いつものように背中を丸めて、自宅傍にある児童公園へ向かった。目に映る青空が眩しく映る。午後3時過ぎという時間帯なれど、公園で遊ぶ子どもたちはまったくいなくて、誰も遊んでいない遊具が寂しそうに見えてしまった。
それは今の僕の心情にとても近しい。
「はぁ……桃瀬さんに、気を遣わせてばっかりだよ」
ジュエリーノベルのコンテストの締め切りは、もう一ヶ月を切ってる。作品の大幅な書き直しに頭を抱えてるけど、それ以上に―― 。
『こんな汚ねえとこじゃ、お前を抱く気にもなれねえからだ。つべこべ言わずに、とっとと行け!』
桃瀬さんの本音が、胸にぐさっと刺さったまま抜けない。僕の過去を知ってるからこそ、大事にしてくれてるのは、痛いほどわかる。でも腫れ物に触るみたいなこの距離感が、すっごくもどかしい。もっと近くにいたいのに。もっと触れてほしいのに。
「いっそのこと、僕から桃瀬さんを押し倒しちゃうとか? って、絶対無理無理!」 そんなことばっかり考えてしまうせいで、原稿の修正がまるで進まない。公園のベンチに腰を下ろし、ため息ばかり吐いてる。そうこうしてる内に、無駄に時間だけが過ぎていった。頭の中は桃瀬さんのあの真剣な目と、病室で垣間見たちょっと意地悪な笑顔でいっぱいだった。
「涼一、ちょっとがっつきすぎだ。喉を詰まらせたらどうする?」 (こうして俺が作ったものを、いつも美味そうに食べてくれて嬉しいけどな……) 「あ、うん。でも……仕事の話の邪魔になるんじゃないかと思って」 目の前でナポリタンを頬張りつつ、チラチラ鳴海の顔色を窺う。(――そうか、涼一なりに気遣ってたのか) 「悪いが鳴海は客じゃねえ。手土産も持ってこないヤツの面倒は、俺は見ねえよ」 (しかもコイツは、いい場面を見事にぶち壊しやがったからな!) 「桃瀬先輩、そんな冷たくしないで! お願い! 企画書を見てくださいって!」 「見てあげたら? 困ってるのに」 涼一が助け舟を出したことに、俺の機嫌がめっちゃ悪くなった。「さすがは人気作家の小田桐センセ! すげぇ優しい!」 「いや、別に。郁也さんがせっかく早上がりしたのに、遠慮なく押しかけてくるのどうかなって」 レタスをバリバリ食いながら、ぽつり呟く。事実を突きつけられた鳴海は、思いっきり固まった。 「ぷっ! やられたな鳴海。手土産なしだとこうなるんだぞ」 (――やっぱり涼一は優しいな。俺のことをちゃんと気遣ってくれてる) 「キレイな顔してズバッと言うんすね。俺、帰った方がいいっすか?」 苦笑いする鳴海の目の前に、そっと右手を差し出した。「とりあえず、三木編集長に出す前に見せてほしいんだろ。褒めねえから覚悟しろ」「ありがとうございます! 編集長のツッコミ、実はすごく苦手で……」「あー、まあな。でも間違ったツッコミはしねえし、指示は的確だろ」 三木編集長。専務のコネでジュエリーノベルに引っ張られて来た逸材。編集部に顔を出し、現在刊行している雑誌を手早く読んで、バッサリ言いやがった。『こんなつまらん雑誌、誰も手に取らんわ!』 そして連載をフェードアウトさせ、作家と編集を洗い直し。なぜか営業の俺に声がかかった。『こういうのはな、作家が仕事したくなる面構えじゃなきゃダメだ』 そう言い放った三木編集長の言葉を聞いて周りを見ると、確かに男女とも見た目がグレードアップしていた。くたびれたオッサンズは、どこへ飛ばされたのか……。 『俺はジュエリーノベルのジュエリーを研磨しに来た。君たちもガッツリ研磨するぞ!』 メガネを上げてギロリと睨む目が、めっちゃ怖えのな
