تسجيل الدخول洵には、天音が何を考えているのかわからない。それでも理解しようとはしている。しかし結局、彼女は感情を軽く見ているからこそ、人の気持ちまで平気で踏みにじれるのだと洵には思えてならない。天音はたしかに率直で、好きなら好きだとまっすぐ口にできる。けれど、そういう態度であればあるほど、洵にはわからなくなる。天音の言葉のどこまでが本当で、どこからが嘘なのか。天音は何だって取り繕える。最初だって、復讐のために嫌悪を押し殺してまで自分に近づいてきた。洵は無意識に拳を握りしめた。何も返すことができない。その態度だけで、天音には十分わかった。ひどく頭が痛んだ。体が痛ければ、それだけで少しはまぎれる。心の痛みをまともに受け止めずに済む。感情を引き裂かれるような苦しさより、いっそ身体の痛みのほうがまだ耐えやすかった。どれだけ足掻いても、どうしても引き留められない相手がいる。そう思い知らされるときに押し寄せてくるのは、無力感だけではない。もっと深い絶望が、容赦なく胸の奥まで満ちていく。天音はこれまで、何もかも思いどおりになるような人生を生きてきた。だからこそ、初めて自分の望みどおりにならない相手に出会ったとき、それを受け入れることがどうしてもできない。もちろん、誰かが自分の想いに応え、自分の望むように振る舞うべき理由などそもそもどこにもない。それが当たり前で、それこそが普通なのだ。けれど、それがどうしようもなく苦しい。天音には、それをどうしても受け入れたくない。ただ洵に、自分の望むとおりの形で応えてほしい。けれど現実は、彼女の願った通りにはならなかった。どれほど苦しくても、その痛みを相手にそのままわかってもらえるわけではない。あれほど低い姿勢で洵を引き留めようとしただけでも、天音にとっては精一杯の譲歩だった。これ以上、泣いて縋るような真似はしない。惨めに哀れみを乞うなど、天音には死んでもできない。そして彼女は、洵に最後の機会を与えることにした。「誕生日、私も行きたい」洵は長く黙り込んだあと、ようやく口を開いた。「……まだ、そんな必要あるのか」今度は天音のほうが先にその場を去った。洵は、天音が立ち去っていった方を、いつまでも見つめている。やがてその表情は、少しずつ苦しげに歪んでいく。彼女に近づけば、苦しい
天音はぎゅっと拳を握りしめた。「まさか、千遥のことを本気で好きなんじゃないでしょうね?」洵は奥歯を噛みしめた。「俺が誰を好きだろうと嫌おうと、あなたには関係ない。これ以上、俺の仕事にも私生活にもいちいち口を出すな……まだわからないのか、あなたのこと、本当に嫌いなんだ」その言葉は、天音の胸を真っ向からえぐった。傷つけられた分だけ、相手も同じように傷つけてやりたい――そんな思いしか湧いてこない。「洵、前にも言ったでしょう。これからもずっと、あなたをうんざりさせ続けるって。あなたのそばに取り憑いて、あなたの苦しみは全部私のせいであってほしいって。今はただ自分で口にしたことを実行してるだけ。そんなに大げさに騒ぐことはないでしょ」「あなた……」天音はもう完全に我を失っている。「脅したって無駄よ。千遥にバラを送ったところ、この目でちゃんと見たんだから。言っとくけど、これから先、千遥にはあまり近づかないことね。あの子の人生を壊すくらい平気でできる。千遥の仕事が駄目になったら、それは全部あなたのせいよ。もちろん、あなたのことだって許さない。もし千遥のことが好きにでもなったら、絶対に許さない。あなたは私のもの。誰かのことが好きになるなんて、絶対許せない」洵は怒りに言葉を失った。天音が何をしようと、自分に向けられるだけならまだ耐えられる。これまでもそうしてきた。だが、自分のせいで他人まで巻き込まれるとなれば、それだけは絶対に耐えられない。しかも天音は、そういう理不尽を本当にやりかねない女だ。あのバラの花束は、千遥の友人が届けに来たもので、洵はただ渡してほしいと頼まれただけだ。花束そのものに、彼自身は何の関係もない。だが洵は、そのことを天音に説明する気にはなれない。説明したところで、天音に歩み寄るみたいで癪だからだ。天音が強引に迫ってくれば来るほど、威圧的に押してくれば来るほど、洵はますます応じる気をなくしていく。結局その日も、二人はまた最悪の形で言い争いを終えた。顔を合わせれば喧嘩になる。どんな関係であれ、顔を合わせるたびにぶつかってばかりでは、心まで離れていくのも無理はない。そのことを、天音は誰よりも痛いほど思い知らされている。ホテルを出て車に乗り込んだときには、彼女は怒りで体が震えている。圧
