Semua Bab 辺境の狼は、虐げられた白百合を娶る ~没落令嬢と成り上がり英雄の復讐協奏曲~: Bab 11 - Bab 20

48 Bab

第11話 凍てつく心 - 1

 辺境の地に、冬が来た。  それは、じわじわと忍び寄る死のように、静かに、しかし確実に町を侵食していった。まず、空の色が変わった。これまで町を覆っていた鉛色の雲は、さらに重く、白く濁った色合いを帯び始める。太陽は日に日にその力を失い、昼間でも地上に届く光は弱々しく、何の暖かさももたらさなかった。  次に、風が変わった。乾いた砂埃を巻き上げていた風は、湿り気と、刃物のような鋭い冷たさを含むようになる。それは壁の隙間や屋根の穴から容赦なく吹き込み、人々の体温を根こそぎ奪っていった。  そしてある朝、セレスティナが目を覚ますと、世界は音を失っていた。  彼女が廃屋の扉を押し開けると、そこに広がっていたのは、一面の白だった。夜の間に降った雪が、町の汚れた地面も、崩れた瓦礫の山も、すべてを等しく覆い隠している。それは一見すると美しくさえあったが、この町に住む者にとって、雪は死刑執行を告げる白い布告書に他ならなかった。 その日から、追放者たちの労働は、地獄の様相を呈し始めた。  これまでの瓦礫撤去作業に加え、雪かきという新たな苦役が課せられたのだ。粗末な木の板を渡され、凍てつく風雪の中で、積もった雪を道脇へと押しやる。手袋などない。手枷の冷たい鉄が、かじかんだ手首の皮膚に食い込み、感覚を麻痺させていく。指先はすぐに紫に変色し、ひび割れて血が滲んだ。  セレスティナは、他の者たちと同じように、ただ黙々と作業を続けた。彼女の心は、あの鉄狼団の兵士の姿を見て以来、不可解な疑問と混乱のさなかにあった。だが、この圧倒的な自然の猛威と、肉体を苛む苦痛の前では、そんな思考さえも贅沢なものに思えた。今はただ、生きるか死ぬか。その単純な現実だけが、彼女のすべてを支配していた。 食事の配給は、さらに劣悪になった。  水で薄められたスープは、もはやお湯と変わらない。硬い黒パンは、凍てついてさらに硬度を増し、噛み砕くことさえ困難だった。人々はそれを、凍える手で必死に温めながら、少しずつ削るようにして食べた。  飢えと寒さは、着実に人々の体力を奪っていく。  最初に倒れたのは、足の悪い老人だった。彼は雪かき作業の最中、突然その場に崩れ落ち、二度と動くことはなかった。監督役の役人
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-08-12
Baca selengkapnya

第12話 凍てつく心 - 2

生きる。 母との約束を胸に、セレスティナの中でその決意が確かな形を結んでから、彼女の世界を見る目は変わった。辺境の冬は依然として猛威を振るい、飢えと寒さが絶えず命を脅かす。だが、彼女はもはや、それをただ受け入れるだけの無力な人形ではなかった。その瞳には、かつて書物を読み解いていた時と同じ、鋭い観察力と分析の光が戻っていた。 彼女の視線は、この極限の環境下で生きる人々の、些細な知恵や工夫を拾い集める。どの家の壁が風を防ぎ、どの道の窪みに雪解け水が溜まるのか。誰が一番丈夫な体力を持ち、誰が咳をこじらせ始めているのか。すべてを記憶し、分析する。それは、この過酷な現実という名の書物を、必死に読み解く作業に他ならなかった。 そんなある日の午後、作業の合間のわずかな休息時間だった。 追放者たちは、雪に覆われた瓦礫の山に身を寄せ合い、冷たい風から少しでも身を守ろうとしていた。あちこちから、乾いた咳の音が聞こえてくる。それは、この冬を越せずに命を落としていく者たちの、不吉な前奏曲のようだった。 セレスティナの隣に座っていたのは、まだ若い娘だった。彼女は数日前からひどい咳に悩まされており、その顔色は青白く、呼吸も浅い。娘は、激しく咳き込んだ後、ぜいぜいと苦しげな息をつきながら、地面の雪を掴んで口に含んだ。「やめなさい」 不意に、隣から静かだが、凛とした声がした。 娘が驚いて顔を上げると、そこにいたのは「人形令嬢」と呼ばれていたセレスティナだった。彼女が言葉を発するのを、この町の誰もが初めて聞いた。 セレスティナは、娘の行動を制止しながら続けた。「体を冷やすだけです。それに、その雪には何が含まれているか分からない」 その声には、不思議な説得力があった。娘は、言われるがままに、口に含んだ雪を吐き出す。 セレスティナは、自分のなけなしの配給である、錆びた器に入った白湯を娘に差し出した。「これを少しずつ飲みなさい。気休めにしかなりませんが、雪よりはいい」「あ、あんた…」 娘は戸惑いながらも、その白湯を受け取った。温かいとは言えない液体が喉を通ると、少しだけ呼吸が楽になった気がした。
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-08-13
Baca selengkapnya

