音は消え、真っ暗な視界。
魔法は成功したのか? 何もわからない、分かるのは今寝転んでいるだけだ。ゆっくり目を開けると、アカリが覗き込んでくる。
「あ、起きた。ご飯用意したよ」
いつものアカリだ。 ここはどこだ? 何も分からない。ゆっくりと身体を起こし辺りを見渡す。
見覚えのある壁や机。 嫌な予感がするが、僕は平静を装いアカリに問いかけた。「アカリ、今は何月何日だ?」
何を言ってるのだ、というような顔をして首を傾げるが答えてくれた。 「今日は4月9日」絶望した。
時は確かに戻っている。 だが僕の望んだ時間ではなかった。 事故が起きたあとだ…… やはりいきなり初めての魔法、尚且つ誰も見たことないオリジナル魔法を使った弊害か、成功はしたが望み通りには行かなかったようだ。しかしまだ可能性はある。
時が戻ることは確認した。 次はもっと正確に時間を指定すれば問題はない。 そう思い、アカリに計画を話そうとするが、アカリの目線はずっとある一点を見ている。 表情も酷く動揺しているようだ。「どうした?」
「カナタ……貴方はいつ禁呪を使ったの……?」 禁呪?何を言っているか分からず、反応に困っているとアカリは話を続けた。「貴方の右眼が赤くなっている」
赤くなっているのがどうしたのだろうか。 充血することなんてよくある話だ。「充血じゃない。赤眼」
「……?意味がわからないぞ」 「禁呪を使った者は赤い眼になってしまう」 まさか時を戻す魔法は禁呪と呼ばれる危険なものだったのだろうか。 しかし赤い眼の何が悪いのか。 僕は元々命を懸けて魔法を使った。 赤い眼くらいは許容範囲だ。「違う……貴方は何も知らないからそんな気楽に考えている」
少し怒ったような声質に変わり、驚いていると胸ぐらを掴まれた。「いつだ!!いつ使った!!禁呪なんて誰に教わった!!!
突如響いてきた声は男とも女とも言えない性別が分からない声質だった。僕が狼狽えていると再度声が響いてくる。『人の子よ、何用か』「あの、願いを叶えて欲しくて……」『願い、か。申してみよ』「僕の世界の時間を平和だった日に戻して欲しいんです」威圧感こそないが、言葉を間違えれば即座に存在ごと消されてしまいそうな、そんな気がした。だから僕は一言一言を丁寧に伝える。少し間を置き精霊は答えた。『時間を戻すとなれば相応の代償を払わなければならない』「代償……ですか。内容を教えて頂けますか?」代償はやはり必要なのか。痛くないものだったらいいけど。『人の子よ、そなたの命程度では到底足りぬぞ』「命でも足りないとなれば僕は何を差し出せばよいでしょうか?」最悪の場合、自身の命と引き換えくらいは覚悟していたが、その命を使ったとしても時を戻す願いは簡単に叶えられないようだった。『とはいえわざわざここまで来たそなたに一つだけ試練を課そう。それを見事達成した暁にそなたの願いを叶えてもよい』「試練、ですか?」代償の次は試練か。無理難題でなければいいけれど、と僕は不安を抱えながら問い掛けた。『魔神をこの世界から葬り去って欲しい』「ま、魔神をですか?流石にそれは……」『できんと申すか?そなたの望みはそれ程までに高みにある願いぞ』魔神か……アレンさん達と協力しても勝てなかった相手だ。僕一人でどうこうできる話ではなくなってきたな。「いえ、やります。では魔神を倒したらまたここに来てもい
結界の中へと入ると聳え立つ世界樹が一層神々しく見えた。地球には存在しないレベルの大きさに僕はポカーンと口を開けてしまう。「どうしたんだい?カナタ君。もしかして君の世界には世界樹がないのかな?」「え?そうですね、世界樹なんて植物は僕のいた世界ではありませんでした」ペトロさんが不思議そうな顔をしているがこんなファンタジーの塊みたいな植物が地球にあってたまるかってんだ。「世界樹がない世界か……興味深いね」「そうなんですか?」「もちろん。世界樹は世界を支える柱みたいなものだからね。柱のない世界がどうやって存在しているのか、そっちの方が不思議でならないよ」そう言われると確かにと妙に納得してしまう。世界樹がないから魔法という概念も存在しなかったのだろうか。そもそも世界樹はどうやって誰が生み出したものなんだろう。