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五話【居場所】

last update Veröffentlichungsdatum: 09.06.2026 19:00:00

翌朝目を覚ますとカーテンの隙間から薄い朝日が差し込んでいた。

「……ん」

 ぼんやりする頭を押さえながら体を起こす。

 熱は少し下がったみたい。

 でも昨夜の事を思い出した瞬間に顔が熱くなる。

 九条さんに抱き上げられた事。

 額へ触れられた事。

 あの近すぎる距離。

「……何考えてるの私」

 小さく呟いて顔を覆う。

 相手は極道だ。

 怖い人。

 普通なら関わる事すらない世界の人間。

 なのに。

 昨日の九条さんは、どうしようもなく優しかった。

 ――コンコン。

「起きたか」

「は、はい!」

 慌てて返事をするとドアが開く。

 入ってきた九条さんは黒のシャツ姿だった。

 昼間なのに妙に色気がある。

「熱は」

「もう大丈夫です」

「顔見せろ」

 近づいてきた九条さんの手が額へ触れる。

「……っ」

 また心臓が変な音を立てた。

「少しマシか」

「……はい」

 九条さんは短く息を吐く。

「なら飯食え」

「え?」

「食わねぇとまた倒れるぞ」

 テーブルを見るとお粥が置かれていた。

「……九条さんが?」

「榊だ」

「ですよね……」

 少しだけ残念に思ってしまった自分が嫌になる。

 すると九条さんが鼻で笑った。

「なんだその顔」

「べ、別に!」

 慌ててお粥へ視線を落とす。

 その時だった。

 ブブッ――。

 九条さんのスマホが震える。

 少し空気が変わった気がした。

 さっきまで少し柔らかかった表情が、一瞬で冷える。

「……どうした」

 電話へ出た九条さんの声は低かった。

『若頭、動きがありました』

 スピーカー越しに榊さんの声が聞こえる。

『黒蛇会の人間が昨夜、港側の倉庫街へ出入りしていたのを確認しています』

「……確定か」

『ほぼ間違いありません』

 九条さんの目が細くなる。

「圭吾は」

『一緒です』

 空気が凍った。

 私は思わず息を呑む。

「見つかったんですか……?」

 九条さんはこちらを見る。

「あぁ」

 短い返事。

『ただ妙です』

「何がだ」

『黒蛇会にしては警戒が甘い。まるで――』

「わざと見つけさせてるのか」

 榊さんが黙る。

 それだけで答えだった。

 私は不安になって九条さんを見た。

「罠……ですか?」

「十中八九な」

 九条さんは平然と言う。

 でもその目だけは鋭かった。

「黒蛇会は昔からそういうやり方する。餌撒いて食いついた所を潰す」

「じゃあ危ないんじゃ……」

「危なくねぇ抗争なんかねぇよ」

 あまりにも当たり前みたいに言うから、胸が苦しくなる。

 この人はずっとこういう世界で生きてきたんだ。

 血とか裏切りとか。

 命のやり取りとか。

 私とは違う。

「……でも」

 気づけば口が動いていた。

「行くんですよね」

 九条さんは少しだけ笑った。

「行かなきゃ終わらねぇだろ」

 その笑い方が、妙に寂しく見えた。

「お前の元旦那も回収する」

 回収。

 その言葉に私は小さく震える。

 私は捨てられた。

 それでも。一緒にいた時間まで消えるわけじゃない。

 そんな私を見て九条さんが煙草へ火をつけた。

「情でも残ってるか」

「違います……!」

 即座に否定する。

「ただ……」

 うまく言葉が出ない。

 圭吾を許したいわけじゃない。

 戻りたいわけでもない。

 でも。

 誰かが死ぬのは怖かった。

 九条さんは煙を吐く。

「お前、そんなんだからああいう男に利用される」

「……っ」

 反論できなかった。

 圭吾に尽くして。

 我慢して。

 嫌われないように笑って。

 結局、捨てられた。

 その時、再びスマホが震えた。

 今度は榊さんではない。

 九条さんの表情が変わる。

「……誰ですか?」

「港の人間」

 電話へ出る。

「俺だ」

 数秒後。

 九条さんの空気が変わった。

「……は?」

 低い声。

「もう一回言え」

 嫌な予感がした。

『はい。今朝、黒蛇会の車が動きました。ただ――』

 電話の向こうで誰かが言う。

『圭吾って男、一人で逃げだしたみたいです』

「……チッ」

 九条さんが舌打ちする。

『黒蛇会の連中は揉めてました』

「場所は」

『第四倉庫近くの廃ビルです。ただ今はもう誰も居ません』

「わかった」

 九条さんは電話を切ると、静かに立ち上がる。

「榊を呼ぶ」

「……九条さん」

 私の声に足が止まる。

「……行くんですか」

「当たり前だ」

「危ないです」

「今さらだな」

 九条さんはコートを羽織る。

 その背中が遠く感じた。

 怖い。

 この人がどこかへ行ってしまう気がした。

 気づけば私は立ち上がっていた。

「待ってください!」

 九条さんが振り返る。

「……私も行きます」

 一瞬、沈黙。

 そして。

「は?」

 ものすごく低い声が返ってきた。

「正気か」

「だって圭吾の事ですよね……!?」

「だから連れてけねぇんだよ」

 九条さんの声が鋭くなる。

「黒蛇会が絡んでる。遊びじゃねぇ」

「でも……!」

「足手まといになる」

 ハッキリ言われて胸が痛む。

 でも引き下がれなかった。

「それでも……知りたいんです」

 圭吾の事も全部。

 九条さんはしばらく黙っていた。

「……はぁ」

 深くため息を吐く。

「ほんと面倒な女だな」

 でも。

 その声は少しだけ優しかった。

「だが榊と一緒ならだ」

「え……」

「勝手な行動したら縛ってでも帰す」

 私は目を見開く。

「連れてって……くれるんですか」

「勘違いすんな」

 九条さんは私へ近づく。

 そして。

 顎へ指を添えられた。

「お前を視界に入れといた方が安全だからだ」

 低い声。

 近い距離。

「……っ」

 息が止まりそうになる。

 九条さんはそのまま私の顔を覗き込む。

「怖くなったらすぐ俺の後ろに隠れろ」

「……はい」

「絶対一人で動くな」

 真剣な目だった。

 その視線に胸が強く鳴る。

 すると九条さんはふっと笑う。

「泣くなよ」

「泣いてません」

「そんな不安そうな顔して言われてもな」

 九条さんはそんな私を見て、少しだけ優しく目を細めた。

「行くぞ」

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