ログイン夕凪はすっかり面食らっていた。おばあさま、いつの間にこんなネットの流行に染まったの……?もっとも、考えてみれば不思議でもない。今ではスマホやネットの流行も、年配の人たちにすっかり浸透している。多恵さんでさえ、休憩中はスマホでショートドラマを夢中で見ているくらいだ。峻も目を見開き、呆気に取られていた。「おばあさま、いったい何を……」峻がここまで言葉に詰まったのは、生まれて初めてだった。どうして祖母は、いつも実の孫である自分より、他人の肩ばかり持つのか。たとえ夕凪にうまく丸め込まれたのだとしても、ここまで「夢中」になるものだろうか。頭の中は、夕凪のことでいっぱいではないか。峻には、静江がなぜこれほど夕凪を気に入っているのか、まるで理解できなかった。大学を卒業したあと、峻は一度だけ清音を本家へ連れてきたことがある。清音はごく普通の家庭で育ったが、学生時代からずば抜けて優秀だった。立ち居振る舞いにも品があり、穏やかで清楚な女性だった。静江なら、きっと清音を気に入る。夕凪よりもずっと。峻はそう確信していた。だが、結果は予想とは正反対だった。一度会っただけで、静江は「あの子は好きになれない」と冷たく言い切ったのだ。驚いた峻が理由を尋ねても、静江は「勘だよ」としか答えなかった。好きになれないものは、好きになれないのだ、と。それでも峻は静江の言葉を聞き入れず、夕凪のせいだと決めつけた。当時の夕凪は、毎日のように自分を追いかけ回していた。きっと静江に、清音のことをあれこれ吹き込んだに違いないと思ったのだ。「おばあさま、はじめまして!先ほどお話に出た桐生司です!」そのとき、一人の男が大股で部屋へ入ってきた。まっすぐ静江のもとへ向かい、その隣へどっかりと腰を下ろした。ついでとばかりに、尻で峻をぐいと押しのけた。あまりの勢いに、峻は危うくソファから転げ落ちそうになった。峻の顔がたちまち険しくなった。司の横顔を睨む目は鋭く、視線だけで穴を開けそうな勢いだった。一方、静江は目を輝かせた。「まあ、あんたが桐生さんかい!そうかい、そうかい。顔立ちもいいし、背も高い。それに何より、うちの夕凪を大切にしてくれているそうじゃないか。結構なことだよ、本当に!」静江は興奮した様子で司の手を取り、何度もうなずいた。
「……」夕凪は静江を見つめたまま、ぽかんとした。い、今の言葉、本当におばあさまの口から出たの?ずいぶん過激な言い回しを知っているのね……「おばあさま、俺は実の孫ですよ!」峻はようやくタブレットから目を上げ、静江をまっすぐ見た。端正な顔を引きつらせ、声を強めた。実の孫だというのに、ここまで容赦なく罵る祖母がほかにいるだろうか。だが静江は杖で床を何度も突き、怒った顔で言い返した。「実の孫だから何だっていうんだい?実の孫だからこそ、遠慮なく叱れるんじゃないか!ネットでクズ男を罵る言葉を山ほど覚えたんだよ。今ここで全部聞かせてやろうか……」「おばあさま!」夕凪はぎくりとして、慌てて静江を止めた。自分のせいで、峻が静江から散々罵られるのはまずい。別に、まだ峻を愛しているから庇ったわけではない。傷つく彼が可哀想だと思ったわけでもなかった。峻は「冷徹無比な帝王」と恐れられる男だ。ここでこっぴどく罵られれば、その腹いせが自分に向かうに決まっている。そんなとばっちりは御免だった。離婚協議書にはもう署名してもらったのだ。あとは揉めずに別れられれば、それでいい。「謝ってもらわなくて大丈夫です。おばあさま、心配しないでください。これから峻とどんな関係になっても、私とおばあさまの関係は何も変わりませんから」静江が口を開くより先に、峻が冷ややかに言い放った。「それくらいの分別はあるらしいな。俺に謝らせようなんて、ずいぶんと思い上がったものだ。三年前は卑劣な手で何の罪もない人間を死なせ、今度はまた同じことを繰り返そうとした」峻の目に、はっきりと軽蔑の色が浮かんだ。「罪を重ねても反省ひとつしない女に、俺のそばにいる資格はない」静江は怒りに顔を真っ赤にした。「黙りなさい!いいかい、夕凪は誰も傷つけてなんかいない。私はこの子を信じてるんだよ!これ以上、夕凪の悪口を言ってごらん。この杖でぶっ叩いてやるからね!」最後のひと言がおかしくて、夕凪は思わず吹き出しそうになった。けれど笑いは出なかった。代わりに、胸いっぱいに温かなものがこみ上げ、目にはまた涙がにじんだ。静江がきっぱりと言い切っても、峻はまるで取り合おうとしなかった。峻には、夕凪が静江をうまく言いくるめたとしか思えなかった。だから静江も、こうして夕凪の肩を持つのだ。
