捨てられ妻の私、禁欲御曹司に溺愛されています

捨てられ妻の私、禁欲御曹司に溺愛されています

作家:  あほうたった今更新されました
言語: Japanese
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概要

現代

浮気・不倫

後悔

財閥

離婚後

CEO・社長・御曹司

「欲しいのか?」 神代蒼空(かみしろ そら)は、自分の胸に飛び込んできた、頬を赤く染めた女を見下ろし、気だるげに問いかけた。 一ノ瀬詩葉(いちのせ うたは)は発作に襲われ、唇を噛みながらうなずく。 結婚して一年、夫の一ノ瀬哲也(いちのせ てつや)は、一度も彼女に触れようとしなかった。 そのせいで詩葉は欲求不満による発作に悩まされるようになり、症状が出るたび、満たされない欲求に苦しむようになった。 そしてある夜、夫が姉の写真にキスしている姿を目撃し、自分がただ「姉の代わり」に過ぎなかったことを知ってしまう。 症状はさらに悪化し、仕方なく病院に向かった彼女を待っていたのは、若く端正な男性医師・蒼空だった。 あまりにも魅力的な蒼空を前に、彼女は理性を失い、危うく彼と関係を持ちそうになり―― だが翌日、会社に出勤した詩葉は愕然とする。 昨日、自分の体を診察した蒼空が、まさかの新任社長として現れたのだ。 詩葉は必死に彼とは初対面であるかのように振る舞おうとする。 ところがなぜか、新社長直属のアシスタントに昇進させられてしまった。 …… 「社長、私には夫がいます。まさか私の不倫相手になる気ですか?」 オフィスで無理やり蒼空の膝の上に座らされ、詩葉は顔を真っ赤にして睨みつけた。 男は彼女の腰を掴み、強引に唇を塞いだ。「詩葉、忘れたのか?昨夜は一晩中、俺の名前を何度も呼んでただろ」 ――そして後に、詩葉は迷うことなく蒼空と再婚する。 だが元夫はようやく後悔し、赤く充血した目で彼女にすがりつく。「詩葉、やり直そう!離婚さえしなければ、君の望みは全部叶える!」 詩葉は冷たく言い放った。「ごめんなさい。まともに夫の役目も果たせない人に興味はないの」

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第1話

第1話

「脱いで、横になってください」

低く冷えた男の声が響いた。

一ノ瀬詩葉(いちのせ うたは)の胸がどくんと跳ねる。

いつからこんな、言葉にできないほど恥ずかしい病気にかかってしまったのだろう。

発作が起きるたび、どうしようもなく欲しくなってしまう。いつ襲ってくるかも分からず、仕事にも日常生活にも深刻な支障が出ていた。

耐えきれなくなった詩葉は、勇気を振り絞ってこの私立病院の婦人科を予約した。

ここは秘匿性が高いことで有名だった。その代わり、診察料は普通の病院の何倍もする。

だが、予約したのは、確か四十代くらいの女性医師だったはずだ。

なのに、なぜ診察室にいるのは、こんな若くて背の高い男性医師なのだろう。

「ほ、本当に……脱がないとダメですか?」詩葉は極度に緊張しながら、おずおずと尋ねた。

見知らぬ男の前でズボンを脱ぐなんて、相手が医者だと分かっていても、どうしようもなく気まずい。

神代蒼空(かみしろ そら)は真面目な口調で言った。「脱がなければ、どうやって診察するんです?」

「でも、わ、私は……」詩葉は顔を真っ赤にして、もじもじと視線を泳がせる。

目の前の男はマスクをしているが、その鋭い眼差しには、どこか底知れないものがあった。

突然、彼に押し倒され、そのまま抱かれてしまうような気がした。

詩葉は慌てて頭を振った。

――何を考えてるの、私!

彼はただの医者だ。一日に何十人もの患者を診ている。

これは彼にとって日常業務にすぎない。

そう何度も自分に言い聞かせながら、詩葉は羞恥を堪え、ゆっくりとズボンを下ろして診察台に横になった。

「どこが不調ですか?」蒼空は消毒器具を準備しながら尋ねる。

詩葉は再び顔を赤くした。「わ、私……あの辺が少し……」

どうしても続きが言えない彼女を見て、蒼空は淡々と聞き返した。「性行為をしすぎて、傷つけましたか?」

彼女くらいの若い女性が婦人科を受診する場合、大抵はそういう理由だった。

だが詩葉は真っ赤になりながら首を振る。「ち、違います……私、性経験がなくて……」

蒼空の手が止まった。

彼は振り返り、驚いたように彼女を見た。

目の前の女性は、整った顔立ちをしていた。肌は透けるように白く、きめ細かかった。

愛らしさの中に艶っぽさもあり、華やかなのにどこか無垢さも感じさせる、不思議な色気のある顔立ちだった。

一目見たら忘れられないタイプの美女。

彼女ほどの女性なら、周囲に男が絶えないはずだ。

それなのに、性経験がない?

