เข้าสู่ระบบ教会の控え室。
古い木の机の前で、司祭が書類をめくっていた。「では……白い結婚の解消について、あらためてご説明しますね」
淡々とした声だったが、どことなく優しい。
テオドールは正面で座り、表情を引き締めている。
ただ、その目には疲れと焦りが滲んでいた。「白い結婚というのは、形式上の結婚です。
三年間、夫婦としての交流がない場合――婚姻は自然に無効になります」司祭は紙をそっと置いた。
「奥さまは、三年間ずっとお一人でした。
姿を見せず、手紙も送らず、声もかけないとなれば…… 神様から見ても“夫婦ではなかった”と判断されるのは当然です」テオドールの喉が動く。
「……つまり、私はもう夫ではないと?」
「はい。すでに正式に解消されています」
短く、しかしはっきりとした返事だった。
しばらく沈黙が続く。
その後、司祭は書類を整えながら、ふと問いかけた。「三年も会いに行かなかったのに……
今になって奥さまを探されるのは、どうしてでしょう?」テオドールは息を飲んだ。
「……放置したつもりはなかった」
「ですが奥さまから見れば、三年間“夫として存在しなかった”わけです。
どんな理由があっても、結果だけは変わりません」司祭の声はやわらかいのに、言葉は鋭かった。
紙を閉じる音が静かに響く。
「もうひとつ。
白い結婚が解消されたあと、同じ相手と“元に戻る”ことはできません。 一方だけが望んでも不可です。 再びご縁を結べるのは――」司祭は静かに微笑んだ。
「お互いが“本当に望んだときだけ”。
義務でも、気まぐれでも、情けでもいけません。 神はそのあたり、案外きびしいのですよ」テオドールの唇がかすかに震える。
「……そうか」
「ええ。どうか、お間違えのないように」
テオドールは立ち上がり、礼を言って部屋を出た。
外に出ると、光が眩しかった。
(……三年。
俺は、何をしていたんだ……)午後の風だけが、静かに彼を抜けていった。
遠く離れた港町では、
マルグリット――いや、“マリー”がちょうど紅茶を注いでいた。「新しい茶葉、当たりね。香りがいいわ」
まったく別の時間を、
まったく別の人生を生きているふたり。 それでも、偶然はまだ彼らをすれ違わせるつもりでいる。 教会でのすれ違い教会の鐘が、昼の時を告げていた。
テオドールは司祭に一礼し、重い扉を押して外へ出る。
石畳を踏む音が、静かな礼拝堂に少しだけ残った。「三年か……」
彼は短く呟いて、陽の光の中へ歩き出す。すれ違いざま、白い扉がもう一度開いた。
⸻
「こんにちは、神父様」
柔らかな声。
入ってきたのは、淡いブルーの瞳をした若い女性。 手には小さな花束。「おや、マリーさん。ようこそ」
司祭は穏やかに微笑んだ。「お祈りをしにまいりました。
新しいお仕事もうまくいって、お部屋も整いましたし…… ようやく落ち着いたので」「それは良いことです」
マルグリット――今は“マリー”として生きる彼女は、
祭壇の前に膝をついた。 光がステンドグラスを通り、髪に色を落とす。「どうか、これからは穏やかに暮らせますように。
誰にも見つからず、静かに…… 無視されるより、知らない方がいい」小さく手を合わせて微笑む。
⸻
司祭は優しく言った。
「教会は、いつでも弱き者の味方です。 どうかお幸せに、マリーさん」「ありがとうございます」
マルグリットは深く頭を下げ、 花束をそっと祭壇の隅に置いた。外の石畳には、
さっき彼が残した足跡がまだ温もりを残している。けれど、今回ふたりは出会わない。気づかない。会ったことないのだから、
ほんの数分のすれ違い。 それだけで、世界は何事もなかったように回り続けていた。 「マルグリットの実家を訪れ、すべてを知ってしまう」テオドールは、執事の
「奥様には身寄りがありません」 という言葉を、最初は信じ切れなかった。――まさか。
貴族の令嬢だ。 誰も心配しないなど、ありえるのか。確認せずに信じるほど、彼は楽観的ではない。
いや、むしろ自分が“何も知らない夫だった”と認めたくなかったのかもしれない。だから足を運んだ。
⸻
■実家の門
名門貴族のはずの屋敷は、見る影もなかった。
塗装は剥げ、門は歪み、庭木は伸び放題。(……こんなはずは)
鐘を鳴らすと、肥えた女が扉を半分だけ開けた。
目つきは鋭く、明らかに歓迎の色はない。「どちら様?」
テオドールは名乗る。
「マルグリットの夫……だった者です」
女は、あっけらかんと返した。
「はあ? マルグリット知らないわよそんなの」
心臓が、一拍遅れる。
「彼女は……こちらに戻っていませんか」
「戻る? ないない。
あの子が家にいたのなんて、ほんの短い期間よ。 死んだ旦那が、あの子追い出して、出ていったきりよ。あんたの所じゃなかった? でも、私にとっては“他人”だもの」平然と言い放った。
⸻
■女の無関心な一言が、容赦なく刺さる
「……心配は?」
ようやく絞り出した問いに、女は乾いた笑いを返す。
「心配?