夕凪がVIPルームに飛び込むと、質素な身なりながら凛とした気品を漂わせる老婦人が、杖を手にソファに腰かけていた。「おばあさま……」胸がいっぱいになり、夕凪は吸い寄せられるようにその胸へ飛び込んだ。「夕凪、私の可愛い孫娘……」静江も夕凪をしっかりと抱きしめた。「おばあさま、会いたかったです!私も近いうちに、本家へ会いに行こうと思っていたんです……」夕凪は静江の胸元から顔を上げた。その目には涙がにじんでいた。静江は夕凪の背を優しくなで、微笑んだ。「私だって、ずっと会いたかったよ。前に顔を見せてくれたきり、どこへ行ったのかもわからなくなって……この年寄りが、どれほど心配したと思ってるんだい?まったく、気が気じゃなかったよ。ゴホッ、ゴホッ……」感情が高ぶったのか、静江は口元を押さえ、激しく咳き込んだ。「おばあさま……!」夕凪は慌ててその背をさすった。胸が大きくざわついた。先日の誕生パーティーでも、静江は突然倒れた。あとで峻からも、最近は体調を崩して何度も病院へ通い、時には意識を失うことさえあると聞いた。もしかして、私が姿を消したせいで?私のことを心配しすぎて、具合を悪くしたの……?「ごめんなさい、おばあさま……私が悪かったんです!」苦しそうに咳き込む静江を見ていると、胸が締めつけられた。自分のことばかりで、おばあさまの気持ちを考えようともしなかった。全部、私のせいだ。もし本当に、自分を心配したせいで病気になったのなら、一生悔やんでも悔やみきれない。「おばあさま、もう心配しないでください。二度と黙っていなくなったりしません。これからは何度でも会いに行って、ちゃんと孝行します」涙で潤んだ目を向け、夕凪は心からそう約束した。口先だけで終わらせるつもりはなかった。「そうかい、そうかい……」静江はたちまち満面の笑みを浮かべた。そこでようやく、夕凪は部屋にもう一人いることに気づいた。峻だ。別のソファに腰かけ、長い脚を組んでいた。スーツの上には、薄いグレーのコートを羽織ったままだった。眉間には深いしわが寄り、薄い唇は固く結ばれていた。眼鏡の奥の冷ややかな目は手元のタブレットに注がれ、黙々と仕事を片づけていた。先ほどから、こちらのやり取りなど耳に入っていないような顔をしていた。ど
それでも夕凪は取り乱さず、絶望して泣き崩れることもなかった。表情は冷静なままだった。ただ、瞳に宿る冷たさだけが、ますます鋭さを増していった。夕凪は冷ややかに笑った。「三年前の私なら、瀬戸グループに乗り込んで大騒ぎしたでしょうね。でも、今の私はもう、そんな馬鹿な真似はしない。正面からぶつかって勝てないなら、頭を使えばいい」司は目を見張った。切れ長の美しい瞳に、鋭い光がよぎった。「それで、どうするつもりだ?」司はますます興味をそそられた。夕凪は窓の外へ視線を向けた。どこか遠くを見つめているようでありながら、その瞳は明るく、揺るぎない意志に満ちていた。「敵の敵は味方。聞いたことはありませんか?」夕凪は静かに言った。司は一瞬、言葉を失った。体をこわばらせて、呆然と夕凪を見つめた。そんな言葉が出るということは、夕凪の中にはすでに考えがあるのだ。司は探るように、彼女をじっと見つめた。毎日のように顔を合わせている。それなのに、自分は今まで、この女を何一つ分かっていなかったのではないか。いや、夕凪が変わったのだ。三年前までの彼女とは、まるで別人だった。司の中にある夕凪の姿は、何年も前のまま止まっていた。わがままで、無邪気で、世間を何も知らなかった幼い少女のまま……その時、ドアがノックされ、誰かが入ってきた。受付スタッフだった。