「わ、私は……下のほうに少し違和感があって……」

男の深い視線に晒されながら、詩葉は顔を赤らめてたどたどしく言った。

消毒綿棒を握る手に、わずかに力がこもった。

だが表情には何も出さず、彼女を見据えた。「違和感?」

詩葉は唇を噛む。どう説明すればいいのだろう。

「そ、その……」赤い唇を軽く噛み、言い淀む。

蒼空は、羞恥で真っ赤になった彼女の顔を見つめ、喉がわずかに上下した。体の奥がじわりと熱を帯びる。

彼はその感情を押し殺し、低く尋ねた。「何が原因でそうなったんですか?」

詩葉はしどろもどろになる。「そ、それは……わ、私……」

欲求が強すぎて、自分でも抑えられない――そんなこと、とても言えるはずがなかった。

詩葉は結婚して一年以上になるのに、夫の一ノ瀬哲也(いちのせ てつや)は一度も彼女に触れようとしなかった。

それどころか、詩葉の欲求が強くなるほど、哲也は彼女を避けるようになっていった。

そういうことを求められるのを、まるで恐れているかのように。

仕方なく詩葉は自分で解決しようとしていた。

けれど、それでは全然足りない。

もっと欲しい。

もっと、もっと。

蒼空は彼女の反応を観察しながら尋ねた。「ご結婚は?」

詩葉は反射的に頷く。

なぜか蒼空の胸の奥に、わずかな失望が走った。

彼は目を伏せる。「診察します」

「はい、お願いします」詩葉の両手はぎゅっと握り締められている。

顔が熱くてたまらなかった。

蒼空は彼女をじっと見つめ、声をわずかに掠らせた。「動かないでください」

「……」

ただでさえ羞恥でいっぱいなのに、こんな病気まで抱えている。

大人しく診察を受けられるはずがなかった。

「女の先生に代えてもらえませんか?」彼女は気まずそうに頼んだ。

蒼空の瞳がさらに深く沈む。「私では不満ですか?」

「ち、違います……!」詩葉は慌てて否定した。

だが言い終わる前に、彼は冷たく遮る。「今日予約したのは私の診察です。治す気がないなら帰ってください」

――この人、怖い……

あとで絶対クレームを入れてやる。

けれど、この病気をこれ以上放置するわけにもいかない。

今は彼の腕を信じるしかなかった。

「そんな意味じゃありません……先生、お願いします」詩葉は小さな声で頼んだ。

蒼空にとって、今日は初めての代診だった。

まさか、このような特殊な女性患者に当たるとは思ってもいなかった。

しかも彼女はこんなにも美しい。

こんな相手を前にすると、妙に理性が揺らぐ。

「無駄口はやめてください」彼は低く叱責し、再び喉仏を上下させる。

手袋をはめ、消毒綿棒を持って、ゆっくりと彼女に近づいた。

詩葉は羞恥に耐えきれず、思わず目を閉じる。

夫の哲也ですら見たことがないのに。

今、別の男に見られている。

医者だと分かっていても、羞恥は消えなかった。

「ぁ……!」詩葉は思わず声を漏らした。

甘く艶っぽい声だった。

蒼空は頭が痺れるような感覚に襲われ、全身が強張る。

慌てて手を少し引いた。「痛かったですか?」

詩葉の潤んだ瞳には、薄い涙の膜が張っている。

唇を開いたものの、どう表現していいのか分からない。

頭では我慢すべきだと分かっている。

けれど病気のことは、自分ではどうにもできないのだ。

そんな弱々しく可憐な姿は、男の理性を簡単に狂わせる。

「……じゃあ、もっと優しくします」蒼空は咳払いをして視線を逸らし、診察に集中した。

診察が終わった後、詩葉はむしろ空虚感が増していた。

さらに苦しくなった。

「先生……私、かなり重症なんでしょうか?」声が少し震えている。

蒼空は感情を抑え込みながら、ゆっくり手袋を外した。「欲求不満による自律神経の乱れですね。長い間、夫婦関係がうまくいっていないことが原因でしょう」

夫婦関係がうまくいっていない――

詩葉は目を伏せ、一瞬だけ顔に屈辱の色を浮かべた。

うまくいっていないのではない。そもそも、最初からなかったのだ。

夫の哲也は重度の潔癖症で、恋人時代から結婚後に至るまで、ほとんど親密な接触がなかった。

だからこそ、自分の欲求は強くなっていった。

誰かに触れられたくてたまらなかった。

「抗炎症薬と、ホルモンバランスを整える薬を出しておきます」蒼空はデスクに座り、処方箋を書きながら続けた。「ですが、一番効果的なのは、ご主人との夫婦生活を増やすことですね。そうすればかなり症状は改善します」

詩葉の耳まで真っ赤だった。

彼女はズボンを履き直し、診察台から降りる。

蒼空から処方箋を受け取り、小さく頭を下げた。「ありがとうございました、先生」

彼女が診察室を出た直後、白衣姿の女医が裏口から入ってきた。「蒼空!私がいない間に、勝手に私の患者を診たの!?」

駆けつけた神代真理奈(かみしろ まりな)は、怒ったように弟を叱りつける。

蒼空はまったく動じず答えた。「昔から医大の成績は俺がずっと一位、姉さんはずっと二位だった。俺が診たほうが、患者にとっては得だろ。それに、今の病院の経営者は俺だしな」

「あなたって本当に……!」真理奈は呆れて睨みつけた。

完全に屁理屈だ。

だが、重度の潔癖症で女嫌いのはずの弟が、今日は自ら女性患者を診察した。

それが妙に引っかかる。

「そんなに歓迎されてないなら、もう帰る」蒼空は片手をポケットに入れたまま、詩葉が消えていった方向を見つめる。

「ちょっと待ちなさい!今日あなたを呼んだのは、新しく来た循環器科の白石(しらいし)先生に会わせるためよ。若くて綺麗で、腕もいいし、うちの病院一番の美人。しかも今フリーで彼氏もいないの!」真理奈は慌てて弟を引き止め、必死に勧めた。

