Masukあと1ヶ月しか生きられない、という検査結果を手に家に帰ったとき、夫の植田哲平(うえだ てっぺい)は、親友の中野若葉(なかの わかば)とちょうど情事を終えたところだった。 床に脱ぎ散らかされた服や、あちこちに丸めて捨てられたティッシュを見ながら、哲平は私にこう言った。 「キッチンも寝室もリビングも、俺たちでめちゃくちゃにしちゃったから。お前がちゃんと片付けておいて」 結婚して3年。哲平はいつもこうやって、私を辱めることを楽しむのだ。 でも、仕方ない。昔、私が彼を捨てたのだから。彼が私を恨むのも当然のことだった。 私は黙って部屋を片付け、彼らがいた痕跡をきれいさっぱり消し去った。 ただ、このときだけは、私たちが暮らしたこの家を、もう一度しっかり目に焼き付けておきたかったのだ。 ところが、そんな私を哲平が突然呼び止めた。 「なあ、梓。そういえば俺たち、結婚写真を撮ってなかったよな」 私の目に浮かんだ一瞬の喜びを見て、哲平は鼻で笑った。 「まさか、俺とお前の話だとでも思ったか?明日、俺は若葉と撮影するんだ。お前は、彼女の付き添いに来いよ」
Lihat lebih banyak哲平ははっと悟り、頭の中がぐちゃぐちゃになった。そのとき、彼は若葉のことを思い出した。でも、あの600万円はマンションを売って作ったお金だって、若葉は確かに言ったはずだ。まさか、若葉はずっと自分をだましていたのか?哲平はそれ以上考えるのが怖くて、ただ私の写真を見つめるだけで、しばらく声も出なかった。しばらくして、やっと心を落ち着けた彼は、新しいアシスタントに電話をかけた。「調べてほしい。若葉が、俺が6年前に治療を受けていた時期にマンションを売ったかどうか」すぐに返事があった。そのマンションがまだ若葉の名義だと知り、哲平は頭がおかしくなりそうだった。若葉の言うことを全部信じていたのに。むきだしの事実を目の前にして、本当に自分を愛してくれたのが誰だったのか、やっとわかったんだ。自分のせいだ。じゃなければ、梓があんな無茶な方法でお金を稼ぐはずがない。無理やり結婚して、あんなになるまで梓を追い詰めたのも自分なんだ。なによりも許せないのは、若葉のうそだ。彼女がうそをついて、梓が俺のためにしてくれたことを自分の手柄にさえしなければ、梓は死なずにすんだのに。哲平はそう思うと、車を走らせて若葉の家に向かった。哲平が家に来たのを見て、若葉は嬉しそうにぱっと顔を輝かせた。「哲平さん、来てくれたの?」哲平は冷たい顔で彼女を見ると、次の瞬間、殴りつけて気絶させた。若葉が次に目を覚ますと、船のデッキに両腕を縛られいた。彼女が何が起きたかわかる前に、哲平がやってきて彼女を無理やり引き起こした。そして、ひざの裏を蹴り、海に向かってひざまずかせた。「哲平さん、な、何するの?こわい……」若葉は何も知らないふりをして、可憐な顔で哲平を見上げた。哲平は冷ややかに笑った。「どうして俺がお前を海に向けてひざまずかせたか、わかるか?」「な、なんで?」「梓の遺骨が、この海にまかれたからだよ」その言葉に、若葉の顔がさっと青ざめた。「彼女の遺骨がここにあるからって、それが私と何の関係があるのよ!」「とぼけるな。もう全部わかってる」哲平は静かな声で言った。「お前に海を向いてひざまずかせたのは、罪を償わせるためだ。梓が体を犠牲にして稼いだ600万円のおかげで、俺の足は治った。それなのに、お前はあの金をマンションを売ったとうそをついた。お
哲平は、私のはがきを持って家に帰った。彼は私の死という事実をなかなか受け入れられなかった。そして、私が昔住んでいた物置部屋へ走っていくと、私の使っていたものを全部、寝室へ運びこんだ。それをやり終えると、彼は私の写真に向かって、ぽつりぽつりと呟きはじめた。「梓、昔お前を物置部屋なんかに住まわせて、俺が悪かった。今はもう、本当に間違ってたって分かってる。だからお前のものは全部、寝室に持ってきたんだ。これからは、寝室で寝てくれるか?梓、ごめん。あんなに意地はるんじゃなかった。お前を愛してるのに、仕返しすることばかり考えて……でも、よく考えたら、まだ愛してるって素直に認めればよかったんだ。結婚してくれるってことは、お前もまだ俺を思ってくれてたってことだろ?梓、ごめん、本当にごめん。もしかしたら、あの時のことには何か事情があったのかもしれない。なのに俺は、もう取り返しのつかない間違いを犯してしまった……」そう言う哲平の目から、涙がとめどなくあふれてきた。その時、彼の背後にあったドアが、誰かによって勢いよく開けられた。若葉が、前に撮った結婚写真を手に、嬉しそうに言った。「哲平さん、見て!写真、できあがってきたよ。どこに飾ろうか?」彼女の姿を見て、哲平の表情がすっと暗くなった。だって、私の病気のことを隠していたのは、そもそも若葉だったから。もし彼女が隠してさえいなければ、哲平は私の最期に付き添ってくれたかもしれないのに。「若葉」哲平は、彼女の細い腕を力いっぱい掴んだ。若葉は、その瞬間、何かがおかしいと感じ取った。「て、哲平さん、どうしたの?」「梓が不治の病だったこと、知ってたか?」「え……」「とぼけるな。もう知ってるんだ」その言葉を聞いて、若葉の顔色が変わった。彼女は必死に目を泳がせ、涙声で言い訳をはじめた。「ごめんなさい、哲平さん、怒らないで。私、ただ自分勝手だったの。どうせ彼女の病気は治らないんだから、あなたに言わなかったの。それに、彼女が死んだら、あなたと結婚できるじゃない?だから……」哲平が何も言わないのを見て、彼女は目に涙をためて続けた。「知ってるでしょ?私昔、実家の貯金を全部あなたに渡して、マンションも売ったのよ。そのせいで家族ともうまくいかなくなって。今の私には、あなたしかいないの」案の
