LOGIN私、東雲千夏(しののめちなつ)の彼氏である一条湊(いちじょうみなと)は社長で、昔から優秀な人間にしか興味を示さない男だった。それなのに、使えないインターンの月島心春(つきしまこはる)を、なぜか大事に手元に置いていた。 理由は、彼が私を失うことを何より恐れていたからだ。健康診断で心春と私が同じ希少な血液型だと知った彼は、いつか私に何かあったときのために、彼女を血液の保険として手元に置いた。 湊は心春のために料理を作り、旅行にも連れて行った。手作りの贈り物まで用意して、何かにつけて彼女を気にかけていた。 それでも彼は、全部私のためだと言った。 けれど私が交通事故に遭ったとき、湊は遠方の病院から血液を取り寄せ、心春には輸血させなかった。 心春は風邪をひいていた。万が一、血を通して私に何か移ったら困るから、と彼は言った。 その翌日、心春に腎不全が見つかると、湊は私に薬を飲ませて意識を奪い、無理やり手術室へ運び込んだ。 私の腎臓を、心春に移植するために。 彼はいつものように優しい声で言った。 「心春は、最後の保険なんだ。健康でいてもらわなきゃ困る。いざというとき、君の命を救えるのは彼女だけなんだから、ちょっとした病気や怪我で頼るわけにはいかないだろう。君に腎臓を出してもらったのも、全部、君の将来のためだよ。変に考え込ませたくなかったんだ。手術が終わったら、俺は君と結婚する」 けれど彼は知らなかった。 私はもともと白血病の中期だった。腎臓を提供したことで、病状は一気に進んでしまった。もう長くは生きられない。 彼と結婚することは、もう叶わなかった。
View More湊は、まばたきすらできなかった。遺体搬送のスタッフが私を運び出していく映像を、ただ見つめていた。すべてを見終えると、医師はため息をついた。「一条さん、これでご納得いただけましたか。当院は本当に、不正な請求などしておりません」その瞬間、湊は何かを思い出したように、私が生前入院していた病室へ駆け込んだ。病室には、すでに別の患者が入っていた。湊が引き出しを乱暴に開けて探り始めると、患者は驚いた顔で声を上げた。「誰ですか、あなた!」湊にはもう、以前のような冷静さはなかった。目を真っ赤にして、声を荒らげた。「薬はどこだ!」そこへ患者の家族が入ってきた。取り乱した湊を見るなり、患者を背後にかばい、怒鳴った。「何なんですか、あなた!何をするつもりですか!」「薬はどこだ……」湊は正気を失ったように、同じ言葉を繰り返すことしかできなかった。家族は「ああ」と思い出したように声を上げ、ポケットから白い薬の瓶を取り出して床に放った。「あんた、前にここに入ってた人の家族?痛み止め一つくらいで騒がないでくださいよ。大した金額でもないでしょうに、そんな立派な格好して、ずいぶんケチなんですね」薬の瓶が、湊の足元へ転がった。彼はそれを拾い上げた。次の瞬間、湊の目から涙がこぼれた。「本当だったんだ……」私は、湊が魂を抜かれたように自宅へ戻り、丸一日閉じこもるのを見ていた。一睡もしていない彼の前に、心春が媚びるような笑みを浮かべて現れた。湊は何も言わず、彼女の頬を叩いた。「誰か、この女を連れていけ」心春は目を見開き、湊の足元にすがりついた。「湊さん、私が何をしたっていうの?」湊は少しの情けも見せず、彼女を階段から蹴り落とした。心春が額から血を流しても、その目は少しも揺れなかった。「心春、お前が千夏を殺したんだ。お前は最初から、千夏のための血液の保険でしかなかった。千夏がいなくなった今、お前を生かしておく意味がどこにある?」心春の目に恐怖が広がった。彼女が何か言うより先に、湊は鞭を取り出した。999回。彼は心春を打ち続けた。最初のうち、心春は泣き叫び、床に額をこすりつけて許しを乞うていた。けれど最後には、もう声すら出せなくなっていた。それから湊は、大型犬を連れてこ
看護師が保管庫を開けると、中は空だった。看護師の顔から、さっと血の気が引いた。「何かの手違いかもしれません。すぐに記録を確認してまいります」けれど湊は、そこでようやく息をついた。心春も、それにつられるようにほっとした顔をした。湊は腕を組み、医師の説明を冷ややかに聞いていた。「東雲さんは、ご本人が手配されていた葬儀社の方に引き取られました。つい先ほどのことです。信じられないのでしたら、防犯カメラを確認していただいて構いません」「もういい。芝居はやめろ。千夏に伝えろ。二日後、結婚式は予定どおり行う。彼女が来なければ、俺は心春と結婚する」湊は医師の言葉を乱暴に遮った。心春は喜びを隠しきれない顔をして、危うく声を出して笑いそうになっていた。二日後、私はやはり現れなかった。湊も嘘はつかなかった。本当に心春の手を引いて壇上に上がり、彼女と結婚式を挙げた。ただ、指輪をはめるときだけ、彼の手はなぜか震えていた。どうしても、心春の指に指輪を通すことができなかった。参列者たちは誰も、新婦が途中で入れ替わるなど思ってもいなかった。戸惑いながらも、どうにか祝福の言葉を贈った。招待客がすべて帰っても、私の姿はどこにもなかった。湊は身支度を直してくると言った。けれど控室に入ると、彼はただぼんやりと立ち尽くした。やがて、彼はスマホを取り出し、珍しく弱気なメッセージを私に送った。【もういいよ、千夏。隠れるのはやめてくれ。出てきてくれたら、すぐに君と入籍する。だから、な?】私は少し呆気にとられた。彼は本当に、私と入籍する気になったのだろうか。今はもう、入籍しようとするたびに心春に悪いことが起きる、なんて思わないのだろうか。湊は心春に何か話があるようだった。けれど思いがけず、彼女が感情をむき出しにして誰かと電話している場面に出くわした。「まだ私から金をせびるつもり?一条湊が私と結婚したって知らないの?これから一条グループは私のものなのよ。あなたに渡した2000万円じゃ、まだ足りないっていうの?」かつて湊の前で優しく、無邪気でか弱そうに振る舞っていた女は、今や目に凶暴な光を宿し、口調まで下品になっていた。電話の向こうから、軽い笑い声が聞こえた。それは、湊の専属医の声だった。「お前は東雲
