「とわこが怖がってないのに、怖がる理由ある?」子遠は言い返した。「まさか、とわこに脳みそがないとでも言いたいわけ?」「お前らはそう思ってるかもしれないけど、世間は違うぞ。あの二人の子どもにだって影響あるかもしれないんだ」マイクは不安げに眉をひそめた。「奏が当時、どうして人を殺すことになったのか、その理由を説明してくれたら少しはマシになるのに」「社長が説明するわけない」子遠はきっぱり言い切った。「誰よりも他人に釈明するのが嫌いな人だ。でも、あそこまで極端な行動に出たからには、正当な理由があるはずだ。正当防衛とかさ」「そう、それは分かってる。でもさ、彼ってとわこにすら説明しないタイプでしょ?他人になんか、なおさら説明するわけない。とわこみたいに我慢できる人じゃなきゃ、到底付き合えないわ。あの頑固さ、今日ちょっとは懲りたんじゃない?」「まさか嬉しがってるのか?もし社長に罪があるなら、法が裁くだろ。でもな、今日の件は完全に仕組まれてた。組織的な嫌がらせだよ。絶対に奴らを許しちゃいけない。一人残らず、報いを受けさせてやる!」「まあ奏にとって、人生で初めての屈辱だったかもな。キツいわ」「いい加減にしろよ!」子遠は苛立って声を荒らげた。「彼はもうとわこの旦那なんだ。無事でいてもらわないと困る。じゃないと、とわこがもっと泣くんだよ!」「なんでいつも、とわこを盾にするんだよ?」「だって、とわこしか君を黙らせられないからな、いやなことばっか言う」しばらくして、マイクが薬箱を持ってとわこの元に戻った。「結婚式、30分遅らせた方がいいかもな。もうすぐ正午になるし」時計を見ながら、彼はとわこに提案した。とわこは少し考えたあと、コクリと頷いた。「彼に着替えさせたら、すぐ行くから」「それと、メイク直した方がいいよ。顔、泣き腫らしてる」マイクが小声で忠告した。「分かってる」彼女は薬箱を持って部屋に戻っていった。その頃、マイクは別荘の外に出て、司会者に式の延期を伝えに行こうとしていた。ちょうどそのとき、一人の警備員が慌てて走ってきた。「なんだよ、その慌てっぷり。何があった?」マイクが訊くと、警備員は困ったような顔をした。「別荘の入口に中年の男性が現れて、『自分は奏社長の父親だ』ってどうしても中に入れろって聞かないんです。招待状は持
ふたりは前に約束していた。たとえ悟がすべてを公にしたとしても、結婚式は予定通り挙げると。けれど今の彼の精神状態を見ると、とわこの胸は締めつけられるように痛んだ。結婚式を続けたい気持ちはある。でも、彼に無理をさせたくなかった。現地には多くの招待客が集まっていた。みんなが奏の知人友人ではあるが、今となっては、見世物を見るつもりで来ている者もいるかもしれない。そう思うと、とわこの心は乱れた。彼女の涙が、そっと奏のスラックスに落ちた。そんな彼女の顔を見て、奏がかすれた声で口を開いた。「泣かないで」その一言で、とわこの心が現実に引き戻された。「泣かない。もう、泣かないよ」そう言いながら、とわこは洗面所におたらいを戻し、クローゼットから新しいスーツのセットを取り出してきた。「もうここまで来たんだもん。ネットで広まった今となっては、怖がる必要なんてないよ」そう話しながら、ベッドにスーツを置き、彼のシャツのボタンを一つひとつ丁寧に外していった。シャツ自体は汚れてはいなかったが、しわくちゃだった。彼女は、奏にそんな姿でいてほしくなかった。何年もの間、彼はいつも気品あふれる貴公子だった。たとえ世間が彼を「殺人犯」と呼んでも、とわこの目には、今もなお冷静で気高い奏の姿しか映っていなかった。「奏、人が何を言おうと、私たちには関係ない。私たちは、ちゃんと結婚して、ちゃんと幸せになるんだから」そう口にしながら、とわこの声は詰まった。シャツのボタンを外し終えたとき、彼女の目に飛び込んできたのは、彼の身体中に広がる無数の痣。やっとの思いでこらえていた涙が、またしても止まらなくなった。あんな野蛮な連中がどうして、こんなにも彼を傷つけていいと思ったの?許せない。絶対に許せない。「痛くないの?」彼の傷口に、そっと指先を当てながら、かすかに震える声で尋ねた。「泣かないで。俺約束したよな。どんなことがあっても、結婚式には影響させないって」彼女の涙に触れたことで、奏の今にも崩れそうだった理性が、少しずつ戻ってきた。そうだ。とわこの言う通りだった。悟はもう、持っていたカードをすべて切った。これ以上、悪くなることはない。「うん、奏、私はね、この人生であなた以外の人なんて、絶対にいらない。たとえ本当に極悪非道な人間だったとしても、私はあ
