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霧が晴れてこそ、愛を語る

霧が晴れてこそ、愛を語る

By:  春桃烏龍Completed
Language: Japanese
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【確認します。宿主様は好感度99%の全てを、小林恵美(こばやし めぐみ)に譲渡しますか?】 【好感度がゼロになり次第、宿主様はミッション失敗と見なされ、存在を完全に抹消されます……】 遠野明日奈(とおの あすな)は、魂の抜けたような声で、力なく「ええ」とだけ答えた。 江口洋介(えぐち ようすけ)と江口友沢(えぐち ともざわ)が、あれほどまでに恵美を慈しみ、彼女のためならば明日奈を傷つけることさえ厭わないというのなら、いっそ自分が恵美のミッション達成を手伝い、彼女が永遠にこの世界に留まれるようにしてあげよう、と。

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Chapter 1

第1話

【確認します。宿主様は好感度99%の全てを、小林恵美(こばやし めぐみ)に譲渡しますか?】

【好感度がゼロになり次第、宿主様はミッション失敗と見なされ、存在を完全に抹消されます……】

遠野明日奈(とおの あすな)は、魂の抜けたような声で、力なく「ええ」とだけ答えた。

江口洋介(えぐち ようすけ)と江口友沢(えぐち ともざわ)が、あれほどまでに恵美を慈しみ、彼女のためならば明日奈を傷つけることさえ厭わないというのなら、いっそ自分が恵美のミッション達成を手伝い、彼女が永遠にこの世界に留まれるようにしてあげよう、と。

【再考を推奨します。あと1%でミッションは成功です。それに、洋介と友沢はあなたの幼馴染。かつてはあれほどあなたに優しかったではありませんか。もう少しの辛抱で、ミッションが完了する可能性は高いのです】と、システムはあくまで無機質に続けた。

ほんの少し前まで、明日奈もそう信じていた。

洋介と友沢は幼い頃から共に育ち、自分を実の妹のように可愛がってくれた。

これほど簡単なミッションはないとさえ感じていた。

少しばかり好意を示せば、二人の好感度は上がっていったのだ。

だが、彼女は自分がとんでもなく愚かだったことを、やがて知ることになる。

恵美がいる限り、自分のミッションが成功することは永遠にあり得ないのだと。

洋介と友沢は、恵美が攻略者であり、ミッション失敗の代償が「抹消」だと知っていた。

だから、明日奈が告白を決意したあの日、彼らは氷のように冷たく、彼女を突き放した。

「すまない、明日奈。俺たちは君を好きにはなれない」

「もし君への好感度が高くなりすぎると、恵美がミッション失敗と見なされ抹消されてしまう。彼女が死ぬのを、黙って見ているわけにはいかないんだ」

彼らは、明日奈にも攻略ミッションがあり、失敗すれば同じく抹消される運命だと知りながら、それでも恵美を生かすためだけに、頑なに好感度を99%で止めたのだった。

明日奈は力なく微笑んだ。

「もう、説得は要りません」

【承知しました。これよりクリアランス計画を起動。七日後、この世界における宿主様の存在痕跡は全て消去され、好感度は小林恵美に譲渡されます。蓄積ポイントにより、新たな身体との交換が可能です】