莉央は千遥の顔をうかがい、今にも泣き出しそうになりながら、ますますおずおずと答えた。「ホテルに備え付けのものです……」「ホテルの備品なんて、何人使ったか分からないでしょう。汚そうだし。今すぐ隅から隅まで洗うか、新しいコーヒーメーカーを買ってくるか、どっちかにして。でないと、飲む気になれないわ」千遥はさすがに顔をこわばらせた。天音は相変わらず、まるでここが自分の部屋であるかのように気ままで、むしろ自分こそがこの場の主人だと言わんばかりの様子だ。一方、ここに泊まっているはずの千遥のほうが、ひどく居心地悪そうに身を縮こまらせ、天音の顔色をうかがっている。だが、そんな息の詰まるような空気は長くは続かなかった。千遥のスマホが鳴ったからだ。天音が目で合図すると、ボディガードがすぐに近づき、千遥のスマホを取り上げた。天音が聞いた。「誰から?」ボディガードが画面を見て答えた。「洵様です」その瞬間、天音はふっと冷たく笑った。「千遥、電話に出て。私がここにいるって、そのまま洵に伝えなさい」千遥は瞬時に見極めた。天音が洵を目当てにここへ来たことはもう間違いない。二人のあいだに何らかの因縁があるのだろう。余計なことさえしなければ、巻き込まれずに済む可能性は高い。たしかに千遥は洵に好意を抱いている。けれど、それ以上に大事なのは自分の仕事と立場だ。敵に回してはいけない相手を怒らせるなど、絶対に避けたい。千遥はすぐ天音の言うとおりにした。電話に出ると、洵はあとどれくらいかかるのかと尋ねてきた。千遥はそれに、「まだホテルにいます。天音さんが会いに来てくれて、少しお話ししているところなんです」と答えた。そのあと洵が何か言い、千遥は短く、「分かりました」と返して電話を切った。天音はわずかに首を傾げ、どこか気の抜けたような口ぶりで尋ねた。「洵、なんて言ってたの?」「こっちに来るそうです」その瞬間、天音の手が無意識にきゅっと強く握られた。洵は本当に千遥を気にかけているのだ。だからこんなにも早く、真っ先に駆けつけようとしているのか。天音はそれ以上何も言わなかった。ただ洵が来るのを待つだけだった。けれど、彼女の纏う雰囲気はみるみるうちに暗く沈んでいった。千遥も隣の莉央も、その変化をはっきり感じ取った。二人と
女の勘はよく当たるものだ。天音がここへ来たのは、きっと洵絡みだ――千遥はそう直感している。正直に言えば、千遥は洵にかなりの好感を抱いている。芸能界で知り合う男たちとは、彼はまるで違う。何よりも貴重なのは、その落ち着きと誠実さだ。年齢以上に大人びていて、接していると、この人は本当にいい人なんだと素直に思える。今どき、「いい人」であること自体がどれほど貴重なことか。芸能界で出会う男たちは、誰も彼も見た目はいいし、こちらを見る目も信じられないほど甘い。まるで本気でじ分に好意を寄せているように見える。けれど、実際は誰にでも同じなのだ。そこにあるのは作り物の愛想と仮面ばかりで、千遥は心から信じられる相手にほとんど出会ったことがない。その点、洵は何をしていても態度に偽りがない。取り繕っているのではなく、本心からそうしているのだと伝わってくる。それだけでも十分すぎるほど惹かれる理由になった。しかも、才能も容姿も、芸能界の男たちと比べても頭ひとつ抜けている。今では成功した起業家でもある。千遥が洵に好感を抱くのも無理はない。一緒にいるのも楽しく、もっと親しくなってみたいと思っている。千遥はそれとなく探りも入れていた。洵は独身で、これまで誰かと付き合ったこともないらしい。恋愛経験はまっさら――それもまた彼の魅力をさらに引き立てている。