……考え始めるときりが無いな。世界樹の根元まで来ると壁が目の前にそり立っているような感覚に陥る。太さだけでも田舎町くらいなら入りそう大きさだ。「凄い……これが世界樹なのね」ソフィアさんもうっとりしたような声を漏らしている。多分世界樹にここまで近づく事が出来たのはエリュシオン帝国初の人間になるんじゃないか?「これほど巨大とはのぉ……世界広しといえどもこんな大きな樹は初めて見たわい」「おい、近付くな」クロウリーさんも興味が尽きないのか世界樹に触れようとしてヨハネさんに怒られていた。神聖なものみたいだし勝手に触ろうものなら殺されてもおかしくはない。「じゃあ中に入ろうか」「中に、ですか?」「そう。もちろん入っていいのは願う者だけだよ」となると入れるのは僕だけか。何かあった時にアカリやアレンさんが側に居ないのは不安だな。ペトロさんと共に世界樹の巨大な入り口に立つと、ゆっくりと重い扉が開かれていく。
僕は今までの事をヨハネさんに全て話した。日本での悲劇、というより魔神が引き起こした惨劇の全てを。そしてそれをなかった事にしたいという僕の願いをヨハネさんは黙って最後まで聞いてくれていた。「時間を戻す、か。確かにそれは世界樹にしかできん御業だ」「では許可を頂けますか?」「……ふん。まあいいだろう。ギガドラに膝を突かされたのは事実なのでな」ヨハネさんは渋々ながらも許可を出してくれた。これで障害はなくなった。「それでは今から向かおうかカナタ君。ヨハネ、君も付いてきてくれるだろう?」「行かねば結界を通り抜けれんだろうが」なるほど、六人の使徒が結界の解除をしなければ、そもそも世界樹に近付くことすらできないようだ。世界樹へと向かう道中、クロウリーさんはずっと気落ちしていた。それもそのはず、自身の持てる最大威力の魔法が使徒に対して何の意味も成さなかったのだ。格が違うというのを実感させられたからだろう。「儂も長年魔法技術を追求してきたはずじゃ……しかし、擦り傷一つ与えられんかった……」正直ここまで力の差があれば、魔神討伐で使徒の力を借りるのが一番手っ取り早い気もする。「あの、魔神を倒す為にペトロさんとかに手を貸してもらうのはダメなんですか?」純粋に気になったから聞いてみると、アレンさんが答えてくれた。「ああ、普通はそう思うよね。でもそれはダメなんだよ」「ダメ……というのは?」「神域に暮らす神族や使徒は神域外での干渉は禁じられているんだよ。魔神はあくまで魔族国のトップだからね、使徒に手を貸してもらう事はできないんだ」そういうものなのか。人間が脅かされているんだから手を借りればいいのにと思ったが、そう簡単な話ではないらしい。「まあ魔神が神域に攻め込んでこれば話は変わってくるけどね。ただ、奴も馬鹿じゃないからそんな事にはならないだろうけど」魔神とて使徒や神族を相
ギガドラさんが落とした雷は目を開けていられないほどに光を放っていた。徐々に視界がクリアになってくるとヨハネさんは忌々しそうな顔で突っ立っていたが、その姿に若干の違和感を覚える。白い服がほんの少しだけ焦げていたのだ。ギガドラさんの攻撃は結界を多少なりとも貫通したようで、初めてヨハネさんに傷を負わせたらしい。「ククク、我の一撃は重いであろう?使徒統括といえど生身で受ければ消し飛ぶ威力ぞ」「雷神獣……確かに貴様の力は他の神獣を凌駕している。だがそれでも所詮は神獣の領域を出んという事を理解しておけ」「どうした?饒舌に喋るではないか。そんなにも意外だったか?結界を貫通する攻撃手段を持っていたことに」二人の舌戦は徐々に激しくなってくる。「少しばかり結界を貫通したというだけでふんぞり返るなど……程度が知れるぞギガドラ」「ほう?ならば次はもっと火力を上げてやろうか?その余裕そうな顔を歪ませてくれる」「やってみるといい。所詮は獣だという事を今一度知らしめてやる」ヨハネさんは片手を突き出し、ギガドラさんは口元に電撃を収束させていく。今度は二人の攻撃がぶつかり合う事になりそうだ。僕らは余波を受けぬようまた数歩下がり、防御の態勢を取った。「これは不味いですね。全員私の後ろに。絶対領域!」トマスさんが気を利かせてくれたのか僕らを覆うほどの結界を展開した。これなら余波を心配する事もないだろう。「我が全力の一撃、その身に受けよ!破軍雷光弾!」「全ては無に帰す……絶界」音は消え不意な静寂が訪れる。僕の目ではもはや何が起きたかすら知覚する事は出来なかった。突如、耳を劈くほどの轟音を掻き鳴らしたと思えば地面に片膝を突いていたのはヨハネさんであった。「ぐ……獣如きが……」「ククク、天辺で胡座をかいているからそういう事になるのだ。神獣だ