明日奈がシステムに礼を言った、その時だった。

別荘のドアが開き、友沢と洋介が、まるで稀代の宝物を守るかのように恵美を左右から囲んでいた。

そして、明日奈の姿を捉えると、その眼差しは瞬く間に氷のように冷たくなった。

「遠野明日奈、自分の過ちを認めたか?」洋介が薄い唇を歪め、吐き捨てるように尋ねた。

友沢もすぐに、嫌悪を隠そうともせずに続けた。

「兄さん、こいつは今夜ずっと外で跪かせておくべきだ。こんな性悪女、放っておいたらまた恵美をいじめるに決まってる」

A市の冬は気温が零下まで下がり、地面には厚い氷が張っている。

三人は暖かいコートに身を包んでいるというのに、明日奈は薄っぺらな春着一枚で雪の中に跪かされており、四肢の感覚はとうに凍えて失われていた。

恵美は唇を尖らせ、いかにも純真そうな顔で言った。

「洋介さん、友沢さん、もう明日奈を立たせてあげましょうよ。私の一番好きだった写真を割っちゃっただけなんだから。わざとじゃなかったのよ……」

友沢がその言葉を遮った。

「そんな簡単に許すな。君が甘いから、こんな悪辣な女にいつも利用されるんだ!」

彼女を陥れたのは恵美の方なのに。

しかし、洋介と友沢は明日奈の弁解に耳を貸さず、彼女が恵美に嫉妬しているのだと決めつけた。

雪の中で跪いて懺悔させるために、彼らは江口家が十五年間彼女を育ててやった恩まで持ち出したのだ。

彼女は麻痺したように頷いた。

「……はい。私が愚かで、恵美さんに嫉妬していました。申し訳ありません、全て私のせいです」

洋介は彼女を冷ややかに見下ろし、言い放った。

「君が傷つけたのは俺じゃない、恵美だ。彼女の許しを得られたら、見逃してやる」

その言葉に、明日奈ははっと顔を上げた。

一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと疑った。

三歳の時、両親を事故で亡くした葬儀で、洋介と友沢は幼い彼女に固く誓ってくれたはずだ。

「明日奈ちゃん、怖がらなくていい。これからは僕たちが君の家族だ。誰にも君をいじめさせないと誓う」

だが今、彼女の尊厳を踏みにじっているのは、その彼ら自身だった。

明日奈の苦悶に満ちた表情を見て、恵美は勝ち誇ったように口角を吊り上げてから、偽りの優しさで言った。

「もういいじゃない。明日奈ちゃんはもう跪いて謝ってくれたんだから、これ以上いじめないであげて」

だが、洋介と友沢は黙ったままだ。

明日奈は、彼らが自分からの完璧な謝罪を待っているのだと悟った。

一体自分がどんな天理に背く大罪を犯したというのか。なぜ彼らは自分をこれほどまでに邪悪な人間だと信じて疑わないのか。

喉まで出かかった言葉を、彼女は飲み込んだ。もはや、真相が何かなんて、どうでもよかった。

明日奈は操り人形のように、冷たい雪の上に重々しく額を打ち付けた。

「申し訳ありません、恵美さん……私が、間違っておりました」

新しい身体を手に入れたら、洋介と友沢から遠く、どこまでも遠く離れよう。そして、二度と会うことのない人生を。

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第1話
【確認します。宿主様は好感度99%の全てを、小林恵美(こばやし めぐみ)に譲渡しますか?】【好感度がゼロになり次第、宿主様はミッション失敗と見なされ、存在を完全に抹消されます……】遠野明日奈(とおの あすな)は、魂の抜けたような声で、力なく「ええ」とだけ答えた。江口洋介(えぐち ようすけ)と江口友沢(えぐち ともざわ)が、あれほどまでに恵美を慈しみ、彼女のためならば明日奈を傷つけることさえ厭わないというのなら、いっそ自分が恵美のミッション達成を手伝い、彼女が永遠にこの世界に留まれるようにしてあげよう、と。【再考を推奨します。あと1%でミッションは成功です。それに、洋介と友沢はあなたの幼馴染。かつてはあれほどあなたに優しかったではありませんか。もう少しの辛抱で、ミッションが完了する可能性は高いのです】と、システムはあくまで無機質に続けた。ほんの少し前まで、明日奈もそう信じていた。洋介と友沢は幼い頃から共に育ち、自分を実の妹のように可愛がってくれた。