行は処置室から出てきたばかりだった。度を超えたペースで酒をあおりすぎたせいで、急性胃炎を引き起こしたのだ。胃洗浄を終え、まだ少し熱も残っている。他に
彼が何度も真琴を失望させ、幾度となくその心を傷つけてきた時点で、二人の関係はとうの昔に終わっていた。信行にチャンスなど残されていなかった。貴博をじっと見据えたまま、信行は口元に皮肉な笑みを浮かべ、冷たい声で問う。「いつから真琴の正体を知ったんですか?」その問いで、貴博はすべてを悟った。信行はすでに真琴の正体を突き止めたのだ。おそらく、DNA鑑定でも仕掛けたのだろう。だが、茉琴が真琴であろうとなかろうと、もはやどうでもいいことだ。静かに信行を見つめ返し、貴博は薄く笑った。「初めて再会した時からだよ。彼女は、最初から私に隠すつもりなんてなかった」「……」その言葉に、信行は言葉を失い、ただ相手を見つめることしかできなかった。しばらく貴博を睨みつけていたが、やがてポケットに両手を突っ込んだまま横を向き、視線を逸らした。真琴は貴博に対して一切の警戒心を解いていた。戻ってきて初めて顔を合わせた日から、正体を隠そうともしなかった。押し黙り、自嘲する信行の肩に手を置き、貴博は軽く揉むようにして言った。「信行。一度は手にしたんだ、今さら後悔するのはよせ。それに、今のこの結末は……少なくとも半分はお前自身の責任だろう」その言い方は、貴博なりの最大限の配慮だった。その言葉に、信行は振り返り、冷ややかに笑って言った。「まだ最後まで行ったわけじゃありません。誰が勝つか、勝負はこれからです」だが貴博は、ただ一言だけ告げた。「彼女を困らせるな」無表情のまま肩の上の手をどけ、信行は背を向けて車のドアを開けた。乗り込むなりアクセルを踏み込み、ホテルを後にする。帰りの道中、信行の心はやり場のない苦しさで塞ぎ込んでいた。真琴と話がしたかった。謝りたかった。すべてをきちんと伝えたかった。しかし、彼女は誰にチャンスを与えようと、自分にだけは決して与えようとしない。開け放たれた窓から、夜風が耳元を吹き抜けていく。かつて自分にだけ見せていた親しげな姿と、先ほど貴博に寄り添っていた笑顔が重なった。信行の胸の奥が、ぎりぎりと締め付けられた。拓真を呼び出してバーに向かったが、信行は一言も発することなく、ただ黙々とグラスをあおり続けた。その尋常ではない様子に肝を冷やし、拓真が慌てて腕を掴む。「おい、い
ホテルのエントランス。真琴は両手でバッグを持ち、貴博を見上げて言った。「今日はありがとうございました。わざわざ送っていただいて」その遠慮がちな言葉に、貴博は笑って返す。「そんなに気を使わなくてもいいんだよ」そして、ふと思い出したように言葉を継いだ。「そうだ、博士。明日から二日間、県外へ出張に行ってくる。週末に戻ったら、一緒に食事でもどう?」常に細やかな気配りを見せ、先の予定まできちんと伝えてくれる彼に、真琴はこくりと頷いた。「ええ、喜んで」その後、入り口で少しだけ言葉を交わし、真琴は背を向けてホテルの中へと入っていった。貴博はその場に留まり、彼女の背中を静かに見送っていた。背を向けて歩き出した瞬間、実は真琴も横の駐車場に停まっているマイバッハの存在に気づいていた。信行の車は目立つし、あんな外れた場所に停めていれば、かえって目を引く。だが、彼女は視線を留めることもなく、気にする素振りすら一切見せなかった。先ほどの貴博とのやり取りも、誰かに見せつけるためなどではなく、ただ純粋に彼と向き合っていただけだ。貴博は一緒にいて心安らぐ相手だ。普段はこれといった連絡を取り合わなくても、何の気兼ねもいらない。エレベーターホールに着き、ボタンを押して中へと乗り込む。