まもなくして、暴徒たちは警察によって制圧された。とわこは群衆をかき分け、奏のもとへ駆け寄ると、その傷だらけの身体を力いっぱい抱きしめた。「奏、怖がらないで。あんなの、ただの無知で狂った連中よ!あなたは罪人なんかじゃない!絶対に違う!」加害者たちが連行された後も、見物人たちはスマホの撮影をやめようとしなかった。奏が集団で殴打される動画は、すぐさまネット上に拡散されていった。こういった「神の座から引きずり下ろされた大人物」の話題は、いつだって爆発的な注目を集める。うそでしょ、これ本当に奏?ボロボロじゃん、あんなに殴られて、私だったら、恥ずかしくて一生外に出られない!見た?全然反撃してなかった!やっぱり、本当に人殺しだったんだよ!めちゃくちゃスッキリした!あんなクズ、もっと早く罰を受けるべきだった!今日って、あいつの結婚式じゃなかったっけ?こんな状態じゃ結婚どころじゃないでしょ。もし私が新婦だったら、即逃げ出すわ!あるマンション。和夫は、奏が殴られている動画を見て、体を震わせるほど激怒していた。金をもらえなかったことよりも、何倍も怒りを感じていた。親子としての情は薄かったとはいえ、奏は彼の実の息子だ。そんな息子が、公衆の面前であれほど無残に痛めつけられている様子を見ていると、まるでその拳が自分に振り下ろされているかのように感じた。屈辱感で顔から火が出るようだった。もし自分がここにいなければ、知らぬふりをしてもよかった。だが今は同じ国、同じ空の下。目の前で起きているこの屈辱を、どうして黙って見過ごせるだろうか?「情けねえ!」哲也は何度も動画を見返したあと、冷笑混じりに呟いた。「すげー奴かと思ってたけど、殴られても何もできないなんて、マジでダサいな」「お前、バカか?あんなに囲まれてて、どうやって反撃するんだよ!お前は殴られたこともねぇのか」和夫は怒鳴り声を上げた。「なんで俺にキレてんだよ!殴ったのは俺じゃないし、それに、前にあいつ、親父のことボコったじゃん?今こうしてやられてるの見て、ざまぁって思うのが普通だろ?」「ざまぁ?あいつは俺の息子だぞ!殴られようが何されようが、息子は息子だ」和夫は血走った目で怒鳴り散らし、肩で息をしていた。「それに今俺たちが住んでるこのマンションだって、全部あいつが金出して
別荘の中。とわこのスマホが鳴った。ボディーガードからの電話だった。「旦那様を見つけました!ですが今、外が少し騒がしくて」電話越しに、男の声と一緒に人々のざわめきが伝わってくる。「何が起きてるの?」とわこはソファから勢いよく立ち上がった。「俺もよく分かりません。突然、大勢の人が押し寄せてきて、旦那様のことを殺人犯だと叫んでます!普通の群衆とは思えません。警察も現場にいるのに、構わず囲んで騒ぎ立ててるんです!」その直後、電話の向こうで怒声が上がり、ボディーガードが誰かと口論しているようだった。とわこはすぐに電話を切り、何も迷わず玄関へと走り出した。「とわこ!どこ行くの!?」瞳が慌てて後を追った。「奏が危ないの!彼のところへ行かなきゃ!」重たいドレスの裾を手に取りながら、とわこは別荘の扉を勢いよく開けた。けれど、玄関を出たその瞬間、彼女の足が止まった。涼太がレラを抱きかかえ、目の前に立ちはだかっていたのだ。「奏を探しに行くつもりか?」すでにネットの騒動を把握していた涼太は、彼女の行動を予想してここへ来ていた。「今外はかなり危険な状況だ。もう彼の警護チームを向かわせてある。君はここにいた方がいい」とわこは、その言葉を聞いてはいたが、心には全く届いていなかった。「レラを中に連れてってあげて。私は絶対に行かなきゃいけないの」そう言って彼女は涼太の横をすり抜け、勢いよく階段を駆け下りた。涼太は深く息を吐き、レラを瞳に預けると、彼女の後を追いかけた。リゾートの外は、完全な混乱状態だった。どこからともなく集まってきた群衆が、奏をぐるりと取り囲んでいた。彼らは罵声を浴びせるだけでなく、スマホを向けて写真や動画を撮りまくっていた。ボディーガードたちは奏の周囲を守っていたが、あまりに人数が多く、まともに身動きが取れない状況だった。「奏!この悪魔が!金を出せ!地獄に堕ちろ」「人を殺したら命で償え!殺人犯は裁かれて当然だ」「法の裁きを!殺人者には厳罰を」「奏も、その嫁も子供も、不幸になれ」奏は眉をひそめ、冷たい眼差しで声の主を探した。そして「嫁と子供も不幸になれ」と口にした中年男性を見つけた瞬間、目の色が鋭く変わった。彼は目の前のボディーガードを押しのけ、真っ直ぐその男に向かって歩き出した。
