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第60話……退路喪失

last update Tanggal publikasi: 2026-06-10 15:40:00

 聖帝国暦六四五年五月中旬――。

「今だ。――奴らの退路を断て」

 クライツ上級元帥の命令は、短く、そして決定的であった。

 その瞬間。

 帝国軍は一斉に動いた。

 各星系に分散していた部隊が、あらかじめ定められていた包囲線へと収束。

 アーヴィング大公国軍の側面、そして後背へと回り込み、同時多発的な襲撃を開始する。

 ……さらに。

 主要補給線に対しては、独立機動艦隊が投入され、輸送船団を重点的に狙撃。

 補給の根を断ち、戦線そのものを崩壊させる――徹底した殲滅戦であった。

 その影響は、即座に前線へと現れる。

 惑星ザイカー。

 その衛星軌道上に展開していた、マーリン男爵麾下の艦隊。

 小型艦を中心とする十数隻の艦艇が、地上占領部隊の指揮を執りつつ、制宙任務にあたっていた。

「男爵閣下! 我が軍の補給線上に敵艦隊出現! 規模、百隻以上!」

「……なに?」

 一瞬の静止。

 だが次の瞬間、男爵は即断した。

「各艦に伝達。――総退却だ。即時、衛星軌道を離脱!」

「はっ!」

 命令は迅速に伝達される。

 だが――

「閣下、地上部隊は!?」

 幕僚の一人が声を上げた。

「見捨てるおつもりですか!?」

「やむを得んのだ!」

 男爵は吐き捨てるように言った。

「ここで躊躇すれば、我々も包囲される! 退路を失えば、全滅だぞ!」

 ……沈黙。

 誰も反論できなかった。

 結局――艦隊は地上部隊を残したまま、加速を開始する。

 惑星の重力圏を離脱し、逃走。

 その背後では。

 取り残された地上部隊から、断続的に救援要請が発信され続けていた。

 だが、それに応える者は誰もいない。

 同様の事態は、各戦線で同時に発生していた。

 補給線は寸断され、通信は混乱し、命令系統は崩壊。

 現地指揮官たちは、それぞれの判断で撤退を開始する。

 ある者は高価な宇宙艦艇を優先し。

 ある者は私兵のみを回収し。

 ある者は――何もできぬまま、包囲された。

 統制なき撤退。

 それは、もはや「撤退戦」ですらなかった。

 ――潰走。

 アーヴィング大公国軍は、各個に引き裂かれ、崩れ始めていた。

◇◇◇◇◇

「A-166宙域にて敵襲!」

「D-86宙域、輸送艦撃沈!」

「S-28宙域より救援要請! 繰り返す、救援要請!」

 怒号にも似た報告が、司令部を埋め尽くす。

 アーヴィング大公国軍、総司令部。

 その中枢に座すパウルス元帥のもとへ、各戦線からの悲鳴が絶え間なく流れ込んでいた。

 通信スクリーンは、赤く染まっている。

 補給線断絶、各個撃破、退路喪失――いずれも、致命的な報告ばかりだ。

 そして。

 それが、想定外ではないことを、彼も、その幕僚たちも理解していた。

「……」

「……、……」

 長い沈黙。

 あの大攻勢。

 勢いに任せた進撃が、補給と統制を置き去りにしていたことなど、最初から分かっていたのだ。

だが。

 各星域の地方貴族たちの盟主である「――大公閣下のご意向」であった。

 誰も、止めなかった。

 いや――止められなかった。

「閣下」

 初老の参謀長が、低く問う。

「いかがなさいますか?」

 パウルスは、ゆっくりと目を上げた。

「……補給線の損耗は?」

「輸送船の損耗率、四十六パーセント」

 一瞬、空気が止まる。

 半数に迫る損失。

 それは、戦線維持がもはや不可能であることを意味していた。

「……そうか」

 短い応答。

 だが、その声には、迷いがなかった。

「補給船団、および護衛部隊は、直ちに後方へ撤退させよ」

「はっ」

「――司令部に残存する全戦闘艦艇を集結」

 パウルスの視線が、戦況図を射抜く。

「退却路を、なんとしてでもこじ開ける」

 彼の幕僚たちが、一斉に頷く。

 それは、単なる攻勢ではない。

 撤退戦。

 しかも、味方を「逃がすための戦い」だった。

「各艦に通達。再集結地点は――グラストヘイム要塞宙域」

「了解!」

 命令は司令部から矢継ぎ早に発せられる。

 アーヴィング大公国の首都星でもある要塞惑星クラウゼン。

 その衛星軌道上に、各星系に散在していた艦艇群が、次々と集結を開始した。

 煌びやかな新鋭艦もあれば、オンボロの旧式艦もある。

 統一も整備も不十分な、寄せ集めの戦力。

 だが――

 それでも味方を救うためには、戦うしかなかった。

「ワープ準備、完了!」

「……全艦、跳べ」

 静かな命令。

 次の瞬間、艦隊は一斉にワープへと移行する。

 向かう先は、難攻不落のグラストヘイム要塞。

 ――そこが、大公国軍に残された最後の防壁となる。

 あるいは。

 ……最後の、墓場となるか。

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