無傷のヨハネさんは不機嫌そうな表情を浮かべて口を開く。「くだらん……この程度で私に勝てるだと?ペトロ、貴様も知っているはずだろう。使徒統括である私との差を」ヨハネさんの余裕の態度は崩れる事がない。ペトロさんも苦笑いを浮かべており、力の差は歴然だった。「それはどうかのぅ?これを食らっても平気か?エンドオブカタストロフィ!」準備が整ったクロウリーさんが両手を頭上に掲げるとおどろおどろしい黒と紫色の雲が突如として現れた。見ただけで分かる、ヤバいやつだ。僕は咄嗟に数歩下がり、自分の安全性を確保した。ブラックホールのような渦がヨハネさんを飲み込むとそのまま圧縮するように黒い円は縮んでいく。やがて人の大きさ程まで小さくなったところで、何処からともなく指を鳴らす音が聞こえてきた。「人間にしては凶悪な魔法を使うではないか。しかしこの程度で私を滅するなど片腹痛いぞ」その言葉通り、黒い円は霧散し中から無愛想なヨハネさんが出てきた。クロウリーさんの渾身の魔法ですら傷一つ付けられないとなれば正直打つ手はない。「これで終わりか?すべて出し切ったのか?」「いえ、まだ僕がいます!」ここからは僕の番だ。僕は握り締めていたギガドラさんの爪を地面に叩きつけた。「それは……まさか」「お願いしますギガドラさん!」僕が叫ぶと真っ白な空間である部屋に稲妻が走り、雷雲が立ち込める。「承知した」部屋に響き渡る低い声と共に雷鳴が轟き、白い虎が姿を現した。「人間に手を貸したかギガドラ」「ほう?これは面白い!ヨハネと相対し
先に動いたのはアレンさんだった。片手を上げたまま魔法を発動させる。「消し飛べ、バニシングブラスト!」あの四天王グリードを跡形もなく消滅させた魔法だ。最初からフルスロットルで戦うようだ。「私に触れることは誰であろうと許されざる行為だと知れ」ヨハネさんが片腕を払う仕草をすると、アレンさんの魔法は何事もなかったかのように掻き消された。「今のを消すのか……なるほど、使徒というのは格が違うとは聞いていたけどこれほどとはね」アレンさんも苦い表情だ。多少のダメージを与えるどころか魔法がヨハネさんに触れることすらできなかったのだから、当然の反応といえる。「どけ人間!その程度の攻撃では小鳥のさえずりにしか感じんわ!牙城崩落!」今度はシモンさんが全力の一撃を放った。砲撃を思わせるその音に僕は耳を塞ぐ。凶悪なまでの一撃がヨハネさんに襲い掛かるが、やはり相変わらず突っ立ったまま微動だにしない。「シモン、貴様のそれは威力だけなら脅威だ。しかし……直線的すぎると何度も伝えたはずだぞ」ヨハネさんがそう言い終わるや否や目の前に黒い円の空間が生まれた。砲撃と錯覚する程の一撃は黒い円に飲み込まれていき、音すら消えてなくなった。「流石はヨハネ!じゃあこれならどう!?」次に動いたのはアンデレさんだった。周囲に浮かぶ無数の水晶から繰り出されるレーザーは某アニメに出てくるような全方位攻撃だ。流石にこれなら一発くらい掠ってもいいのではないか、そう思っていた僕はまだ考えが甘いことを思い知らされた。ヨハネさんが指を鳴らすと、自身に向かってくるレーザーを歪曲させ一発たりとも被弾す