第13話 凍てつく心 - 3

 辺境の冬は、容赦を知らない暴君だった。空から絶え間なく降り注ぐ雪は、世界の輪郭を白く塗りつぶし、人々のささやかな希望さえも凍らせていく。飢えと寒さは死の同義語であり、昨日まで言葉を交わした者が、翌朝には冷たい骸となって発見されることも珍しくなかった。 だが、そんな灰色の絶望が支配する町の一角で、ほんの小さな、しかし確かな変化が生まれていた。 セレスティナが寝床とする廃屋。その場所は、いつしか「診療所」のような役割を担うようになっていた。彼女の元には、体調を崩した者やその家族が、途切れることなく助けを求めにやってくる。「お嬢様、どうか私の息子を…! 熱が下がらなくて…」 ぼろ布をまとった母親が、ぐったりとした幼い息子を抱いて駆け込んできた。セレスティナは、その青白い顔を一瞥すると、冷静に、しかし迅速に行動を始める。「こちらへ。とにかく体を温めないと」 彼女は、廃屋の風が一番当たらない隅に、追放者たちが持ち寄ってくれたなけなしの藁を厚く敷き、そこに子供を寝かせた。彼女自身のぼろぼろになった囚人服の上着を脱ぎ、子供の体にかけてやる。「ありがとうございます、ありがとうございます…」 母親は涙ながらに感謝を繰り返す。セレスティナはそれに構わず、石で砕いた解熱作用のある植物の根を、ぬるま湯に溶かして子供の口に含ませた。それは薬と呼ぶにはあまりに粗末なものだったが、彼女の真摯な眼差しと優しい手つきは、それ以上の効果を持っているようだった。 セレスティナの周りには、いつしか数人の女性たちが集まり、彼女の手伝いを申し出るようになっていた。ある者は、雪の下から薬草を探し出すのを手伝い、ある者は、乏しい燃料を分け与えて、病人のための湯を沸かす。 かつては互いに無関心で、自分のことで精一杯だった人々が、セレスティナという存在を核にして、再び失われた絆を取り戻し始めていた。それは、この極寒の地で生き延びるための、小さな共同体の誕生だった。 セレスティナは、人々から「お嬢様」と呼ばれ、いつしかその呼び名は畏敬と親しみを込めたものに変わっていた。「人形令嬢」と囁かれていた頃の、気味悪げな視線を向ける者はもうい
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-08-14
Baca selengkapnya