「すみませーん。すぐそこの作家さんのお宅に行って、思い出したんです。桃瀬先輩の家、ここら辺だったなって」 (へぇ、なるほど。これって絶対わざとでしょ!) 郁也さんは仕事ができるし、見た目もカッコいいし、面倒見だっていい。僕と違って愛想もいいから、誰にでも好かれる。「初めまして、小田桐センセ。俺、桃瀬先輩の同僚で、鳴海マサヤっす」 「ナルミ・マサヤさんね。どうも」 ノートパソコンの前で頬杖ついて、棒読みで返す。(――もう、いいとこだったのに!) 郁也さんが触れた肌がまだ熱くて、切なさが止まらない。その気持ち、きっと顔に出てると思う。 そんな僕をじっと見つめる鳴海さん。 「鳴海、そこら辺に座って待ってろ。涼一に、メシ作ってやらねえといけないんだ」 微妙な空気を無視して、郁也さんがキッチンに行ってしまった。 (困った……知らない人と一緒は、かなり苦痛だ。部屋に逃げるのも失礼だし、郁也さんの同僚なんだから、ちゃんとしないといけないよね) 「小田桐センセ、めっちゃ美人ですね」「は?」 「いや、男性に美人は変か。ビジュアル系バンドのボーカルみたいな、キレイな顔立ちっすね」 (――なんだよその表現!) 眉間にシワ寄せて不快感を表してやった。女々しい見た目が、すっごく嫌なのに。わざとイラつかせる気なんだろうか? 「桃瀬先輩、なんでサイン会断ったんすか? センセのビジュアルなら、大好評間違いなしなのに」 僕の不機嫌な表情をスルーして、鳴海さんがキッチンに移動した。そのことに、ほっとため息をついたら、楽しそうな声が聞こえてきて、余計にイラつく。 「見てわかるだろ、涼一は人見知りだ。誤解を招くから断ったんだ」 「勿体ないっ! ジュエリーノベルの人気作家がこんなにイケメンなら、間違いなく女性読者が飛びつくのに」「だから読者アンケートの抽選で、直筆サインの企画を立てただろ。今、執筆しながらサイン練習中だ」(ふん! 執筆もサイン練習も全然してないもんね!) 心でベロを出しつつ、キッチンの二人をチラ見する。仕事中、こんな感じで喋ってんだ。郁也さんって……。 普段なされる会話と比べて、じわっと寂しさが湧く。 結局僕は仕事相手、編集者からみるとただの商品になる。お金を生む存在に心をかける必要なんて、最低限でいいん
(――マジでムカつくなぁ、もう!) イライラを消化すべく右手親指の爪を噛み噛みし、ノートパソコンの画面に向き直った。「なぁこのBGM、昼間っからなにエロい話を、大音量で流してるんだ?」「ぜんっぜん、エロくないし! むしろ聴いてて、仕事がばりばり捗っちゃうんですけど」 郁也さんは呆れた声で言いながら、着ていた上着をハンガーにかけていく。横目に映るそれを見ながら、同じように呆れた声で返してやった。「あっそ。それは良かったな」 良かったなと言いつつ、口調は全然良さそうじゃない。 口を尖らせる僕を尻目に、袖をぐるぐるとめくって、ネクタイをワイシャツのボタンとボタンの間にねじ込むと、ため息ひとつついて台所に立った郁也さん。「どーせメシ食ってないんだろ。今から作ってやる。ちょっと待ってろ」 いきなりの餌付け宣言――恋人ならまずは、ただいまのちゅーをしたり、抱きしめあったりするんじゃないの。 付き合って、半年以上経ってる僕たち。初々しい気持ちは、どこへやら。なのかな……。『なぁ、キスしてって言ってみ?』 空気を読むのが無理なハズなのに、スピーカーから僕の望むセリフが艶っぽい声で流れる。「涼一、悪いけどそのBGM、ちょっとだけボリューム落としてくれないか? 気になって、包丁の手元が危うくなる」「いやだね。今ちょうどいい、イメージが沸いてきてるんだ。邪魔しないでよ」 とは言ったものの――パソコンの画面は相変わらず某サイトを表示したままで、執筆する気配がないのは、手に取るようにわかるだろうな。 