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暗流の先に春が咲く

暗流の先に春が咲く

By:  みどりCompleted
Language: Japanese
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「この服、ちょっと露出が多すぎないかな……着なくてもいい?」 松原真菫は、手の中にある体をほとんど隠せない黒いフィッシュネットのドレスを見て、顔が真っ赤になった。 これを着て椎名和哉の誕生日パーティーに参加するなんて、考えただけで全身が燃え上がりそうだった。 「ねぇ、着てよ。上着を羽織るから、他の人には見えないって」 和哉は彼女の細い腰を抱きしめ、耳元で甘えるように囁いた。 「こんなに愛してるんだ。お前のためにたくさん尽くしてきたじゃないか。俺のささやかな誕生日の願い、一つくらい叶えてくれてもいいだろ?」

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Chapter 1

第1話

「この服、ちょっと露出が多すぎないかな……着なくてもいい?」

松原真菫(まつはら ますみ)は、手の中にある体をほとんど隠せない黒いフィッシュネットのドレスを見て、顔が真っ赤になった。

これを着て椎名和哉(しいな かずや)の誕生日パーティーに参加するなんて、考えただけで全身が燃え上がりそうだった。

「ねぇ、着てよ。上着を羽織るから、他の人には見えないって」

和哉は彼女の細い腰を抱きしめ、耳元で甘えるように囁いた。

「こんなに愛してるんだ。お前のためにたくさん尽くしてきたじゃないか。俺のささやかな誕生日の願い、一つくらい叶えてくれてもいいだろ?」

その言葉に、真菫は唇を噛みしめた。

父が作ったギャンブルの借金を返してくれたのも、母の入院費を払ってくれたのも、弟を私立高校に転校させてくれたのも、すべて和哉だった。

真菫が絶望のどん底にいた時、和哉は現れた。

彼が言うように、これほどまでに尽くしてくれたのだから、和哉が気に入った服を着て願いを叶えてあげるくらい、断る理由はないはずだ。

そう思うと、真菫は頷いた。

「わかった。でも、今回だけだからね」

「うん、安心して。次はもうないからさ」

和哉は満足そうに微笑み、彼女の頬にそっとキスを落とした。

「じゃあ、今夜ね」

「ええ」

真菫もキスを返し、和哉が自分の小さなアパートから出ていくのを笑顔で見送った。

荷物をまとめ、母のお見舞いに行く準備を始めた。

家を出ようとしたその時、ソファから「ピコン」と通知音が聞こえた。

見に行くと、それは和哉が忘れていったタブレットだった。彼のLINEがログインされたままで、グループチャットの通知がひっきりなしに表示されている。

表示されたメッセージの内容にちらりと目をやっただけで、真菫の全身の血が凍りついた。

【どうだ、椎名さん。あれって、OKしたか?】

【当たり前だろ。この俺にかかれば、モノにできないわけないだろう。今夜、楽しみにしとけよ。ジャケットを脱がせたら、お前らが投票で選んだあのドレスが、間違いなく真菫の体にあるからな】

【さすが椎名さんだな。あの高嶺の花の松原先輩が、言いなりなんだもんな。昔、あれだけ大勢が彼女の連絡先を聞きたがってたのに、見向きもしなかったくせに】

和哉はジト目のスタンプを送った後、こう続けた。

【高嶺の花?笑わせるな。ベッドの上じゃ、そのへんの女よりよっぽど積極的だぜ】

見慣れたアイコンが冷たい言葉を吐き出すのを見て、真菫は立っているのもやっとで、ソファに崩れ落ちそうになった。

心臓が張り裂けるような痛みが全身に広がり、体は激しく震えだした。

しかし、彼女への攻撃はまだ終わらない。グループのメッセージは続いていた。

【マジかよ、じゃあ椎名さんはもう飽きて、終わりにするつもり?】

【当然だろ。綾音がもうすぐ帰国するんだ。椎名さんが松原と芝居を続けるわけない。そもそもあの女に近づいたのは、綾音の憂さ晴らしのためなんだから】

【そうそう、綾音は椎名さんの憧れだからな。昔、大学のミスコンで綾音が松原に負けた時、松原は『くだらない』って言って綾音の面子を丸潰れにしたんだ。それで綾音はキレて、交換留学生として海外に行っちまった。それからもう三年だ。椎名さんがこの恨みを忘れるわけないだろ】

そのメッセージで、真菫は記憶の欠片を思い出した。

確かに、そんなことがあった。

当時、彼女はバイトで金を稼ぐのに必死で、誰かにミスコンのトロフィーを受け取りに来いと言われたが、賞金もないのに面倒くさくて「くだらない」と言ってしまった。

たったそれだけのことで、和哉に恨まれたというのか?

