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第1話:二つの魂

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-05-19 20:05:38

**────エレナの視点────**

朝露に濡れた草葉が陽光にきらめき、鳥たちのさえずりが夜の静寂を押し上げていく。

その響きに応えるように──鐘が鳴った。

低く、力強く。空の高みにまで届く荘厳な音色が、今日もまたベルノ王国の一日の始まりを告げる。

王国の揺るぎない象徴。民に平和と祝福を届ける“祈りの音”。

私は、その祈りを誰よりも大切に受け止める者。

陽光を含んだ金の髪、澄んだ碧の瞳──王国に仕える聖女見習い、エレナ。

まだ見習いとはいえ、人々の病や苦しみを祈りで癒す力を授かった私には、この国に生きる者としての使命がある。

世界がほんの少しでも優しくあれるようにと、祈り続けること。

この手には何の武器も握っていない。けれど私は、私にできることを信じて、今日も静かに祈りを捧げていた。

そのときだった。

**バンッ!**

「エレナ様っ!!」

教会の重厚な扉が凄まじい勢いで開け放たれ、息を切らした男性が転がり込むように聖堂へ駆け込んできた。

私は祈りを中断し、顔を上げる。

額に汗をにじませ、肩で荒く息を吐く男性の目は恐怖に見開かれていた。何かに怯えきったように、わずかに震えている。

「こんにちは。本日も、良いお天気ですね。……何か、お困りですか?」

私は穏やかに立ち上がり、声をかける。少しでも、この人の心を覆う不安の影を和らげられるように。

「さ、昨晩……! この街のすぐ近くの森に、グールが出たんです!!」

グール──人の生肉を喰らう魔物。人間の体格を模した不気味な姿、緑の粘液に覆われた皮膚、鋭利な爪と牙を持つ凶暴な魔物。

ベルノ王国にグールが現れるなど、本来なら万に一つもないはずだった。国境は精鋭の騎士団によって厳重に守られ、魔物は境界で排除されているはずだから。

「グール……ですか。冒険者ギルドには、すでにご連絡を?」

「し、しました! でも、ギルドの方が言うには……どうも様子が妙なんです! 討伐隊が出たというのに、奴らの痕跡がまるで見当たらなくて、まるで霧か何かのように消えてしまったみたいで……!」

男性の声には、隠しきれない動揺と焦燥がにじんでいた。

(霧か何かのように消えた……?)

「だから……どうか、“エレン”殿に……! ギルドより教会経由で依頼した方が早くて確実だと、街の者たちも皆……! どうか……!」

**“エレン”**──その名を聞いた瞬間、私は静かにまぶたを伏せる。

この国で、その名を知らぬ者はいない。

冒険者ギルドが誇るS級の資格をもった教会持ちの戦士。魔法が力の主流となるこの時代に、ただ一振りの剣のみで魔物を討ち滅ぼし、様々な依頼をこなしてきた人物だ。

けれど彼は、私にとって──ただの戦士ではない。

この身体に共に宿る、もうひとつの魂。

私と、“ふたりで生きている存在”。

(また、直接の依頼か……)

心の奥深く、まるで水面の底から響くように、もうひとつの声が静かに語りかけてくる。エレンの声はいつも落ち着いていて、それでいてどこか優しい。

(最近、ギルドを通さず教会に来る人が増えたよね)

(ふむ……人々は、藁にもすがる思いで確かな“救い”を求めている。応えられるなら、応えるまでだ)

(ふふ……そうだね。誰かの役に立てるのなら、それは素敵なことだよね)

「……わかりました。この件はエレンに伝えておきます」

私が頷くと、男性は心から安堵したように頭を下げ、震える声で礼を述べて教会を後にした。

その背中を、私はしばらく祈るような気持ちで見送った。

***

日が傾き、空が茜色に染まりはじめる頃。

冒険者ギルドは今日も活気に満ちていた。酒場としての機能も持つここは、昼夜を問わず騒がしさと麦酒の匂いが漂っている。

屈強な戦士たちが大声で笑いながらジョッキを呷り、魔導師たちが依頼書に目を通し、弓使いや剣士たちが仲間と次の作戦を練っている。

(……やっぱり、お酒の匂いが強いなあ。ちょっとクラクラしちゃうかも)

(贅沢な悩みだな)

エレンが、少し拗ねたような響きで応じる。

(も、もう少し待っててね? 私がお酒飲める歳になったら飲ませてあげるから……)

(ふふ……、楽しみにしておこう)

私たちは、ひとつの身体にふたつの魂を宿す、特異な存在。

昼は私──エレナが。

夜は彼──エレンが、この体を託される。

互いを理解し、信頼し合いながら、たったひとつの命を、ふたりで紡いでいる。

***

受付に向かうと、明るい笑顔の看板娘が私を見つけて声をかけてきた。

「エレナ様! ようこそ! 今日はどうされたんですか?」

「こんにちは。グールの件で、お話を伺いに参りました」

彼女の笑顔がふっと陰り、次の瞬間には引き締まった表情に変わる。小さく息を呑み、声を潜めて答えた。

「騎士団も動いているのですが、未だ痕跡は見つかっていません。まるで、最初から何もいなかったように──」

(……慎重な個体か、あるいは知能を持つ異種。どちらにしても、油断はできんな)

(ねぇ、エレン。騎士団の人たちって……街の外れにある下水道とか、見てくれてるかな? 本で読んだことがあるの。グールは日差しの届かない、湿った場所を好むって……)

(ふむ……理には適っているな。だが、あてにはしない方がいい)

(えっ……?)

