やっと放課後。十六夜とあたしはスクバを肩にかけ前園記念部活動棟の部室へ急ぐ。と、その前に入ってすぐのカフェテラスで部活で食べる餌を調達。
「おばさん、10円アイス20本」 いつものやつを注文する。袋に「ガリガリーン!」って書いてある。 「それと、ホット・チャイ。シナモンで!」 十六夜が「シナモンで!」を廊下にまで響き渡る大声で注文する。これ言わないとデフォで山椒粉をぶっかけて来るのが辻沢流なのだった。 「山椒嫌いかい?」 カウンターのおばさんが、手にした山椒粉の入れ物をシナモンに持ち替えながらいたずら顔で聞いて来る。 「嫌いではないけど、チャイにはやっぱシナモンでしょ」 何にでも山椒粉をぶっかけるのは山椒が辻沢の特産物なのも理由の一つだが、冬凪が言うには「ヴァンパイア除け」なのだそうだ。辻沢のヴァンパイアは山椒が苦手らしい。 おばさんは十六夜にチャイを出した後、いったん奥に下がってから両手に棒付きアイスの袋をぶら下げて来た。 「あ、山椒抜きですよね」 あたしが肝心なことを言い忘れたことに気が付いて確認すると、 「分かってるよ。はい20本ね。山椒入りも舌がピリピリして美味しいんだけどね」 袋に「ピリピリーン!」って書いてあるやつ。一度試しに食べたけどリピートする気にはならなかった。 片手に5袋ずつアイスキャンディーの袋をつまんでプラプラさせながら、十六夜とあたしは新築の匂いがする真っ白い廊下を歩く。修道院の回廊のように右側に天井近くまである連窓が、左側に黒く重厚な部室の扉が並ぶこの建物は、ヤオマンHDの寄付で今年の春出来たばかりなのだ。その長い廊下の突き当りを左に曲がった一番奥に園芸部はある。園芸部と言っても活動は外で土をいじったり植物を育てたりはしない。部活動のフィールドは仮想世界。自分達でデザインした装飾や背景といったアセット(素材)をメタバースにディストリビュート(配置)する。その中でも辻女の園芸部は日本庭園の生成に定評がある。 扉の前で十六夜が右手のリング端末を翳して鍵を開けて部室に入る。 〈♪ゴリゴリーン 前園十六夜様、お帰りなさい〉 辻沢のいたるところで耳にするあたしが後で食べる分のアイスを冷凍庫に仕舞っている間に、十六夜はブースに近づいて外部端子のマイクに話しかける。 「鈴風、ゼンアミさんはなんて?」 しばらくの沈黙があって、ブースの下部からロックアウト時の排気音がしたかと思うと、中から今目覚めたかのように頭をふりながら鈴風が顔を出した。灰色がかった大きな瞳を十六夜に向け(目の下の隈はあいかわらずだ)、 「順調だそうです。石以外は」 残念そうに言う。 要領を得ないというか、はぐらかされていると言うか。あたしたちが現場に行かないときのゼンアミさんの進捗報告はいつもこれなのだ。 「姫様、石が立ちませぬ。聞き飽きたつーの」 十六夜がゼンアミさんの口調を真似しながら不満げに言いホット・チャイを鈴風に渡した。鈴風はそれを手にすると中を覗き込んだ。山椒でないか確かめたのだ。それを見た十六夜が、 「シナモンだから」 と強めに言うと、 「よっく聞こえてました。シナモンでー!」 と鈴風が大声で叫ぶ真似をしたので、十六夜は、 「聞こえるわけねーし」 ぶすっとして会議机に腰掛ける。ブースに入ってるときは外部とお遮断されるので外の音は聞こえないのだ。 十六夜は以前、山椒アレルギーの鈴風に間違って山椒入りチャイを飲ませてしまったことがある。それを鈴風が毎度いじるのが園芸部でのお約束になっているのだが、十六夜は十六夜で、そういうノリが嫌いではなさそう。 