スタッフは引きつった笑みを浮かべた。「一条社長、せっかく落札いただいたお品ですので……お支払いはカードでよろしいでしょうか」湊は唇の端を上げ、適当に一枚のカードを差し出した。すると、決済端末に表示が出た。「残高不足です」湊は肩をすくめた。「すみません、残高が足りないようです。今回はキャンセルということで」そばにいた心春は、笑いをこらえるのに必死だった。それでもわざと心配そうな顔を作り、湊の袖を軽く引いた。「そんなことをしたら、千夏さんが怒るよ」湊は冷たく鼻を鳴らした。「千夏に、俺との別れを決める資格なんてない。俺から離れたら、彼女には何も残らない」私は怒りに満ちた彼の横顔を呆然と見つめ、やがてうつむいて苦笑した。なるほど。湊がわざわざこんな茶番を仕組んだのは、私を辱めるためだったのだ。自分がどれほど惨めな立場なのか、私に思い知らせるために。湊があんな態度を取ったせいで、会場の誰もそれ以上値をつけようとはしなかった。彼の機嫌を損ねることを恐れたのだ。ただ一人、空気を読めなかった小さな会社の社長だけが、200万円で落札した。その社長は、懐中時計を手に取ると、大事そうに胸ポケットへしまった。私はその場で固まった。その社長は、幼なじみの鳴海悠斗(なるみゆうと)だった。中学のころ、彼は引っ越していき、それきり音信不通になった。まさかこんな形で再会することになるとは、思いもしなかった。やがて、宴はお開きになった。湊の視線は、何度も悠斗へ向かっていた。駐車場へ向かう途中、とうとう我慢できなくなったのか、彼は悠斗の前に立ちはだかった。「壊れた時計に200万円も出す価値があるのか?」悠斗は一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。「ありますよ。この時計、大切な人が持っていたものによく似ているんです。彼女に渡したら、喜んでくれるかもしれないので」悠斗の目に宿った光に、湊はひどく苛立ったようだった。彼は冷たい声で尋ねた。「東雲千夏を知っているのか?」「ええ。子どものころ、俺たちは近所に住んでいて……」「2000万円だ。返せ」湊は乱暴に彼の言葉を遮り、その場で小切手を切ると、悠斗の胸ポケットから懐中時計を奪おうとした。二人の言い争いに、人々が集まり始めた。
駆け寄って奪い返そうとしても、見えない力に引き戻されてしまう。その日、湊が壊れた懐中時計をチャリティーオークションに出すという話は、あっという間に財界の知り合いたちの間に広まった。湊がわざわざ出す品なら、何か特別な由来があるのではないか。そう思った人たちは、骨董に詳しい人物に写真を見せた。もしかして、かなり価値のある名品なのではないか、と。写真を見た専門家は、なんとも言えない顔をした。その夜、湊は心春を連れてチャリティーパーティーに出席した。湊の視線は何度も会場を巡った。けれど、最後まで私の姿は見つからず、彼の表情は次第に険しくなっていった。周囲の人たちが、何気なく湊に尋ねた。「一条社長、今日はまた月島さんとご一緒なんですね。東雲さんは?」湊は淡々と答えた。「体調を崩していて、病院で休んでいます」周囲の人たちは顔を見合わせ、それから湊を持ち上げるように言った。「そういえば、数日前に東雲さんが事故に遭われたと聞きましたよ。わざわざ二日も付き添われたそうですね。あれほど大事にされているなんて、本当に羨ましいです。結婚式はいつですか?ぜひ呼んでくださいよ」その言葉に、湊の目にようやくわずかな感情が浮かんだ。口元がかすかに上がった。「もうすぐです」隣にいた心春は、誰からも相手にされず、悔しそうに唇を噛んでいた。やがて、見せつけるように湊の手を取って指を絡めた。「湊さん、少しめまいがするの。休憩に付き合ってくれる?」湊はうなずいた。二人の背後で、周囲の人たちが小声で囁き合った。「月島心春って子、何なんだ?まさか本気で奥さまの座を狙ってるのか?」「さすがにそれはないだろう。一条社長が東雲さんをどれだけ大事にしていたか、みんな知ってるじゃないか。前に東雲さんに酒を一杯飲ませただけで、相手の会社に相当な痛手を負わせたって話だぞ」以前なら、湊はとっくに皆の前で私との関係をはっきり示し、余計なことを言うなと釘を刺していたはずだった。けれど今は、私について何を言われても、湊は聞こえないふりをした。30分後、チャリティーオークションが始まった。心春が少しでも気に入ったものは、湊がすべて高値で落札した。そのたびに、心春はわざと周囲に聞こえる声で言った。「湊さん、私に優しすぎるよ
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