ヨハネさんの部屋は、真っ白な何も無い空間が広がっていた。距離感も分からない、どれだけ広いかも認識できない上も下も右も左も全てが真っ白だった。「これが……部屋?」むしろ部屋の概念が崩れてしまいそうになるような空間だ。「突然ゾロゾロと現れたかと思えば……何用だペトロ」白い空間に白い服で奥から現れたのは背の高いキリッとした顔付きの男性だった。恐らくあれがヨハネさんなのだろう。「久しいねヨハネ。今日は少し頼みたい事があってね」「頼みたい事?お前の言う頼みとやらは人間をゾロゾロ連れてこなければならないものなのか」「まあそういう事さ。端的に言おう、世界樹へ行く為の許可が欲しい」ヨハネさんにダラダラと説明は必要ないらしい。ペトロさんがただそれだけを伝えるとヨハネさんの顔付きが更に険しいものへと変わった。「世界樹へ行くという意味がお前に分からない訳ではないだろう。何故行かねばならん」「彼が世界樹に用があってね」そう言いながらペトロさんは僕へと視線を移した。当然ヨハネさんの視線も僕へと向く。その目はゴミでも見るかのような眼つきだった。「卑しい人間を世界樹の元に行かせるだと?正気か?」「正気だよ。ただ君が許可をくれないだろうと思ってね、他の使徒も連れてきたって訳さ」ヨハネさんは集まっている面子を一度見回し鼻で笑った。「有象無象が集まった所で私に勝てるとでも?」「勝てば許可をくれるかな?」「ああ、構わん。私に勝てたのなら、な」そういう事か、ペトロさんは普通に許可を出そうとしないヨハネさんを上手く誘導したんだ。数だけなら圧勝できる。
ヨハネさんの治める都市はあまり他の使徒と差異はなかった。ただ、若干の違和感を覚えた。この違和感が何なのかはこの後分かることになる。街を歩いていると遠くの方に視線が動く。すると本来見えないはずのものが視界へと飛び込んできたのだ。雲だ。別に見上げている訳でもないのに、なぜか遠くの方に雲が見える。「もしかして気付いたかな?カナタ君」「えっと……ここって空の上、だったりしますか?」僕がそう言うとアレンさんも驚いたような表情を浮かべた。歩いている感じもフワフワしたような感じはない。「そう、ここは天空に浮かぶ空島なのさ。ヨハネの治める街は全て空の上なんだよ」塔に行く前に寄り道しようとペトロさんの計らいで僕らは島の端まで歩く事になった。島の端は近い距離でもなかったが、本当に浮いているのかどうか知りたい。その興味本位からか誰も反対する者はいなかった。島の端に到着すると、各々足取りはゆっくりになった。「これは……凄い光景だね」アレンさんが立ち止まり驚きと感動が入り混じったような声で視界に広がる景色を眺める。僕らも足を止め眼下を眺めた。視界に入ってきたのは雲と遥か遠くに見える地面だった。本当に天空に浮かぶ大地にいるのだとその時初めて実感できた。「空に浮かぶ大地……これが、神域なのね」ソフィアさんも初めて見た光景に言葉が途切れ途切れになっている。こんな光景は一生見る機会のないものだろう。ファンタジーという感じがして僕は心
「やあ!カナタ、よく眠れたかな?」「はい、ベッドもふかふかでよく眠れました。ありがとうございます」気付けば寝落ちしていたみたいで、朝起きた時にはアカリは既に部屋から居なくなっていた。まあ目を覚まして真横で寝ていたら気まずかったし結果的には良かったよ。一番大きい広間に集まると、みな準備万端なのか装備はしっかりと装着されていた。「使徒との戦いかぁ。流石にボクも初めてだからね、どれだけ善戦できるか」「儂とて長年生きてはおるが使徒との戦闘は初じゃ。魔導の真髄を極めたつもりじゃがそれがどこまで通用するかのぉ」アレンさんとクロウリーさんがいれば心強いが、相手はアレンさんをも一蹴したペトロさんが恐れる使徒。あまり楽観視はできなかった。「人間にあまり期待はしていないけど、あまりに無様な戦いをするようだったら、許可は貰えないと思ってくれよ。私としてはカナタ君が気に入っているからなんとかしてあげたい気持ちはあるが、君達が無様すぎればヨハネも首を縦に振らないだろうから」要はペトロさん達に頼り切りにならないようある程度戦ってみせろということか。正直僕はギガドラさん頼りになるが、これも僕の力としてカウントしてもらえるのだろうか。「ああ、それと。カナタ君、そのギガドラの爪は君の力として扱うといい。彼が君にそれを託した時点でそれは君の力なんだからね」「分かりました。いざという時は使います」ペトロさんがそう言ってくれたお陰で少し気が楽になった。「緊張してきたわね……アカリ、カナタ君を絶対に死なせてはだめよ」「大丈夫フェリス。片時も目を離すつもりはない」アカリが僕を守ってくれるようだが、一度僕は使徒同士の戦いを目にしている。だからたとえアカリが守ってくれていたとしても意味を成さないであろう事は分かっていた。