微妙な雰囲気の中、男の甘いため息とリップ音が、室内響きまくった。ドラマの展開的には、もういいコトをヤりまくってますって感じ。『……んっ、はぁはぁ……俺の声が、傍で聴きたいって?』 大音量で聴いているのに、耳元で囁かれるような、切ない声が特大音で流れる。すっごく手が込んでるんだな、思わずドキドキしちゃった。(――だけどドキドキするなら、郁也さんの声でしたいのに)「やっぱ、ダメ。昼間からこんなエロいの聴いてたら、頭が変になる」 よく言うよ。昼だろうが夜だろうが、以前なら関係なく襲ってきたくせに! 郁也さんは僕の傍を足早に通り過ぎ、オーディオの電源をご丁寧にブチ切った。「もぅ、なにやって――」 くれちゃうんだよと文句を言おうとしたけど、それ以上言葉が出
先日いろいろあって落ち込んでいる僕の元に、友人が元気になりますようにと、たくさんのCDを送ってきてくれた。その中の一枚――。「なになにー? 腕枕されながら耳元で甘く囁かれる、ピロトークをどうぞ?」 プレゼントされたCDは、なにかのドラマ仕立てのものらしい、略して腕ピロトーク。(……っていうか、最近は腕枕どころか一緒に寝た記憶が、遥か彼方の記憶なんですが) 僕は恋愛小説家、相手は編集者の関係なので、日々すれ違うことが多い。まぁこの仕事をしてたから、偶然巡り会えたっていうのもあるんだけど――。 付き合った当初は敬語で喋っていたのを、もっと距離を縮めるべく、ため口で話しかけてみたりと、自分なりに努力をした。ラブラブなふたり暮らしの、甘い生活を夢見ていたのに。 これまでのことを考えつつ、送られてきたCDの取説をぼんやりと眺めた。恋愛に苦労している、僕を労ってくれた友人のチョイスに、苦笑いを浮かべてしまった。「ヘッドホン推奨って、ここにはないし。そもそも僕ひとりだけなんだから、必要ないっと♪」 鼻歌混じりに、オーディオへCDをセットする。他の雑音が気にならないように、いつも音楽をかけながら執筆作業をしているんだけど、面白そうなCDだったので、大音量でかけてみた。(ここには誰もいないんだし、映画鑑賞だと思って聴けばいいや!) そしてノートパソコンの前に座り、ネットサーフィン。執筆の意欲が上がるまで、だらだら過ごす。言わば、アイドリング状態と表現しておこうか。 某サイトにアクセスしたとき、スピーカーから魅惑的な艶のある男性の声が響いた。どこかで恋人同士が仲良くデートしているらしく、彼が楽しそうに恋人へ話しかけていく。 ――さすがは声優、演技が上手いなぁ―― 音声はカレシのみで、恋人の声は一切なし。なので一人芝居なのである。声色ひとつで、その場の雰囲気を上手に作っていく演技に、すっごく感心した。「う~ん。僕も同じように、文章でソレを表現しなきゃいけないんだもんなぁ。てか郁也さんとデートしたのって、いつだっけ?」 一緒に暮らす前は気分転換だと、僕をよく外へと連れ出してくれた。今は連れ出してくれるどころか、かごの中の鳥になっている。そんな生活のつまらなさを、みずから再確認してしまい、深いため息をついたとき。『なぁ、ちょっと休憩してく?』 なぁんて甘
