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第06話

Penulis: あおはな
last update Terakhir Diperbarui: 2026-01-26 12:11:03

 薄暗い夕方。

 雨が止んだあとの空気はまだ重たく、じっとりとした湿気が縁側の木の板に染み込んでいた。

 座り込んだ腰の下から、薄く冷たい感触がじわりと伝わってくる。

 ふう、と小さく息を吐き、タバコの箱を手のひらで軽く叩いた。

 指先が微かに震えていて、箱の端がひしゃげ、紙の感触がひどく指に残る。

 一本を取り出し、咥え――唇の端が乾き、微かに切れて、紙の感触がざらつきを伝えた。

 ライターを擦ると、ぱち、と小さな火花が弾けた。

 その音が、やけに耳に残る。

 炎の先がちらりと揺れ、タバコの先に赤い火が灯った。

 吸い込むと、肺の奥が熱を持ち、じんと鈍い感触が広がり、細い煙を吐き出すと、それがゆっくりと空気の中で漂い、ふわりと上へ消えていった。

 その煙の向こうで、ふと――何かが視界の端で揺れた気がした。

「……誰……?」

 小さく、掠れた声が喉の奥で零れた。

 すぐに答えが返ってくるはずもないと分かっていたのに、唇が勝手に動いていた。

 鼓動が、喉の奥で重たく響く。

 手の中のタバコが微かに揺れ、煙がふわりと揺れた。

 その奥に――いた。

 森の縁に、じっと佇む影。

「……あ……」

 小さな声が喉から洩れ、震えた。

 指先が冷たくなり、膝の上で無意識にぎゅっと握りしめた拳が震えた。

 煙が視界をぼやかし、湿った空気が鼻腔に薄く絡む。

 その奥から、野生の匂い――雨に濡れた獣の、微かに生臭さを含んだ匂いが、じんわりと胸の奥に滲みてきた。

 男が、森の奥に立っていた。

 無言のまま、ただ、じっとこちらを見ている。

 その視線は鋭いわけではなかった。

 けれど、目の奥に潜んでいる何かが、言葉にならない重さでこちらの胸の奥にのしかかってくる。

 怒りか、渇望か、それとも……もっと別の、形のない何か。

 分からない。

 分からないのに、胸の奥がきゅう、と縮み、息が浅くなる。

「……なんで……」

 声にならないような小さな声が、喉の奥で掠れた。

「……また……」

 何か言おうとしたが、言葉が喉に引っかかり、うまく出てこなかった。

 震える指で、タバコの先端を灰皿に押しつけ――じゅ、と煙が立ち、焦げた匂いが鼻をかすめる。

 指先が白くなるほど力が入っていることに気づき、そっと手を開く。

 でも、手の震えは止まらなかった。

 男が、ゆっくりと近づいてきた。

 一歩、また一歩。

 足音はまるで空気に溶けてしまったように何も聞こえず、ただ、じわりと空気の密度が変わる感覚だけが肌に触れた。

 そのわずかな変化が、皮膚の奥まで染み込み、ひやりとした寒気と、じわりとした熱のようなものを交互に這わせていく。

 呼吸が浅くなり、喉の奥で微かなひゅうという音が鳴った。

 ふわりと鼻先を撫でたのは、湿った獣の匂いだった。

 雨に濡れた毛皮の匂い、湿った土の匂い、そして奥にひそむ、かすかな血と鉄の匂い――それらが混じり合い、重く胸の奥へと沈み込んでいく。

 呼吸を吸い込むたび、その匂いが肺の奥にまで染み込むようで、喉がじわりと熱を帯び、唾を飲み込もうとするたびにひりついた。

 けれど、喉はうまく動かず、声が詰まり、ただ細い息が震える音が唇の隙間から漏れるばかりだった。

「……来るな……」

 かすれた声が、ほとんど息に混じるように掠れて、喉の奥から零れた。

 情けない声が出ているとわかっているが、弱い声だと分かっていても、止められなかった。

 声に出さなければ、何かがこちらへと入り込んでくる気がして、どうしようもなく恐怖に駆られていた。

 男は何も答えなかった。

 ただじっと、目を合わせたまま近づいてくる。

 その瞳は暗く、濡れて、何かを閉じ込めている。

 感情があるのかすら分からない、けれど何か――ひどく熱いものが潜んでいる気がした。

 その視線が、胸の奥の一番脆いところをじっと見つめているようで、思わず肩が小さく震えた。

