로그인その日、僕たちはほとんど会話もないまま帰宅した。
来人が竜ヶ峰を心配する気持ちもわかる。 あれが友情から来ていることも、ちゃんとわかっている。──でも。正直、気分の良いものではなかった。どうであれ、僕は竜ヶ峰に傷つけられたのだから。あの出来事を、なかったことにできるほど──まだ、時間は経っていない。 「ねぇ……来人。本当は……」そこまで言いかけて、言葉を飲み込んだ。言ってはいけないことを、口にしてしまいそうで怖かった。そして、ふと思う。もしかして――竜ヶ峰も、ずっとこんな気持ちを抱えていたのかもしれない。僕にとって竜ヶ峰は“傷つけた人“でも、竜ヶ峰から見れば──僕もまた、“傷つけた側”だったのかもしれない。 ……どうして。どうして、同じ人を好きになってしまうんだろう。もし、一人に一人だけだったなら──「この世界から、瘴気が無くなることはない」じいちゃんは、厳しい表情のまま言った。「人間に欲や嫉妬という感情がある限り……そこから生まれる悪しき感情が、瘴気を生み出す。だからこそ、我々——神の眷属である十三家紋が、それを祓い続けなければならない」重い言葉が、静かに落ちる。「……それを、逆手に取ろうとしたのが神蛇家なんじゃ」じいちゃんの目が、わずかに細くなる。「命懸けで祓うのだから、それ相応の金品を受け取るべきだ——そう言い出してな」 僕たち、いわゆる十三家紋と呼ばれる一族は、国の要請で瘴気を祓っている。報奨金は支払われているし、それは免税のはずだ。それに加えて、一般からも金を徴収するなんて——どう考えても、おかしい。そう思った、その時だった。「元々、蛇一族のトップは祐巳一族だったんじゃ」じいちゃんの言葉に、息を呑む。「だが彼らは、生粋の研究一族でな。我々十三家紋の能力や、その謎の解明にばかり没頭しておった」少しだけ、苦々しい表情になる。「気付いた時には、神蛇一族に立場を乗っ取られておったんじゃ」「そもそも、“神蛇”という名は存在しなかった」その一言に、空気が変わる。「我々十三家紋は、神の眷属。“神”を名乗ることは禁じられておるのじゃ」じいちゃんの言葉に、息を呑んだ。——やっぱり。これから語られるのは、きっと。十三家紋の“闇”だ。無意識に、膝の上で拳を握り締める。すると——そっと、来人がその手を包み込んだ。隣を見ると、来人は険しい表情をしていた。
「まぁ、ワシとばあさんが結婚して咲月が生まれた年に——」じいちゃんは、ゆっくりと言葉を選ぶように話し始めた。「狗飼家に嫁いでいた猫柳家の人間が亡くなり、咲月と亮二の縁談が決まった。しかしその夜、ばあさんは神様からお告げを受けたんじゃ」空気が、わずかに張り詰める。「亮二と咲月は能力が強い。もし二人が結婚すれば——神に近い人間が生まれてしまう、とな……」その言葉に、僕と来人は顔を見合わせた。「だが、婚約は十三家紋によって認められてしまった。覆すことは出来なかった。そこで神は、運命軸を少しだけ操作した。亮二が他の女性に恋をするように仕向けたんじゃ。そして——来人君が生まれた」僕は息を呑む。「それでも、類い稀な能力を持って生まれたと聞いた時……もし咲月と亮二の子供だったら、と思うと恐ろしかった」じいちゃんは、ゆっくりと僕を見つめた。「そして咲月も結婚し、春馬——お前が生まれた。お前はな、神の力を持って生まれてきたんじゃ」言葉の意味が、すぐには理解できない。「だが、その力は赤子のお前には強すぎた。器が持たず、何度も死にかけた。だから神と契約したんじゃ」じいちゃんは静かに告げる。「春馬を女として育てること。そして、女性と子を成さぬ代わりに、その命を助けてほしい、と——」思考が止まる。「……もし、僕が女性と結婚していたら?」かすれた声で問う。「春馬の神気に当てられ、女性は長くは生きられん。だが——相手が来人君だから、大丈夫なんじゃよ」その瞬間、全てが繋がった。来人の瘴気を浄化できていた理由。それは——僕の中に、神の力が宿っていたから。
