تسجيل الدخول帰って来たジェイドを捕まえて、ラヴェルは食い下がる。
「本当なのか⁉ デルメール家がローゼン家から切られたというのは……」
「ベル……落ち着いて」
「何で黙っていた? 何も知らない私を、お前は……」
恨んでいる?
憎んでいる?
その言葉を口にするのを憚られて、ラヴェルは俯き口の端を噛む。
「口調がはしたないぞ、ベル」
「そんな事っ……」
「どうでも良いか?」
そう問い質されて、初めてジェイドの視線に気づく。
彼の視線はいつもの優しさを灯してはいない。
刺す様な、温度のないその視線に、ラヴェルはビクリと一歩下がった。
「君がベルである事は、これからの人生において一番大事な事では?」
冷静で低い声。
ラヴェルの熱の上がった思考は、その一言で急激に冷静さを取り戻した。
ジェイドは自室に戻ってまず、上着を脱ぎシャツの第一ボタンをはずして、寝台に腰掛けた。「はぁ……」 前屈みになり、項垂れるようにして息を吐く。 この連日忙し過ぎた挙句、帰って来てラヴェルに詰め寄られたのだ。 確かにデルメール家の過去を知れば、そう思っても仕方がない事ではある。「王家に売る……か……」 行き場を無くし、自分にしか頼れない様に時間をかけて仕向けて来た。 一年以上かけてベルと言う存在を作り上げ、この世界からラヴェル・ローゼンを消し去る。 それは半ば成功していると思っていたのに――。 不安になった彼に、それは違うというのは簡単だ。 だがそれを言わなかったのは彼自身から「信じる」と言わせたかったからだ。 本来、幼い頃から手の届かない宝石のような人だった。 王家に次ぐ高位貴族の嫡男で、男爵位でありながら幼馴染として過ごせたのは親の関係性があったからだ。 そうでなければ、小さな港を抱えた辺境の地をもつ下級貴族となんて、遠すぎて交わる事など無い。 最初に出会った時、可憐な少女かと見紛う程の美しさだった事を覚えている。 忙しい親、広い屋敷、放置された子供の相手として抜擢されたのが自分だった。 しっかりしている様で脆く、儚いようで割と強い。 凛とした人を寄せ付けない佇まいに、最初の頃はとても気を遣った覚えがある。「デルメール家のジェイドと申します。何なりとお申し付けを」 幼馴染と言え、同等ではない。 少年だったジェイドにも、その認識はあった。「ジェイド……」 美しいブランデーのような瞳に、夕陽に焼けた薔薇のような赤い髪。 薄い花弁のような彼の口から零れた自分の名が、特別なものに思えた。「ジェイドは一緒に居てくれる?」
帰って来たジェイドを捕まえて、ラヴェルは食い下がる。「本当なのか⁉ デルメール家がローゼン家から切られたというのは……」「ベル……落ち着いて」「何で黙っていた? 何も知らない私を、お前は……」 恨んでいる? 憎んでいる? その言葉を口にするのを憚られて、ラヴェルは俯き口の端を噛む。「口調がはしたないぞ、ベル」「そんな事っ……」「どうでも良いか?」 そう問い質されて、初めてジェイドの視線に気づく。 彼の視線はいつもの優しさを灯してはいない。 刺す様な、温度のないその視線に、ラヴェルはビクリと一歩下がった。「君がベルである事は、これからの人生において一番大事な事では?」 冷静で低い声。 ラヴェルの熱の上がった思考は、その一言で急激に冷静さを取り戻した。「ごめんなさい……」「急にどうしたんだ? 誰かに何か、言われたのか?」 昼間にセルジオが来た事をリゼルから聞いているはずなのに、敢えてそう聞かれる事に疑念を覚えた。 分かっているのに、こちらが正直に話すかどうか、試されている様な――。「うん? どうした、ベル」「いや、何でもない……わ……」 ジェイドとの間にあった信頼や、特別だと思っていた何かが、分からなくなっていく。 結局はジェイドがいなければ、どこにも行く宛てなど無い。「ベル、こっちへおいで」 そう言われてジェイドに手を引かれ、ラヴェルは僅かに抵抗し、強く引き寄せられた。「いっ……たぃ……」「何に怒っているんだ? ベル」 力任せに握られた手首は、引いても離して貰えない。 今までこんな事、