用があるのは司ではないらしく、夕凪へ顔を向けた。「お客様がお見えです。若奥様をご指名で、お席に来てほしいとのことですが……」司と夕凪は、そろって目を見開いた。司は腕時計を見て、怪訝そうに眉を寄せた。「まだ午前十時だぞ。こんな時間からクラブで酒を飲む奴がいるのか?」しかも、わざわざ夕凪を指名している。スタッフが答えるより先に、司は顔色を変え、不機嫌そうに言い放った。「その客に言ってこい。瀬戸夕凪は俺が結婚する女だ。酒が飲みたいなら、うちには美人でスタイルのいいホステスが大勢いる。好きな相手を選べとな!」声には、はっきりと怒りがにじんでいた。司にしてみれば、その客はわざと店に嫌がらせをしに来たのだ。夕凪を辱め、司の面目まで潰そうとしている。司と夕凪は顔を見合わせた。二人とも険しい顔をしていたが、すでに同じ人物を思い浮かべていた。その客は、峻に違いない
夕凪は拳を握りしめた。怒りが一気にこみ上げ、頭に血が上っていく。堂島さんは、何十年もおじい様に仕えてきた。おじい様だけじゃない。お母様のことも、私のことも、三代にわたって支えてくれた人だ。瀬戸家のために人生の大半を捧げ、身を粉にして働いてくれた。その堂島さんを、慎一郎はどうして追い出せたの?あまりにも冷酷だった。私が瀬戸グループの次期社長になるのを阻むためだけに、そこまでするの?その時、夕凪は突然悟った。幼い頃から、自分を大切にしてくれた祖父、気にかけてくれた母、そして、優しかった父。けれど父だけは、自分が信じてきたような人ではなかったのかもしれない。先日の静江の誕生パーティーで、慎一郎が自分に手を上げた時も、志織を心配するあまり我を忘れただけだと必死に言い聞かせていた。だが今なら分かる。あれこそが、慎一郎の本当の姿だったのだ。司の顔に、同情の色が浮かんだ。「夕凪、もう一つ教えてやる。感動してもいいが、泣くなよ。俺は女に泣かれるのが一番苦手なんだ」司は前置きをしてから、続けた。「昨日、堂島がお前から逃げるように立ち去ったのは、もう会いたくないからじゃない。真相を知られたくなかったんだ。お前を悲しませたくない。自分のことで、お前と父親の仲を壊したくない。あいつが願っているのは、ただお前が幸せに暮らすことだけだ。お前さえ幸せなら、それで十分だと……堂島の奥さんが、そう教えてくれた」その言葉に、夕凪は胸をえぐられるような鋭い痛みを覚えた。涙が一気にあふれ出した。だからだったのか。堂島さんは私との再会をあれほど喜び、感情をあらわにしていたのに、連絡先を残そうとはしなかった。今なら堂島さんの気持ちが痛いほど分かる。どれほど迷い、どれほど苦しかったことだろう。すべて、慎一郎のせいだ!胸を締めつけていた悲しみと苦しみが、次第に怒りへと変わり、激しく渦を巻き始めた。先日の誕生パーティーで、慎一郎たちから受けた屈辱も痛みも、まだ何一つ償わせていない。そこへ、さらにこの事実まで突きつけられたのだ。彼らは、私が何をされても黙って耐えるとでも思っているのか。堂島さんにも、どんな仕打ちをしても許されると思っているのか。慎一郎は、もともと瀬戸家の娘婿にすぎなかった。祖父が自ら涼崎市の財界へ導き、一から仕事を
どうやら司は本当に自分の頼みを気にかけ、すぐに動いてくれていたのだ……司は片眉を上げ、腕を組んだままデスクに軽くもたれた。気負いのない、ゆったりとした仕草だった。「堂島の携帯の番号は、後で送ってやる」夕凪は感謝の言葉を口にしてから、尋ねた。「ありがとうございます……それで、堂島さんは今、どんな生活をしているんですか?どうしてあんな姿に……」「いや、かなり苦しい生活を送っている。瀬戸グループを辞めてから、どんな仕事に応募してもことごとく採用を断られたらしい。それでも妻子を養わなければならず、道路清掃員になるしかなかった。その仕事を、もう5年も続けているんだ」司は淡々と語った。夕凪の表情が痛ましげに歪んだ。「堂島さん……」もし、世間が言うように剛造が本当に会社の金に手をつけていたのだとすれば、今の境遇も自分で招いた結果なのかもしれない。しかし――司は意味ありげに目を細めた。