(騎士団は“体裁”を大事にする。装備が汚れるような場所は、優先順位が低い傾向があるからな)

(……最初から我々で確認するつもりでいた方がいいだろう)

(うん……わかった)

「その件、確かにエレンに伝えます。教会が責任を持って引き受けましょう」

私のその言葉に受付嬢の顔がぱっと明るくなり、声を落として囁く。

「本当に……ありがとうございます。正式な報酬もないのに、いつも命懸けで……ギルドマスターも、心から感謝しています」

(……ふむ。悪くない)

エレンの声に、いつもよりほんの少しだけ柔らかい響きが混じった。

私は、その声を胸の奥で受け止めるように、静かに微笑んだ。

***

やがて、空は紅から藍へと染まり、一番星がそっと瞬き始める。

夜の帳が降りれば、この身体は──もうひとりの私、エレンへと託される。

***

そして、夜が訪れた。

音という音が潜んだ街を、ただ静かに、月光だけが満たしていた。

建物の落とす影は漆黒の帯となって長く伸び、家々の窓から灯りが消え失せた路地裏には、もはや人の気配はおろか、野良猫一匹の息遣いすら感じられない。

まるで世界から色が失われたような、そんな静寂。

私はそっと目を閉じ、意識の深淵にいるもう一人の自分へと呼びかける。

(エレン……いつも通り、お願いね。)

(ああ──君は安心して休んでいてくれ)

彼の力強く、そしてどこまでも優しい声が応じる。それを合図に、ふわりと意識が心地よい微睡みへと沈んでいく。

自分の身体であるはずなのに、その感覚が次第に内側へと遠のいていく不思議な浮遊感。

その代わりに──静かで、鋼のように研ぎ澄まされ、それでいてどこまでも凛とした気配が、この器を満たしていくのを感じた。

私の金色の髪は、まるで月光を吸い込んだかのようにその色を急速に変えていく。

やがて、月の光を浴びて白銀にきらめく長い髪へと。そして、閉じていた瞼が再び開かれる時、その瞳には、血の色を淡く滲ませたような深紅の光が宿っていた。

ひとつ、深く息を吸い込み、そして吐き出す。もう、この身体は“彼”のものだ。

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  • Soul Link ─見習い聖女と最強戦士─   第82話:海賊の奇襲

    **────エレナの視点────** こうして私たちは、「大海賊マリー」が潜むという孤島へと辿り着いた。 だが、ギルドの情報とは裏腹に、そこに人の気配は全くなかった。ただ、波に洗われ続ける古い桟橋と、中身のないまま朽ち果てた木箱が、過去に誰かがいたことだけを物語っている。 風すらも止まったかのような、不気味な静けさ。私とシイナさんは顔を見合わせ、肩をすくめて引き返すことにした。 (エレン……。ギルドの情報が、外れたってことなのかな?) (……いや。ギルドの情報網は常に的確だ。外れる時もあるだろうが、今回はそれとはどこか…違う気がするな。嫌な感じがする) 心の奥でエレンと囁き合った、まさにその瞬間だった。 ――ドンッ!! 船底から、海面そのものを殴りつけられたかのような衝撃が、船体を激しく貫いた。 腹の底まで響き渡る鈍い振動に、思わず息が止まる。 「えっ!?」 操舵室の方から、ギブソンさんの怒鳴り声が飛んできた。 「こ、こりゃあまずいぜ!!! 後戻りだ! せめて孤島へ戻れ!!」 何が起きたのかわからないまま、私たちが甲板に飛び出すと―― 視界の端から端まで、巨大な黒い影が、じわじわと海を埋め尽くしていくのが見えた。 「こ、これは…! 無理だ、いつの間にこんな…!」 シイナさんの声が、いつになく焦りを帯びている。 海は、もう逃げ場のない檻と化していた。 左右と背後に回り込んだ、四隻の海賊船。そして前方には、海面を押し潰すかのように迫る、一際巨大な旗艦。 黒布の帆は太陽の光を遮り、甲板を不吉な薄暗さに染め上げていた。 「っ…! いつの間にか、四方八方を完全に包囲されていますね……!」 シオンさんの落ち着いた声すら、冷たい緊張を孕んでいる。 その船影の間から、禍々しい旗が一斉に翻った。 赤地に、白い髑髏。海風が、血の匂いすら運んでくるような錯覚に陥る。 「おい!! 操舵手!! どうにか振り切れ!!」 再びギブソンさんの怒声が飛ぶ。 しかし、直後、彼の声が一瞬途切れた。 「ん!? おい!操舵手!? あいつ、どこへ行った……!?」 返事は、ない。 誰もいないはずの舵輪が、ギィ、と軋む音を立てて、ゆっくりと勝手に回っていくのが見えた時、私の背筋にぞくりと冷たいものが走った。 「あっ…! み、みんな! 気をつけてっ!

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