だからこそ、もう少し踏み込んで関わってみたいと思っているし、もしかしたら、自分たちのあいだに何かしらの進展があるかもしれない――そんな期待もある。千遥は洵の前ではやや積極的であるが、媚びを感じさせるような振る舞いはしなかった。あくまで自然に、相手に気を遣わせない距離感を守っていたつもりだ。それなのに今、自分はこうして部屋まで押しかけられている。しかも莉央が招き入れたのではなく、相手は勝手に踏み込んできたのだ。背後に控えた屈強なボディガードの圧も相当なものだ。千遥は胸の奥で警戒感を強めながらも、余計なことは言わず、天音の出方をうかがった。天音は昔から、人を痛めつけるときに男女の区別をしない。気に障れば、相手が誰であろうと容赦しない。もっとも、男に対してのほうがさらに手厳しいのだが。天音は千遥を頭の先からつま先まで眺めた。女優としてやっていけるような女はたいていそれなりに整った容姿をしている。男という生き
洵の会社では、社長がどこかの裕福な令嬢にしつこく付きまとわれている、という話が半ば本気で囁かれている。毎日のように大量の差し入れが届き、それが社員全員に配られるうえ、洵の分だけはひと目で特別だと分かるものだからだ。天音は洵の前にあからさまには姿を見せなかった。ただ、人の少ないときを見計らって、ふいに彼の視界に入るだけだ。けれど洵は、いつも見えていないかのように彼女を無視した。そんなふうにして、一週間が過ぎた。ある日、洵は広告撮影の進み具合を確認するため、スタジオへ顔を出した。天音もあとをつけたが、中へ入るつもりはない。入ろうと思えば、誰にも止められない。けれど、そこまで事を荒立てる気はないのだ。彼女は車の中でコーヒーを飲みながら、肘を窓枠に預け、気ままに外を眺めていた。洵がいつ堪えきれなくなって、もう一度自分と真正面からぶつかってくるのか――天音はそれを少し楽しみにしている。誰だって、つきまとわれればうんざりするはずだ。そして天音には、今日こそがその日だという強い直感がある。洵は現場を訪れ、広告に出演している千遥と悠真にそれぞれ花束を持ってきた。千遥に渡したそれは、彼女の好みに合わせたピンクのバラを白いリボンで飾り、メッセージカードまで添えた、いかにも特別扱いと分かるものだ。その花束を、洵は自分の手で千遥に差し出した。天音はふいに口元を歪めた。さっきまで飲めているはずのコーヒーが、急にどうしようもなく苦く感じられる。本当は、こんなふうに取り乱すつもりはなかった。けれど、彼女の支配欲はあまりにも強すぎる。洵のそばに誰かがいることが許せない。相手が男でも女でも、天音には耐えられない。それなのに、千遥にバラまで贈るなんて。最悪だ。洵は一度だって、自分にバラを贈ったことなどない。メッセージカードを書いてくれたことだってない。天音はルームミラーに映る自分の顔を見た。不思議なことに、その表情は驚くほど落ち着いている。狂気が深くなるほど、かえって人は冷静に見えるものなのだろうか。そんな自分を、天音は嫌いではない。むしろ、ますます異常になっていく自分を少し気に入っている。桜に調べさせたところによれば、千遥は今日、K市へ出張に来ており、撮影が終わったあと、ホテルに戻って着替え、食事会に出る予定だという。―
結局、竜紀が来るより前に、天音はとっくにそこを後にしていた。ベルト一本で、彼女を縛っておけるはずもない。洵に連れ出されたときには、すでに彼女のボディガードが後をつけていた。天音が何の反応も見せなかったため、彼らもあえて前に出ようとはしなかった。洵に縛られたあとは、天音にももう彼と騒ぐだけの気力は残っていなかった。一つは、単純に暴れて疲れたから。もう一つは、気分が最悪だったからだ。洵の拒絶はあまりにも分かりやすく、さすがの天音も自分をごまかせなかった。G市から戻ってきて、彼女は一日置いてから洵に会いに行った。いつもの彼女なら、飛行機を降りたその足で真っ先に彼のもとへ向かっていただろう。自分の望みはすぐにでも叶えたい。ずっとそうして生きてきた。だが今回は違う。心の奥に巣食う恐れが彼女をためらわせた。行ったところで、また何も得られずに終わるのではないか――そんな不安が拭えなかったのだ。