LOGIN結婚式を翌日に控えた夜、婚約者の友人たちが「花嫁チャレンジをやろう」と騒ぎ出した。 私、桐島紗奈(きりしま さな)と親友の小野寺美咲(おのでら みさき)が、私の婚約者である高瀬直哉(たかせ なおや)についてのクイズに、同時に答える。私が1問負けるたびに、花嫁の持ち物を1つ差し出すというルールだった。 最初のクイズは、直哉のいちばん好きな色だった。 私が黒と答えると、美咲は青と答えた。彼のクローゼットには青い服など1着もないのに、みんなは声をそろえて宣言した。 「美咲、正解!」 私は式で履くはずの靴を脱ぐしかなかった。 2問目は、胃の調子が悪い時、直哉が食べたいものだった。 私は卵雑炊、美咲はシーフードパエリアと答えた。 けれど、彼はひどい胃潰瘍を患っていて、魚介類を食べて救急外来へ運ばれたこともある。何年ものあいだ、夜中に卵雑炊を作ってあげていたのは私だった。 反論しかけた私に、直哉は冷たい顔を向けた。 「そんなに自分がいちばん俺のことをわかってるって言いたいのか?」 私はブーケも差し出すことになった。 そして、最後の問題。 「直哉が、明日の結婚式で隣にいてほしいのは誰?」 私が結婚指輪を握りしめる一方で、美咲は笑って自分を指さした。次の瞬間、直哉は私の前を通り過ぎ、彼女の手を取った。 たちまち歓声が上がった。 「大正解!」 ルールに従えば、これで私は指輪も直哉も失ったことになる。 直哉は私の指から無理やり結婚指輪を抜き取り、美咲の指にはめてから振り返った。 「ただの予行演習だろ。まさかゲームくらいで本気で怒ってるのか?」 笑い転げる親族や友人たちを見て、私はふと気づいた。答えが合っているかどうかなんて、どうでもよかったのだ。最初から、誰も私を勝たせるつもりはなかった。 私はベールを外し、美咲の腕に載せた。 「明日の結婚式も美咲とすればいいわ」
View Moreそれから、直哉は毎年ロンドンを訪れるようになった。白いキキョウの花束を届けることもあれば、遠くから私を見るだけのこともあった。私は一度も彼から花を受け取らず、彼と2人で会うこともしなかった。3年目、私のプロジェクトは終了した。私は元の街には戻らず、別の機関からのオファーを受けた。出発前、直哉がまた空港に現れた。彼は引き止めようとはせず、ただあの結婚式の準備ノートを私に差し出した。「お前が準備してくれた式のプログラム、最初から最後までもう一度見直したんだ。昔は、結婚式なんて大して重要なものじゃないと思ってた。でも……後になって気づいたよ。お前は1年という時間をかけて、俺たちのこれからを真剣に準備してくれていたんだなって。それを俺が、自分の手で台無しにしてしまった」私はノートを受け取ると、彼の目の前で、そばにあったリサイクルボックスへ投げ入れた。直哉の顔から血の気が引いたが、私は笑った。「過去のものを、ずっと取っておく必要はないから」搭乗を促すアナウンスが流れ始め、私はスーツケースを引いて歩き出した。背後から、直哉が私を呼び止めた。「紗奈」振り返ると、人混みの中に立つ彼の目元はやはり赤くなっていた。「あの日、あのゲームをしなかったら、無事に結婚できていたのかな……?」私は少し考えてから、そっと首を横に振った。「あのゲームがなくても、また別のことが起きていたと思う」結婚式のゲームは、私に現実を思い知らせただけだった。直哉は、最後に私と結婚すればそれでいいと思っていた。私の気持ちを踏みにじっても、私よりほかの人を大切にしても、許してもらえると思っていたのだ。私たちの関係を本当に壊したのは、美咲でも、美智子でも、はやし立てた友人たちでもない。私が傷つくとわかっていながら、それでも何度も、私を傷つけることを選んだ、彼自身なのだ。私は前を向き、搭乗口へ進んだ。今度は、直哉も追ってこなかった。ようやく彼にもわかったのだろう。ゲームならやり直せるし、過ちも取り返せることはある。けれど、何度も傷つけられた末に離れると決めた人は、もう戻ってこない。(おわり)
私が旅立ってからの1か月、直哉はまだ、私が本当に戻らないとは信じていなかった。毎日、メールを送ってきた。【新居は買い直した】【美咲はもう出ていった】【指輪も外した。あいつには持っていかせていない】【お母さんのドレスは、修復してもらった】【いつ帰ってくる?】私はどのメールにも返信しなかった。2か月目になると、直哉は美咲を自分の会社のポストから外した。ゲームに加わっていた友人たちが、彼女のために取りなそうとした。「美咲はみんなに付き合ってただけだろ。最終的に決断を下したのはお前じゃないか」彼らを見つめながら、直哉は反論できなかった。誰もが、私を傷つけることに手を貸した。けれど、刃を握っていたのは直哉だ。美咲にすべての責任を押しつける資格はなかった。美智子は怒りのあまり体調を崩し、入院した。病床でも、私を薄情だと罵った。「ただのゲームだったじゃないの。直哉がここまで謝っているのに、あの子はこれ以上何が不満なの?」ベッドのそばに立つ直哉は、ふと思い出した。美智子のせいで私がつらい思いをするたびに、自分も同じようなことを言っていた。「母さんも悪気があって言ってるわけじゃないんだ。年上だと思って、少しは大目に見てやってくれよ」私は7年間、ずっと我慢してきた。それなのに、もう我慢しないと決めた途端、みんなは私を冷たい人間だと責め始めた。