「じいちゃん!」思わず声を上げて駆け寄ると、じいちゃんは小さく微笑んだ。「春馬、元気にしとったか?」そう言って、優しく僕の頭を撫でる。「彼は?」病院を見上げながら呟いたじいちゃんに、僕は静かに首を横に振った。「そうか……」じいちゃんは一瞬だけ目を伏せると、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。「春馬、来人君。あぁ……咲月と亮二も一緒だったんだな。四人とも、一緒に来なさい」そう言って車に乗り込む。僕と来人は顔を見合わせ、少し後ろにいた母さんたちと頷き合うと、それぞれの車で猫柳邸へ向かった。***久しぶりに帰った猫柳邸は、当主が変わっただけで、こんなにも空気が変わるのかと思うほど様変わりしていた。那月おばさんが当主になってから、使用人たちはどこかピリついている。張り詰めた空気が、屋敷全体を覆っているようだった。母さんの時は、良い意味でも悪い意味でも大らかで、屋敷にはいつものんびりとした空気が流れていた。……まぁ、本来はこれが普通なんだろうけど。僕は小さく苦笑した。そんな中、いつもじいちゃんの側にいるはずのばあちゃんの姿がないことに気付いた。僕の視線に気付いたじいちゃんは、くすりと笑う。「ばあさんはな、久しぶりに力を使って、ちいと床に伏せっとるだけじゃ。心配なら後で見舞ってやるといい。春馬の顔を見たら喜ぶじゃろう」そう言われて、あの日からばあちゃんに会っていないことを思い出した。じいちゃんは深く息を吐くと、静かに口を開いた。「さて……どこから話すかな」ゆっくりと僕を見つめる。「これから話す内容は、春馬にとって衝撃的なものになると思う。覚悟して聞いてほしい」そして、一拍の間を置いて——「この猫柳家は、神の血筋なんじゃ……」
無機質な機械音と、酸素吸入器の音だけが響く病室。 白い壁。白いシーツ。 ──そして、それ以上に白い顔。 竜ヶ峰は、静かに眠っていた。 予断を許さない状態。 その報せを受け、竜ヶ峰の父親と兄が駆け付けた。 集中治療室。 管に繋がれた祐希の姿に、生気はなかった。 「……祐希……」 父親は、その場で膝から崩れ落ちた。 「小林……お前が祐希を助けてくれたのか?」 兄が声をかける。 病院の椅子に座り込んでいた神主姿の男性は、今にも倒れそうな顔をしていた。 だが―― 首を、横に振る。 「……間に合わなかった……!」 その声は、震えていた。 「間に合わなかったんだ!!」 叫ぶと同時に、涙が溢れ出す。 次の瞬間―― 彼は来人の胸ぐらを掴んだ。 「何故捨てた!!」 壁に叩きつけるように、何度も何度も揺さぶる。 「祐希様には、お前だけだった!!」 震える声。 「愛していたんじゃないのか!?」 感情が、爆発する。 「八年だ!! 八年も、祐希様はお前に尽くしてきたじゃないか!!」 来人は――何も言わなかった。 抵抗もせず、ただ受け止めていた。 「小林、やめろ!」 兄が慌てて止めに入る。 「心変わりは……仕方ないじゃないか……」 「……っ」 その言葉に、小林は息を呑む。 来人は、俯いたまま―― 「……すみません……すみません……すみません……」 ただ、繰り返す。 「来人君、それは君が謝ることじゃない」 兄は静かに言った。 「君のせいじゃない」 そして振り返り、 「小林、来人君に謝れ」 低く、しかし強く言い放つ。 だが―― 小林さんは顔を背け、拳を握り締めたまま そのまま、病室を飛び出していった。 「……ごめんね」 兄は小さくため息をつく。 「あいつ、普段はあんな奴じゃないんだけど……祐希のことになると、見境がなくなるんだ」 苦笑する。 そして―― 僕を見た。 「きみが……猫柳春菜さんだった……春馬君だよね?」 そう言うと、深く頭を下げた。 「祐希が……大分、ご迷惑をお掛けしたと聞いています」 「え……あの、大丈夫ですので……」 慌てる僕に、彼は続ける。 「それなのに……愚弟を助けて下さり、本当にありがとうございました」
来人は、竜ヶ峰の兄の言葉に涙を溢れさせた。 「……すみません……でした」 今にも崩れ落ちそうな来人の身体を、ご当主様がそっと支える。 「来人、しっかりしろ!」 その一喝に、来人は奥歯を噛み締め、涙を拭った。 そして―― 「祐希の……仇は、俺が取ります。 せめて、それくらいはさせて下さい」 そう言って、深く頭を下げる。 だが―― 竜ヶ峰の兄は、静かに首を横に振った。 「……必要ないです」 低く、しかしはっきりと。 「復讐とか、仇とか……もう、たくさんだ」 吐き捨てるような声。 「祐希は……母親の復讐の駒として生きてきたんです」 その言葉に、空気が凍る。 「でも……来人君と一緒にいた時だけ、祐希はその呪縛から解放されていた」 ──ハッとした。 「まさか……」 「元々、祐希には神を降ろす力があった」 兄は静かに続ける。 「ですが、母は……祐希の覚醒を待てなかった。 だから──禁忌を犯した」 人の身体に神を縛り付ける術。 その言葉に、僕は理解した。 あの日。 僕の力が覚醒した時、竜ヶ峰が背中に負った傷の意味を。 一度禁忌を犯した人間に、再び覚醒は起こらない。 