「そのうちな」蒼空は興味なさそうに適当に返し、そのまま立ち去った。
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第1話
「脱いで、横になってください」低く冷えた男の声が響いた。一ノ瀬詩葉(いちのせ うたは)の胸がどくんと跳ねる。いつからこんな、言葉にできないほど恥ずかしい病気にかかってしまったのだろう。発作が起きるたび、どうしようもなく欲しくなってしまう。いつ襲ってくるかも分からず、仕事にも日常生活にも深刻な支障が出ていた。耐えきれなくなった詩葉は、勇気を振り絞ってこの私立病院の婦人科を予約した。ここは秘匿性が高いことで有名だった。その代わり、診察料は普通の病院の何倍もする。だが、予約したのは、確か四十代くらいの女性医師だったはずだ。なのに、なぜ診察室にいるのは、こんな若くて背の高い男性医師なのだろう。「ほ、本当に……脱がないとダメですか?」詩葉は極度に緊張しながら、おずおずと尋ねた。見知らぬ男の前でズボンを脱ぐなんて、相手が医者だと分かっていても、どうしようもなく気まずい。神代蒼空(かみしろ そら)は真面目な口調で言った。「脱がなければ、どうやって診察するんです?」「でも、わ、私は……」詩葉は顔を真っ赤にして、もじもじと視線を泳がせる。目の前の男はマスクをしているが、その鋭い眼差しには、どこか底知れないものがあった。突然、彼に押し倒され、そのまま抱かれてしまうような気がした。詩葉は慌てて頭を振った。――何を考えてるの、私!彼はただの医者だ。一日に何十人もの患者を診ている。これは彼にとって日常業務にすぎない。そう何度も自分に言い聞かせながら、詩葉は羞恥を堪え、ゆっくりとズボンを下ろして診察台に横になった。「どこが不調ですか?」蒼空は消毒器具を準備しながら尋ねる。詩葉は再び顔を赤くした。「わ、私……あの辺が少し……」どうしても続きが言えない彼女を見て、蒼空は淡々と聞き返した。「性行為をしすぎて、傷つけましたか?」彼女くらいの若い女性が婦人科を受診する場合、大抵はそういう理由だった。だが詩葉は真っ赤になりながら首を振る。「ち、違います……私、性経験がなくて……」蒼空の手が止まった。彼は振り返り、驚いたように彼女を見た。目の前の女性は、整った顔立ちをしていた。肌は透けるように白く、きめ細かかった。愛らしさの中に艶っぽさもあり、華やかなのにどこか無垢さも感じさせる、不思議な色気のあ
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第2話
詩葉は診察室を出て薬を受け取ると、足早に病院を後にした。さっき診察室で、男性医師にズボンを脱ぐよう命じられ、診察された光景を思い出すたびに、顔が熱くなってしまう。もしこのことが誰かに知られたら、恥ずかしくて生きていけない。今後は絶対に女医を探そう。もう二度と、知らない男にあんなところを見られたくない。その時、一台の黒いベントレーがゆっくりと彼女の前に停まった。詩葉は、自分が呼んだ配車サービスの車だと思い、窓越しに中を覗く。そこにいたのは、彫刻のように端正な顔立ちの男だった。まるで神が丹念に造り上げたかのような、完璧な美貌。一瞬だけ目が合った途端、詩葉は既視感を覚える。――この目……さっき診察していた、あの男性医師?詩葉は思わず息を呑んだ。途端に顔が真っ赤になる。どうしてこんな偶然に、また病院の前で会ってしまうの?蒼空が低い声で言った。「乗ってください。送ります」詩葉は慌てて首を振る。「だ、大丈夫です。ありがとうございます」彼とは親しくもない。どうして彼の車に乗らなければならないのだろう。それに、さっき診察台であんな場所を診られたばかりなのに。むしろ今いちばん顔を合わせたくない相手だった。この場から逃げたい。できれば今後会っても、知らないふりをしたかった。蒼空の目がわずかに暗く沈み、眉が上がる。有無を言わせない圧があった。女に断られること自体、珍しかった。