家に金ひとつ置かずに出ていった子に? 逆でしょ。心配されたいのはこっちよ」テオドールの眉が微かに動いた。
女は続ける。
「あの子、存在感がないのよ。
使用人より気配が薄い。 家にいたかどうかなんて、気づいたことすらないわね」使用人より気配が薄い。
家族にも認識されなかった娘。胸の奥に、冷たいものが落ちていく。
女はさらに追い討ちをかけた。
「旦那が死んでからの相続も、全部私がやったし。
あの子にはもう何も残ってないわ。 ……あなたも、もう関わらなくていいんじゃない?」まるで埃でも払うように、門が閉じられた。
⸻
■容赦のない現実の前に、言葉が消える
静かな道に取り残される。
風の音だけが耳に入る。テオドールは、立ち尽くした。
(……誰一人、マルグリットを気にかけていない)
(家も。家族も。身内も。
そして……俺もだ)刺したのは後妻の言葉ではない。
事実そのものだ。彼は三年、妻の実家を訪れたことも。
妻の交友を調べたことも。 妻の寂しさに思い至ったことすら、一度もなかった。(……俺は――
彼女を愛していなかったどころか。 “存在すら見ていなかった”んだ)胸が、ぎゅうっと締めつけられる。
戦場で受けた傷は痛みを誤魔化せた。
だが、この痛みだけはどうにもならなかった。(俺は……
あの子にとっての“最後の居場所”すら奪っていたのか)拳を握る手が震えた。
マルグリットが出ていった理由が、
ただ一つの明快な言葉となって胸に落ちた。――「もう誰にも期待しないため」。
テオドールは、ようやく理解した。
自分こそが、
あの子を追い詰めた“最後のひと押し”だったのだ。スザンヌ、動く「スザンヌ様、王都の記録課からお返事が」侍女が書状を持ってくる。スザンヌは紅茶を片手に封を切った。「……ふむ、やっぱりね」文面を読み進めながら、唇の端が上がる。「マルグリット・ド・リュミエール、 正式に“婚姻解消”と記録されてる。 現在は“マリー・グラン”の名で暮らしているそうよ」侍女が目を丸くした。「まぁ……侯爵夫人が、庶民の名前で?」「ええ。どうやら静かに、楽しそうに暮らしてるみたい。 紅茶店に通って、花屋で買い物して……」スザンヌは、カップを軽く揺らして香りを嗅いだ。「幸せそうね」侍女はためらいがちに口を開いた。「では、侯爵様には……?」「まだ言わないで。 あの子、自分で見つけなきゃ気づかないわ」紅茶を飲み干し、スザンヌは立ち上がった。鏡の前で帽子をかぶりながら、独り言のように言う。「どうしようかしらね。 放っておくのも、女の意地として悪くないけど……」指先でブローチを整え、にやりと笑った。「会いに行くのが一番だわね」「えっ!? スザンヌ様、自ら!?」「だって、気になるじゃない。 “白い結婚の元侯爵夫人”がどんな顔して幸せにしてるのか。 それに―― どんな女が、うちの愚かな甥より強かったのか、見てみたいもの」そう言ってマントを翻し、スザンヌは颯爽と屋敷を後にした。鏡の前で帽子をかぶりながら、独り言のように言う。「どうしようかしらね。 放っておくのも、女の意地として悪くないけど……」指先でブローチを整え、にやりと笑った。「会いに行くしかないわね。」「えっ!? スザンヌ様、自ら!?」「だって、気になるじゃない。 “白い結婚の元侯爵夫人”がどんな顔して幸せにしてるのか。 それに―― どんな女が、うちの愚かな甥より強かったのか、見てみたいもの」そう言ってマントを翻し、スザンヌは颯爽と屋敷を後にした。屋敷の応接間。時計の針が、静かに時を刻む。テオドールは書類に目を通していたが、ドアのノック音に顔を上げた。「スザンヌ叔母上。 ……お帰りでしたか」「ええ、ちょっと王都まで。 お茶を飲みにね」軽い口調で言いながら、スザンヌはゆっくり椅子に腰を下ろした。「あなたの元奥様、見てきたわ」ペン先が、止まった。「……なんですって?」「偶然を装って、少し話も