「前デルメール男爵が、横領疑惑でローゼン家から切られたんですわ」 真っすぐに自分を見ているセルジオの目に、ラヴェルはただ何度も瞬きをして言葉を探す。 知らない。 どう言う事だ? ジェイドの父親は確かに、自分の父親の腹心として一緒に働いていた。 だが、彼ら親子が姿を消した理由は知らされなかった。 父親からも、クレイからも、誰からも教えて貰えなかった背景にそんな話があったなんて――。「結局、疑われただけで審議は分からなかったらしいですけどね」 セルジオはそう言って目の前のティーカップを口元へ運ぶ。 ラヴェルはその長い指の先をただジッと見て、驚きも疑問も顔に出ない様に務めた。「そ、う……」「それにローゼン家の嫡男がいるなら、男爵こそ恨んでいるでしょう。冤罪で父親は病に倒れ、領地を脅かされたのだから」「恨んで……」 そう言われてラヴェルは心臓を握られた様に息が詰まった。 ティーカップに指をかければ、震えてしまうかもしれない。 ラヴェルは膝の上に重ねた手を、ただぎゅっと握る。「だから私は、海に漂着した宝石様がローゼン家の嫡男で、日記と共に王家に売る為に監禁されているのではないかと思ったくらいですよ」 王家に売る――――? もし、仮にジェイドの本心がローゼン家への復讐にあるとしたら、その発想は突飛とは言い切れない。 失った領地の過失を取り返すには、追われているラヴェル・ローゼンを差し出す事に大きな意味を持つ。 いやでも、それなら見つけてすぐに差し出しているだろう。 こんな女装までさせて、一年以上匿う必要はない。「セルジオ様、お言葉に気を付けて下さい。主人を貶める発言は許しません」 リゼルの低い声に、ラヴェルはハッと意識を取り戻した。「いや
あの日以来、洞窟内での秘密は自慰から愛撫へと変わった。 あの時間が、街で感じたあの世界から疎外されている様な孤独を紛らわす事が出来る。 ジェイドがラヴェルの存在を知り、求め、認めてくれていればそれで良い。 他の誰に忘れられても、消えてなくなるような儚い存在ではないと思える。 互いに言葉で気持ちを伝えることは無くとも、彼と自分の間には“特別な感情”が確かにあると思えるからだ。 それはベルの完成度にも拍車をかけた。「リゼル、お散歩でもしましょうか」 ジェイドはこの所忙しいらしく、よく屋敷を空けている。 ラヴェルは相変わらず屋敷の中にいる事が多いが、街で顔を見せた事で、敷地内の散歩くらいは許されるようになった。「ベル様、本日は雨になりそうです」「あら、そう……じゃあ晴れている内にお庭に出ましょう」「かしこまりました」 侍女のリゼルは相変わらずだが、彼女が片時も離れずに傍にいる事も、当たり前になっていた。 屋敷のテラスから出た瞬間、玄関先から声が聞こえる。「誰かいらっしゃいませんかー?」 その声に、リゼルが「見て参ります」と傍を離れた。 遠く見える玄関先に見える男は、風体からセルジオだと思われた。 ラヴェルはセルジオ嫌いのリゼルが気になり、後を追う。「旦那様はお出掛けなさっています」「あらら、入れ違いかぁ。おや、ベル嬢、今日もお美しい」「こんにちは、セルジオ。何か御用だったの?」 そう声を掛けるとセルジオは後頭部を掻きながら「出直しますわぁ」と苦笑いした。 リゼルは「お帰りはあちらです」と外門を差す。「相変わらず冷たいねぇ。お茶の一つでも出してはくれないのかい?」 そう言われてリゼルが食い気味に「それは」と言いかけ、ラヴェルはふと気
「ジェイドに……触って欲しい」 いつだってジェイドは見ているだけで、指一本触れたことは無い。「どうして?」「……え?」 どうしてと聞かれてラヴェルは弾かれた様に顔を上げた。 どうして――――? どうしてだろうか。 ずっとそうして欲しかったような気もする。 けれど、自分で明確に言葉に出来ない。 寂しい。悲しい。辛い……? どれもあって、どれでもない様な気になる。「わ……からない……」「そうか」 相変わらず柔和な表情でそう答えたジェイドに、ラヴェルは眉根を寄せた。 それは許諾なのか、拒否なのか。「すまない、変な事を言った……」 いつものジェイドなら「良いよ」と言ってくれると思っていた。 言うんじゃなかった。 ラヴェルはしがみついていたジェイドのシャツを離して、一歩下がる。 受け入れて貰えないという事に、強烈な孤独を覚えた。「そんな悲しい顔をするな」 そう言ったジェイドはこちらをゆっくりと伺うように覗き込む。「でも、嫌だったのだろう? ごめん、もう言わないから……」「そうじゃない。どうしてそうして欲しいのか、素直に教えて欲しいだけだ」 ラヴェルはそう言われて、唇を噛んだ。 自分の気持ちがまるで分らない。 だけど、ジェイドが自分を求めてくれたらと、欲が出る。 ――――怖いんだ。 ラヴェルはジェイドに縋りつくようにして、辛うじてそう言葉にした。 言葉にした後、思考が追い付く。 あぁ、怖かったのだ、と。 街へ出てラヴェル・ローゼンと言う人間はもうどこにもいないのだと、実感してしまった。