「本当に大丈夫です。もうすぐ夫が迎えに来るので」詩葉は男の不機嫌さに気づきながらも、気まずそうにもう一度手を振った。わざと「夫」という言葉を強く口にした。「……」蒼空の口元に、冷たい笑みがかすかに浮かぶ。彼はそのまま運転手に命じ、車を走らせた。ベントレーが遠ざかっていくのを見送り、詩葉はようやく少し安堵する。だが、先ほど診察室で蒼空に言われた言葉が脳裏をよぎった。この病気は、長い間夫婦関係がうまくいっていないことが原因。薬はあくまで補助的なもの。根本的に治したいなら、男性と関係を持つしかない。今夜ちょうど、夫の哲也が出張から帰ってくる。――今夜しかない。詩葉は急いでショッピングモールに向かい、哲也好みのセクシーな服と、いい感じの香水を買った。帰宅後は、大切に取っておいた赤ワインまで取り出す。
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第3話
詩葉の美しい顔が強張った。哲也は、彼女の瞳をよぎった失望を見逃さなかった。だが薄い唇はなおも冷たく動く。「悪い。何度も言ってるだろ、僕は潔癖なんだ」「でも……私……」詩葉は焦ったように口を開く。彼女は今、欲求不満による症状に苦しんでいて、どうしても男のぬくもりを必要としていた。もう耐えられない。「お願い……一度だけでいい、私のことを助けると思って……私……苦しいの……」下唇を噛み、潤んだ瞳で縋るように彼を見つめる。呼吸は次第に乱れていった。本当に欲しかった。頭の中は、そんなことばかりでいっぱいだった。止めようとしても止まらない。哲也は眉を強くひそめた。彼女がいつも自分の前で欲情したような顔をするのが嫌だった。冷たい声で鋭く叱りつけた。「そんなに欲しくてたまらないなら、自分でどうにかしろ」軽蔑を滲ませた冷たい言葉が、詩葉の心のいちばん脆い部分を真っ直ぐ叩いた。だが哲也は、彼女の顔に浮かんだ傷ついた表情をまるで見ていないかのように、冷ややかに言い放った。「今後、そんな格好で僕の前に来るな」その言葉に、詩葉の潤んだ瞳は一瞬で暗く沈んだ。胸の奥に広がる苦しさが、じわじわと大きくなっていく。夫は、やはり自分に触れようとしない。「……分かった」俯いたまま、小さく答えた。その声はかすかに震えていた。「それと今日から、君は僕と同じ部屋で寝るな」哲也は嫌悪を隠さず、彼女を一瞥する。詩葉は顔を上げ、呆然と彼を見た。「あなた……?」別室にするつもりなの?「僕は隣の部屋で寝る。今後、僕の許可なく勝手に部屋へ入るな」冷たく言い捨てると、哲也はベッドから降り、そのまま未練もなく寝室を出ていった。残された詩葉だけが、その場に立ち尽くす。瞳には次第に涙の膜が広がっていく。彼女が哲也と結婚して、もう一年。長い間夫婦関係を持てず、しかも哲也はいつも氷のように冷たかった。そのせいで、詩葉は心の病まで患ってしまった。それなのに夫である哲也には、彼女を助けようという気持ちがまるでない。こんな時に、さらに別室まで言い渡すなんて。詩葉にとって、それはまさに追い打ちだった。哲也が出て行くと、部屋は再び冷え切った空気に包まれた。だが、詩葉の体に燻る熱だけは少しも収まらず、むしろ激しく燃え上がってい
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第4話
一睡もできない夜だった。体を満たせない空虚さと、心に受けた衝撃のせいで、まともに眠れるはずもない。それでも幸い、翌朝は会社に遅刻せずに済んだ。ただ、欠伸を噛み殺しながら出社した詩葉は、社内の空気がどこか異様なことに気づく。「今日、新しい社長が突然赴任してくるんだって!」親友の西野莉央(にしの りお)が、重大ニュースを教えてくれた。なるほど、新社長の着任か。どうりで今朝会社へ来た時、女性社員たちがみんな鏡を取り出して化粧直しをしていたわけだ。「詩葉も早くちゃんとメイクしなよ!」この話を聞いても無反応な詩葉に、莉央は慌てて椅子に座らせる。