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第35話(29)

Author: 北川とも
last update publish date: 2026-06-18 14:00:35

「心配をかけて悪かった……」

「ああ、心配した。だからといって俺が構えば、先生は頑なになるだろうと思ってな。オヤジがしゃしゃり出てくると、なおさらだ。俺は自分のオヤジが、あんなに心配性だったとはいままで知らなかった」

 賢吾の口ぶりからして、守光とのやり取りで苦労していることがうかがえる。

 何を切り出されるのかと身構える和彦を、賢吾がじっと見つめてくる。和彦が半月以上かけて精神の安定を図っている間、大蛇の化身のような男も何か思うところがあったのか、佇まいは非常に静かだった。

「今日は、鷹津の件で先生を呼んだわけじゃない。あいつはいまだ、行方不明だ。完璧に、姿を隠した。第二遊撃隊が、地面に鼻先を擦りつける勢いで痕跡を追っているようだが、鷹津のほうが上手だろうな」

「……そうか」

 乾いた声で和彦は応じる。動揺を読み取られまいとしてのことだが、賢吾は唇の端にちらりと笑みらしきものを浮かべて、すぐに本題を切り出した。

「先生、明後日からの連休の予定はあるのか?
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  • 血と束縛と   第42話(28)

    「よお、来たな。佐伯」 男の羽織った白衣の胸元には、〈橘〉と記された名札がついている。この男が、和彦の友人であり、心療内科の担当医だった。 さあ座れと言うように、一人掛け用のソファを示される。和彦は一応、こう提案してみた。「……処方箋だけ出してくれたらいいんだが……」「お前は毎回、同じことを言うなあ。それで頷く心療内科医がいると思うか?」「他の医者には言えないから、橘さんに言ってるんだ」「――橘先生」 すかさず訂正され、和彦は露骨に顔をしかめて見せる。千尋に説明したとおり、橘は遠慮なくがさつな笑い声を上げた。人によっては眉をひそめるかもしれないが、和彦は違う。聞き慣れた笑い声に覚えるのは、安心感だった。 和彦がソファに腰掛けると、橘もファイルを手に、小さなテーブルを挟んで向かいに座る。橘の傍らには、にこやかな表情の看護師が立った。「ぼくのことは、『先生』をつけて呼んでくれたことがないくせに」「俺は、この男前の顔をどうこうしたいとは思わないからなあ。天地がひっくり返っても、お前が担当医になることはないな」「脱毛もやっている」 思わず、といった様子で橘が、あごを覆う強いひげに手をやる。ひげだけではなく、癖のある髪もぼさぼさで、ついでに言うなら眉は太く濃い。「俺の毛を、一本もお前に抜かせる気はないからな」「わかってるよ……」 こんなやり取りは、いつものことだった。おそらく橘は、他の患者相手にもこんな感じなのだろう。 見た目は、はっきりいってむさ苦しい四十男だ。顔の輪郭はごつく、大きな口が特徴的で、間違っても美男子と呼べる容貌ではないのだが、驚くほど目元が柔和で、それが人の警戒心を解いてしまう。学生時代から、子供と老人受けは抜群だった。 橘は、こちらに質問をしてくる前に、開いたファイルにさっそく何かを書き込み始める。互いに黙り込んだところで、音量をかなり抑えた音楽が流れていることに気づく。 ずいぶん昔に流行ったクリスマスソングで、これは橘個人の好みな

  • 血と束縛と   第42話(27)