「また枯山水の二の舞か」 十六夜はアイスのビニールを破ると一口でこそいで食べしまい、 「ちっさ、10円だからってちいさすぎだろ」 と手に残った棒を部室の端のごみ箱に放り投げた。その棒は放物線を描いて飛んだ先でゴミ箱用バスケットゴールボードに当たって見事に中に納まる。 「決まった! ブザービーター」 と十六夜が大喜びで叫ぶ。一応拍手する園芸部その他二人。十六夜は同じようにごみクズを蹴り入れた時は、 「決まった! ハットトリック」 と叫ぶ。ブザービーターとハットトリック。十六夜はどちらのことも特殊技名と勘違いしているようだが深くは追及しない。 「あいつは来た?」 十六夜が鈴風に尋ねた。あいつとはプロジェクトのSIer(元請け)、ヤオマンHD社長、伊礼魁(カイ)氏のことだ。 「いいえ。今日はゼンアミさんと配下の庭師の方たちだけ
やっと放課後。十六夜とあたしはスクバを肩にかけ前園記念部活動棟の部室へ急ぐ。と、その前に入ってすぐのカフェテラスで部活で食べる餌を調達。 「おばさん、10円アイス20本」 いつものやつを注文する。袋に「ガリガリーン!」って書いてある。 「それと、ホット・チャイ。シナモンで!」 十六夜が「シナモンで!」を廊下にまで響き渡る大声で注文する。これ言わないとデフォで山椒粉をぶっかけて来るのが辻沢流なのだった。 「山椒嫌いかい?」 カウンターのおばさんが、手にした山椒粉の入れ物をシナモンに持ち替えながらいたずら顔で聞いて来る。 「嫌いではないけど、チャイにはやっぱシナモンでしょ」 何にでも山椒粉をぶっかけるのは山椒が辻沢の特産物なのも理由の一つだが、冬凪が言うには「ヴァンパイア除け」なのだそうだ。辻沢のヴァンパイアは山椒が苦手らしい。 おばさんは十六夜にチャイを出した後、いったん奥に下がってから両手に棒付きアイスの袋をぶら下げて来た。 「あ、山椒抜きですよね」 あたしが肝心なことを言い忘れたことに気が付いて確認すると、 「分かってるよ。はい20本ね。山椒入りも舌がピリピリして美味しいんだけどね」 袋に「ピリピリーン!」って書いてあるやつ。一度試しに食べたけどリピートする気にはならなかった。 片手に5袋ずつアイスキャンディーの袋をつまんでプラプラさせながら、十六夜とあたしは新築の匂いがする真っ白い廊下を歩く。修道院の回廊のように右側に天井近くまである連窓が、左側に黒く重厚な部室の扉が並ぶこの建物は、ヤオマンHDの寄付で今年の春出来たばかりなのだ。その長い廊下の突き当りを左に曲がった一番奥に園芸部はある。園芸部と言っても活動は外で土をいじったり植物を育てたりはしない。部活動のフィールドは仮想世界。自分達でデザインした装飾や背景といったアセット(素材)をメタバースにディストリビュート(配置)する。その中でも辻女の園芸部は日本庭園の生成に定評がある。 扉の前で十六夜が右手のリング端末を翳して鍵を開けて部室に入る。 〈♪ゴリゴリーン 前園十六夜様、お帰りなさい〉 辻沢のいたるところで耳にする
十六夜が見上げた視線の先にあるのは青空のテクスチャーで覆われた天蓋だ。雲の動きもなく風の流れも感じられないただの飾りで味気なさすぎた。これではせっかくあたしたちが配置した園庭までおもちゃのように見えてしまう。 「我が社が責任を持ってリアルな天空をコンストラクトする」 って、ヤオマンHDの伊礼社長はこの間会った時言ってたけども、それ一年以上前から同じこと繰り返してる気がする。 その後も冬凪のレクチャーは続き、話の流れで辻沢のもう一つの鎮守社、志野婦神社へ移動しようとしたところで、 「本日の三年生合同授業はここまでね。藤野さん、いつも詳しい解説ありがとう」 と遊佐先生の一言でクラスの子たちが一斉にロックアウトして楽しいVR郷土探訪の時間はお開きとなった。