第14話 凍てつく心 - 4

 役人たちによる理不尽な略奪は、追放者たちの心に再び絶望の影を落とした。だが、その影は以前のものとは少し質が違っていた。かつてはただ無力感に打ちひしがれるだけだった彼らの心に、セレスティナという存在が灯した小さな灯火は、まだ完全には消えていなかったのだ。「諦めたら、それこそ彼らの思う壺です」 泥の中から薬草の欠片を拾いながら放たれた彼女の言葉は、人々の心に深く刻み込まれていた。それは、この灰色の町で初めて耳にした、希望を諦めないという意志の表明だった。 翌日から、彼らのささやかな抵抗が始まった。 それは、武器を取るような大仰なものではない。もっと静かで、知恵を使った、弱者のための戦術だった。 セレスティナの提案で、彼らは薬草や乏しい食料の隠し場所を分散させた。崩れた壁の隙間、瓦礫の山の奥深く、誰も近寄らない廃屋の床下。子供たちが見張りに立ち、役人や私兵の姿が見えれば、鳥の鳴き真似で仲間たちに知らせる。集めた薬草はすぐに乾燥させ、小さく砕いて布袋に入れ、いつでも持ち運べるようにした。 セレスティナは、その中心にいた。彼女はもはや、ただ看病をするだけの「聖女」ではなかった。その聡明な頭脳は、この極限状況を生き抜くための司令塔として機能し始めていた。どの場所に何を隠せば見つかりにくいか、誰に何を集めさせれば効率的か、病人の症状に応じて、どの薬草を優先的に確保すべきか。彼女は冷静に判断し、人々に的確な指示を与えた。 人々は、自然と彼女に従った。彼女のすみれ色の瞳には、この絶望的な状況を何とかしようとする、真摯な光が宿っていたからだ。かつて「人形令嬢」と囁いた者たちも、今では全幅の信頼を寄せていた。彼女の言葉は、この町の唯一の法であり、希望だった。 だが、その希望はあまりにも脆く、いつまた踏み潰されるか分からない、か細い光でしかなかった。彼らは常に、役人たちの気まぐれな暴力と、辺境伯という得体の知れない「狼」の影に怯えながら、息を潜めて生きていた。 その夜、辺境の町は深い闇と静寂に包まれていた。 冷たい風が、廃屋の隙間をひゅうと鳴らしながら吹き抜ける。人々はそれぞれの塒で、なけなしの布にくるまり、つかの間の休息を取っていた。セレスティナもまた、
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-08-15
Baca selengkapnya

第15話 遠吠え

 夜明けは、厚い毛布の温もりと共に訪れた。 それは、セレスティナがこの辺境の地に来てから、初めて経験する穏やかな目覚めだった。壁の隙間から吹き込む風は相変わらず肌を刺したが、ライナスから与えられた上質な毛布が、その冷気を確かに遮ってくれていた。自分の体温で温められたその空間は、まるで小さな巣のようだ。 彼女はゆっくりと身を起こした。体の節々の痛みは残っているが、昨夜の温かいスープと柔らかなパンのおかげか、昨日までの鉛のような疲労感は薄らいでいる。 彼女の視線は、足元に畳まれた毛布と、空になったスープの器に向けられた。 辺境伯、ライナス。 あの男が、これを。 なぜ。その問いが、再び彼女の心に浮かんでは消える。 断罪の場で見た、あの冷徹な金色の瞳。罪人を容赦なく裁き、「俺が法だ」と断言した、絶対的な支配者の姿。その姿と、この温かい毛布が、どうしても結びつかない。 彼は、自分をどうしたいのだろうか。 気まぐれな同情か。あるいは、これはより質の悪い、新たな支配の形なのかもしれない。飴と鞭。絶望を与えた後に、ささやかな温もりを与えることで、相手の心を完全に掌握する。父の書斎にあった書物の中に、そんな統治術について書かれたものがあったことを、彼女はふと思い出した。 そうだ、きっとそうなのだ。あの「狼」が、見返りもなく他人に情けをかけるはずがない。 セレスティナは、そう結論づけようとした。だが、心のどこかで、その結論に納得しきれない自分がいることにも気づいていた。兵士が残した「風邪など引くな」という、ぶっきらぼうな言葉。その響きには、計算された支配者のそれとは違う、不器用な何かが含まれていた気がしてならなかった。 混乱したまま、彼女は立ち上がり、廃屋の扉を押し開けた。 町の空気は、明らかに変わっていた。 空は相変わらず鉛色だったが、人々を支配していた重苦しい絶望の澱が、少しだけ晴れているように感じられた。道端に座り込む人々の数は減り、代わりに、三々五々集まってひそひそと何かを話し込む姿が見られる。その顔にはまだ、鉄狼団への恐怖の色は濃いが、昨日までの理不尽な搾取から解放されたことへの、確かな安堵が浮かんで
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-08-16
Baca selengkapnya