「驚くのはまだ早い。もっととんでもない話がある」「何ですか?」「堂島が会社の金を横領したという話は、まったくの事実無根だった。誰かがあいつを罠にはめたんだよ。瀬戸グループから追い出すためにな」司はゆっくりと告げた。夕凪は呆然とした。「堂島さんを瀬戸グループから追い出すためですか?どうして……いったい誰がそんなことを?」訳が分からなかった。剛造は、ほかの株主と何か揉め事でも起こしていたのだろうか。「そいつが堂島を追い出したかったのは、堂島がずっと、あることを実現しようと動いていたからだ」「あること、ですか?」「株主全員を説得し、新しく就任した社長に、ある書類に署名させようとしていた。お前を瀬戸グループの次期社長に指名するという書類だ」夕凪は言葉を失った。目を大きく見開き、信じられない思いで自分を指差した。「私、ですか?」「そうだ」「そんなのあり得ません。どうして私なんですか?私にできるはずがないのに……」考えるより先に、言葉が口をついて出た。あまりにも現実離れした話だった。確かに夕凪は祖父の唯一の孫娘であり、母の唯一の娘でもある。だが、自分が瀬戸グループの社長の座を継ぐなど、考えたこともなかった。自分にはその器はないし、経営に興味を持ったこともない。もし自分が瀬戸グループを引き継いだら、会
それにしても、なぜ峻はあんなことを言ったのだろう。「正式に娶った妻」だと?夕凪はすでに離婚協議書を置いてきた。峻が判を押しさえすれば、所定の手続きを経て二人の婚姻は終わる。晴れて自由の身になれるはずだ。それこそ、峻がずっと望んでいたことではないのか。――ふいに、背後でVIPルームの重い扉が内側から引き開けられた。夕凪はびくりと身を竦め、我に返るや否や逃げ出そうとした。「待て」呼び止められた。しかも、この低く冷たい声はまさか……?聞き間違えるはずがない。あの人、峻だ!夕凪の頭の中が真っ白になり、足が凍りついた。一歩も動けない。背筋が棒のように硬直し、指先から急速に
だが、夕凪はすぐに飛びつくことはしなかった。不安げに眉を寄せる。「でも……」言いかけて、口をつぐんだ。桐生家と御堂家は商売敵だ。この男の厚意を素直に受け取っていいものか。司はにやりと笑った。「そんなに警戒するなよ。大荷物抱えて仕事を探し回ってるってことは、行く当てがないんだろ?俺はただ、困ってる人間に手を貸してやろうってだけだ」それでも夕凪の警戒は解けない。司はその様子を見て、声を上げて笑った。「あんたを利用するつもりなら、今すぐ御堂さんに電話してるさ。わざわざこんな地味な仕事を回す必要がどこにある?まあ、働くか出ていくかはあんたの自由だ。好きにしろ」そう言い残
嫁ぎ先には怖くて戻れない。実家にも帰れない。――行き場が、どこにもない。夕凪はあてもなく、身を切るような寒風の中を歩き続けていた。鼻先は真っ赤で、体の震えが止まらない。ふと、子どもの頃に読んだ「マッチ売りの少女」を思い出した。寒くて、腹が減って、一文無しで――今の自分は、まさにあの少女そのものだ。足が止まった。目の前に、二十四時間営業の看板を掲げたファストフード店がある。窓越しに見える店内には、夜を明かすホームレスたちの姿があった。もう、ここしかない。夕凪は歯を食いしばり、迷惑を承知で店に入った。隅の席を見つけ、テーブルに突っ伏す。外で凍え死ぬよりはマシだ。けれ
二十分後。忠はアクセルを踏み抜かんばかりの勢いで車を飛ばし、ようやく最短時間で峻を本家へ送り届けた。玄関をくぐるなり、御堂グループの次期総帥ともあろう峻が、またしても祖母にこっぴどく叱り飛ばされた。峻は一言も言い返さず、黙って叱責を浴びていた。が、頭の中では別のことを考えていた。御堂家の先代当主と夕凪の外祖父――瀬戸グループの創業者は、血の繋がりこそないが義兄弟の契りを結んだ仲だ。夕凪は幼い頃からしょっちゅう本家に遊びに来ていた。静江には三人の息子と一人の娘がいて、孫も五、六人、さらに外孫娘もいる。けれど昔から誰よりも可愛がっていたのは、血の繋がりのない夕凪だった。御堂家の