真菫は、あまりの理不尽さに言葉を失った。

熱い涙が止めどなく流れ落ち、彼女はソファの上で丸くなり、自分を抱きしめた。

どれくらい泣いただろうか。ようやく落ち着きを取り戻した真菫は、昨日面接を受けた会社の採用担当者に電話をかけた。

「入社の件、お受けします」

昨日、彼女は有名な会社の面接を受けた。給与も待遇も非常に良く、年収はボーナスや手当を合わせれば一千万円になる。

それだけあれば、家の事情を十分に支えられる。

ただ、海外勤務が条件だった。当時は和哉と離れたくなくて、少し考えさせてほしいと伝えていた。

でも今、もう考える必要はなかった。

「本当ですか?よく考えましたか?この仕事はA国に3年間赴任し、帰国はできませんよ」

採用担当者は念を押した。

真菫はかすれた声で答えた。

「はい、考えました。ただ、準備の時間をください。家のことを片付けてから行きたいんです」

「問題ありません。就労ビザの取得にも時間がかかりますから、一ヶ月後に出発ということで」

採用担当者は快く承諾した。

電話を切った。

真菫は、スマホの待ち受け画面になっている和哉とのツーショットをぼんやりと見つめた。

画面の光が目に染み、写真の上に置いた指先が震える。

写真の中の和哉は、愛おしそうに自分を見つめ、真菫は目を閉じてケーキに願い事をしている。

それは、二人が付き合って三周年の記念日に撮った写真だった。

あの時、「和哉と永遠に一緒にいられますように」と願った。

今、真菫の頭の中にはただ一つの思いだけが残っていた。

和哉、これからは二度と会うことはしない。

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松坂 美枝
彼氏とクズ男の関係にビビった(笑) 最後双方の親の承認は得られたのか気になった
2025-08-22 11:45:49
1
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蘇枋美郷
なんでくっだらない理由でクズ女の復讐のために命まで弄ばれなければならないんだよ!!しかもやり直すわけもないだろ! その後の、まさかのこんな偶然あるの!?読んでるこっちまでビックリしたわ(笑) パパと弟のその後は大丈夫だったのかな?
2025-08-22 17:08:15
0
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第1話
「この服、ちょっと露出が多すぎないかな……着なくてもいい?」松原真菫(まつはら ますみ)は、手の中にある体をほとんど隠せない黒いフィッシュネットのドレスを見て、顔が真っ赤になった。これを着て椎名和哉(しいな かずや)の誕生日パーティーに参加するなんて、考えただけで全身が燃え上がりそうだった。「ねぇ、着てよ。上着を羽織るから、他の人には見えないって」和哉は彼女の細い腰を抱きしめ、耳元で甘えるように囁いた。「こんなに愛してるんだ。お前のためにたくさん尽くしてきたじゃないか。俺のささやかな誕生日の願い、一つくらい叶えてくれてもいいだろ?」その言葉に、真菫は唇を噛みしめた。父が作ったギャンブルの借金を返してくれたのも、母の入院費を払ってくれたのも、弟を私立高校に転校させてくれたのも、すべて和哉だった。真菫が絶望のどん底にいた時、和哉は現れた。彼が言うように、これほどまでに尽くしてくれたのだから、和哉が気に入った服を着て願いを叶えてあげるくらい、断る理由はないはずだ。そう思うと、真菫は頷いた。「わかった。でも、今回だけだからね」「うん、安心して。次はもうないからさ」和哉は満足そうに微笑み、彼女の頬にそっとキスを落とした。「じゃあ、今夜ね」「ええ」真菫もキスを返し、和哉が自分の小さなアパートから出ていくのを笑顔で見送った。荷物をまとめ、母のお見舞いに行く準備を始めた。家を出ようとしたその時、ソファから「ピコン」と通知音が聞こえた。見に行くと、それは和哉が忘れていったタブレットだった。彼のLINEがログインされたままで、グループチャットの通知がひっきりなしに表示されている。表示されたメッセージの内容にちらりと目をやっただけで、真菫の全身の血が凍りついた。【どうだ、椎名さん。あれって、OKしたか?】【当たり前だろ。この俺にかかれば、モノにできないわけないだろう。今夜、楽しみにしとけよ。ジャケットを脱がせたら、お前らが投票で選んだあのドレスが、間違いなく真菫の体にあるからな】【さすが椎名さんだな。あの高嶺の花の松原先輩が、言いなりなんだもんな。昔、あれだけ大勢が彼女の連絡先を聞きたがってたのに、見向きもしなかったくせに】和哉はジト目のスタンプを送った後、こう続けた。【高嶺の花?笑わせる