    **** 和彦の心療内科の担当医は、医大に入った頃からの長年の友人でもある。 実家が病院を経営しており、跡を継ぐため医大に入学したと言っていたが、そういう使命を背負った学生は、さほど珍しくない。他の同期たちの中にも、同じようなことを語っている者は何人もいた。 ただ、和彦の友人は少しだけ変わった経歴を持っていた。 病院を継ぐ気などさらさらなく、理工学部を卒業したあと、一般企業の研究職に就いていたのだという。事情が変わったのは、長男である友人に代わって、婿を取って病院を継ぐ予定だった彼の妹が病に倒れたからだそうだ。 親兄弟、さらには親戚総出で説得され、友人は医者を目指すことになり、二浪を経て、医大に入学した。 同期ながら、和彦より九つ年上だが、それでなくてもさまざまな人間が学ぶ大学だ。多少の年齢差を気にする者はいなかった。「ぼくの友人は、年上のうえに、社会人経験もあったから、けっこう同期たちから頼りにされてたんだ。気さくで大らかで、いつもがさつにガハハと笑って、でも気配りができて。それでも、心療内科の道に進むと言われたときは、さすがに驚いた」「……ずいぶん買ってるんだ。その人を」 一緒に車の後部座席に座っている千尋が、拗ねたような口調で言う。自分から聞きたがったくせに、どうして機嫌が悪くなるのだと、和彦は横目でじろりと見遣る。 今話題に出ている友人の診察を受けるため、土曜日の午前中から出かけているのだが、なぜか千尋が、当然の顔をして車に乗り込んできたのだ。「一体、どうしたんだ。いままでは、ぼくが病院に行くと言っても、ついてくることなんてなかったし、ぼくの友人のことなんて聞いてもこなかったのに。……そもそも、聞く必要もないだろ。どうせ、お前たち父子、とっくに調べてるんじゃないのか」「まあ、和彦を診てる友人だというぐらいだし、気にはなったから。……心配なんだよ。〈あんなこと〉があったばかりだし、それでなくても最近、和彦の周りがバタバタしてるから。目を離すと、またトラブルに巻き込まれるんじゃない

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  • 血と束縛と   第42話(25)

    「お前を狙ってる奴が、俺からお前を引き離そうとして、あれこれ画策してるんじゃないかって、つい心配しちまう。なんたって俺は、嫉妬深くて慎重な男だからな。もっともお前が、愛情深くて淫奔すぎるからというのもあるが」「人のせいにっ――」「違うか?」 覇気に満ちた鋭い笑みを向けられ、言いかけた言葉は口中で消える。和彦は間近から、男らしく端整な顔を見つめていたが、ようやくあることを察した。ぎこちなく賢吾の頬にてのひらを押し当てる。「……怒って、くれてるんだな」「ああ。かなり、機嫌が悪いぞ」 それは本当だろう。臆した和彦はまた顔を背けようとしたが、途端に命令された。「こっちを見ろ。和彦」 言う通りにすると、賢吾の顔が近づいてくる。ゆっくりと唇が重ねられ、最初は緊張から身を固くしていたが、柔らかく何度も唇を啄まれているうちに力が抜けていく。それを待っていたように、ちろりとした先で唇を舐められた。 求められるままに唇を開くと、傲慢に舌が入り込んでくる。口腔の粘膜を舐め回されてから、戸惑う和彦の舌はあっさりと搦め捕られる。淫らに絡め合っているうちに引き出され、甘やかすように吸われたあと、甘噛みされる。この時点ですでにもう、腰が砕けそうになっていた。 和彦は震える手で、賢吾の浴衣の胸元を掴む。一方の賢吾は余裕たっぷりで、和彦の舌と唾液を味わいながら、肩にかけた羽織を滑り落してしまう。浴衣の合わせを大きく広げられ、露わになった胸元に大きなてのひらが這わされる。ふいに唇が離れたかと思うと、賢吾に上半身を検分された。「首以外は、赤くなってないようだな」「だから言っただろう。大したことないって……」「大したことになってたら、タダじゃ済ませなかった。お前の兄貴でもな」 このとき見せた賢吾の氷のように冷たい表情に、本気で和彦は震え上がる。そんな和彦の機嫌を取るように唇を吸いながら、賢吾が片腕できつく抱き締めてくる。和彦もおずおずと広い背に両腕を回した。浴衣を通しても体の熱さが伝わってきて、じわりと和彦の体温が上がる。 再び見つめ合うと、今度は和彦から求めて、賢吾

  • 血と束縛と   第42話(24)