「その薄化粧じゃダメ!もっと可愛くしてあげるから!」詩葉は急いで身を避け、気にしていない様子で言った。「社長が来るからって、私に関係ないでしょ。仕事はまだたくさんあるの」大学を卒業した直後、詩葉は涼子の手配でこの会社に入社させられた。表向きの理由は「他社で経験を積ませるため」。だが実際は、詩葉を水谷グループに入れず、重要な役職に就かせないためだった。水谷グループは兄の良介と姉の七海が継ぐもの。奈緒子の娘である詩葉には、最初から資格などない。詩葉は幼い頃から成績優秀で、兄姉よりも努力家だった。それでも彼女は、一族の期待を背負う息子でもなければ、愛嬌のある七海のように可愛がられてもいない。だから卒業した瞬間、涼子によって水谷グループの外に追いやられた。しかも実母ですら、詩葉のために口添えしてくれたことは一度もない。そんな理不尽には、もう慣れていた。涼子は詩葉が目立つのを嫌い、母も守ってくれない。だからこの二年間、詩葉はずっとこの会社で地味な平社員として大人しく働いて、波風を立てないようにしてきた。兄や姉の邪魔にならないよう、ずっと気を遣って生きてきた。昇進したいわけでも、給料を上げたいわけでもない。だから新社長の着任など、自分には関係ない。莉央はそんな詩葉を無理やり椅子に押し戻し、呆れたように言う。「社長来るって聞いて、その反応って人としてどうなの!?今、会社中の男女が必死で自分磨きしてるんだよ。一目で気に入られたいって!詩葉は元が美人なんだから、余計に気を抜いちゃダメ!聞いた話だと、新社長って若くて超イケメンらしいよ」詩葉は思わず頭を抱えた
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第5話
悠真は厳しい目で詩葉を睨みつけた。「お前、何かやらかしたのか?」社長が突然名指しで詩葉を呼び出した。詩葉本人はもちろん、直属の上司である悠真ですら予想外だった。詩葉は戸惑ったように瞬きをした。「わ、私にも分かりません……」掌にはじっとりと冷や汗が滲んでいた。不安で胸が締めつけられる。逃げたい時ほど、逃げられない。悠真は低い声で警告した。「お前がやらかしたことは、お前一人で責任取れ。絶対に俺を巻き込むな」彼は涼子――水谷家の奥様側の人間だった。詩葉がこの二年間、彼の下で働く間、悠真は何度も涼子の指示で詩葉に嫌がらせをしてきた。だから今回も、社長が初日にわざわざ詩葉を呼び出したとなれば、悠真の中では「詩葉が何か失礼を働いた」に決まっている。むしろ詩葉が処罰されれば、奥様への報告もしやすい。彼が受けている命令はただ一つ。それは「詩葉に失敗させること」。だが詩葉はこの二年間、細心の注意を払って働いてきた。一度も大きなミスをしていない。悠真は、どうやって彼女に「罪」を被せようか悩んでいたところだった。それがまさか、自ら社長相手に問題を起こしてくれるとは。これは好都合だった。問題が大きければ大きいほど、奥様は満足する。ただしその前に、自分だけは無関係だと切り離しておかなければならない。「分かりました、桐生マネージャー」詩葉は俯いたまま答えた。立ち去ろうとした瞬間、悠真に腕を掴まれる。そして耳元で凶悪な声を落とした。「いいか?社長の前で余計なことを喋ったら、今後お前を絶対に楽には働かせないからな」詩葉は皮肉げに彼を見た。まるで、この二年間ずっと快適に働かせてもらっていたみたいな言い方だ。悠真が涼子の指示で自分を抑え込み、嫌がらせや職場いじめをしてきた回数など、数えきれない。今さら脅してくるなんて、完全に後ろめたい証拠だった。自分が社長に告げ口するのを恐れて、社長室に行く前にわざわざ釘を刺してきたのだ。だが悠真は心配しすぎだった。今回、詩葉にはもっと重要な確認事項がある。彼みたいな小物を話題にしている余裕などない。詩葉は内心うんざりした。悠真の手を振り払ってエレベーターに向かった。そのまま最上階へ。そこは社長専用フロア。入社して二年、詩葉は十二階より上
