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2-2【バルダート家のメイドさん】

Author: 蕪菁
last update Last Updated: 2025-12-11 16:14:27

 その日の夜……。

「えっ、ドゥラン様のところへご奉公に行くの?」

 ランプの明かりに照らされたダイニングで、家族と夕食を囲んでいたアデーレ。

 向かい側に座る両親との話題は、昼間のメリナと交わしたやり取りだ。

 真っ先に反応したのは母のサンドラ。

 アデーレは母親似で、特に背中の辺りまで伸ばした青交じりの黒髪はサンドラ譲りだ。

「やってみないかって誘われただけだから。確かに六年前のことはあるけど……」

 六年前のことは、島の者なら誰でも知っている。

 大貴族バルダート家の一人娘に楯突いた農家の娘。

 そのことで忌諱きいされるなどといったことはなかったが、良くも悪くも度胸がある子だと一目置かれることとなった。

 あの頃は良太が物を知らなかっただけのことで、バルダート家がどういった家柄なのかもわからず口を挟んでしまった。

 お嬢様ことエスティラの父、ドゥラン執政官。

 執政官とは、ここシシリューア共和国における国家元首なのだ。

 後にそのことを知ったアデーレ……というより良太は、いよいよ国のトップの娘に口出ししてしまったのかと、色々な意味で自分に感心してしまったものだ。

 だが、後悔はしていないし、自分が悪いことをしたという認識もない。

 何よりメリナと知り合えることも出来たのだ。今ではいい思い出だろう。一応は。

「父さんは悪くないと思うよ。数年働けば、転職の際の紹介状も書いてもらえるらしいじゃないか」

「そうは言ってもあなた、もしもエスティラお嬢様に目を付けられでもしたら」

「なあに、あのドゥラン様のご息女だよ。六年も前のことを根に持つようなことはないさ」

 手にしていたスプーンを皿に置いて、アデーレの顔色をうかがうサンドラ。

 楽観的なヴェネリオに対し、やはりサンドラは娘の身を案じているようだ。

「メリナさんが、一般の人はお嬢様に会うことはめったにないって」

「そうかもしれないけど……やっぱり心配だわ」

 サンドラのため息が、アデーレの耳に残る。

 過保護を人の形にしたようなヴェネリオほどではないにしても、サンドラも人並みの母親以上の思いをアデーレに抱いていることが伺える。

「まぁまぁ。それで、アデーレはどう考えているんだい?」

「私は……一度屋敷に行ってみようと思う」

 「そうか」とつぶやき、ヴェネリオが姿勢を改める。

 アデーレの言葉を聞いたサンドラは、相変わらず不安げに娘の顔を見つめている。

「ドゥラン様のお屋敷の使用人だ。雇われるにしても外見や能力で厳しく判断されるはずだよ」

「うん」

「でも父さんは、アデーレなら必ず雇われると信じているよ。何せ父さんと母さんの娘なんだから!」

 ヴェネリオの自信は、いったいどこから湧いてくるものなのか。

 いや、これは単純に子煩悩を極めているだけだろう。

 しかし容姿に関しては、誘ってきたメリナからもお墨付きをもらっている。

 そういったことがあるため、アデーレ自身も使用人として雇われるかどうかについてはそれほど不安はなかった。

(自分でもこんな自信家だったとは、ちょっと驚くな)

 そんなことを内心思うほどだ。

 と、ここでうつむき加減だったサンドラが顔を上げる。

「分かったわ、あなたがそう決めたのなら」

 伸ばされたサンドラの手が、テーブルの上にあったアデーレの手に重ねられる。

「でも、危ないと思ったらいつでもお母さんに相談してね。絶対よ?」

 ――アデーレは、本当に両親に愛されている。

 それが心地よくも、気恥ずかしい。

 佐伯 良太としての一面が、そう感じてしまうのだろうか。

 だが、触れ合っているこの瞬間こそが、それ以上に羨ましいとも思ってしまうのだ。

 生まれ変わった自身の幸せだというのに……。

「うん。ありがとう、お母さん。お父さん」

 無償の愛を注いでくれる両親に、感謝の言葉を告げるアデーレ。

 その表情は、かすかに微笑みを浮かべていた。

          ◇

 通常、何事にも段取りってものがあるはずだ。

 就職なら面接とか、掃除ならばまずは上からとか。

 だが、自らが置かれた現状に、アデーレは困惑していた。

 アデーレは、生まれて初めて貴族の屋敷へ足を踏み入れることとなった。

 まず大きな格子門の先には、ロントゥーサでは珍しい芝生が敷かれた広い前庭が広がっていた。

 前庭を中央から貫くように敷かれた白い道の先には、大きな両開きのドアを有する三階建ての屋敷が待ち構えている。

(どれだけ広いんだ……)