彼女からしてみたらオルレイン伯爵の研究が、貴族の道楽に見えるのかもしれない。 だが、金を持っている貴族だからこそ、価値の高い研究が出来るのも確かだ。 異国に通じる知識も、研究に必要な道具や書、そして何より有り余る時間。 労働をしない貴族だからこそ、彼は財も時間も研究に時間を費やす事が出来るとも言える。 ふと、夜会で彼に言われた事を思い出した。 ラヴェル殿にはこの国を背負って立って頂かねば――。 その彼の言葉は、公爵家の嫡男への世辞だと思っていた。 いや、実際に王家を支え、筆頭貴族として国に貢献するローゼン家を継ぎ、国内経済を一挙に握る当主となるべく育ってきた筈だった。 だが、今はどうだ。 重たいドレスを着こなし、化粧し、男の面影は何処にもない。 街頭の窓ガラスに映る自分を見て、ラヴェルは立ち止まった。 胸元に輝くジェイドがくれた夜鏡石のネックレスが、反射して目を細める。 その光に反して、急に心に影が射した。 そしてさっきのセルジオの言葉が耳に戻って来た。 あぁ、あの男は首輪と言ったのか、と。 まさしく、この一年、屋敷に捕らわれ飼われていた様なものだ。 こんな所で、こんな格好をした自分が情けなく、着ているドレスがずっしりと重く感じる。 何をしているのだろう、自分は――。 ラヴェルはドレスの両脇を握り締め、俯いた。「どうかされましたか? ベル様」 ハッとして顔を上げ、ラヴェルは取り繕うように口角を上げた。「何でもないわ。少し疲れたみたい」「風が出てきました。今日は海が荒れるかもしれません。馬車に戻りましょう」「えぇ、そうね……」 到着した時は眩しい程だった太陽が陰り、遠く見える海は凪いでいるように見える。 だが、このデルベールではこの時期、碧夜と呼ばれる嵐の夜
「ぐえっ――! げほっ、げほっ――!!!」 ラヴェルは必死に目を開け、直後に海水を激しく吐き出した。 肺が引き裂かれたように痛む。 呼吸の一つ一つが拷問だった。 「ゔっ……」 「ラヴィ様っ! お
ラヴェルは、自分があとどれだけ持ちこたえられるのか分からなかった。 海水が無数の手のように、彼の鼻や口を引き裂く。 肺に流れ込み、空気のひと欠片まで押し出していく。 視界は閉ざされ、四肢も縛られている。 ラヴェルは誰かに捨てられた石のように、ゆっくりと真っ暗な底へ沈んでいった。 これが、ローゼン公爵家の嫡男の末路なのか? 二十分前まで、彼は王都で最も豪華な夜会にいて、クリスタルのグラスを手に、皆からの祝いの言葉を受けていた。「ラヴェル様、ご立派になられて」「ラヴェル様は王家からの期待も大きいですからな」 偽りの笑顔、追従の言葉。 彼はただ早く家に帰って、夜会服を脱ぎ
ジェイドは出先から帰って来てリゼルとラヴェルの会話を扉越しに聞く。 巷では公爵家の嫡男が王家の秘密を持って逃走した――と派手に吹聴されていた。 「さて、どうするか……」 ジェイドが幼い頃はまだデルメール家が貿易の拠点として栄えていた。 王家御用達の宝石商として栄華を誇るローゼン家と、輸出入を担うデルメール家は懇意にしており、二つ年下のラヴェルとは幼馴染として過ごした時間もある。 だがデルメール家は十年ほど前にとある事情で、衰退の一途を辿る事になった。 静かに、沈殿するよう
ジェイドは白シャツにサスペンダーと言う軽装で、貴族の外出着とは言えない装いだった。「お加減はいかがですか? ラヴィ様」「あ、あぁ……大分良い」「貸して下さい。私が拭きましょう」「いや……それは……」 下位の貴族とは言え“旦那様”と呼ばれているという事は、デルメール家を継いでいるという事だ。 ヴェルモナ王国の南の辺境であるデルメール領。 小さな領地ではあるが、その昔は港を有した貿易の拠点として栄華を誇った土地でもある。 今は国境を