翌日の午前。侯爵邸の玄関扉が勢いよく開く音が響き渡った。レディ・スザンヌが、紫の羽をあしらった帽子を片手に堂々と入ってくる。「執事! いますか!」慌てて姿を現した執事が深々と頭を下げた。執事「れ、レディ・スザンヌ……お戻りとは伺っておりますが……何かご用で?」スザンヌ「使用人全員を“今すぐ”集めなさい。 ひとり残らず。いいわね?」その場にいた侍女たちまで息を飲む。執事「……はっ!」屋敷に緊張が走った。いつもは静かな廊下を、召使い達が走り回る。ほどなくして、居間には使用人たちが整列させられた。⸻◆居間――尋問の場スザンヌは姿勢よく椅子に座り、扇子をテーブルに置いた。彼女の後ろには堂々と立つマシュウ卿の姿もある。スザンヌ「では―― マルグリット侯爵夫人が、この屋敷でどのように扱われていたのか。 一から、順番に答えてもらいます」使用人全員が硬直した。目線が泳ぎ、誰も口を開かない。スザンヌ「まあ……誰かが先に話せるはずよね?」重い沈黙。その沈黙を破ったのは、侍女頭だった。侍女頭「……奥様は、お部屋におこもりで……」スザンヌ「理由を聞いているのよ」侍女頭「ご主人様が戦地にいらしたので…… その……私どもも奥様のお顔を見たことがなく……」スザンヌ「それで?」侍女頭はしどろもどろになりながら続ける。侍女頭「ですので……奥様に特別お仕えすることも…… お食事は、廊下に……運んで……」スザンヌ「廊下に?」侍女頭「……お返事がない日もありましたので……」スザンヌ「返事がなければ、床に置いて戻った、と?」侍女頭は顔を青ざめさせ、うなずくしかなかった。⸻スザンヌは、扇子を“ぱちん”と閉じた。スザンヌ「あなたたち、それで“お仕えしていた”つもりなの?」誰も顔を上げない。スザンヌ「洗濯は? 掃除は? 衣服の世話は?」侍女のひとりが弱々しく答える。若い侍女「……たまに……」スザンヌ「“たまに”!?」部屋の空気が震えた。執事までも冷や汗を拭う。執事「れ、レディ・スザンヌ……まことに申し訳ございません……」スザンヌ「申し訳、とは誰に? 私に? この家に? 違うでしょう――“いなくなった奥様に”よ」沈黙。誰も反論できない。した途端、全てがバレる。⸻スザンヌは
夕暮れのリビング。レディ・スザンヌは帰宅するなり、足音も豪快に、帽子をソファに投げ落とした。「聞いて、あなた! 今日はもう、腹が立つなんてもんじゃないの!」新聞を読んでいた夫――マシュウ卿は、眼鏡をずり上げて、「また何か騒ぎかね」と静かに向き直る。「騒ぎじゃ済まないわ! あの子よ、テオドール!!」「……甥の話か。今度は何があった?」スザンヌは紅茶のポットを乱暴に置き、身を乗り出した。「王命での結婚よ? “夫婦として国を支えよ”って、あの王妃陛下までおっしゃったのに―― 結婚式もお披露目もなく、そのまま戦地へ行って、 帰ってきたら離婚されていたのよ!」マシュウは、新聞を静かに閉じた。ゆっくり、両眉が上がる。「……なんだと?」「まだよ! もっとひどいの!」スザンヌは、指を折りながら怒涛の勢いで続ける。「三年間、一度も手紙なし! 贈り物もなし! 誕生日も祝ってない! 顔も見てない! 会ったことすら、ない!!」「……会ったことが、ない?」「ないのよ! まったく! 書類の婚姻だけで、そのまま三年! で、離婚届だけ置かれて、はい終わり!」マシュウは額を押さえた。「スザンヌ…… あいつ、戦地ではどれだけ働いていた?」「さあね。でも今日、あの子の部下に聞いたわよ」スザンヌの声が、急に落ちる。「“侯爵様は、寝落ちる兵の代わりに見張りにつき、 倒れた騎士の代わりに地図を引き、 夜明けまで指揮と救護と事務を全部ひとりでやっていました” ですって」「…………」マシュウの表情が、一瞬で深く沈む。