เข้าสู่ระบบ休日の朝。澪は少し緊張しながら玄関へ向かっていた。
今日は桜と買い物へ行く約束をしている。
神宮寺家へ来てから初めての外出だった。
「お、おはようございます、澪さま!」
玄関には既に桜が立っていた。いつもの使用人服ではなく、淡いベージュのワンピースを着ている。新鮮だった。
「桜さん、その服とても似合ってる」
「えっ」
桜が固まる。
「そ、そんな……!」
みるみる桜の顔は赤くなった。耳まで真っ赤である。
澪はその姿が微笑ましくて、思わず笑ってしまった。
◇
向かったのは駅前にあるデパートだった。
休日ということもあり、人が多い。
「すごい人ですね」
「は、はい……」
桜は少し緊張しているようだった。けれど澪と並んで歩く足取りはどこか嬉しそうだ。
しばらく店を見て回
神宮寺流大展当日の朝。 まだ陽が昇りきらない時間にもかかわらず、神宮寺家の屋敷は静かな活気に包まれていた。 玄関先では相良が車の準備を整え、使用人たちも慌ただしく、それでいて乱れのない動きで最後の確認を進めている。 澪は深く息を吸い込み、自分の作品を見つめた。 何度も手直しを重ねた花カゴ。 ようやく、「これが私の花だ」と胸を張って言える作品になった。「緊張しているか」 隣に立つ綾人が静かに尋ねる。 澪は苦笑しながら頷いた。「はい。すごく。今までで一番緊張しているかも」 正直に答えると、綾人はふっと微笑む。「それでいい」 そう言って、澪の頭へ軽く手を置いた。「お前らしい花を見せればいい」 柔らかくかけられた綾人の言葉に、澪は胸元のお守りにそっと手を伸ばし、そして小さく頷いた。 私らしい花。 綾人の言葉を頭の中で繰り返す。澪は宝物を抱き寄せるように、そっと花カゴに優しく手を伸ばした。 ◇ 会場に到着すると、大きな展示会場が目の前に広がっていた。 高い天井。白を基調とした広々とした空間。 すでに多くの門下生たちが準備を始めている。 澪はその光景を見つめながら、小さく息を呑んだ。 今までは雑誌やテレビでこの光景を見るだけだった。 まさか自分がここに作品を展示するようになるなんて夢にも思っていなかった。「白石さん」 受付の門下生が笑顔で頭を下げる。「こちらが白石さんのスペースになります」 出展者として、自分の名前が書かれた札を受け取る。 その小さな札を見つめながら、澪は口元を緩め、頷いた。 指定された展示スペースに着くと、澪はそっと花カゴを置いた。 丁寧に位置を整え、花の向きを直す。 完成した作品を見つめ、静かに息を吐いた。 春らしい花々が、明るくカゴの中で咲き誇っている。「……花カゴですか?」 澪の近くで準備をしていた門下生が、小さく呟いたのが聞こえて、澪は振り向いた。「珍しいな。神宮寺流では見たことがないかもしれない」 他の門下生たちの視線も次々と集まってくる。 上品な花器ではなく、素朴な花カゴ。 豪華さを競う作品ではなく、暮らしへと寄り添う優しさが滲んでいる。 分かっていたことだけれど、場違いだっただろうかと、澪は少しだけ緊張しながら自分の作品へと視線を落とした。すると隣へ綾人が立
綾人の両親が帰国してから数日が経った。離れの華道室には、色とりどりの花が並べられていて、澪はその前で顎に手をやり考え込んでいた。 神宮寺流大展まで、あと二ヶ月半ほどある。 その頃には季節も春らしくなっているだろう。ならば今はベースの花材だけ選ぶべきだろうか。 そうすると、花器の雰囲気もそれに合わせたものが良さそうだ。大小さまざまなものが床へ整然と並べられているけれど、まだしっくりくるものはない。「難しい……」 ぽつりと本音が漏れる。 いつも悩むテーマは、今回すぐに決めることができた。 『自分らしい花』を生けること"。 けれど、その『自分らしさ』を表現する花材や花器に悩む。 目についた花器へ数本花を挿してみる。 何だか誰かの真似をしているようで、自分らしくないような気がした。 隣にいた綾人は何も口を挟まず、何度もやり直す澪の様子を静かに見守っていた。 澪は何度目かのため息をつく。 新しい、自分だけの花を生けたい。 そう思うほど、答えは見えなくなっていった。 ◇ 翌日。澪はアンジェリケに出勤していた。「いらっしゃいませ」 いつものように花の水を替え、お客様を迎える。 