そして── 禁忌で神を降ろした人間は、もう一度それを行えば命を奪われる。 つまり── 神蛇直己は、それを知った上で 竜ヶ峰に、再び禁忌を行わせようとしていた。 だから── 彼は竜ヶ峰を、“人”ではなく「人形」と呼んでいたのだ。 「……おそらく神蛇一族は、祐希にもう一度禁忌を行うつもりだったのでしょう」 兄は目を伏せる。 「そうなっていたら……もう助けることは出来なかった」 静かな声。 「だから……こうして力を貸していただいただけで、もう十分です」 そして、深く頭を下げた。 「これ以上、祐希を……復讐や憎しみの中に巻き込まないで下さい」 ──何も言えなかった。 僕たちは、ただ立ち尽くすしかなかった。 病院は、狗飼家の結界によって守られている。 許可された者以外は、祐希の部屋には辿り着けない。 それでも── 僕はさらに結界を重ねた。 神蛇が従えていた妖は、あまりにも強かった。 何が起こるか分からない。 だから、僕は── 僕に出来ることをやるしかない。 その時だった。 病院の駐車場に──
『ドンドンドンドン!』激しくドアを叩く音で、僕と来人は飛び起きた。扉を開けた瞬間──言葉を失う。「助けて下さい! 祐希様が……祐希様が……!」見知らぬ神主姿の男性が、青白い顔の竜ヶ峰を抱えて立っていた。「祐希! 祐希!」来人が必死に呼びかける。だが――竜ヶ峰は、ピクリとも動かない。「とにかく、中へ!」男性の背に触れた瞬間、ぬるりとした感触。手を見ると――真っ赤な血に染まっていた。「来人! ご当主を呼んで!僕はじいちゃんに連絡する!」叫んだ、その瞬間。――パチン。家の明かりが落ちた。「……ッ」ライトが低く唸る。そして、庭の垣根の向こう。そこに――人影が立っていた。「……神蛇直己」背に無数の蛇の妖を従え、ゆっくりと手を差し出してくる。「さぁ……大人しく、私の“人形”を返してもらおうか?」距離があるはずなのに、その声は直接頭に響いた。「自我を失った今――コイツは神の依り代になる」その言葉と同時に、竜ヶ峰の身体が――ふわりと浮かび上がる。「祐希様!」神主が手を伸ばす。だが次の瞬間――光の刃が、その腕を切り裂いた。「――ッ!」その刹那。来人の手に、光の剣が現れる。「はあああッ!!」刃を弾き返し、竜ヶ峰の身体に巻きついた光の縄を一閃で断ち切る。そのまま――落ちてきた身体を受け止めた。「春馬! 結界を頼む!」――思考が止まっていた。だが、来人の声に我に返る。「う、うん!」
「……はぁ?春菜が──死んだ?」本邸を追い出され、地方の別邸で祐希と暮らしていた、ある日。風の噂で、春菜の訃報が届いた。「どうせ、猫柳家の嫌がらせじゃないの?」苦々しい表情でそう呟く祐希を、俺は睨み返し、部下に調査を命じた。報告書には、離婚後の春菜の様子が淡々と記されていた。離婚後、春菜は家に引きこもり、結婚生活での心労がたたり、体調を崩していたらしい。食事を取らなくなり、次第にやせ細り──最後は、夜、眠りにつ
『ガシャーン!』激しい音が、静かな別邸に響き渡った。ここは、狗飼家の本家から遠く離れた別邸。春菜が死んだと知らされてから、来人は荒れていた。酒を飲んでは暴れ、暴れては、また酒を飲む。そんな日々を、ただ繰り返していた。『……旦那様』小さく、か細い声が聞こえた気がして、来人は顔を上げた。……しかし、彼女はもう、ここにはいない。春菜は、何も求めなかった。……それは、今の生活に満足しているからだと、勝手に思っていた。思い返せば、
猫柳春馬として生きると決めた日、僕は、長かった髪をバッサリと切った。背中の半分まであった髪を切ると、不思議と、気持ちも少しだけ軽くなった気がした。……それに長い髪は、嫌でも竜ヶ峰を思い出してしまう。だから、これでいい。もう、あの光景を思い出すこともない。そう思ったはずなのに──長い髪を一束掴み、愛しそうに口づける光景が、ふいに脳裏に浮かんだ。ハッとして、僕は首を横に振る。もう、過去は振り向かない。そう
『シャーーッ』と、カーテンの開く音が耳に届くと同時に、眩しい朝の光が僕を呼び起こす。窓が開かれる音が聞こえて、目を擦りながら 「おはよう、彰兄さん」 と呟くと、ふわりと笑っている気配を感じた。 「おはよう、春馬君」柔らかい大好きな彰兄さんの声に、僕の心は温かくなる。今、僕は馳川家の本家で暮らしている。馳川家の本家には、父さんの祖父母と、兄の家族が暮らしている。彰兄さんは、僕の父さんの兄の子供──つまり、従兄弟だ。彰兄さんには上に兄が二人いて、馳川家は猫柳家とは逆で、男の子の出