 思わず心の中でつぶやくアデーレ。

 本日の彼女の格好は、作業に適した物が良いという母の提案から、汚れても心配ない木綿の青いワンピースだ。

 とはいえ、決して裕福な家ではない。他の服装もこれと大した差はないのだが。

「どうしたの? ほら付いてきて」

 アデーレの前を歩くのは、ピンク色のワンピースに、白いキャップとエプロンを纏ったメリナだ。

 現代日本の記憶を持つアデーレからすると、彼女の格好は自分が知る【メイド服】というものとはかなりかけ離れている。

 だが、母やメリナの話を聞いてみると、午前中は自前で用意した作業のしやすい服装を着ることが基本らしい。

「それにしても、アデーレが来てくれて本当に助かるよー」

 そう言うメリナの笑顔には、明らかに疲れの色が伺える。

 屋敷の方を見ても、数名の使用人が掃除道具や籠を持って屋敷前をせわしなく移動しているようだ。

「随分と忙しそう」

「急にお嬢様が住むってなっちゃったからね。三日前からずっとこんな感じだよ」

「うわ……」

 お嬢様を迎え入れる準備が間に合っていないとなれば、屋敷が修羅場になるのは当然だ。

 なのに昨日の段階で既に屋敷入りしているという。

 こうなると、なかなかにハードな状況と言わざるを得ない。

「とりあえず、今日一日は私と一緒にいてね。仕事覚えてもらうから」

「え? ちょっ、こういうのってまずは責任者の人に会って色々……」

「今は特例っ。その辺は私の判断でいいってことになってるから」

 いつもせわしないお姉さんというのが、アデーレが抱くメリナの印象だった。

 しかしどうやら、バルダート家の使用人としてはそれなりの立場にあったらしい。

 お嬢様に困らされていた時のことが色濃く記憶されていたためか、率先して前に立つメリナの姿はアデーレの目にも新鮮に映る。

 これも彼女が、使用人としてのキャリアを重ねてきた賜物なのだろう。

「難しいことはしなくていいから。とにかく今は私の手伝い、お願いねっ」

 疲れが見え隠れする笑顔を見せるメリナ。

 そんな彼女を前にして、もはや段取りがどうとか言うのは野暮だと、アデーレは言葉を飲み込んだ。

          ◇

 三階建ての屋敷というのは、ロントゥーサ島では灯台に次いで高い建物だ。

 だがそれ以上に、バルダート別邸は敷地が広い。とにかく広い。

 吹き抜けのエントランス。床一面に敷かれたワインレッドのカーペット。

 白を基調とした美しい内装は、慣れないアデーレには眩しく映る。

「アデーレっ、手が止まってるよ!」

 窓ふき用の布を手にしたアデーレを、メリナが顔も向けずに叱責する。

 アデーレは今、廊下の窓の乾拭きをメリナと共に進めていた。

 しかし、ここは貴族の屋敷だ。自宅の窓を綺麗にするのとはわけが違う。

 とにかく長く伸びる廊下には、前庭が伺える大きな窓が整然と並んでいる。

 枚数は軽く二十は超えるだろうか。この全てを使用人たちで綺麗にしていかないといけないのだ。

 使用人たち……とはいうが、この場にいるのはアデーレとメリナ。

 それと、廊下の反対側から作業を進める二人の使用人だけだ。

 どうやら反対側もアデーレ達と同じく、ベテランと新人がペアとなって作業を進めているように見える。

「メリナさん……これ、いつ終わるんですか?」

「いつなんて考えないっ」

 隣の窓を拭くメリナの手際は、恐ろしい程に良い。

 腕を一杯に伸ばして、上から下に向けて窓を磨き上げていく。

 その手は角のわずかな汚れ一つ見逃さず、ペースもアデーレの倍ほどの速さだ。

 アデーレが一枚の窓を終わらせる頃には、メリナは三枚目の窓に取り掛かっていた。

「今日のうちに三階までの窓終わらせなきゃいけないんだから、余計な事考えてる暇ないよっ」

 「ああ……」と、アデーレは思わず落胆の声を漏らす。

 当然だ。この上階には、現在受け持ってるのと同じ長さの廊下があるはずなのだから。

 使用人控室に通されたと思えば、そのまま掃除用具を持たされ、屋敷中の掃除をさせられているアデーレ。

 その顔には、間違いなく使用人の仕事を甘く見ていたことへの後悔の念が浮かんでいた。

 ふと、頭の中に母サンドラの顔が思い浮かぶ。

『危ないと思ったら、いつでもお母さんに相談してね』

 あの時の母の優しい言葉を、今になって恋しく思う。

 一般家庭の家事など基礎の端くれ。いつも通りが全く通用しない、屋敷の掃除。

 今のアデーレが思い抱くのは、不作をもたらした天候に対する恨み言ばかりだった。

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