とうとう哲平は、私のフライト情報を調べ出した。でも彼がその小さな町に着いて、一軒ずつ聞いて回った時には、私はもうそこを離れた。私はひたすら南へ、もっとも南の地を目指して旅を続けた。太陽と、春に会うために。いくつかの場所を転々としたけど、哲平は私を見つけられなかった。一日、また一日と時間が過ぎ、彼の心は何度も張り裂けそうになっていた。神様なんてまったく信じていなかった人が、あちこちの神社とお寺を訪れては、神頼みをするようになった。彼は私の行方を必死に探した。でも、どれだけのお金と人手を使っても、私の行くへを見つけることは出来なかった。私がいなくなってから13日目、睦月が1枚のはがきを手に、彼の前に現れた。「植田社長、梓さんはたぶん、あなたに会いたくないんだと思います」彼女の目元は赤くなっていて、明らかに泣いたあとだった。「もう梓さんを探すのはやめてあげてください」その言葉を聞くと、哲平は勢いよく立ち上がって睦月を見た。「どうしてだ?梓の居場所がわかったのか?」睦月はうつむいて、手の中のはがきに視線を落とした。はがきに写っていたのは、シンプルなウェディングドレスを着た私。空まで届きそうな大きな木の下に立っていて、その青白い顔に、あたたかい光が降り注いでいた。そしてはがきの裏には、私の少しよろよろとした字が書かれていた。どうしてそんな字だったかって?たぶん、あの頃の私はもう病気が重くて、ペンを握る力も残っていなかったからだろう。哲平は少し震える手で睦月からはがきを受け取ると、私の顔を指でそっと撫でた。そして、ぽつりと言った。「わかった。どうして梓がここに来たのか、わかったよ。ここは、いつか一緒にハネムーンで来ようって、彼女と約束した場所なんだ」彼は顔を上げて睦月を見ると、焦ったように尋ねた。「梓は今どこにいるんだ?彼女の病気がもう治らないのはわかっている。でも、残された時間だけでも、そばにいてやりたいんだ。どこにいるか、山田さんには話してくれたのか?」その言葉に、睦月はふっと冷たく笑った。「たぶん、もうあなたにそばにいてほしいなんて思ってないでしょうね」「どういう意味だ?」「はがきの裏を見てください」哲平が慌てて絵はがきを裏返すと、最初に目に飛び込んできたのは、私が書いたこんな一文だった。
私は、こっそりと姿を消した。午前3時の飛行機で、南のほうにある、一年中春みたいにあたたかい小さな町へと向かった。私と哲平には、昔した約束があった。あれは冬のこと。暖房もない彼のアパートで、私は寒さに凍えて彼の腕の中で縮こまっていた。そんな私の冷え切った指先を、彼は温めながら約束してくれたんだ。「結婚したら、春みたいに暖かい場所へハネムーンに行こう」って。皮肉なことに、私たちは本当に結婚した。でも、約束の場所へは私一人で来ることになってしまった。もう、哲平に本当のことを言うつもりはない。もし真相を知ったら、彼はきっと一生後悔して生きることになるでしょう?それより、私はお金が目当てのひどい女だったと、ずっと思わせていた方がいい。その方が、彼も私のことを思い出したとき、少しは心が楽になるはずだから。飛行機がゆっくりと離陸して、見える街の灯りがどんどん小さくなっていく。若葉にはたくさんひどいことをされたけど、彼女が哲平を本当に愛しているのも知っている。彼らが一緒になれたら、きっとすごく幸せになれるんだろうな。そう思うと、私はスマホからSIMカードを抜き取った。そして、それを手で折ってゴミ袋に捨てた。さようなら、哲平。日が暮れて寂しいときも、静まり返った夜も、もうあなたの世界に私はいないんだよ。私がいなくなったことに気づいた哲平は、わけのわからない怒りがこみあげてきて、ひどくイライラしていた。彼は何度も私に電話をかけた。でも、何度かけても繋がることはなかった。「梓、俺の復讐はまだ終わってない。お前が勝手に逃げるなんて、許すわけないだろう」オフィスにいても仕事は手につかず、彼はスマホを握りしめてつぶやいた。スマホの画面には、彼が私に送った無数のメッセージが表示されていた。【梓、あんだけ俺の妻になりたがってたじゃないか。なのに今さら逃げるって、どういうつもりだ?】【もう結婚しただろ。それなのに、俺を置いて勝手に出ていくってどういうことだよ】【やっぱりお前はそういう女だったんだな。いつもそうだ、何も言わずにいなくなる】【逃げたからって、俺が仕返しをやめると思うなよ。お前が生きてるかぎり、絶対に許さないからな】【梓、帰ってこい。お前が作った料理を食べたい】……哲平のメッセージはほとんどが脅しだった