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第2話
真菫は、あのドレスをゴミ箱に叩き込んだ。和哉が買ってくれたお揃いの服やマグカップ、歯ブラシも、すべて一緒に捨てた。そうしてようやく、少しだけ気分が晴れた。病院へ向かい、階段の踊り場に差し掛かった時、母の担当医が病室から出てくるのが見えた。挨拶をしようとした瞬間、隣にいた若い看護師がため息混じりに言うのが聞こえた。「あのおばさん、本当にかわいそう。もう助からないのに、あんなに辛い思いをさせられて」真菫の耳元で、「ブーン」という音が鳴り響いた。助からないって、どういうこと?担当医は、治療を続ければ二年後にはきっと良くなると言っていたはずなのに。担当医は看護師をちらりと見て、窘めた。「その話は松原さんには絶対に聞かせるな。椎名さんが言ってたんだ。松原さんが知ったら悲しむから、絶対に秘密にしてくれって」「松原さん、羨ましいなあ。彼氏があんなに良くしてくれるなんて。お母さんの医療費を全部払ってくれるだけじゃなくて、そんな細かいところまで気遣ってくれるなんて。きっとすごく愛されてるんですね」看護師は羨ましそうに言った。真菫は声もなく、乾いた笑みを浮かべた。和哉がすごく愛してる?今日までなら、彼女もそう思っていたかもしれない。医者たちが去った後、真菫は病室に入った。管だらけの母の姿を見て、真菫は涙をこらえきれなかった。先ほどの医者と看護師の会話と、今日見たグループチャットのメッセージが、頭の中で交互に再生される。和哉、いったいどの姿は本当のあなたなの?和哉、この恋が最初から最後までただの嘘である方がいい。少しも本心が混じっていませんように。そうでなければ、別れる時、お互いが苦しむことになる。今のこの状況は、むしろ好都合だ。真菫が和哉のことばかり考えていると、その和哉から電話がかかってきた。「真菫、準備はできた?いつ頃来られそう?」和哉はわざと「準備」という言葉を強調した。真菫は深呼吸して涙を拭い、できるだけ普段通りの声で答えた。「もう少し後かな。まだ病院でお母さんに付き添ってるから」和哉の声は、相変わらず優しかった。「わかった。じゃあ、着いたら教えて。迎えに行くから。出かける前に約束したこと、忘れないでね?」「うん」真菫は電話を切った。これ以上一言でも話した
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第3話
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第4話
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第7話
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第8話
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第9話