悟の話は、本当なの?奏は本当は常盤家の跡取りじゃなくて、しかも清を殺したって?そんなことって!とわこは、近くのローマ柱にしがみつかなければ、その場で足元が崩れ落ちて倒れていたかもしれなかった。あまりにも衝撃的な内容に、頭がクラクラする。まるで悪夢の中に迷い込んだかのようだった。別荘を飛び出したとわこの後を、すぐにボディーガードが追いかけてきた。「社長、落ち着いてください!今のまま外に出ると、周囲の人に注目されてしまいます!」ボディーガードは慌てて、とわこをなだめながら言った。「旦那様は外に出ておりますが、それほど遠くには行っていないはずです。お電話いただければ、すぐに戻ってこられるかと」とわこの胸は大きく上下し、呼吸が乱れていた。彼女は震える手でスマホを取り出し、彼の番号を探して発信する。コールは繋がっていたが、彼は電話に出なかった。「どうか中でお待ちください。私が代わりに旦那様を探してきます。見つけたらすぐに連絡するよう伝えます」ボディーガードはとわこの肩を支え、再び別荘の中へと促した。「外には人も多くて騒がしいですし、その格好で出歩けば余計な噂も立ってしまいます。それに、せっかくのドレスが汚れてしまいますよ」とわこは深く息を吸い込んだ。何があっても、今日の結婚式は必ず挙げようって、彼に言ったじゃない。自分に言い聞かせるようにして、気持ちを少しだけ落ち着けた。「行って。彼を見つけたら、すぐに連れて戻ってきて。もし帰ろうとしないなら、『私はここで待ってる』って、伝えて」目に涙を浮かべながら、とわこは静かに言った。「かしこまりました」ボディーガードは彼女を別荘に送り届けると、そのまま足早に出て行った。リゾートの外。奏は警察による聞き取りに応じていた。「奏さん、病院に確認したところ、甥っ子さんは命に別状なかったとのことです。ですので、そちらの件で問題になることはありません」奏「彼は俺の甥じゃない。常盤家とは何の関係もない」「は、はい、常盤家の血筋かどうかは、我々の管轄外なので、ですが、悟さんが言っていた、父親を殺したという件についてですがそれは事実なのでしょうか?」警官は恐る恐る尋ねた。奏はしばらく沈黙したのち、喉を鳴らしてから静かに答えた。「ああ。俺が常盤清を殺した」「なぜですか?今こ
この記者会見は、無数のメディア関係者を前に行われ、その様子は同時にネット上でも生配信された。世間に大きな衝撃を与えたいなら、これくらいの騒ぎにはしないと意味がない!奏と命を懸けて戦う覚悟を決めた悟は、感情を露わにして会見に臨んでいた。彼は現場で、さまざまな証拠を提示した。DNA鑑定結果や、かつて母親が奏に送金した際のスクリーンショットも含まれていた。一通り証拠を提示し終えた後、悟は涙を浮かべながらカメラを見据えた。「奏は俺の弟の人生を奪い、常盤家の金を使って常盤グループを立ち上げた。母はすでに亡くなったけど、当時、弟と運転手の子供がどうしてすり替わったのかは分からない。ただ、もう真実は明らかなんだ。これ以上傷つけられたくない!奏が常盤家から奪った金を返す気がなくても、父の命まで奪った責任は、絶対に取ってもらう!」この生配信は瞬く間に拡散された。奏ととわこの結婚を祝福するハッシュタグは、たちまち別の話題で埋め尽くされていった。みんな、悟のライブ見た?内容が衝撃すぎる、今すぐ検索してみて、「悟」って入れれば出てくるよ!急げ!ライブ、もうすぐ消されるかもしれないよ!あいつ、A国じゃ何でも揉み消せる力あるから!誰か要点まとめてくれない?仕事中でライブ見られない。1、奏は常盤家の子供じゃなくて、運転手の子供だった!完全にすり替え事件!2、十代の頃に常盤家の当主常盤清を殺した。3、常盤グループは常盤家の資金で立ち上げたくせに、今は悟に一銭も渡そうとしない。つまり、カネで揉めてるってこと。奏が少しでも分けていれば、こんな暴露はなかったかもね。うそでしょ!奏って運転手の子供だったの?親父が勝手にすり替えたってこと?どうりで、常盤家の他の人たちと顔立ちが違うと思ったよ!私だけ?なんで奏が清を殺したのか気になるの?人殺しは犯罪だよ?そのとき、自分が常盤家の人間じゃないって、知らなかったはずでしょ。やっぱり成功する人って、普通じゃないんだな。悟の暴露を聞く限り、奏って、めっちゃ怖い人間じゃん!今日、とわこが彼と結婚するけど、とわこはこのこと全部知ってたのかな?知ってたとしても、もう子供までいるし。きっと似た者同士なんでしょ。類は友を呼ぶってやつ。今の奏の地位を揺るがすのは、誰にもできないんじゃない?国に毎年膨大な税金を納めて