Masuk同窓会の席で、工藤結翔(くどう ゆいと)の初恋の相手である浅田琴葉(あさだ ことは)が、私、林田芽依(はやしだ めい)の目の前で彼に詰め寄った。 「私、妊娠したの。これでようやく、私と一緒にいられるよね?」 結翔は私に料理を取り分け、穏やかな微笑みを浮かべたまま答えた。 「耳の聞こえない彼女を一生守ると決めたんだ。今さら約束を破るわけにはいかない。君の妊娠は、彼女には一生隠し通す。もし知られたら、どんな事態になるか僕にも見当がつかないから。 その代わり、君とは本物の婚姻届を出そう。彼女に渡してある証明書は、どうせ偽物なんだから」 結翔はスマホを置くと、私に向かって優しく微笑み、明日レストランを予約したこと、結婚七周年を祝おうということを手話で告げた。 けれど、彼は私の目からこぼれ落ちた涙を見ていなかった。 結翔は知らない。三日前、私の耳が治ったことを。 渡された婚姻届受理証明書が偽物だということにも、とっくに気づいていたことを。 そして、明日の朝一番の航空券をすでに予約していることも。 明日が過ぎれば、私たちは二度と会うことはない。
Lihat lebih banyak挙式は、真夏の南半球、海辺のチャペルで執り行われた。潮風に白波のようなカーテンが揺れ、ウッドデッキのバージンロードの両脇には、私の大好きな向日葵が咲き誇っている。シンプルなマーメイドラインのドレスを纏い、父の腕に引かれて蒼空のもとへ歩みを進める。そこに立つ彼は、目尻を赤く染めていた。いつも冷静沈着な彼が、私の前でこれほどまでに余裕をなくし、指先を震わせている。そんな姿を見るのは、これが初めてだった。式はごく簡素なものだった。指輪を交わす際、彼は囁くような声で言った。「これからは、もう二度と離さないよ」私は笑いながら、涙をこぼした。牧師によって夫婦の誓いが宣言され、蒼空が私のベールを上げて、誓いのキスを交わそうとしたその時。並木道の突き当たり、茂みの陰に見覚えのある人影が立っているのが見えた。結翔だ。彼はしわくちゃのシャツに乱れた髪、無精髭を蓄えた惨めな姿で、ヤシの木の陰に潜んでいた。一瞬、視線が交わる。彼の目は恐ろしいほど血走っていて、私のウェディングドレスと、蒼空が私の腰に添えた手を、食い入るように見つめていた。唇を動かし、何かを呟いているようだったけれど、遠すぎて声は届かない。私は、それ以上目を向けるのをやめた。式は何事もなかったかのように進んでいく。蒼空のキスは優しく、それでいて揺るぎない決意に満ちていた。ゲストの歓声が響き、色鮮やかなフラワーシャワーが空から降り注ぐ。次にその場所へ目を向けたとき、結翔の姿はもう消えていた。披露宴は、浜辺に面したオープンエアのレストランで催された。私は軽やかな赤いカクテルドレスに着替え、蒼空と共にゲストのテーブルを一つひとつ回って挨拶を交わした。海に近い最後のテーブルまで来たとき、少し離れた岩場に座ってこちらを見つめる結翔の姿が目に入った。彼の手にはビール瓶が握られ、足元にはすでに数本の空き瓶が転がっている。「少し、話してくるね」私は隣の蒼空にそっと耳打ちした。彼は二秒ほど沈黙した後、静かに頷いた。「ここで待っているよ」ドレスの裾を持ち上げ、私は砂浜へと歩み寄った。私の気配に気づいた結翔が、弾かれたように立ち上がる。その拍子にビール瓶が手元から滑り落ち、砂の上を頼りなく転がっていった。「……芽依」掠れた声で、
週末の交流展は非常に見応えがあり、蒼空はこれ以上ないほど素晴らしい連れだった。鑑賞を終えても、帰るにはまだ早い時間だった。私たちは美術館の裏手に続く、静かな並木道を散策することにした。「実はね」蒼空がふいに口を開いた。その声は、いつもより少し低く響いた。「あの日、サロンで君に会ったのは、偶然じゃないんだ」私は隣を歩く彼を仰ぎ見た。「結月さんから、才能のある女性がいると何度か聞いていてね。僕は、最初から君に会うつもりであの場所へ行ったんだ」冬の終わりの冷たい風が吹き抜け、私は思わず足を止めた。彼は向き直り、一点の曇りもない瞳で私を見つめた。「こんなことを打ち明けたのは、君とは誠実に向き合いたいと思ったからだ」「……蒼空」私は白い息を吐き出した。「私の過去は、少し入り組んでいるの。今はとても平穏で、ひどく歩みの遅い毎日を過ごしているわ」彼は真剣な面持ちで頷いた。「知っているよ。結月さんから少しだけ聞いた。君が色々なことを乗り越えて、ここで再出発しようとしていることも」彼は一歩、私との距離を詰めた。「芽依、僕は急いでいないよ。今はただ、一緒に展示を見たり、陶芸の話をしたりするだけでいいんだ。いつか、君がもっと僕に踏み込んでほしいと思ってくれる日まで、僕はここにいるから」これって、告白なのかな……私は少し呆然としながら考えていた。彼は、私との距離の取り方が驚くほど絶妙だった。いつの間にか、彼の存在が日常になりつつあった。作業場で、彼が黙って粘土を練るのを手伝ってくれる静かな時間。彼が毎日届けてくれる、甘いお菓子の香り。姉は、一度だけ彼に会ったことがある。わざわざ取り寄せてくれた貴重な鉱物絵具を届けに来た彼の、謙虚で洗練された振る舞いを見て、姉はニヤリと笑った。「いいじゃない、彼!こういう人こそ、あなたの彼氏にぴったりよ。お姉ちゃん、大賛成!」「変なこと言わないで!」私は顔を赤らめた。まだ、何も始まってはいないのだから。展覧会から三ヶ月が過ぎ、南半球にようやく柔らかな春がやってきた。ある夕暮れ時、釉薬の瓶を整理してくれる蒼空の背中を見て、私はたまらず声をかけた。「……こんなことばかり手伝わせて、あなたの時間を奪いすぎじゃないかしら?」蒼空は最後の一瓶