スザンヌもまた、怒りの中に痛みを滲ませた。「“侯爵様は三年間、一度も休暇を取りませんでした。 食事もまともに取らず、 手紙を書く時間があれば、誰かの傷を縫っていました” って……。 どう思う?」マシュウはゆっくり息を吐いた。「……あいつは、真面目すぎる。 愚直に、命令だけを守るのが悪い癖だ」「そうよ!」スザンヌはカップを強く握った。「でもね、だからといって―― “妻を三年も放っていい理由にはならない”のよ!」「……ああ、その通りだ」スザンヌの声は怒りと痛みが混ざり、震えていた。「戦場で死ぬ覚悟があったのかもしれない。 恋なんて自分には似合わないと、勝手に諦めていたのかもしれない。 でも――」
王命による結婚――それが、テオドールの始まりだった。自分の意思ではなく、国の命令。「戦場に出る前に、身を固めておけ」上からのたった一言で、名も顔も知らぬ伯爵令嬢と婚姻書類に署名し、そのまま戦地へ赴いた。帰ってきてみれば、妻はいない。教会の記録には、淡々と“離婚済み”の印。そんな男は、決して珍しくなかった。⸻■「戦地帰還者支援室」役所の片隅に申し訳程度に作られた相談窓口。薄い壁、金属の椅子、どこか落ちつかない蛍光灯。テオドールは重い足取りでそこへ向かった。鎧より重たく感じる書類の束を握りしめて。「ええと……どのコースをご希望ですか?」若い受付係が事務的な調子で書類をめくる。指先だけはやたら軽やかだ。「……家庭再建、で」「はい、かしこまりました。 ご相談内容は……“戦地に行っている間に、妻が離婚していた”ですね? ああ、こちら、よくあるケースです」“よくあるケース”。その言葉が落ちた瞬間、胸の奥で何かがきしりと音を立てた。「……そうか」声は平静を装っているのに、手だけが微かに震えていた。⸻やってきた相談員は、にこやかではある。しかし、その目は一度たりともテオドールを見ない。書類の上を、忙しない指が動いているだけだ。「奥様と離婚……はいはい、確認しました。で――復縁をご希望ですか?」「……制度上できないと聞いている」「まあ、そうなんですよねぇ。 じゃあ次のステップに進みましょう」「……ステップ?」「ええ、“再婚を前提とした生活設計見直しコース”です。 この状況からどうリスタートするか、という内容でして」テオドールは言葉を失った。「……私は、再婚の話など――」「奥様がいなくなったのはお気の毒でしたね。 でも、人生は続きます。前向きに行きましょう」相談員の声は明るい。まるで“壊れた時計の修理”をすすめているような軽さだ。「……」(何を聞かされているんだ、俺は)⸻テオドールは椅子を引いた。金属が擦れる音が、妙に大きく響く。「……結構だ」「えっ? もうよろしいんですか? はい、では次の方どうぞー!」あっけらかんとした声。引き留める気配は一切ない。まるで最初から、テオドールという“相談者”など存在していなかったかのように。⸻外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。空はやけ
教会の控え室。 古い木の机の前で、司祭が書類をめくっていた。「では……白い結婚の解消について、あらためてご説明しますね」淡々とした声だったが、どことなく優しい。テオドールは正面で座り、表情を引き締めている。 ただ、その目には疲れと焦りが滲んでいた。「白い結婚というのは、形式上の結婚です。 三年間、夫婦としての交流がない場合――婚姻は自然に無効になります」司祭は紙をそっと置いた。「奥さまは、三年間ずっとお一人でした。 姿を見せず、手紙も送らず、声もかけないとなれば…… 神様から見ても“夫婦ではなかった”と判断されるのは当然です」テオドールの喉が動く。「……つまり、私はもう夫ではないと?」