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    「……いまさら、ぼくの破廉恥な私生活を知ったからって、兄さんは怒鳴り込んできたりはしないはずだ。それこそ、父さんに任せておけばいいんだから。でも、そうしなかった。〈誰か〉が、兄さんを刺激したんだ」 カップにかかった英俊の長い指がピクリと動く。〈誰か〉の名を、あえて和彦が口にするまでもなかった。堪えきれなくなったように、英俊から切り出したからだ。「――……里見さんは、お前の里帰りのことをとっくに知っていた。……父さんとお前が二度目の話し合いをした場に同席していたと、今日になって里見さん本人から教えられた。本当か?」「そうだよ」 そう答えた瞬間、驚いたように英俊が目を見開く。その反応を、ひどく冷めた目で和彦は観察していた。「里見さんから聞かされて、居ても立ってもいられなくなったんだね。そんなに、気に食わなかった? 兄さんの知らないところで、ぼくらが大事なことを決めていたの」 睨みつけてくる英俊の胸中には今、どんな感情が渦巻いているのだろうと、傲慢な想像を巡らせる。 和彦は、かつて里見と体の関係を持っていた。英俊は現在、里見と体の関係を持っている。和彦と里見の間に特別な感情はあったが、果たして英俊と里見との間はどうなのか。 少なくとも英俊からは、さきほどの様子からも、里見への強い執着めいたものを感じるが――。 ほの暗い優越感はすぐに吐き気へと変わり、我に返った和彦は顔を強張らせた。「ごめん、兄さん……」 小さく謝罪すると、瞬く間に顔を紅潮させた英俊がカップを取り上げ、コーヒーを和彦にぶちまけてきた。咄嗟に顔を背けたが、まだ熱いコーヒーが首筋や手にかかる。突然のことに驚いた和彦は、呆然として英俊を見つめる。 一方の英俊は、自分の行為に動揺した素振りを見せたが、すぐに気を取り直したように、低い声で言った。「お前が、わたしを憐れむな」 何事もなかったように立ち去る英俊の後ろ姿を、打ちのめされた気分で和彦は見送った。 店内は静まり返っていたが、和彦が紙ナプキンでテーブルの上のコーヒーを拭

  • 血と束縛と   第11話(22)

     さすがの賢吾も、和彦の心を煩わせるものすべてを見通すことは不可能らしい。「……最初にぼくを狙って、あんなことをした人間が、どんな顔をして、そんなことを言うんだ」「俺はいい。俺は、許されるんだ」 さすがに図々しい発言だと思って和彦が顔を上げると、待っていたようなタイミングで唇を軽く吸われた。「先生を狙って自分のものにして――見事に、骨抜きにされたんだ。そんな哀れなヤクザを、愛情深い先生なら、たっぷり甘やかしてくれるだろ?」 本当に図々しいと思いながらも、和彦はつい笑みをこぼしてしまう。 自

    last updateLast Updated : 2026-03-27
  • 血と束縛と   第6話(22)

    「不愉快どころか、やけに楽しそうでしたよ、秦さん。いい店を先生に紹介しないと、と張り切ってもいましたし」「ならいいんだ。あの人、職業柄なのか知らないけど、よく気をつかってくれるから。ぼくみたいな人間につき合って、迷惑をかけても悪いしな」 和彦が、長嶺父子のオンナであることは、すでに知られている事実だ。いまさら千尋と甘い会話とキスを交わしていたからといって、他人に喜んで報告するような悪趣味なまねを、秦がする必要もない。 和彦が心配していたのは、そんなことではなく、純粋に今言った通りのことだった。 大きく息を吐き出しながら、中島がマシンをゆっく

    last updateLast Updated : 2026-03-21
  • 血と束縛と   第4話(27)

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    last updateLast Updated : 2026-03-19
  • 血と束縛と   第11話(20)

     外から男二人のにぎやかな話し声が聞こえてくる状況で、求められるまま、やむをえず舌を絡め合い、唾液を交わす。引き出された舌を痛いほど吸われると、たまらず和彦は鷹津の肩にすがりついていた。 ますます鷹津の腕の力が強くなり、和彦の中で奇妙な変化が起こっていた。鷹津のことがどうしようもなく嫌いで、嫌悪しているのに、そんな男にねじ伏せられるように口づけを交わしていると、高揚感に襲われ、体の奥深くから強引に官能を引き出される。 官能に形を借りた、サソリの毒かもしれないと、ふとそんな考えが脳裏を過る。鷹津の毒を注入され、体も心も侵されていくのだ。 思わず身じろごう

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