これほど簡単なミッションはないとさえ感じていた。少しばかり好意を示せば、二人の好感度は上がっていったのだ。だが、彼女は自分がとんでもなく愚かだったことを、やがて知ることになる。恵美がいる限り、自分のミッションが成功することは永遠にあり得ないのだと。洋介と友沢は、恵美が攻略者であり、ミッション失敗の代償が「抹消」だと知っていた。だから、明日奈が告白を決意したあの日、彼らは氷のように冷たく、彼女を突き放した。「すまない、明日奈。俺たちは君を好きにはなれない」「もし君への好感度が高くなりすぎると、恵美がミッション失敗と見なされ抹消されてしまう。彼女が死ぬのを、黙って見ているわけにはいかないんだ」彼らは、明日奈にも攻略ミッションがあり、失敗すれば同じく抹消される運命だと知りながら、それでも恵美を生かすためだけに、頑なに好感度を99%で止めたのだった。明日奈は力なく微笑んだ。「もう、説得は要りません」【承知しました。これよりクリアランス計画を起動。七日後、この世界における宿主様の存在痕跡は全て消去され、好感度は小林恵美に譲渡されます。蓄積ポイントにより、新たな身体との交換が可能です】明日奈がシステムに礼を言った、その時だった。別荘のドアが開き、友沢と洋介が
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第2話
明日奈は三時間も外で跪かされていた。彼女の両脚はとうに感覚を失っており、立ち上がった途端、前のめりに倒れ込んだ。洋介も友沢も、明日奈を助け起こそうとはしなかった。あまりに長い時間同じ体勢でいた彼女を見かねて、痺れを切らした友沢がようやく歩み寄った。「また芝居か。化けの皮を剥がしてやる」明日奈のそばまで来ると、友沢は彼女を足で蹴りつけた。その勢いで仰向けになった明日奈の顔が、紙よりも白いことに友沢は気づき、慌てて医者を呼んだ。明日奈が目を覚ましたのは、それから二時間後のことだった。瞼を開けた途端、耳に飛び込んできたのは友沢の苛立ちを隠そうともしない怒鳴り声だ。「明日奈、白血病の発作が起きたなら、なぜそう言わない!」「おかげで俺たちが、まるで無情な人間みたいじゃないか」「小さい頃から一緒に育った仲だろうが。そんなに水臭い真似をするのかよ!」友沢の口調に滲む気遣いに、明日奈は一瞬、意識が朦朧とした。医者の説明を聞いて、自分が白血病に起因する重度の貧血で気を失ったのだと、ようやく理解した。弁解の機会を与えなかったのは彼らの方なのに、今度はなぜ前もって言わなかったのかと責められている。どうやっても、全てが自分のせいになるのだ。きっと、この江口家では息をすることさえ間違いなのかもしれない。彼らを見ていると、明日奈は初めて発作を起こした時のことを思い出した。あの日、彼女はブランコから落ちた。洋介と友沢はひどく動転し、彼女を抱きかかえて夢中で病院へと走った。後に白血病だと診断され、医者からは重度の貧血のため、体をしっかり養うようにと言われた。それからというもの、洋介と友沢は彼女にそれはもう甲斐甲斐しく世話を焼いた。時間通りに食事を摂るよう見張り、家政婦には毎日献立を変えて栄養満点の食事を作るよう命じ、十分な休息を取るようにと常に気を配った。やがて家政婦の料理で彼女の舌が肥えてしまうと、二人は毎日、手を変え品を変え彼女を宥めすかした。明日奈がどれだけわがままを言っても、洋介と友沢は嫌な顔一つしなかった。その頃から、彼女の後ろにはいつも二つの影があった。振り返りさえすれば、そこには必ず洋介と友沢がいた。あの過去は、彼女にとって最も美しい記憶だった。まるで、あの頃に戻ったかのよ
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第3話