市場から届いた花の下処理をして、花筒へと入れ、店頭へと並べていると、「これ、ラッピングお願いできますか?」 と、小さな女の子を連れた女性が声を掛ける。 手には一輪のチューリップ。「はい、もちろんです」 澪は笑顔で花を包み始めた。「今日はプレゼントなんです」 女性がそう教えてくれると、女の子も嬉しそうに口を開いた。「おばあちゃんのお誕生日!」「まあ、そうなんですね」 澪も自然と笑顔になる。女の子に選んでもらった赤いリボンをきゅっと結んだそのとき。「あ! ママ、あのカゴかわいい!」 女の子が、店先にある、小さな花カゴを指差した。澪も顔を上げて、女の子の視線を追う。 そのまま飾れるよう、小さな季節の花をまとめたアレンジメント。 女の子は、早足で花カゴに近付くと、嬉しそうに両手で抱き上げた。「これなら、おばあちゃん、すぐ飾れるよ」「本当ね。これなら、花瓶もいらないし、そのまま飾れるものね」 母親も感心したようにうなずき、笑む。そして女の子が持っている花カゴを指差した。「こちらもいただけるかしら」「はい、かしこまりました」 澪が
父親は湯呑みを静かに置いた。「そういえば、綾人。年度末の神宮寺流大展だが——」 その一言で、客間の空気が少しだけ引き締まる。 澪は思わず父親の顔を見つめた。「今年は少し趣向を変えようと思っている」 父親は穏やかな口調のまま続ける。「海外で神宮寺流を紹介する中で改めて感じた。華道はもっと多くの人へ届けられるものだ、と」 綾人が静かに頷く。「一般公開の日程を増やすのか」「ああ。その予定で進めている」 神宮寺流大展。 年に一度開催される、神宮寺流最大の展覧会。 門下生たちが一年の成果を披露する場であり、華道界でも大きな注目を集める催しだ。 澪も何度か新聞や雑誌で見たことがある。 まさか、その話をこんな近くで聞く日が来るなんて思ってもいなかった。 父親はゆっくりと澪へ視線を向ける。「澪さん」「は、はい」「この大展に興味はあるかね」「え……?」 澪は目を瞬かせた。 その意味を理解するまで、ほんの数秒かかった。「わ、私が……ですか?」 思わず自分を指差す。 父親は静かに頷いた。「もちろん、無理にとは言わない」 穏やかな声で続ける。「まだ神宮寺流へ入って日も浅いことも承知している。だが、一度、澪さんの花を見てみたいと思っている」 その言葉に、澪は息を呑んだ。「綾人が、ここまで一人の人間を認め、熱心になっている姿を私は初めて見た」 客間が静かになる。 綾人は何も言わない。 ただ静かに父親の話を聞いていた。「だから私は興味がある」 父親は柔らかく微笑んだ。「綾人と私の父が信じた、君の花を」 ――自分が生ける花を見たい。 そう言ってくれることに、澪の胸は途端に熱くなった。「あなた」 母親がくすくすと笑う。「そんな言い方じゃ、澪ちゃんが余計に緊張しちゃうでしょう?」 父親は少しだけ眉を上げる。「そうか?」「そうよ」 母親は澪へ優しく微笑んだ。「難しく考えなくていいの。私たちはね、ただ澪ちゃんが生けたお花を見たいだけなの。お花や人に寄り添えるあなたの作品は、きっと素敵なのでしょうね」 そう、どこか夢でも見ているかのような雰囲気で綾人の母は続ける。「だから、一緒に参加してみませんか?」 その柔らかな言葉に、澪の肩から少しだけ力が抜ける。 それでも、不安は残っていた。「でも……ご迷惑にならな
神宮寺家の客間には、午後の柔らかな陽射しが差し込んでいた。 磨き上げられた床には庭の木々の影が揺れ、湯気の立つ煎茶の香りが部屋いっぱいに広がっている。 澪は少しだけ背筋を伸ばしながら、綾人の隣へ静かに腰を下ろした。 向かいには綾人の父と母。 そして少し離れた場所には、佐伯たち使用人が控えている。「改めて……長旅、お疲れさまでした」 澪が頭を下げると、母親は嬉しそうに微笑んだ。「ありがとう。こうして帰って来られる場所があるっていいものね」 その言葉に、佐伯たちもどこか嬉しそうに表情を和らげる。「海外はいかがでしたか?」 澪が尋ねると、母親は楽しそうに目を細めた。「今回はフランスとイタリアを中心に回っていたのよ」「向こうでも展示会を?」「ああ」 父親が静かに頷き返す。「神宮寺流を紹介する催しだ。