 喉がひりつき、息が細く途切れ、唇が渇いて僅かに震えた。

「……なんで……お前……」

 言葉が途切れ、声にならないまま喉の奥で細かく震えた。

 指先がじっとりと汗を滲ませ、膝の上で無意識に握った拳が、小さく震えた。

 その震えが膝にまで伝わり、足の奥が冷たくなる。

 男は近づいてくる。

 ゆっくりと、一歩ずつ。

 足音はない。

 なのに、床板が僅かに軋んだ気がして、胸の奥がひゅっとすぼまり、肩が小さく跳ねた。

 じわじわと、男の気配が空気ごとこちらに押し寄せてくる。

 濡れた毛の匂い、湿った体温の匂いが、肺の奥に染み込み、胸の奥がざわざわと軋むように疼いた。

「やめろ……」

 また、声が漏れた。

 小さく、震える声だった。

 喉の奥でひゅう、と細い音が鳴り、息が途切れる。

 男は何も言わず、ただ視線を逸らさずに、こちらを見つめ続けている。

 その視線が胸の奥を刺すように重く、冷たいのに、どこか熱を孕んでいるようで、どうしようもなく息が詰まった。

 目が潤み、視界がかすんで、男の輪郭がわずかに滲んだ。

 息を吸うたび、喉の奥がひりつき、唇の奥で細く歯が鳴る音が耳に残った。

 寒いのか、暑いのか分からない。

 指先が冷たく、背中の奥はじっとりと汗を吸っている。

 男の視線が刺さり、匂いが染み込み、呼吸が合わさるように重なって――胸の奥で、何かがじわりと崩れていくような感覚だけが、残った。

 男が、冬馬のすぐ目の前まで近づいていた。

 距離にすれば、腕を伸ばせば触れられるほどの近さ。

 息が浅く、喉の奥でひゅう、と掠れる音が鳴る。

 吸う息も吐く息も細く震え、胸の奥でじわじわと冷たい疼きが広がった。

 指先は汗でじっとりと湿り、膝の上に置いた手が小さく痙攣していた。

「……誰、なんだよ……お前……」

 掠れた声が、喉の奥で擦れて、息に混じるようにして零れた。

 それは問いというより、ただ漏れた声。

 目の前の男が何者なのか分からない。

 けれど、その視線が、胸の奥の奥まで覗き込んでくるようで、どうしようもなく怖かった。

 目を逸らしたいのに、逸らせない。

 その瞳の奥に潜むものを見たくないのに、見てしまう。

 見た瞬間、胸の奥がきゅうっと縮んだ。

 男は何も答えなかった。

 ただじっと、冬馬を見つめたまま、かすかに首を傾ける。

 その仕草が、まるで獣が獲物を確かめるようで、背筋がぞわりと総毛立った。

「……なんなんだよ……」

 また掠れた声が漏れた。

 息を吸うたび、湿った獣の匂いが肺の奥に滲み込み、胸の奥でじくじくと熱を残した。

 その時――男がふっと、低く、湿った声を落とした。

「……帰ってきたのか」

 掠れた声が、喉の奥でこすれるようにして響き、耳の奥で小さく反響した。

 言葉というよりも、吐息と音の間を彷徨うような響きだった。

 冬馬の胸の奥に、それがじわりと沈んだ。

 意味を理解するよりも早く、その響きが肌の奥へと入り込むような感覚に、思わず息を止めた。

「……帰って……きた……?」

 震える声が、自然と唇から零れた。

 言葉を繰り返しながら、声はどんどん小さくなり、喉の奥でかすれて消えた。

 答えを求めたわけじゃないのに、男は再び視線を少しだけ伏せ、目の奥で何かを押し殺したような光を見せた。

 その気配が、胸の奥でずしりと重く響いた。

「お前は……ここに還る」

 低く、湿った声がまた耳の奥で鳴った。

 それは言葉のはずなのに、まるで低い唸り声のようで、喉の奥でじんわりと震えた。

 それが冬馬の胸の奥にじっとりと染み込み、細胞の奥で蠢くような感覚を残した。

 息が詰まり、喉がひゅう、と細い音を立てた。

 肩が小さく震え、指先が膝の上でわずかに痙攣した。

「……いやだ……」

 小さく、喉の奥で押し殺すように声が漏れた。

 けれど、その声すら、男には届いていない気がした。

 その瞳はただ、冬馬の奥の奥――魂の芯に何かを刻みつけるように、じっと見つめ続けていた。

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