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17:断罪と没落

last update Last Updated: 2025-09-09 19:20:32

 リーンハルト王国が国境付近に設置した難民キャンプは、故郷を追われたダナハイムの民で溢れかえっていた。

 マリアンヌは聖女としてではなく、一人の指導者として、ヘンリーと共にその地を訪れていた。自ら温かい粥を配り、怯える子供を抱きしめ、絶望にくれる人々の話を静かに聞いた。その慈悲深い姿に、当初は「国を捨てた聖女」と遠巻きに見ていた難民たちの心も、次第に解けていく。

 やがて元ダナハイム王都の衛兵や侍女だった者たちが、堰を切ったように真実を語り始めた。

「アニエス様を聖女に立てた儀式は、惨めなものでした。何の奇跡も起きず、民の怒号が響くばかりで」

「あの大爆発の後……」

 言葉を詰まらせたのは、かつてガルニエ侯爵家に仕えていたという若い侍女だった。彼女は涙ながらに、アニエスの末路を告白した。

「アニエス様は、一命はとりとめましたが、もはや人形のようでございます。動くこともお話しすることもできず、ただ、虚ろに天井を見つめるだけで……」

 侍女は唇を噛み締め、絞り出すように続けた。

「ジュリアス王太子殿下は、そんなアニエス様を一瞥すると、『もはや何の役にも立たぬ、ただのガラクタだ』と吐き捨て……それきり、一度もお見舞いにさえいらっしゃいません……」

 マリアンヌは静かに目を閉じた。ジュリアスの冷酷非道な本性は、彼女の予想よりもずっと酷かった。聖女の座をちらつかせてアニエスを利用し、彼女が再起不能と見るや、何の躊躇もなく切り捨てたのだ。

 今さら妹に同情するわけではない。アニエスはマリアンヌをずっと憎んで、虐げ続けてきた。マリアンヌを追い落とした際の歪んだ笑みは、今でも心を突き刺す思い出として残っている。

 だが、一度は婚約者として寄り添った相手に切り捨てられる悲しみは、マリアンヌが一番良く分かっている。胸に湧き上がる複雑な感情を、押し殺した。

 せめて父ガルニエ侯爵が家族の情を持ち続けて、アニエスを看病するように祈った。

 マリエンヌには与えられなかった情で。

 難民たちの証言を受

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     ジュリアスがダナハイム王国へ送還されてから数日、離宮の庭には穏やかな時間が流れていた。過去のしがらみから完全に解放されて、マリアンヌの心はようやく真の安らぎを見出していた。 だが、その平和はかりそめのものだった。ヘンリーがもたらす報告は日増しに深刻さを増していく。ダナハイム王国から溢れ出した瘴気は国土の大半を汚染した。影響は国境を越え、隣接する諸国の土地さえも蝕み始めていた。世界の精霊たちが、確実に弱っているのだ。「国境を封鎖していても、瘴気の侵食は止められない。厄災の根源……あの精霊たちの悲しみを癒さない限り、いずれこの世界そのものが飲み込まれてしまうだろう」 ヘンリーの言葉に、マリアンヌは頷いた。 書庫にマリアンヌ、ヘンリー、ルナが集まる。大きな机には、ヘンリーの祖先が遺した古地図や文献が広げられていた。 ルナがうず高く積まれた書物の上から、戦いの方針を告げる。「いい? 厄災は力でねじ伏せるものじゃない。あれは悲しみの塊なのよ。あたしたちがやるべきなのは、戦いじゃなくて『救済』。それを行えるのは、世界でただ一つの『聖地』だけよ」 ヘンリーが古文書を指し示した。「記録によれば、初代聖女アリアが大いなる儀式を行った『聖地』は、ただ一つ。だが、厄災を封じた後、その場所は悪用されぬよう意図的に歴史から隠された。地図は存在しない。ただ、アリアが聖地へ至るまでに辿った旅路の記録だけが、謎めいた記述として残されている」 失われた聖地を探す、探索の旅。 計画を語った後、ヘンリーはマリアンヌを見つめる。彼の瞳には、彼女を危険な旅へ連れ出すことへの深い葛藤の色が浮かんでいた。「これは長く、危険な旅になるだろう。僕はもちろん行く。これは僕の一族の宿命だ。だが、君を再び危険に晒すことには……」 マリアンヌは微笑んだ。 庇護されるだけの存在ではいたくない。その想いは、彼女の心をすでに変えていた。マリアンヌはヘンリーの言葉を遮ると、広げられた古地図の上にそっと手を置いた。「私も行きます。いいえ、私が行かなければ、始まり

  • 捨てられた聖女は、忘れられた真実と隣国の王子の愛を知る   18:傲慢の代償

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