彼女は一日耐え、一日中ひとりで思い悩んだ。こんなふうに気持ちをすり減らすのがこれほど苦しいものだなんて天音は初めて知った。頭の中はずっと一人の男でいっぱいで、こうしても駄目、ああしても駄目と考えてばかりで、何ひとつ糸口が見つからない。苛立ちで、ろくに眠れもしなかった。それでも救いだったのは、彼女に立ち止まったまま諦める弱さがなかったことだ。会いたければ、会いに行く。それだけだ。実際に洵の顔を見た瞬間、天音は思い知った。思い悩んでいたあいだも、結局ずっと彼のことを考えていた。自分の気持ちをはっきり自覚するたび、天音は人間という生き物がひどく気味悪く思える。まだ進化しきれていない半端な生き物。自分の意志でどうにもならず、本能に振り回されて誰かを好きになってしまう。そんなことで自分らしさを失い、感情まで他人ひとりにかき乱されるなんて、あまりにも危うい。どうして自分が、こんな大きな損をしなければならないのか。部屋を出るころには、天音の気分はどん底まで落ちていた。腹立ちまぎれに家中のガラス製品をいくつも叩き割り、室内は無残に散らかった。洵が買ってくれた薬も、容赦なくゴミ箱へ放り込んだ。それから乱暴にドアを閉めて、そのまま出て行った。運転手に郊外の別荘まで送らせると、今度は自分でスポーツカーを出し、私設のサーキットを深夜まで何周も、何周も走り続けた。
霞は既に注文を終え、メニューを置いてから気にせずお茶を一口飲んだ。「彼女もA大学だったわよね。コンピュータ専攻だったはず」これは継母から聞いた話だ。霞と違って月子は大学では至って平凡で、優秀な卒業生とは程遠かったらしい。颯太はひどく驚いた。「彼女、A大学だったのか?」入学するには最低でも偏差値67.5以上が必要だ。月子ってそんなに頭が良かったのか?コンピュータ系の学科はさらに高い点数が必要になるはずだ――これは彼が採用面接の時に知ったことだ。颯太は眉をひそめて静真に尋ねた。「知ってたか?」静真は月子について尋ねたことは一度もなかった。正雄から一度か二度話を聞いた程度だ。
昼食後、隼人から彼女に任務が言い渡された。インテリアショップへ行き、彼が購入したカップを受け取り、自宅まで届けるというものだ。ドアロックのパスワードはラインで送られてきた。食事中、3人はプライベートのラインを交換した。もちろん、これは修也の提案だ。月子の方から隼人の連絡先を聞く勇気はなかった。インテリアショップは海外の有名ブランドで、2つのカップの価格を公式サイト上で調べると200万円近くになった。だから、店員がすでに丁寧にプチプチで何重にも包んでくれていたにもかかわらず、月子は慎重にショッピングバッグを受け取った。彼女が振り返ると、天音と数人の友人がちょうど向かってきた。世の
彩乃は質問した後、「ああ」と一声言って電話を切った。月子は彼女の反応に首を傾げた。「誰だったの?」「名前は言わなかったわ。直接会って紹介したいって」彩乃は冴えない表情で、少し不機嫌そうに言った。「もったいぶってるの?名前も明かさないなんて」月子は少し考えてから言った。「もしかしたら、サプライズを仕掛けようとしてるのかも」彩乃は納得したかのように言った。「その言い分、受け入れよう。相手が月子をパワーアップした上位版なら、本当に驚いて喜んじゃうけど、そうでなかったら、ただの気取り屋ってことね」そう言われ、月子は黙り込んだ。彩乃は再びエンジンをかけた。「土曜日の約束、忘れ
月子は「妊娠」の二文字を聞いて、心臓がドキッと縮んだ。流産は、この三年間の愛のない結婚生活の中で最も辛い経験だった。それを彩乃にすら伝えていなかったのは、知ってる人が少なければ少ない方がいいと思ったからだ。天音に不意に傷を抉られ、月子は体の横に垂らした指がかすかに震えているのに気づいた。天音はそんな細かいことには全く気づいていない様子で言った。「でも、あなたの性格は私が一番よく知ってるわ。妊娠でもしたら、世界中に言いふらしたくなるタイプでしょ。子供を盾に入江家の奥様の座を守れるんだから。本当に妊娠してたら、一秒だって隠しておけないはずよ」以前、天音は子供が産めないことを散々月子