初冬のある夕暮れ、結月さんが上品なデザインの封筒を差し出してきた。「ある個人コレクターのサロンよ。規模は小さいけれど、とても品位がいいの。主催者が最近、現代工芸に凝っていてね」彼女はいたずらっぽく、片目を閉じてみせた。「それに、あそこには美味しいお菓子も用意されているわ」私は思わず笑ってしまった。お菓子は二の次だが、作品を披露する機会は確かに魅力的だった。サロンの会場は、人里離れた山あいの水辺に佇む現代美術館だった。招かれた客はごくわずかで、館内は心地よい静寂に包まれている。私が手元でキャプションを整えていると、すぐ傍らで落ち着いた声がした。「このひび割れは、あえて残したもの?」顔を上げると、一人の若い男が私の作品の前で足を止め、わずかに腰を落として熱心に見入っていた。「ええ」私は答えていた。「壊れることも制作の過程の一部だから。隠す必要なんてないと思ってる」彼が、こちらを向いた。私は一瞬、息を呑んだ。整った顔立ち以上に、驚くほど透き通った、知性を感じさせる瞳が印象的だった。その瞳が今、穏やかな笑みを湛えて私を見つめている。「素敵な考えだね」彼は微笑み、手を差し出してきた。「周藤蒼空(すとう そら)」「……林田芽依」「次の展示の予定は?」彼は、旧知の仲であるかのように自然に問いかけてきた。「今はまだ準備中で……来年の春くらいになるかな」「楽しみにしているよ」彼は余計な肩書きのない、名前と番号だけが記されたシンプルな名刺を差し出してきた。「会場の確保でも、リソースの面でも、力になれることがあればいつでも言って。協力は惜しまないから」私はその名刺を受け取った。「ありがとう。でも、今はまだ大丈夫」彼は頷いた。「それじゃ、邪魔をしたね。また会えるのを楽しみにしてるよ、芽依」立ち去る彼の背筋は凛と伸びていて、すぐに人混みの中へと溶け込んでいった。「……で、どうだった?」いつの間にか隣にいた結月さんが、瞳を輝かせて囁いてきた。「何が?」「彼のことよ。あんなに長いこと、自分から誰かに話しかけるなんて滅多にないことなんだから」結月さんは声を潜める。「周藤家はこの界隈では一目置かれる名家よ。でも、そんなことより……さっきの彼の眼差し。あれは間違い
「……芽依?」「どうして、ここに」私は足を止めたが、一歩も近寄らなかった。彼は一瞬だけ瞳を揺らし、私の方へ大股で歩み寄ってきた。「友達から聞いたんだ、君が個展を開いてるって。どうしても、一目見たくて。これ、向日葵。君に」差し出された花束には目を向けず、私は入り口を指差した。「そこに置いておいて。あと数分で閉館だから、見るなら勝手にして」それだけ言い残し、私は振り返ることもなくその場を去ろうとした。「芽依!」結翔の声に、私はぴたりと足を止めた。けれど、振り返ることだけはしなかった。客足が途絶えた会場に、開いたドアの隙間から晩秋の湿った風が忍び込む。背中に、彼の視線が重く突き刺さるのを感じた。それは、卑屈なまでに懇願するような、ひどく湿った視線だった。「芽依……」掠れた声が、静まり返った空間に落ちる。「少しだけでいい……話をさせてくれないか。ほんの、数分でいいんだ」彼は何度も繰り返し、赤くなった目で私を追った。「……話し終えたら、すぐに帰るから」数秒の沈黙の後、私はようやく彼に向き直った。間近で見る彼は、見る影もなくやつれ果てていた。頬はこけ、目の下には深い隈が刻まれている。以前の彼とは別人のようで、一瞬、誰だか分からなくなるほどだった。「……話しなさいよ」私は、自分でも驚くほど冷静な声で言った。「君の作品……本当に、綺麗だ」彼は言葉を絞り出し、ほら貝を象った器の数々をなぞるように見つめた。「まるで、君がずっと好きだった海を、そのまま閉じ込めたみたいだ」私は何も答えなかった。彼は深く息を吸い込み、残された勇気をすべて振り絞るようにして、震える声を絞り出した。「……今さら何を言っても、もう遅いことは分かってる。僕が間違っていた。取り返しのつかない過ちを犯したんだ。二人とも繋ぎ止めておけるなんて思い上がった結果、一番大切な人を失ってしまったんだ」「それは過ちなんかじゃないわ、結翔」私は彼の言葉を静かに遮った。「それは、あなたが自分で選んだことよ。ゲストルームで彼女を抱きしめることも、偽物の婚姻届受理証明書で私を繋ぎ止めることも、あの家に別の女を住まわせることも……全部、あなたが選んだこと。私の目が届かない場所で、そして、私の耳が聞こえな