第16話 卑劣な牙

 辺境伯ライナスによる粛清の嵐が吹き荒れてから、数日が過ぎた。 町を覆っていた、息も詰まるような腐敗の臭いは薄れ、代わりに鉄と血の匂いを纏った、厳格な秩序がもたらされた。理不尽な暴力に怯えることはなくなり、配給されるスープには、わずかながらも温かみが戻った。人々は依然として新しい支配者に畏怖を抱きながらも、その顔には、これまで見られなかった安堵の色が浮かび始めていた。 だが、その変化は、セレスティナの心に平穏をもたらすものではなかった。 彼女の心は、ライナスという男の存在によって、静かな混乱の渦中にあった。あの冷徹な金色の瞳。罪人を容赦なく断罪する絶対的な力。そして、その同じ男が、夜更けに届けさせた温かい毛布。暴力と優しさ。恐怖と、説明のつかない温もり。その矛盾した記憶が、彼女の中で絶えずせめぎ合っていた。(あの男は、私をどうしたいのだろう) 日々の労働の合間、彼女は何度も自問した。答えは出ない。ただ、彼の存在が、彼女の運命を大きく揺さぶり始めていることだけは、確かだった。 「城へ来い」という命令は、吹雪を理由に、まだ果たされていなかった。鉄狼団の兵士は、それ以来何も言ってこない。セレスティナはそれに安堵しながらも、心のどこかで、その後の展開を待っている自分に気づき、戸惑いを覚える。狼の巣へ行くのは恐ろしい。だが、このまま何も変わらない灰色の日常が続くだけというのも、また別の絶望だった。 その日の労働は、町の西壁近くで行われた、崩れた監視塔の瓦礫撤去だった。冬の陽は短く、空が茜色に染まり始める頃には、作業終了の合図が告げられる。冷え切った体を引きずり、人々は配給の列に並んだ。 今日のスープは、いつもより少しだけ具が多かった。小さな干し肉の欠片が、人々のささやかな喜びと、新たな支配者への複雑な感情をかき立てる。セレスティナは、配給されたパンとスープを手にすると、他の者たちとは少し離れ、一人、自分の塒である廃屋へと向かった。 ライナスから与えられた毛布の温もりを思い出すと、一人で食事を摂る時間が、以前よりは苦痛ではなくなっていた。あの男について考えるのは混乱する。だが、あの温かさだけは、紛れもない事実だった。 町の主要な通りから、一本脇道に入
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-08-17
Baca selengkapnya

第17話 金色の瞳

 闇。 どこまでも続く、冷たく重い闇が、セレスティナの意識を飲み込もうとしていた。びり、と衣服が引き裂かれる音が、世界の終わりを告げる悲鳴のように遠くで響く。剥き出しになった肌に突き刺さる、冬の夜の凍てついた空気。それは、もはや寒さという感覚ではなく、死そのものが持つ、絶対的な冷たさだった。 男たちの卑しい笑い声。獣の呼気のような、不快な臭い。壁に叩きつけられた背中の痛み。殴られた頬の、じんと痺れるような熱。五感から流れ込んでくる全ての情報が、彼女の心を鈍い刃物でゆっくりと削り取っていく。(ああ、終わるのか) 母と交わした「生きて」という約束が、粉々に砕けて霧散していく。父の無念を晴らすという誓いが、泥の中に溶けて消える。幸福だった日々の記憶も、裏切りの痛みも、全てが等しく意味を失い、ただ虚無だけが残る。 それでいいのかもしれない。 もう、疲れた。 戦うことにも、耐えることにも、生きることにも。 彼女は、最後の抵抗をやめた。力を失った体は、なすがままに男たちの欲望に委ねられる。すみれ色の瞳から光が消え、薄く開かれた唇からは、諦観のため息が白い煙となって漏れ出した。 その、全てが終わろうとしていた、まさにその瞬間だった。 男たちの動きが、不意に、ぴたりと止まった。 耳元で響いていた下品な笑い声が、まるで喉を締められたかのように途切れる。セレスティナの体を押さえつけていた腕の力が、わずかに緩んだ。 何が起きたのか、彼女の朦朧とした意識では理解できない。ただ、路地裏の空気が、一瞬にして変わったことだけは感じ取れた。これまで澱んでいた空気が、張り詰めた弦のように、びんと震えている。 男たちが見ている先、路地の入り口に、一つの影が立っていた。 逆光だった。背後にある、粗末な酒場の窓から漏れる頼りない光が、その人影の輪郭を黒々と縁取っている。だから、顔も、服装も、はっきりとは見えない。 だが、そのシルエットだけで、相手が尋常な存在ではないことが分かった。闇の中から削り出されたかのような、分厚い体躯。微動だにしないその立ち姿は、岩というより、もっと獰猛で、生命力に満ちた何かを思わせた。
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-08-18
Baca selengkapnya