洋介と友沢は明日奈を撮影現場へ送った後も、そのまま現場に残っていた。今日、恵美が水に落ちるシーンを撮る予定だったからだ。恵美が代役を使わず、自分でやると言い出すのを聞いて、洋介は同意しかねるといった様子で眉をひそめた。「代役を使え。お前が飛び込んだら、間違いなく病気になる」友沢も心底心配そうな顔だった。「そうだよ、恵美。こんな寒い日にわざわざ辛い思いをすることはないだろう。もし病気にでもなったら、兄さんも俺も心配で死んでしまう」江口家がこの作品における最大の出資者であるため、監督も洋介の命令に背くことはできない。だが、恵美は洋介が直々に指名したヒロインだ。監督は板挟みになり、困ったように恵美を見た。しかし、恵美はそれでも頑として譲らなかった。「だめです、絶対に自分でやります。もしアンチに知られたら、プロ意識が低いって言われてしまいますから」「それなら、後ろ姿が似ている人間を使えばいい」友沢がそう言った途端、他の者たちの視線が一斉に明日奈へと注がれた。この現場で、彼女と恵美の体つきが最もよく似ていた。恵美のマネージャーが笑いながら言った。「ここにうってつけの人間がいるじゃないか。遠野明日奈、君が恵美さんの代わりに飛び降りるんだ」明日奈は何も言わず、ただ静かに洋介と友沢を見つめた。この場で命令を下せるのは彼らだけであり、他の誰にも自分を指図する資格はないと知っていたからだ。その視線があまりに真っ直ぐだったからか、友沢はバツが悪そうに視線を逸らした。「兄さん、明日奈に代わってもらおう。恵美、まだ風邪が治っていないんだし」明日奈は自嘲気味に笑った。彼らは恵美が風邪を引いていることは覚えているのに、自分が昨日、雪の中に三時間も跪かされ、まだ体調が万全でないことなど、誰一人として気にも留めないのだ。洋介はしばし沈黙した後、ためらうことなく明日奈に視線を向けた。「明日奈、お前がやれ」その短い言葉は、まるで巨大な山のように明日奈の体にのしかかり、彼女の体はぐらりと揺れた。それでも負けじと顔を上げ、口の中に広がる苦々しさを堪えながら言った。「洋介さん、私が丈夫じゃないことは知ってるでしょ。飛び込んだら、私にまだ命はあるの?」氷水が自分の体にどれほどの害を及ぼすか、洋介と友沢が知
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第4話
明日奈は彼らに一瞥もくれず、濡れた体を引きずって撮影現場を後にした。ホテルに戻ると、明日奈はバスタブに熱い湯を張り、三十分ほど浸かってようやく生き返ったような気がした。お腹がぐぅと鳴ったので、階下のコンビニへ何か買いに行こうとした時、外から聞き慣れた声が聞こえてきた。「兄さん、さっきの明日奈の目、俺ちょっと怖かったよ。あいつ、俺たちのこと恨んでるのかな?やっぱり、俺たちは明日奈に対して少し残酷すぎた気がする」「明日奈はもう十分すぎるほど辛い思いをしてきた。今諦めたら、これまでの苦労が水の泡になる。お前だって、明日奈と恵美のどちらかが死ぬのは見たくないだろう」「でも……」「解決策が見つかったら、明日奈にはちゃんと埋め合わせをする。あいつの苦労を無駄にはしない」聞き慣れた声が、人のいない廊下に大きく響く。洋介と友沢だった。なんだ、彼らは自分が無実だと全部知っていたんだ。それなのに、雪の中に跪かせ、氷水に飛び込ませた。ただ、いわゆる好感度のバランスを取るためだけに。以前、洋介と友沢が恵美のために自分を傷つけた時、彼女はただ悲しいだけだった。だが、この瞬間、彼女は胸が張り裂けるような痛みを感じていた。彼らが本気で恵美を好きになったのだと信じたかった。自分のためだという大義名分を掲げて自分を傷つける、そんな事実は受け入れたくなかった。だとしたら、自分がこれまで受けてきた仕打ちは、一体何だったというのだろう。明日奈はさらに三日間、ホテルに閉じこもった。三日後、恵美から連絡があり、イベント会場へ連れて行ってくれるという。しかし出発前、マネージャーがパパラッチから連絡を受けた。道中でサセンファンによる包囲が計画されている、と。恵美は無邪気にぱちぱちと瞬きをしながら、その目をじっと明日奈に向けて尋ねた。「どうしましょう!サセンって、一度暴走し始めたら、本当に恐ろしいですよ」この国では、サセンが芸能人を刃物で傷つけた事件もある。万が一、運悪く殺されでもしたら、どうするのか。今回、珍しく洋介と友沢は沈黙を守っていた。だが、明日奈は自ら口を開いた。「私があなたの車を出す。あなたは別の車で会場へ向かって」恵美のこととなれば、洋介と友沢がためらうことなく彼女の側につくことを、明日奈は
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第5話