直哉は初めて、美智子の言葉を遮った。「あいつが戻ってこないんじゃない。俺にあいつを呼び戻す資格がないんだよ」呆然とする美智子を残し、直哉は部屋を出た。本当に謝らなければならないのは自分だと、ようやく直哉にもわかったのだ。……半年後、私が修復に携わった最初のアンティークの婚礼衣装が、ロンドンで展示された。その日は大勢の人が訪れた。私は展示室で、ひどく傷んでいた古いウエディングドレスについて解説をしていた。切り裂かれ、焼かれても、持ち主はそのドレスを捨てなかった。残った生地をつなぎ合わせ、1羽の鳥の形に縫い上げたのだ。来場者の1人が尋ねた。「どうして元の形に戻さなかったんですか?」私は微笑んで答えた。「壊れたものを、無理に元どおりにする必要はないからです。新しいものに生まれ変わってもいいんです」人々の後ろに、直哉が黙って立っていた。半年ぶりに
翌日、直哉は私が行きそうな場所を片端から捜した。母の墓がある霊園、以前住んでいた部屋、大学のキャンパス、私たちが初めてデートしたレストラン。どこにも私はいなかった。午後になってようやく、弁護士から1つの箱が届けられた。中には美咲の髪から外された真珠の髪飾りと、切り裂かれたウエディングドレスが入っていた。直哉は顔を曇らせた。「どうして、これを俺に?」弁護士は静かに答えた。「桐島様は、もういらないとおっしゃっています」「あれはあいつの母親の形見なんだぞ。いらないわけがないだろう?」「高瀬様」弁護士は彼を見た。「桐島様も、大切になさっていました。ただ、ほかの方が身に着けて結婚式を終えたものは、もうお母様からご自分への祝福ではないと。二度と見たくないそうです」直哉は立ち尽くした。私が持ち物を引き揚げることよりも、あれほど大切にしていたものを捨て始めたことが、彼には怖かったのだ。髪飾りもドレスもいらないのなら、彼自身ももういらないのではないか。そんな不安が、彼を襲っていた。「紗奈はどこにいる?」弁護士は答えず、ただ別の書類を彼に差し出した。海外の伝統衣装の修復機関から届いた、仕事の依頼書だった。私に、3年間のプロジェクトへの参加を打診している。日付は半年前。私は一度それを断っていた。その理由は1行だけだった。【結婚を控えているため、今は離れられません】そして昨日、私は改めて返信していた。【ぜひ参加させてください】その短い言葉を見つめる直哉の呼吸が次第に乱れた。彼との結婚がなければ、私は半年前に、もう旅立っていたのだ。直哉は慌ててスマートフォンを取り出し、部下に電話をかけた。「紗奈の乗る便を調べろ。今すぐだ」30分後、部下から取り急ぎ連絡が入った。「社長、桐島様は今夜9時20分発のロンドン行きの便に乗られます」時計を見ると、8時40分だった。彼は車の鍵をつかみ、血相を変えて飛び出した。空港へ向かう高速道路は、身動きが取れないほど渋滞していた。直哉は何度も時計を確認した。9時、9時5分、9時15分。車の列はピタリと止まったままだった。彼はとうとう車を置き去りにし、空港に向かって路肩を走り出した。革靴でかかとが擦りむけ、襟元は汗で濡れていた。彼がここまで無
直哉がホテルの花嫁用スイートルームへ戻ると、部屋はがらんとしていた。私の服もスーツケースもなくなり、化粧台には外したタグが数枚残されているだけだった。分厚い結婚式の準備ノートは、まだあった。この1年の予定が、1つ残らず書かれている。直哉が何気なく開くと、最初のページには、結婚式のテーマカラーについて書かれていた。【直哉は派手な色が好きじゃないから、白いキキョウにする】次のページには、披露宴のメニュー。【直哉は胃が弱いので、魚介類はすべて胃に負担の少ない料理に変更】さらに、次のページ。【式の当日は胃薬を2回分用意しておく。空腹のままお酒を飲まないように気をつける】どのページにも書いてあるのは、彼の習慣や好み、体調のことばかりで、私自身に関する記述はほとんどなかった。直哉はふと、ゲームの問題を思い出した。好きな色、胃の調子が悪い時に食べるもの、いちばん忘れられない誕生日。私はすべて正解し、美咲はすべて間違えた。それをわかっていながら、直哉は美咲の勝ちだと言った。私なら自分のことをわかってくれる。それだけ深く愛されているのだから、たまに負けたくらいで離れていくはずがない。彼はそう思っていたのだ。最後のページには、ずっと前に私が書いたメモが1枚挟まっていた。【結婚式は、ひとつの儀式にすぎない】【本当に大切なのは、どんなときでも彼が私を選んでくれること】その下に、私が書き足した1行があった。【私の思い違いだった】直哉の指が震え始めた。彼は取りつかれたように部屋を探し回り、やがてごみ箱のそばで、落ちていた真珠を数粒見つけた。その横には、裂けたドレスの裏地の小さな切れ端もあった。「紗」の字が、半分だけ残っている。それを拾い上げると、昨晩自分が放った言葉が脳裏で蘇った。「お母さんが生きていたとしても、真珠が数粒落ちたくらいで、結婚式をこんなふうに台無しにしてほしくはないだろ」あのとき、私の顔から一瞬で血の気が引いた。それを見てもなお、彼は私に、美咲へ謝るよう迫ったのだ。亡くなった母親のことを持ち出せば、私が引き下がると知っていたからだ。彼はいちばん痛いところを突いて、別の女性を守った。直哉は、指の関節が白くなるほど布の切れ端を握りしめた。自分が思っていた以上に残酷な人間だったことに、直哉は初