*** 気だるい――だけど嫌な気だるさじゃない。満たされて、ふわふわした幸福感が確かにある。「……大丈夫か?」 掠れた声で、郁也さんが聞いてくる。「うん、大丈夫。ありがと……」 僕も掠れた声で答える。久しぶりだったから、思った以上に乱れちゃって……それがすっごく恥ずかしい。「大丈夫か。なら、もう一回な」 「え?」 「お前、自分の言ったこと忘れてねえよな? 『好きなだけ食べていい』って言っただろ」 (確かに……そんなこと言っちゃった!)「もっと感じさせてやる。覚悟しろよ」 艶っぽく笑う郁也さんの顔が、ぐっと近づく。慌ててその顔を両手で押さえた。「ま、待って! 締め切り!」 「はぁ?」 「今ここで体力を使い果たしたら、締め切りに間に合わなくなっちゃうよ!」 編集者の郁也さんを止めるには、これが一番効くはず! 説得力ありまくりの言葉を聞いた郁也さんが一瞬固まり、じとっとした目で僕を見る。「……わかった。締め切りが優先だ」 かくてその後、コンテストの締め切りまで情事を封印した僕たち。必死で書き上げて、なんとか間に合わせた! しかも郁也さんとの恋愛のおかげか、応募した作品が大賞を受賞! 作家としてデビューが決まった。 デビューを機に、郁也さんと一緒に暮らすことになったけど―― 。「もうこれで、うだうだ言わせねえぞ。締め切りに間に合わせつつ、しっかりお前の体も堪能させてもらうからな」 ニヤリと笑う郁也さん、ものすごく恐ろしいこと言う! 「えっと……ほどほどにしないと、書けなくなっちゃうかもよ?」 「大丈夫。ほどほどの力加減で、たっぷり抱いてやる。ふふ」 お預けしてた分を、徴収する気が満々らしい。しょうがないと諦めてこの身を差し出したけど、その影響で執筆した作品の糖度が爆上がりしたのは、言うまでもない。
「お先に風呂、頂きました。どうもありがとう」 カレーをお腹いっぱい食べて風呂を先に済ませ、パジャマ姿でリビングに戻った僕。それまで「アレ」を意識しないように、料理に夢中になったり、つい喋りすぎたりしてた。でも郁也さんがどんどん無口になって難しい顔をするから、どうしていいかわからなくて……。(――正直、この状況を持て余してる!)「ビール飲むか?」 「えっ⁉ いや、えっと大丈夫です」 あたふたする僕を見て、郁也さんが口元を綻ばせる。柔らかい笑みを浮かべて「じゃあこれな」とオレンジジュースのペットボトルを手渡してくれた。 「それ飲んで、待っててくれ」 頬をそっと撫でるように触れて、浴室へ消えていく。触れられた頬が、じんわり熱い。ちょっと触られただけで、ドキドキが止まらない。体がカッと熱くなる。 さっきだって、調理中にキッチンでいきなりキスされた――「今すぐお前が欲しい」って、ひしひし伝わる、気持ちのこもったキスだった。 口では「気持ちの整理ができてる」って言ったけど、完全にはできていない。抱かれたい思いと不安が、ごちゃ混ぜになってる。 キレイじゃない僕を、郁也さんはどんなふうに抱いてくれるんだろ。いや違う。どんな気持ちで、僕を愛してくれるんだろうな。 はぁっと深いため息をつき、不安を振り切るようにペットボトルの蓋を開け、オレンジジュースを一口飲む。甘酸っぱさが体に沁みまくった。「やだやだ、考えすぎて頭がぐるぐるしてる。こういうのは、なるようにしかならないのに」 テーブルにペットボトルを置き、ソファの上で膝を抱えたまま横になる。 すごく居心地がいい――この家に来てから、妙な安心感がある。きっと、家中に郁也さんの香りがするから。まるで体と心を包み込んでくれるみたいな感じ。 自分の家より落ち着けるなんて、ほんとにすごいな。「……幸せって、こんな身近にあるんだ」 お風呂上がりのポカポカ感と安心感で、うつらうつらしてしまう。「げっ! こんなとこでガチ寝してるし!」 遠くで郁也さんの声が聞こえた。あ、もうお風呂からあがったんだ。「涼一、慣れないことして疲れたんだな。困ったヤツ……」 文句を言いながらも、その声はすっごく優しい。つい口元が緩む。 「なんの夢を見てんだ? 随分と幸せそうな顔をして」 僕の顔を覗き