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第419話

Author: 小春日和
「でも、今でも遅くはない」

黒澤の瞳には、柔らかくて深い想いがたたえられていた。

外の人間から見れば、黒澤はまるで地獄から戻ってきた使者のような存在だった。誰もが彼を恐れ、近づこうとしなかった。

しかし、彼女の前での黒澤は、いつも無口で、たまに悪知恵を働かせ、型にはまらない行動をする傲岸な男だった。

そんな黒澤は、可愛らしさを失わず、決して恐ろしくはない。

「ここで少し待っていて」

そう言い残し、黒澤は階下へと降りていった。しばらくして、彼はトレーを手にして戻ってきた。そこにはハート形の可愛らしいデザートが乗っていた。

チェリーソースを使ったケーキのように見えた。

黒澤のような真面目で寡黙な人が、こんな甘い見た目のものを作るなんて――それを思うと、真奈の胸の奥がほんのりと温かくなった。

「食べてみて」

黒澤に促されて、真奈はそっと一口、口に運んだ。

チェリーの甘酸っぱさが舌の上に広がり、酸味が少し強めだったが、そのあとにじんわりと広がる甘さが心地よくて、思わず笑みがこぼれた。

「料理人にならなかったのが惜しいよ」

「昔、やっていたことがある」

「前に美容院で美容師をやっていたって言ってたよね」

「それも、あった」

「じゃあ……昔の話、聞かせてよ」

真奈の瞳が、ふだんにはない好奇心の輝きを放っていた。

「分かった」

真奈は話を聞く準備を整えた。伊藤や幸江から黒澤についてのさまざまな噂を耳にしてきたが、当の本人から彼の過去について語られることは、ほとんどなかった。

たとえば――なぜ彼が、海外の白井社長に目をかけられたのか。

例えば、どのようにして名を上げ、海外で威を振るうようになったのか。

なぜ、黒澤家の跡取りでありながら、過酷な試練を経てようやく黒澤遼一に連れ戻されたのか。

これらの疑問は真奈の心に長く居座っていた。

「考えてみる」

黒澤の視線は、遠く過去へと向けられていた。

真奈は一言も漏らすまいと、じっと耳を傾ける。

黒澤の話によれば――彼には物心がついた頃から、母親にただひとつの信念を植え付けられていた。復讐。

彼の使命は、黒澤家すべての人間への復讐だった。なぜなら黒澤家こそが、母親を不幸にした張本人だったからだ。

母親は最初、ただ薬を飲んでいた。けれど、それが酒になり、タバコへと変わり、やがて酒とタバコ
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