第18話 狼の問い

 意識の浮上は、まるで深い水の底から、ゆっくりと水面へ押し上げられるような感覚だった。最初に感じたのは、温もりだった。路地裏の凍てつく石畳とも、廃屋の冷たい床とも違う、穏やかで優しい温もり。 セレスティナは、重い瞼をわずかに持ち上げた。 ぼやけた視界に映ったのは、見知らぬ天井だった。黒々とした太い梁が渡された、飾り気のない、しかし頑丈そうな木の天井。鼻腔をくすぐるのは、埃と黴の臭いではなく、清潔なリネンと、微かに薫る薪の匂いだった。 ゆっくりと、首だけを動かす。 そこは、簡素だが広々とした部屋だった。壁は磨かれた石材で、床には動物のものらしい厚手の毛皮が敷かれている。窓の外はまだ暗いが、部屋の隅にある暖炉では、ぱちぱちと音を立てて静かに炎が揺れていた。 自分の体が、柔らかな寝台の上に横たえられていることに気づく。かけられているのは、昨日彼が与えてくれたものとはまた違う、さらに分厚く上質な毛布。そして、自分が着ているものも、泥と血に汚れた囚人服ではなく、簡素だが清潔な、木綿の寝間着に変わっていた。 誰が、着替えさせたのだろう。 その考えに至った瞬間、昨夜の記憶が奔流のように押し寄せ、彼女ははっと息を呑んだ。 男たちの下卑た笑い声。引き裂かれる衣服。頬を打たれた衝撃。そして、絶望の淵で見た、あの金色の瞳。(夢では、なかった…) 腫れぼったい頬の痛みと、体のあちこちに刻まれた打撲の痕が、それが紛れもない現実であったことを告げていた。 ここは、どこなのだろう。あの後、私はどうなったのか。 混乱と恐怖で心臓が早鐘を打つ。彼女は身を起こそうとして、全身を走る痛みに顔をしかめた。 その時、部屋の扉が静かに開き、一人の男が入ってきた。 セレスティナは、息を止めた。 辺境伯、ライナス。 彼は、あの夜の黒い軍服ではなく、簡素なシャツに革のズボンという、くつろいだ姿をしていた。だが、そのラフな服装が、かえって彼の鍛え上げられた肉体の厚みと、獣のようなしなやかさを際立たせている。 彼は、セレスティナが目を覚ましていることに気づくと、わずかにその金色の目を細めた。だが、何
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-08-19
Baca selengkapnya