明日奈は救急車で病院へ運ばれ、医者に傷の手当てをしてもらった。彼女が家に戻るまで、洋介と友沢から罪悪感を示すような電話の一本もかかってくることはなかった。その代わり、恵美のSNSのタイムラインは絶えず更新されていた。恵美が投稿した写真から、洋介と友沢が彼女に付き添って幸魂神社(さちみたまじんじゃ)へ願掛けに行ったことが分かった。彼らは百年樹に赤い紐を結んでいた。今後の幸せと無事を祈願するという。【こういう神頼みって、元々は信じてないんだけど、隣にいるこの二人がすごくご利益あるって言うから、まあ、彼らのために信じてあげることにしましょう】その下には、恵美のマネージャーからのコメントがあった。【早く正妻の座に就いて、あのクソ女を排除しなきゃね】この「クソ女」が、明日奈を指していることは疑いようもなかった。これらを見ても、明日奈は何の反応も示さなかった。彼女の意識は、とっくに過去へと飛んでいたからだ。この幸魂神社は、洋介と友沢、そして彼女だけの秘密基地だった。幼い頃から病気がちだった彼女を、洋介と友沢はよくここに連れてきてお祈りをしてくれた。「明日奈、ここのご利益が本物かは分からない。だけど、お前のためになることなら、俺も友沢も何だって試したいんだ」そんな場所でさえ、彼らは恵美を連れて行ったのだ。明日奈は我に返り、自嘲の笑みを浮かべた。幸い、あと二日もすれば自分はここを去るのだから、と。洋介と友沢が帰ってきたのは、翌日の朝だった。彼女の頭に包帯が巻かれているのを見て、二人の瞳には一瞬、罪悪感の色がよぎった。友沢は手に持っていたたこ焼きを、昔のように彼女に差し出した。「明日奈、これ、兄さんと一緒に『たこマン!』で買ってきたんだ。熱いうちに早く食べろよ」紙袋の中には、たこ焼きが三つしか残っていなかった。しかし、『たこマン!』は普通、十個入りでしか売っていない。そして、明日奈は彼ら二人がそこのたこ焼きを好きではないことを覚えていた。唯一の説明は、これが恵美の食べ残しだということだ。明日奈はちらりと見ただけで、粥をすすりながら顔を戻した。「いらない。私、『たこマン!』のは好きじゃないから」洋介が訝しげに尋ねた。「お前、『たこマン!』が一番好きじゃなかったか?」「
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第6話
「やっぱり恵美さんはすごいわ。江口家にお嫁入りする日も近いんじゃないですか!」「誰があんな間抜け共と結婚なんかするものよ。用が済んだら、さっさと捨ててやるわ。あいつら、私には不釣り合いなのよ」その言葉を聞いて、明日奈はポケットの中のボイスレコーダーのスイッチを、静かに押した。これが、洋介と友沢が守ってきた女の正体。裏ではこんな風に、彼らを刺していたのだ。彼女は全ての会話を録音し、そしてシステムに依頼した。自分が死んだ後、このボイスレコーダーを洋介と友沢に渡してほしい、と。これが、彼らに贈る最後のプレゼントだ。明日奈は気持ちを整え、それから楽屋へと足を踏み入れた。彼女の姿に気づくと、恵美は綺麗な眉を吊り上げ、嘲るように言った。「明日奈ちゃん、まだ恥知らずにも洋介さんたちに付きまとってるの?彼らがどれだけあなたを嫌っているか、分からない?」明日奈はただ彼女を見つめ、淡々と口を開いた。「ええ、私は身を引く。あなたたち三人、永遠に一緒にいればいい」そのあまりに平坦な口調を、恵美は皮肉だと誤解した。彼女は逆上し、テーブルの上の化粧品を床に叩きつけた。「何よその態度は!得意げになっちゃって!私があなたに勝てないとでも思ってるの?言っておくけど、あなたを殺すなんて、蟻一匹を潰すのと同じくらい簡単なんだから!」空気が張り詰めたその時、スタッフが恵美の出番が近いことを告げに来た。彼女は明日奈のそばを通り過ぎる際、わざと肩を強くぶつけてきた。恵美がステージに上がると、観客席から甲高い歓声が上がるのを明日奈は聞いた。皆、恵美のファンだ。彼女は、今年最も勢いのある新人歌手なのだ。恵美の歌の歌詞も、曲も、そして元の歌い手さえもが自分であることなど、誰も知らない。それなのに、ステージの上で眩いばかりに輝いているのは恵美で、自分はまるで日の光を浴びられない鼠のように、舞台裏に隠れるしかない。やがて、聞き慣れたメロディーが流れ始めた。明日奈は記憶を頼りに歌い始める。この歌を歌うのは久しぶりだったが、口を開いた途端、目の奥がたまらなく熱くなった。歌い終える頃には、彼女はとっくに涙で顔を濡らしていた。客席から雷鳴のような拍手が沸き起こり、明日奈を悲しみから引き戻した。見れば、客席の観客たちも