思っていた以上に反応は良かった」「海外でも華道って人気なんですね」「花は国が違っても、心を動かすものだからな」 澪は小さく頷いた。その考え方が、どこか綾人によく似ている。「あ、そうだ。綾人から聞いたわ」 母親が思い出したように両手を叩いて、澪を見る。「『花日和』という活動をしているのでしょう?」「は、はい。キアーロという会社にお誘いいただいて、花をもっと身近に感じてもらえたらと思って……」 澪は少し照れながら答える。「記事も読ませてもらったのよ」「えっ?」「一輪だけ飾るところから始める花との暮らし、とても素敵ね」 澪は驚いて目を丸くした。「海外へいても、綾人が色々送ってくるものだから、すっかり澪ちゃんの活動に詳しくなっちゃって」「母さん」 綾人が静かに止める。しかし母親は楽しそうに続けた。「新聞の記事に、雑誌に、テレビ……。今、こんな活動を頑張っているんだって、色々とね」 指を折りながら話す母親に、綾人は唇を閉じる。 その様子がおかしくて、澪は思わず吹き出してしまった。「そんなに報告していたんですか?」「ああ」 父親もその口元に小さな笑みを浮かべながら頷く。「一日に三回送られてきたこともある」「親父」 客間に小さな笑い声が広がる。綾人は静かにため息をついた。「二人とも話しすぎだ」「でも、事実でしょう?」 母親は悪びれずに笑い、少しだけ綾人のほうに身を乗り出した。「澪ちゃんの話をするあなた、本
黒塗りの車が、ゆっくりと玄関前で停車した。 冬の澄んだ空気が静かに流れる。 運転手が後部座席へ回り、恭しくドアを開いた。 最初に姿を現したのは、一人の男性だった。 長身で背筋は真っすぐ。白髪が少し混じった髪は丁寧に整えられ、落ち着いた和装姿がよく似合っている。 年齢を重ねてもなお、堂々とした佇まいだった。 澪は思わず息を呑む。 そのあとに降りてきたのは、淡い藤色の着物を纏った女性だった。 柔らかな笑みを浮かべ、その所作一つひとつが上品で美しい。「親父。母さん」 綾人が静かに声を掛ける。 二人は穏やかに頷いた。「久しぶりだな、綾人」「元気そうで安心したわ」 そのやり取りを見て、澪も慌てて一歩前へ出る。「は、初めまして!」 そして深く頭を下げた。「白石澪と申します。本日は、お会いできる機会をいただき、ありがとうございます」 少しだけ声が震えた。 ゆっくりと顔を上げると――。 綾人の父親が、じっと澪を見つめていた。 鋭く、見定めるような視線に澪には見えた。 澪の胸がどくりと鳴る。 緊張で背筋が固くなった、そのときだった。「綾人、澪さん。ずいぶん待たせたな」 澪はその言葉の意味が分からず、思わず瞬きを繰り返した。 すると隣で綾人の母親が小さく肩を揺らして笑った。「あなた、その言い方じゃ澪さんが困ってしまうでしょう?」 そして、優しく澪へ向き直る。「ごめんなさいね。この人、あなたに会うのをずっと楽しみにしていたの」「……私に……?」 澪はぽかんと口を開けた。父親は照れ隠しをするように一つ咳払いをする。「綾人から、何度も話を聞いていたものでね」「親父」 綾人が静かに制止する。しかし父親は気にした様子もなく、話を続ける。「電話のたびに澪さんの話ばかりでな」 澪は思わず綾人を見る。綾人はほんの少しだけ気まずそうに視線を逸らした。「今日は澪が新しい花を生けただの、今日は澪が仕事で褒められただの、今日は澪が笑っただの」「親父」「今日は澪が花屋で――」「もういいだろう」 綾人が珍しく少しだけ困ったような表情を見せる。 その様子を見て、母親がくすくすと笑った。「本当に毎回なのよ? 『澪が』『澪が』って。私たち、まだお会いしてもいないのに、すっかり澪さんのことを知ってしまって」 澪は耳まで真っ赤になる