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第6話
詩葉のまぶたがぴくりと跳ねた。彼はいきなり、私を社長アシスタントに昇格させるつもり?これ、絶対ろくなことにならない気がする……「社長、私はこれまでアシスタントの仕事なんてしたことがありません。たぶん務まらないと思います……」詩葉は反射的に断ろうとした。だって今の自分の頭の中は、彼に抱かれたいという思いでいっぱいだったのだ。もし社長アシスタントになれば、毎日彼の顔を見ることになる。そんなの、耐えられるわけがない。蒼空は深い眼差しで彼女を見つめた。「昇進が不満か?」詩葉は赤い唇を舐める。「その……私は……」だが蒼空は途中で遮った。「お前は社長か?」詩葉の笑顔が一瞬固まる。「す、すみません……」蒼空は有無を言わせぬ口調で命じた。「引き継ぎを済ませろ。明日から社長室勤務だ」「でも……」詩葉は言葉を濁す。彼、本当にこれでいいの?もし私が理性を保てなくなって、勢いで彼を押し倒したらどうするの?蒼空はわずかに苛立ったように眉を寄せた。「やりたくないなら辞めろ」詩葉は一瞬呆れた。小さく頭を下げる。「……分かりました」蒼空は彼女が了承したと思ったのか、それ以上何も言わずデスクに戻り、再び仕事を始めた。詩葉は自分の部署に戻った。悠真の嫌味混じりの詮索も、周囲の同僚たちの好奇の視線も無視する。席につくなりパソコンを開き、退職願を書き始めた。不思議なことに、辞めると決めた途端、体の熱も少し落ち着いた。「ねえ詩葉、社長はなんであなただけ社長室に呼んだの?もしかして気に入られた?」莉央が身を乗り出し、目を輝かせて聞いてくる。「まさか。相手は社長だよ?私みたいな平凡な女に興味持つわけないでしょ」詩葉はキーボードを打ちながら答えた。莉央は呆れた顔をする。「どこが平凡なのよ?今月だけであなた宛てのバラ、二十束以上処理してるんだけど?その顔とスタイルなら、社長が一目惚れしても全然おかしくないって!」――一目惚れ。詩葉の指が一瞬止まる。もし本当に社長が自分を好きなら、彼とそういうことをするチャンスもあるのでは?あの高身長に細い腰、長い脚。あんな人に抱かれたら、どうなっちゃうんだろう……――って何考えてるの!?また症状が出てる!?詩葉は顔を真っ赤にし、慌てて首を振った。「あり
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第7話
蒼空も、まさかこんな状況だとは思っていなかった。だが互いに大人だ。ある種の欲求については、言葉にしなくても察せられる。しかも彼は、詩葉がそういう病を抱えていることを知っている。「しゃ、社長……」詩葉は一瞬で石化した。頭の中が完全にフリーズする。電話越しの声は、どう聞いても、会社に突然赴任してきた社長本人だった。一瞬だけ我に返ったものの、すぐに体の感覚に呑み込まれてしまう。蒼空の端正で高貴な顔が、一気に険しく沈んだ。「出社もせず、家でそんなことをしているのか?」詩葉の顔は一気に熱くなる。穴があったら入りたい。まさか一人でしている最中に、偶然社長の電話を取ってしまうなんて。しかもタイミング悪く聞かれるなんて――でも本当に、もう限界だったのだ。発作が出ると、自分では抑えられない。「わ、私……もう辞表を出しましたから……」詩葉は途切れ途切れに答えた。蒼空は眉を強く寄せた。「辞表?そんな話は聞いていない。社員の退職には一ヶ月前に申請が必要だ。法務部との引き継ぎもある。無断退職なら契約違反として、二年分の給与を違約金として支払ってもらう」詩葉は思わず頭を抱えたくなった。そんなの、二年間ただ働きしたようなものじゃない。稼いだ給料全部、違約金行き!?「社長……少し融通していただけませんか?私、本当に病気で……もう普通に働けなくて……」彼女は必死に頼み込む。蒼空の声が低く沈む。「どんな病気だ?」詩葉は詰まった。