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第7話
明日奈は、人を食い殺さんばかりの洋介と友沢の眼差しを、恐れることなく正面から受け止めた。「何度言っても同じ。私は恵美さんを誘拐なんてしてない」「そうか」「なら、お前のその声ももう要らないな」明日奈が呆然としていると、洋介がポケットから粉末の入った袋を取り出し、その指で彼女の顎をこじ開け、無理やり口の中に押し込んだ。舌先に嘗め知った味が広がり、それが声帯に損傷を与えるというコデインだと、彼女は悟った。明日奈は激しく抵抗し、そんな残酷なことはしないでくれと洋介に懇願したかった。彼らは、自分がどれだけ自分の声を大切にしているか、知っているはずなのに。だが、彼女の両腕は友沢に固く掴まれ、洋介が水を彼女の口に流し込むのを、ただなすすべもなく見ていることしかできなかった。涙が、絶望と共に目尻を伝って滑り落ちていく。洋介が手を離すと、明日奈は水にむせて激しく咳き込んだ。しばらくしてようやく落ち着き、恨みを込めた瞳で洋介と友沢を睨みつけた。「あなたたち、後悔するわ」彼女の声は、割れたドラのような、聞くに堪えないしゃがれ声になっていた。その時、警備の者が突然駆け込んできた。「江口様、小林さんが見つかりました!」明日奈も後について行った。もうすぐこの世界を去るとはいえ、こんな大きな濡れ衣を着せられたままではいたくなかった。恵美は、宴会場の裏手にある廃屋で見つかった。洋介と友沢の姿を認めると、彼女は泣きながら半裸の体を抱きしめた。「洋介さん、友沢さん、見ないで。私、もう汚されちゃった……」恵美は誘拐されていた二時間の間にわいせつな写真を撮られ、黒幕はその写真をネット上にまで拡散していた。国内の規制が及ばず、彼女の写真は海外のサイトを通じて瞬く間に広まり、その夜のネットニュースのトップは、恵美のその写真で埋め尽くされていた。洋介は心を痛め、恵美を抱きしめて優しい言葉で慰めた。一方、友沢は素早く自分のコートを脱いで彼女の体にかけ、同じようにそばにしゃがみ込んで慰めの言葉をかけていた。どれくらい経っただろうか。恵美の気持ちがようやく落ち着くと、彼女は突然、明日奈の姿に気づき、半狂乱で明日奈に突進してきた。「どうして私を陥れたの?私、誰にも恨まれるような覚えはないのに、どうして私の純潔をめ
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第8話
この世界に留まる最後の二時間、彼女は江口家に戻った。 自分が十五年間暮らした場所を、もう一度だけ見ておきたかったのだ。 しかし、別荘の門にたどり着いた途端、彼女は数人の女に公園へと引きずり込まれた。 「この泥棒猫!男に媚を売りやがって!」「私の恵美ちゃんに仇を討ってやるんだから、あんたのその顔、ズタズタにしてやる!」「こいつと無駄口叩くことないわ。今回は徹底的に目にもの見せてやらないと」明日奈は知らなかった。昨夜のうちに、恵美が一本の動画を投稿していたことを。その中で、明日奈が自分の名誉を毀損しようとしたと涙ながらに訴え、ファンの怒りを極限まで煽っていたのだ。中でも特に胆の据わった数人のファンが徒党を組み、明日奈に思い知らせてやろうと待ち構えていた。だから、彼女たちの攻撃に手加減は一切なかった。無数の拳や蹴りが、明日奈の体に降り注いだ。彼女は必死に頭を抱えたが、誰かが取り出したナイフが、無造作に彼女の手の甲を切り裂いた。血が噴き出す、生々しい傷口。明日奈が痛みに喘ぐと、誰かが汚い雑巾を彼女の口に無理やり押し込み、両手は手錠で拘束され、身動き一つ取れなくなった。「このクソ女、これで逃げられないでしょ。言っておくけど、私は医学を学んでるの。あんたを蜂の巣にしたって、法医学者は軽傷だって判断するだけよ」その言葉が終わるや否や、目の前の清楚な顔立ちの少女が、ナイフを明日奈の腹部に突き立てた。目玉が飛び出るほどの激痛が走り、彼女は意識を失いかけた。