綾人の両親が帰国する当日。 玄関には先日、綾人と澪が生けた冬の花。 磨き上げられた床には陽の光が柔らかく差し込み、屋敷全体が静かな緊張感に包まれている。「玄関の最終確認、終わりました」「客間も整っております」「お食事の準備も予定通りです」 佐伯を中心に、使用人たちが落ち着いた声で確認し合う。 誰も慌ててはいない。 けれど、それぞれがいつも以上に丁寧に仕事をしていた。 ◇ その一方で――。「……お、落ち着かないわ……」 リビングを行ったり来たりしている人物が一人。 時計を見ては、窓の外を見て、そしてまた時計を見る。「澪さま」 その様子を見ていた芹香が微笑み、優しく声をかける。「一度、お座りになりませんか?」「は、はい」 返事だけはちゃんとしたものの、ソファへ腰を下ろしても数秒後には立ち上がってしまう。「……あっ」 今度は澪の視線が窓辺の花へ目が留まる。「少し向きを直したほうが……」 花瓶へ手を伸ばそうとすると、「そのままで大丈夫ですよ」 今度は佐伯が穏やかに声を掛けた。「昨日、綾人さまと澪さまで仕上げられたものでございますから。完璧です」「そうですよね……」 澪は慌てて手を引っ込める。「でも、もしお義父さまとお義母さまが……」 言いかけて、自分で真っ赤になる。「お、お義父さまとお義母さまって……! 私ったら、まだ結婚もしていないのに……!」 自分で口にしてしまい、両手で顔を覆った。 テーブルまわりを綺麗にしていたひまわりが思わず吹き出す。「澪さま、かわいいです!」「ひ、ひまわりさん! からかわないでください……!」「からかってなんていません。もうその呼び方でいいじゃないですか!」「よくないです!」 澪はぶんぶんと首を振った。その姿に、桜も小さく肩を揺らして笑った。「き、緊張していらっしゃいますね」「だって当然でしょう?」 澪は困ったように笑う。「綾人くんのご両親ですよ? 失礼なことがあってはいけないから……」 澪は、「あっ!」と思いついたように手を叩いた。「何かお手伝いします! お茶の準備を……」「そちらはもうすでに整っておりますよ」 佐伯が微笑む「それなら、お掃除を!」「終わっております」 芹香が穏やかに頭を下げる。「じゃあ、お料理を!」「こちらも大丈夫で
車のドアが静かに閉まる。外の雨音が遠くなった。 澪は膝の上で手を握る。 隣には、先程出会ったばかりの男性が、窓際に頬杖をついて流れる景色を見ている。 車内は驚くほど静かだった。 隣に座っているだけなのに緊張する。 けれど……なぜだろう。不思議と怖くはない。 むしろ……どこか居心地の良ささえ感じてしまっているような――。「……寒くないか」 不意に掛けられた言葉に、澪の肩がびくりと跳ねた。「は、はいっ」 思わず声が裏返る。「全然、寒くないです」「それならいい」 「じ……神宮寺さんは、」 寒くないですか、と言いかけた言葉は、「綾人」 と短い声に遮られた。「え?」
「……澪?」 聞き慣れた声だった。 その瞬間、澪の体は強張る。 振り返った先には、息を切らせた拓真が立っていた。 雨に濡れた髪。 乱れた呼吸。 まるで必死に追いかけてきたみたいだった。「澪……!」 澪の姿を見て、安堵したように表情を緩めた拓真が、一歩近づいてくる。 けれど澪は思わず一歩足を後ろに引いた。 その仕草に、拓真の顔が傷付いたように歪む。「待ってくれ。話を聞いてほしい」「……」「誤解なんだ」 その言葉に、澪は思わず顔を上げた。 誤解。 その言葉が胸に刺さる。 だって澪は見たのだ。確実に。この目で。 ホテルの前で。 拓真が美羽に口づける姿を。「誤
温かかった。 冷え切っていた体が、じんわりと熱を取り戻していく。 雨の音が遠い。 白石澪は、抱き締められていることに気付いてからも、しばらく動けなかった。「……あの」 震える声が漏れる。 すると、男――神宮寺綾人は、ようやく我に返ったように目を伏せた。「……すまない」 けれどその腕は、なかなか離れない。 まるで、離したら消えてしまうものを抱えているみたいに。「あ、あの……」 澪がもう一度そう口を開くと、綾人はようやくゆっくりその腕を離した。 黒い手袋越しの指先が、最後まで名残惜しそうに澪のブラウスの袖に触れていたことに、澪は気付かない。「怪我
白石澪は、二十六年間の人生の中で、自分が『誰かに選ばれる人間』だと思ったことがない。「ごめんね、お姉ちゃん。私、ほんとダメでぇ……」 ソファに座った妹の美羽が、困ったように眉を下げる。 ふわふわに巻いたグレージュの髪。淡いピンクのネイル。思わず守ってあげたくなるような可愛らしい顔。「バイト先でも失敗ばっかりで……」「ううん。気にしないで。それよりも、美羽は早く休んで? 体に障るわ」 澪は笑った。美羽の代わりにノートパソコンの前に座って、大学の課題のレポートに向き合う。 澪が働く花屋は、比較的穏やかな客が多い、しかし今日は珍しくクレーム対応をして、頭