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第6話:コンビニ袋

Author: Sunny
last update publish date: 2026-07-02 19:09:16

「別に」

「見てましたよね」

「見てない」

即答すると、翔太が小さく息を吐いた。

笑ったのかもしれない。

でも、顔は見なかった。

見たら負けな気がしたから。

「そうですか」

それ以上は追及してこない。

その引き方が腹立たしい。

昔なら、もう少し面倒だった。

もっと笑って、もっとからかってきた。

今は違う。

だから余計に分からない。

今の翔太が。

***

部屋の前へ着く。

翔太は荷物を下ろした。

玄関の開閉の邪魔にならない場所へ。

少し横へ寄せて、綺麗に揃える。

そういうところだ。

昔から。

妙なところで丁寧だった。

「ここでいいですか」

「あ、うん」

「じゃあ」

本当にそれだけだった。

あまりにも普通で。

あまりにも隣人で。

私は思わず呼び止めていた。

「あの」

翔太が振り返る。

黒いコートを持つ手が少しだけ止まる。

「この前は、ごめん」

言葉を探しながら続ける。

「深夜に、あんな言い方して」

数秒。

短い沈黙。

翔太は少しだけ視線を落とした。

怒っているのかと思った。

でも、次に顔を上げた時、そこにあったのは困ったような表情ではなく、少しだけ力の抜けた顔だった。

「いや」

それから、肩を竦める。

「最近、人が来ること多かったし」

淡々としていた。

責めるわけでもない。

許すわけでもない。

ただ事実を話すみたいに。

「うるさかったと思うんで」

穏やかな声だった。

だから困る。

怒ってくれていた方が楽だった。

「……あと」

気づけば言っていた。

「別に、女の人が来ること自体に対して....言ったわけじゃないから」

言った瞬間、何を説明しているんだろうと思った。

翔太が少しだけ目を細める。

それから、堪えるみたいに笑った。

その表情に、少しだけ昔の面影が戻る。

「心配しなくても」

視線が私へ落ちる。

「毎日連れ込んでるわけじゃないですよ」

「いや、普通にそんな感じするよね」

反射的に返していた。

翔太が吹き出す。

ほんの一瞬。

昔のままみたいな笑い方だった。

その笑い方を覚えている自分が嫌だった。

「偏見ひどいですね」

「実績があるから」

「三日見ただけで?」

「三日連続なら十分でしょ」

言ってから、会話が続いていることに気づく。

こんなふうに話すつもりはなかった。

もっと距離を取るつもりだった。

普通の隣人として。

昔の知り合いとして。

それくらいで終わらせるつもりだったのに。

翔太は少しだけ目を伏せて笑った。

それ以上は何も言わない。

引く。

ちゃんと引く。

その距離感が、また上手かった。

***

「じゃあ」

今度こそ、翔太は自分の部屋へ戻った。

ドアが閉まる。

廊下に静寂が落ちる。

私はしばらくその場から動けなかった。

なんで、あんな普通なんだろう。

もっと怒っていてもいいのに。

もっと気まずそうでもいいのに。

私だけが勝手に落ち着かない。

それが一番嫌だった。

足元を見る。

荷物は綺麗に揃えられている。

玄関の開閉にも邪魔にならない位置。

雑じゃない。

昔から、そういうところだけは変わらない。

「……腹立つ」

小さく呟く。

それから荷物を抱えて部屋へ入った。

鍵を掛ける。

ようやく一息つく。

そう思った時だった。

テーブルへ荷物を置こうとして、手が止まる。

見覚えのないコンビニ袋がある。

数秒、考える。

それから思い出した。

エレベーターの前。

『じゃあ、これだけ持っててもらえます?』

そう言って、翔太から渡された。

私は思わず天井を仰いだ。

「うそでしょ……」

たぶん、向こうも忘れている。

私も忘れていた。

だから余計に面倒だった。

時計を見る。

二十二時四十分。

まだ起きている時間ではある。

いや、だから何だ。

返すだけだ。

コンビニ袋を。

ただ、それだけ。

それだけなのに、インターホンを押した瞬間、翔太がどんな顔をするんだろうとか。

さっきみたいに、また普通に笑うんだろうかとか。

そんなことを考えている自分がいる。

私はソファに座り込み、クッションへ顔を埋めた。

「だから腹立つのよ……」

静かな部屋に声が落ちる。

壁の向こうで、小さく物音がした。

隣の部屋。

ほんの数メートル先。

五年前、毎日のように通っていた場所。

今は違う。

違うはずだ。

私はもう、あの頃の私じゃない。

翔太だってそうだ。

拓也と別れたばかりの今、誰かを好きになるとか、恋愛を始めるとか、そんな余裕はどこにもない。

それは確かなのに。

突然戻ってきた過去に、心だけが勝手に反応している。

今日一日を振り返った時、仕事のことより先に、エレベーターの中で少しだけ笑った翔太の顔を思い出した。

その事実が、何より腹立たしかった。

テーブルの上には、翔太のコンビニ袋がある。

白いビニールが、部屋の灯りをぼんやり反射していた。

返さなければいけない。

できれば、今すぐ。

でも、今さら隣のインターホンを押す勇気は出なかった。

私はしばらくその袋を見つめたあと、スマホを手に取る。

さやかに送るつもりだった。

けれど、文字を打つ前にやめた。

こんなことを報告したら、絶対に面白がられる。

それだけは避けたい。

私はスマホを伏せ、もう一度コンビニ袋を見る。

ただの忘れ物。

ただのビニール袋。

それなのに、部屋の中で妙な存在感を放っている。

返すのは、明日でいい。

そう決めた瞬間、なぜか少しだけ胸が落ち着かなかった。

明日、また翔太の部屋のインターホンを押す。

それだけのことを想像して、私は深くため息を吐いた。

そして、ようやく理解した。

元カレが隣に住んでいるというのは。

会いたくない時に会うだけじゃない。

会わなくていい時まで、会う理由ができてしまうということだった。

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