「はい。すでに正式に解消されています」短く、しかしはっきりとした返事だった。しばらく沈黙が続く。 その後、司祭は書類を整えながら、ふと問いかけた。「三年も会いに行かなかったのに…… 今になって奥さまを探されるのは、どうしてでしょう?」テオドールは息を飲んだ。「……放置したつもりはなかった」「ですが奥さまから見れば、三年間“夫として存在しなかった”わけです。 どんな理由があっても、結果だけは変わりません」司祭の声はやわらかいのに、言葉は鋭かった。紙を閉じる音が静かに響く。「もうひとつ。 白い結婚が解消されたあと、同じ相手と“元に戻る”ことはできません。 一方だけが望んでも不可です。 再びご縁を結べるのは――」司祭は静かに微笑んだ。「お互いが“本当に望んだときだけ”。 義務でも、気まぐれでも、情けでもいけません。 神はそのあたり、案外きびしいのですよ」テオドールの唇がかすかに震える。「……そうか」「ええ。どうか、お間違えのないように」テオドールは立ち上がり、礼を言って部屋を出た。外に出ると、光が眩しかった。(……三年。 俺は、何をしていたんだ……)午後の風だけが、静かに彼を抜けていった。遠く離れた港町では、 マルグリット――いや、“マリー”がちょうど紅茶を注いでいた。「新しい茶葉、当たりね。香りがいいわ」まったく別の時間を、 まったく別の人生を生きているふたり。 それでも、偶然はまだ彼らをすれ違わせるつもりでいる。 教会でのすれ違い教会の鐘が、昼の時を告げていた。テオ
王命による結婚――それが、テオドールの始まりだった。自分の意思ではなく、国の命令。 「戦場に出る前に、身を固めておけ」 上からのたった一言で、名も顔も知らぬ伯爵令嬢と婚姻書類に署名し、 そのまま戦地へ赴いた。帰ってきてみれば、妻はいない。 教会の記録には、淡々と“離婚済み”の印。そんな男は、決して珍しくなかった。⸻■「戦地帰還者支援室」役所の片隅に申し訳程度に作られた相談窓口。 薄い壁、金属の椅子、どこか落ちつかない蛍光灯。テオドールは重い足取りでそこへ向かった。 鎧より重たく感じる書類の束を握りしめて。「ええと……どのコースをご希望ですか?」若い受付係が事務的な調子で書類をめくる。 指先だけはやたら軽やかだ。「……家庭再建、で」「はい、かしこまりました。 ご相談内容は……“戦地に行っている間に、妻が離婚していた”ですね? ああ、こちら、よくあるケースです」“よくあるケース”。その言葉が落ちた瞬間、 胸の奥で何かがきしりと音を立てた。「……そうか」声は平静を装っているのに、 手だけが微かに震えていた。⸻やってきた相談員は、にこやかではある。 しかし、その目は一度たりともテオドールを見ない。 書類の上を、忙しない指が動いているだけだ。「奥様と離婚……はいはい、確認しました。で――復縁をご希望ですか?」「……制度上できないと聞いている」「まあ、そうなんですよねぇ。 じゃあ次のステップに進みましょう」「……ステップ?」「ええ、“再婚を前提とした生活設計見直しコース”です。 この状況からどうリスタートするか、という内容でして」テオドールは言葉を失った。「……私は、再婚の話など――」「奥様がいなくなったのはお気の毒でしたね。 でも、人生は続きます。前向きに行きましょう」相談員の声は明るい。 まるで“壊れた時計の修理”をすすめているような軽さだ。「……」(何を聞かされているんだ、俺は)⸻テオドールは椅子を引いた。 金属が擦れる音が、妙に大きく響く。「……結構だ」「えっ? もうよろしいんですか? はい、では次の方どうぞー!」あっけらかんとした声。 引き留める気配は一切ない。まるで最初から、 テオドールという“相談者”など存在していなかったかのように。⸻外