あたしも操作用の透明なモニターを表示させROCKOUTのアイコンをタップする。すると一瞬目の前が真っ暗になりタイムラグがあって灰色の現実世界(=VR教室)にもどった。強化ガラス製の卵型VRブース、レディーバードエッグ(テントウムシの卵)14がずらっと並んだ階段教室はまるでエイリアンの巣のようだ。 「夏波、あと何分だ?」 隣の十六夜が神のご託宣を待つかのように固く目をつぶって聞いて来たのは、16才以上18才未満に課せられている後期未成人ロックイン制限の残り時間ことだ。あたしのブースのモニターを見ると警告タイムを示す赤い文字で五十六分となっていた。 「あと四分だよ」 十六夜が紺青の瞳を大きく見開いて、 「終わった。今日も部室で茶飲み話だ」 ブースから力なさげに手を出してグーパンチを向けて来る。あたしもそれに合わせてグーパンチ。あたしは部室で十六夜とおしゃべりするのは嫌いじゃない。それは十六夜も一緒で、ロックインできなければできないで楽しい部活動が待っているという意味でのグーパンチだった。 「気分が悪い子は響(ヒビキ)先生にすぐに言うこと。あとからはダメ。それと周りに顔色が悪い子がいたらそれも報告」 遊佐先生が階段教室の出口を示した。そこで白衣の胸に腕組みしてメモボードを支えた校医兼カウンセラーの響カリン先生が片手を挙げる。 「未成人の子は今日はこれ以上ロックインはしないこと。18才になってる初期成人の子はあと三時間あるけどほどほどにね」 遊佐先生のいつものセリフで授業は終了。
今日もまた三年生合同授業はVR(バーチャルリアリティー)郷土探訪だ。メタバース内に構築された神社の狭い境内に辻沢女子高校(辻女)の生徒たちがひしめき合っていて、白の半袖シャツに青リボン、チェックのスカート姿で、多くの子がスカートを短く巻いて裾をふんわり広げる流行りのスタイルをしている。もちろんみんな自己投影型アバターなのだが、どの生足(なまあし)も、太ももフェチがテンションおかしくするほどリアルだった。 「ここ、宮木野(ミヤギノ)神社は辻沢の鎮守社の一つで室町時代の創建ですが、江戸初期に起きたいわゆる夕霧大火によって一旦は焼亡します。その後、辻沢遊郭の遊女や粋客の寄進により江戸中期に再建されたのが現在の社殿になります」 仮想空間の社殿を背にその階に立ち、引率の遊佐(ユサ)セイラ先生を差し置いて解説しているのは冬凪(フユナギ)だった。 「夏波(ナツナミ)、お前の妹なんとかしろ」 かたや、境内に溢れかえる女子高生たちの一番後ろであたしと並んでイライラを募らせているのは園芸部仲間の前園十六夜(イザヨイ)だ。青メッシュ入りの黒髪を胸元に巻き下ろし血のように赤い唇をしている。 「こらえてあげて。ここも冬凪のフィールドだから」 となだめはしたが十六夜の気持ちも痛いほど分かった。だって、ここの園庭はあたしたち園芸部の産物で去年の夏にさんざん通った現場だったから。 「こんなの流せば5分で終わるのに冬凪のおかげで30分は無駄にしてる。また部活、ゼンアミさんに進捗すら聞けないよ」 十六夜の言う通り、ここのところ部活の作業は庭師のゼンアミさんに任せきりで、あたしたちが現場に行かれたのは数えるほどしかない。 「そもそも、なんでこの授業は毎回ロックインしなきゃなんない?」 十六夜の怒りの矛先が授業形態に飛び火する。 たしかに郷土探訪というのならヴァーチャルでする必要はないと思う。実物の宮木野神社は学校からすぐ近くなのだから歩いて見学しに行けばいいことなのだ。 「こちらにある石碑に祭神である遊女宮木野の来歴が記されています」 冬凪がモーセのようにJKの海を割って境内の反対側まで移動し、その小柄な身長の3倍はある石碑の前