――いや、そっちが一番よく知ってるでしょう!?あの日、あなたが私を診察したくせに。「……欲求不満による発作です」彼女はもうヤケになって言った。「発作が出ると欲求が抑えられなくて……全然仕事に集中できないんです……!」電話の向こうは、一分近く沈黙したままだった。自分の言葉が大胆すぎて、社長を怒らせてしまったのだろうか。だが詩葉には、受話口の向こうにいる男の呼吸が、明らかに重くなっているのが分かった。彼女は思わず唾を飲み込む。不安で心臓が激しく脈打った。でも社長が電話を切らない以上、自分から切る勇気もなかった。そして次の瞬間。「三十分以内に出社しろ。俺が治してやる」詩葉は呆然とした。聞き間違いかと思った。――社長自ら、私の病気を治す?どうやって
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第8話
――え?初日から掃除?それってアシスタントというより、ほとんど家政婦では?詩葉は思わず抗議しかけた。だが蒼空の圧のある視線に射抜かれ、結局逆らえずに頷く。「……承知しました」彼女が休憩室に向かおうとした時、背後から再び男の声が飛んだ。「靴は脱いで入れ」――うわ、ルール細かっ。詩葉はハイヒールを脱ぎ、休憩室のドアを開けた瞬間、思わず目を見張った。広い。自宅よりも広いかもしれない。高級な輸入家具や家電が一通り揃っている。しかも何より驚いたのは、塵ひとつ落ちていないことだった。こんな完璧に綺麗な部屋、いったい何を掃除しろというの?もしかして蒼空も、哲也みたいな潔癖症なのだろうか。考えてみれば、それくらいしか理由が思いつかない。詩葉は観念したように掃除機を手に取り、掃除を始めた。床も家具も、全部もう一度丁寧に拭き直す。気づけば、もう昼になっていた。朝食も食べる暇なく呼び出され、そのまま午前中ずっと休憩室の掃除。さすがに疲れたし、お腹も空いている。詩葉は床に座り込み、少し休憩しようとした。その時、ふとベッドの下に何か衣類のようなものが見える。たぶん、さっきベッドを整えた時に落ちたのだろう。詩葉は近づいて拾い上げ――固まった。男物の下着だった。しかも使用済みらしく、男の匂いが残っている。ここは蒼空のオフィスだ。つまり、この下着の持ち主が誰かなんて考えるまでもない。詩葉の頬が一気に熱くなった。反射的に、火傷しそうな勢いで放り投げた。けれどすぐに思い直す。自分は掃除を任されているのだ。社長の下着を床に放置するわけにもいかない。仕方なく、もう一度拾い上げる。本当はそのままランドリーボックスに入れるつもりだった。だが、そこに残る男の匂いを感じた瞬間、胸が妙にざわついた。呼吸が自然と浅くなる。詩葉は手の中の下着を見つめ、それから休憩室のドアに視線を向けた。たぶん今、蒼空は外で仕事中。掃除が終わるまでは、ここに入ってこないはず。彼女は意を決し、その下着をそっと鼻先に近づけた。蒼空の気配が濃すぎて、頭がくらくらした。全身がじわりと熱を帯びる。――っ。男っぽい匂い……強すぎる。なのに、どうしようもなく好きだった。こんなの、意識しない方が無理だった。
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第9話
詩葉は首を反らし、荒い呼吸を繰り返していた。満たされない欲望に追い詰められ、もう限界寸前だった。――道具を持ってくればよかった。朝に発作を起こしたばかりなのに、まさかこんな短時間でまた再発するなんて思わなかった。しかも場所が、社長の休憩室だなんて。だがさらに予想外だったのは、蒼空本人が、外から入ってきたことだった。ドアの開く音を聞いた瞬間、詩葉の心臓は喉元まで跳ね上がる。――終わった。こんな姿を見られたら、本当に終わりだ。焦り、不安、恐怖。様々な感情が一気に押し寄せる。詩葉は必死に立ち上がろうとした。だが駄目だった。脚に力が入らない。その時、浴室のドアが開いた。蒼空の高く引き締まった姿が、入口に現れる。