第19話 保護という名の命令

 どれほどの時間、眠っていたのだろうか。 セレスティナの意識は、温かい羽毛の海からゆっくりと浮上するように、穏やかに覚醒した。最後に記憶にあるのは、自分を抱きかかえる力強い腕の感触と、どくん、どくん、と響く、規則正しい心臓の音。そして、絶望の淵で見た、あの金色の瞳だった。 重い瞼を押し上げると、見知らぬ天井が視界に広がった。黒く太い梁が渡された、質実剛健な造りの天井。鼻をかすめるのは、清潔なリネンの香りと、暖炉で薪が燃える微かな匂い。彼女が横たわっているのは、驚くほど柔らかな寝台の上だった。 何ヶ月ぶりかに感じる、まともな寝具の感触に戸惑いながら、ゆっくりと身を起こす。体中が軋むように痛んだが、あの路地裏で受けた傷や打撲には、すでに手当てが施されているようだった。そして、自分が着ているものも、汚れた囚人服ではなく、簡素だが肌触りの良い木綿の寝間着に変わっている。(ここは…) 部屋の中を見回し、セレスティナは息を呑んだ。 そこは、城の一室らしかった。壁は磨かれた石で覆われ、床には厚手の絨毯が敷かれている。彼女が眠っていた寝台の他に、簡素なテーブルと椅子が二脚、そして衣類を収めるための木製の箪笥が置かれているだけだったが、そのどれもが上質で、手入れが行き届いていた。窓の外はまだ薄暗く、夜が明けたばかりのようだった。 昨夜の出来事が、悪夢ではなかったことを理解する。あの絶望的な状況から、自分は救い出されたのだ。あの男、辺境伯ライナスによって。 その名を思い浮かべた瞬間、部屋の扉が音もなく開いた。 心臓が、鷲掴みにされたかのように跳ねる。扉の向こうに立っていたのは、やはり彼だった。 ライナスは、昨夜の黒い軍服ではなく、ラフなシャツ姿だった。だが、その簡素な服装が、かえって彼の鍛え上げられた肉体の厚みと、内に秘めた獣のような獰猛さを際立たせている。彼はセレスティナが目を覚ましているのを確認すると、何も言わずに部屋へ入ってきた。その金色の瞳は、感情の色を一切映さず、ただ静かに彼女を見据えている。 セレスティナは、咄嗟に毛布を胸元まで引き上げ、身を固くした。恐怖。それは確かにある。だが、それだけではない感情が、
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-08-20
Baca selengkapnya

第20話 狼の巣へ

 ライナスが部屋を出て行った後、セレスティナは一人、静寂の中に残された。 彼の最後の言葉が、耳の奥で何度も反響する。『お前が、使えるからだ』 それは、彼女が心のどこかで求めていた答えであり、同時に最も聞きたくなかった言葉でもあった。 この男は、自分に同情や憐憫を抱いているわけではない。ただ、アルトマイヤー家の令嬢という出自と、彼女が持つ知識に利用価値を見出しただけ。その冷徹なまでの合理性は、いかにも「狼」と呼ばれる彼らしい。 セレスティナは、自嘲に近い笑みを浮かべた。何を期待していたというのだろう。あのような絶望の淵から自分を救い出してくれたからといって、彼が慈悲深い聖人であるはずがない。ここは血と裏切りが渦巻く辺境なのだ。感傷的な善意など、何の役にも立たない。 だが、その一方で。 利用価値がある、ということは、無力ではないということだ。 罪人として全てを奪われ、ただ息をするだけの人形に成り下がっていた自分に、まだ「力」が残っていると、この男は言ったのだ。それは、父から受け継いだ知識であり、アルトマイヤー家としての誇りの残滓。 ならば、利用されてやろう。 この狼の力を、その牙を、存分に利用し、我が家を陥れた者たちに復讐を果たす。目的が同じであるならば、今は彼の駒になることも厭わない。 セレスティナのすみれ色の瞳に、決意の光が宿る。それは、凍てついた大地に差し込んだ、一条の鋭い冬の光のようだった。彼女は、失いかけていた自分自身の物語を、自らの手で再び紡ぎ始める覚悟を決めた。 その時、部屋の扉が、こん、こんと控えめに叩かれた。 セレスティナがびくりと身を固くすると、返事を待たずに扉が静かに開き、一人の女性が入ってきた。年の頃は五十代だろうか。白髪交じりの髪を後ろで一つに束ね、侍女服をきっちりと着こなしている。その顔には皺が深く刻まれ、およそ愛想というものからはかけ離れた、厳格な表情をしていた。「セレスティナ様、とお呼びすればよろしいですかな」 侍女は、抑揚のない低い声で言った。その口調は丁寧だが、どこか事務的で、感情がこもっていない。「私はマルタと申します。閣
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-08-21
Baca selengkapnya
Sebelumnya
12345
Pindai kode untuk membaca di Aplikasi
DMCA.com Protection Status