辺境伯の城での日々は、静かに、しかし着実にセレスティナの内なる世界を変えていった。 彼女に与えられた部屋は、華美ではないが清潔で、窓からは鉛色の空だけでなく、遠くに連なる山々の稜線まで見渡せた。毎朝、侍女のマルタが温かい食事を運び、夜には湯浴みの準備が整えられる。それは、彼女が罪人として全てを失ってから初めて経験する「人間らしい生活」だった。 最初の数日、セレスティナはまるで客人のように、部屋の中で息を潜めて過ごした。ライナスはあの日以来、彼女の前に姿を現さない。その不在は、彼女を安堵させると同時に、得体の知れない不安をかき立てた。あの男は、自分をこの城に連れてきて、一体どうするつもりなのだろうか。彼の言った使えるという言葉の意味を、彼女は測りかねていた。 変化のきっかけは、侍女のマルタがもたらした。 ある日の午後、マルタはいつものようにセレスティナの食事を運んできた後、部屋を出て行かずに、彼女の前に一つの包みを置いた。「閣下からです」 無愛想な口調はいつもと変わらない。包みを開けると、中から出てきたのは数冊の真新しい本と、上質な羊皮紙、そして羽ペンとインクのセットだった。 本。その文字を見た瞬間、セレスティナの心臓が、とくん、と大きく鳴った。 彼女は、震える指でその本を手に取った。それは、薬草学に関する専門書と、この辺境の地方史について書かれた書物だった。「閣下は、貴女様の知識が必要だとおっしゃいました。ですが、今の貴女様は、まるで翼をもがれた鳥のようだ、と。再び飛ぶためには、まず翼を休め、そして使い方を思い出す時間が必要でしょう」 マルタは淡々と、しかしその言葉の端々に、わずかな温かみを滲ませて言った。「書庫は、いつでもお使いください。必要な書物があれば、私が取り寄せます」 それだけ言うと、マルタは一礼して部屋を出て行った。 一人残されたセレスティナは、ただ呆然と、手の中の本を見つめていた。 ライナスが、これを。 彼の意図が分からない。自分を駒として使うのなら、なぜこのような配慮を見せるのか。彼の行動は、常に彼女の予測を超えてくる。 だが、今は彼
Last Updated : 2025-08-22 Read more