詩葉の頭の中が真っ白になった。目が合う。その瞬間、羞恥で死にたくなった。「しゃ、社長……」蒼空は上から彼女を見下ろす。整った顔には何の感情も浮かんでいない。だが彼女はその鋭く深い視線に、全身を見透かされている気がした。まるで見えない手で、全身を撫で回されているみたいに。詩葉の頬は熱を帯びる。今すぐ地面に穴を掘って消えたかった。「また発作か?」しばらく見つめた後、蒼空が低く問う。詩葉は気まずそうに頷いた。後ろめたくて、彼をまともに見られない。「しゃ、社長……すみません、私……」慌てて謝る。彼女の手は、彼の下着をぎゅっと握り締めたままだった。こんなところで、こんな姿を見られるなんて思っていなかった。でも耐えられなかった。もし彼を不快にさせたなら、それも仕方ないと思った。だが彼女が言い終える前に、蒼空の視線が彼女の手元に落ちる。「それは何だ?」「えっ!?な、何でもありません!」詩葉は飛び上がるように驚き、慌てて下着を背中に隠した。もし蒼空に、自分が彼の下着を握り締めて、その匂いで妄想していたことまで知られたら――本当に終わりだ。蒼空の目がわずかに暗くなる。「見せろ」詩葉は顔を真っ赤にしたまま首を振った。「ほ、本当に何でも……!」だが実際には、さっきの時点ですでに彼は見ていた。「まさか一ノ瀬さんに、『男物の下着を収集する趣味』があるとはな」詩葉の体が強張る。心が一気に沈んだ。――見られてた。全部。「社長、違うんです、こ
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第10話
詩葉が顔を上げると、そこにいたのは蒼空の秘書・白石凛(しらいし りん)だった。詩葉は慌てて、その下着を背中に隠す。「一ノ瀬さん、どうして外に立ってるの?中に入らないの?」凛はそう言いながら、社長室のドアを開けようとした。「だ、大丈夫です!今ちょうど休憩室の掃除が終わって出てきたところなので!」詩葉は慌てて手を振る。凛の目に、一瞬驚きが浮かんだ。「社長が、一ノ瀬さんに休憩室を掃除させたの?」凛は長年蒼空の側に仕えてきた。だからこそ、彼の性格もよく知っている。休憩室は完全なプライベート空間。普通の人間を簡単に入れるような場所ではない。これまでは掃除ですら、彼が自分でやっていた。それなのに今日に限って、アシスタントの詩葉に任せるなんて。詩葉は不思議そうに頷く。「はい……どうかしました?」「いえ、別に……」凛は素早く首を振った。だが詩葉を見る目は、どこか意味深に変わっている。「昇進したばかりだから、まだ自分のオフィス見てないでしょう?案内するわ」凛は妙に親切に先導した。凛に連れられ、詩葉は社長室からほど近い部屋に案内される。ドアが開く。「今日からここが一ノ瀬さんのオフィスよ。必要な物があったら言って。手配するから」目の前の広い個室を見て、詩葉は思わず目を丸くした。まさか自分専用のオフィスまで与えられるなんて。しかも予想以上に広い。「ありがとうございます、白石秘書。今のところ特に必要な物はありません」詩葉は振り返って微笑んだ。凛は微笑みながら言った。「全部、社長の指示よ。お礼を言うなら、本人に言ってあげて。私はまだ仕事があるから失礼するね」そう言い残し、凛は部屋を後にした。一人になった詩葉は、改めて室内を見回す。この会社で二年間働き、ようやく昇進して、自分専用の個室まで与えられた。本来なら喜ぶべきことのはずだった。けれど詩葉は、どうしても素直に喜べない。蒼空を前にすると、すぐ発作を起こしてしまう。そもそも自分がこんな厄介な病気になったのは、長い間男に触れられず、欲求不満を抱え続けてきたせいだ。そんな自分の前に、あまりにも危険な男が現れた。しかも毎日、至近距離で接することになる。平常心でいられる気がしなかった。今日みたいな失態を、これからあと何度繰り返すのだろう。
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