そのビデオは、瞬く間にネットで拡散された。和哉の取り巻きたちも、そのビデオを目にした。彼らは非常に驚いた。まるで天使のように清純に見えた綾音が、裏でこんなことをしていたとは。つまり、真菫の不倫騒動は、本当に濡れ衣だった。一人が、おそるおそる和哉に探りを入れた。「椎名さん、松原さんの件がネットで話題になってますけど、見ますか?」「言ったはずだ。その女のことは二度と俺の前で口にするなと」和哉は冷たく言い放った。三年間、自分が真菫を手玉に取っていたと思っていた。だが、まさか真菫が裏で他の男と不倫していたとは。彼の態度を見て、皆はもうそれ以上何も言えず、笑ってその話を流した。「ちょっと風に当たってくる」和哉は立ち上がると、タバコを吸いに外へ出た。しかし、タバコに火をつけながら、彼はスマホを取り出し、ネットのトレンドを開いた。#松原真菫、不倫騒動は捏造真菫の釈明ビデオを見終えた和哉の頭は、真っ白になった。つまり、真菫は不倫なんてしていなかった。すべては綾音が仕組んだ罠だったのか。では、なぜ弁明しなかったのか。手の中のタバコが根元まで燃え、その熱さに和哉はびくりとした。思わずタバコを指から離した。指の間にできた火傷の痕を見て、和哉の心臓は激しく締め付けられた。あの日、真菫は、今の自分よりもっと痛かったに違いない。なんて馬鹿なんだ。ビデオがAI合成であり得るなら、あのいわゆる不倫の証拠写真が、偽物でないわけがない。脳裏に、この三年間の真菫との思い出が、次々と蘇ってきた。彼女は手料理を振る舞ってくれた。自分の服一枚一枚に丁寧にアイロンをかけてくれた。情熱的な時には手をしっかり握りしめる。外の人には冷たく見えるけれど、彼に対してだけは、暖かい太陽のようだった。真菫の特別な一面は、すべて彼の前だけで見せるものだった。そして彼は、そんな素晴らしい彼女を、自らの手で壊してしまった。和哉の頭は混乱していた。この三年間の付き合いの中で、とっくに真菫を愛してしまっていたと、ようやく気づいた。慌ててスマホを取り出して真菫に電話をかけたが、返ってきたのは冷たい機械的な女性の声だけ。「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」急いでLINEでメッセージを送ったが、すで
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第10話
和哉は、真菫が遭難したという事実を受け入れられなかった。彼女にまだ謝罪もできていないのに、こんな形で永遠の別れを迎えるなんて。しかし、テレビのニュースも、大手メディアの見出しも、皆、あの便で不幸にも命を落とした乗客たちを追悼していた。自分を騙そうとしても、もう無理だった。それなのに、間接的に真菫を死に追いやった張本人である綾音が、恥知らずにも彼の元を訪ねてきた。「和哉、怖いわ。松原さんが偽造のビデオでデマを流すなんて。ねぇ、ネットのトレンドから消すのを手伝ってくれない?」彼女が真菫の名前を口にするのを聞くに堪えず、和哉は手を上げて綾音に平手打ちを食らわせた。「よくも逆ギレするな!誰が勝手に真菫を不倫のデマに仕立て上げたんだ?」綾音は信じられない顔で彼を見た。「私を殴ったの?」この男は、三年間も自分に尽くしてくれた追いかけだったはずだ。自分の機嫌を損ねたというだけで、真菫を苦しめた男。その彼が、今、自分に手を上げた?「お前のせいで、真菫は俺と別れた。別れなければ、真菫はA国に行かなかった。A国に行かなければ、あの飛行機に乗ることも、死ぬこともなかった」和哉は、綾音を冷たい目で見つめていた。かつての甘い眼差しは、もうどこにもない。「松原さんが死んだ?」その知らせを聞いて、綾音は非常に驚いた。やがて、嘲笑うかのように和哉を見た。「死んで何が悪いのよ。あなた、ずっとあいつのことオモチャだと思ってたじゃない。今更どの口で悲劇のヒーローを演じてるのよ」「あ・や・ね!」和哉はその言葉に胸を突かれ、彼女の首を掴んだ。目はまるで火を噴くかのようだった。「お前を、真菫の道連れにしてやろうか」綾音は首を絞められ、白目をむき、必死に彼の手を叩いた。もう殺されると感じたその瞬間、和哉はふっと手を離した。「このまま死なせるなんて、あまりに安すぎる」彼はフッと冷たい笑みを漏らし、部下に彼女を押さえつけさせた。綾音の胸に、恐怖がこみ上げた。「何をするつもり?」和哉は唇の端を歪めて嘲笑った。「真菫にやったことを、そっくりそのまま返してやる。今回は、AI合成はなしでな」「いや、やめて。和哉、私が間違ってたわ、お願いだから許して!」綾音は恐怖に引きつった悲鳴を上げた。「もし真菫
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