気づくと夏祭りの境内にいた。夜空に真ん丸の月が出てたから潮時(しおどき)の閾(しきい)の時間帯で意識はまだボクと「あたし」との端境(はざかい)を彷徨っていたんだと思う。そうでなければあんな危険な存在に魅了されたりしなかったはずだから。 志野婦(シノブ)神社の参道は夜店が並んで提灯の明かりに頬を染めた人たちが行き来していた。ボクはママのおさがりの浴衣を着て、金魚すくい屋の青いドブ漬けの前にしゃがみ、子供たちが和金や琉金、出目金をポイで器用に掬う様子を、露天商のおじさんが「ねえさんもどうだい」というのを断って眺めていた。 そこへ夜風に乗って甘い香りが漂ってきた。それは季節がら嗅ぎなれたものとは別して甘い甘いクチナシの香りだった。ボクは立ち上がり、妖艶な刺激に誘われるまま参道裏の杜の奥へと分け入った。杜の中は月の光も射し込まずほの暗かったが道はぼんやりと浮き上がって見えていた。それはクチナシの白い花びらが地面に敷き詰められていたからで、ボクはその花びらを踏んでさらに杜の奥へと進んで行った。 甘い香りが立ち込める純白の道をしばらく行くと、小高い舞台のような場所があって月光が天から真っ直ぐ差していた。それはまるで月まで届く巨大樹が生えているよう。その光の中には白馬に乗った白装束の人がさやけき姿で照らされていて、まるで咎人のように輪になった荒縄を首にかけ後ろ手に縛られていたのだった。 何故だかボクはその人のことを大昔から知っている気がしてきて、そうしてずっと待っていてくれたのだと胸を詰まらせ近づいて行った。月影目映い舞台に上がり側まで歩み寄ると、その人は手が不自由なはずなのにボクを馬の背に引き上げてくれ横抱きにし、ボクの顎に氷のような指先を添え微笑んだ。その顔は月の光で乳白色に輝き、なにより美しかった。まさにクチナシの精のような人だった。 その時ボクは、その腕に抱かれたまま愉楽の園に連れて行かれたい、その煌めく銀色の牙でボクの穢れた喉笛を食い破り、迸る真紅の玉の緒を吸いつくしてほしい、そう心の底から願った。 突然、体に鋼鉄の大玉がぶつかったような衝撃が走った。勢いでボクは月光咎人の手から月光の舞台に転げ落ちた。「逃げるよ!」 鋼鉄の大玉かと思ったものは人で、転がるボクの手を取って走り出した。引っ張られてボクも走り出す。その速さは浴衣の裾をからげてもついて
「Am I out of my head? あたし、頭おかしい?Am I out of my mind? 気持ちバグってる?If you only knew the bad things I like ヤバいの無理ってなってたけどDon't think that I can explain it やっぱサイコーなんてよう言わんWhat can I say, it's complicated あたしってば、まじカオス。知らんけど」<Machine Gun Kelly, Camila Cabello:Bad Things[SMP]Fastball:Out of My Head>(マシンガン・ケリー、カミラ・カベロ:バッド・スィングス[SMP]ファストボール:アウト オブ マイ ヘッド)「次世代に残さないカルマ 今開く栄光(えいこう)のchapter」<Awich:Queendom>(エイウイッチ:クイーンダム) 真夜中に、保土ヶ谷(ほどがや)の海岸から、海を渡って亜米利加(アメリカ)まで続いているという「ベイブリッジ」を、常時オーバードーズな喜多さんが一人渡りながら「闇の中に浮かぶ冷たい塊 なんだか