信行に未練を持たせるつもりもないし、これ以上彼と関わりを持つ気などさらさらない。彼との繋がりは、二年前に既に断ち切っていた。あの時、ちゃんと機会を与えたはずだった。過去を振り返ることなど久しくなかったが、それでもふと二年前の記憶が蘇る。あの夜、「どうしても行くのね?」と尋ねた自分を振り切り、彼は出て行った。「すぐ戻る」と言い残したまま、戻らなかった。あの大火事が起きても、彼が戻ってくることはなかった。エレベーターが到着し、中へ乗り込む。真琴は淡々と前方を見つめたまま、ふうっと長く息を吐き出した。あのような日々に逆戻りするのはもう御免だ。二度と「辻本真琴」に戻る気はないし、信行と関わる気も一切ない。彼への情も、かつての恩義も、とうの昔に手放している。……同じ頃、ホテルのエントランス。真琴を見送った貴博は、振り返りざまに、無意識に信行のいる方へ視線を遣った。少し離れた場所に停まっている彼の車など、とっくに気づ
その時、信行は手にした協議書を一瞥し、鼻で笑って尋ねた。「誰に吹き込まれた?離婚協議書を爺さんのところに持ち込めば、それでカタがつくとでも思ったのか?」真琴は顔を上げた。彼女が反論する前に、信行は被せるように言った。淡々とした口調だ。「爺さんには散々絞られたし、圧力もかけられたよ」そして、真琴に口を挟ませまいと続けた。「協議書にある不動産や資産の譲渡だが、明日から法務部に手続きを始めさせる。名義変更などで、お前にも協力してもらう必要があるかもしれん」その言葉を聞き、真琴はてっきり彼が協議書にサインし、月曜日に離婚申請に行けるのだと思った。しかし、信行は協議書
お茶を飲もうとしていた信行の手が止まり、真琴をじっと見つめた。しばらく見据えた後、ふっと自嘲気味に笑って言った。「俺に隠れて、コソコソ色々やってるみたいだな」信行が言い終わると同時に料理が運ばれてきたので、それ以上は何も言わず、彼は真琴にスープとご飯をよそってやった。おかずを取り分ける時も、彼女が嫌いな薬味を丁寧に避け、魚の骨まで綺麗に取り除いてくれた。今日の信行のこの甲斐甲斐しい優しさを、真琴は黙って見ていた。静かに待った。彼が本題を切り出すのを。今日のこの優しさは、きっと「別れの餞」なのだろうと思えたからだ。食後、信行は真琴を連れて川沿いを散歩した。手を
そう言って、真琴は慌てて道を空け、隣の椅子を引いた。「座って」信行に対するその態度は、拓真たちへのそれよりもずっと他人行儀で、明らかな距離感があった。拓真たちはそれを見て、少し同情的な目で信行を見た。何しろ、彼は夫なのだから。信行はただ冷ややかに拓真を睨みつけただけだった。さっき真琴をハグしようとしたのを、まだ根に持っているようだ。間もなく料理が運ばれ、皆が口々に真琴へのお祝いを述べた。真琴は笑顔で、その一人一人に応えた。今夜、彼女は結構な量を飲んでいた。お開きになる頃には足元がおぼつかなくなり、まともに歩けなくなっていた。必死にこらえてはいたが、体質的に限
意外だった。まさか、信行が迎えに来てくれるなんて。指折り数えてみれば、十日ほど会っていなかったことになる。今回の別れは、まるで何年も会っていないかのように長く感じられた。一日が千年のように重い。黒いマイバッハの傍らで、真琴の声を聞き、信行が振り返った。姿を認めるなり、彼は吸いかけのタバコを携帯灰皿に押し込み、慌てて煙を払う。月明かりが、二人の影を長く伸ばしていた。両手をポケットに戻し、信行は優しく声をかけた。「終わったか?」バッグのストラップを握りしめ、真琴は歩み寄りながら頷く。「ええ、終わりました」距離が縮まり、二人の影が重なる。信行は彼女を見下ろ