彼女は脂汗を流しながら、必死に意識を保ち、システムに呼びかけた。「システム、私を前倒しで抹消してくれないかな。もう、耐えられない。痛いよ……」【申し訳ありません、宿主様。プログラムは固定されており、繰り上げることは不可能です。宿主様の痛覚を最大限、遮断することしかできません】システムは明日奈の痛覚を遮断したが、それでも彼女は、ナイフが皮膚や肉を切り裂く感覚をはっきりと感じることができた。彼女の顔は、狂ったファンたちによって、ホラー映画の老婆よりも恐ろしいほど無残に切り刻まれた。腹部にもいくつもの穴が開き、血が止まらない。その光景が、少女をますます狂気へと駆り立て、その手は一層重くなっていった。明日奈の視野の端に、何かが映った。彼女
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第9話
友沢は震える手で明日奈の鼻先に手をかざし、そして弾かれたようにその手を引っ込めた。「兄さん……明日奈……、息を……してない……みたいだ……」その声を聞いて、洋介は友沢の胸ぐらを掴み、逆上して怒鳴った。「何を馬鹿なことを言ってる!明日奈が死ぬもんか!」その言葉は、友沢を慰めているようでもあり、自分自身に言い聞かせているようでもあった。現代の医学はこんなにも進んでいるのだ。彼女が死ぬはずがない、と。洋介はすぐさま携帯電話を取り出して救急車を呼び、明日奈を病院へと運んだ。時を同じくして、恵美のもとにシステムからの通知が届いた。【おめでとうございます、宿主様。攻略ミッションは完了しました。江口友沢と江口洋介の好感度は100%に到達しました。宿主様はこのまま物語の世界に残るか、あるいは現実世界へ戻るかを選択できます】恵美は興奮して椅子から立ち上がった。「もちろん、残るに決まってるじゃない!この世界では、私は誰もが崇める天才ミュージシャンで、数えきれないほどのファンに追いかけられてるのよ。現実世界に戻ったって、私はただのしがない社畜。誰がそんな辛い生活に戻りたいもの」「それにしても、あのクソ女、遠野明日奈も最後はミッションを諦めたのね。もっと早く諦めてくれればよかったのに。そしたら、わざわざファンを煽って痛めつけさせる手間も省けたじゃない。無駄な苦労をさせられたわ」恵美はまだ真相を知らず、明日奈が意気消沈して自らミッションを放棄したのだとばかり思っていた。その時、システムが再び口を開いた。【宿主様、遠野明日奈が所有していた99%の好感度があなたに譲渡されたためです。その結果、彼女はシステムによって抹消されました】恵美はミッション完了の喜びに浸っており、システムが言った「99%の好感度」という部分には全く気づかなかった。彼女はただ、この吉報を洋介と友沢に伝えたい一心だった。病院に駆けつけると、洋介が険しい顔でERの前に立っており、友沢は魂が抜けたように壁に寄りかかってタバコを吸っていた。「洋介さん、友沢さん、私のミッション、成功しました!」恵美の声は、隠しきれない喜びに弾んでいた。だが、洋介と友沢は、この世の終わりのような顔をしていた。恵美のミッションが成功したということが何を意味するのか、彼
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第10話
廊下の空気は、水を打ったように静まり返った。まるで、針一本が落ちる音さえ聞こえてきそうだった。その訃報を聞いて、普段は冷静沈着な洋介が医者の白衣を掴みかかり、怒りに燃えて叫んだ。「ヤブ医者が!一人も救えないで、何のためにいるんだ!お前ら、わざと明日奈を助けなかったんだろう!」医者は洋介の剣幕に怯え、慌てて両手を振った。「いえ、いえ!江口さん、どうかお心を強く持ってください!お嬢さんは、こちらに搬送された時点で、すでに心停止の状態でした!」「お嬢さんの体を調べましたが、致命傷と呼べるものはありませんでした。恐らく、暴行を受けている最中に、持病が突発的に悪化したことによる事故死かと……」洋介は、まるで熱い鉄に触れたかのように、はっと医者から手を離した。致命傷がない。唯一の可能性は、明日奈が自らミッションを放棄したということだ。彼女が暴行を受けている時、自分と友沢は、すぐ上の階から冷ややかに見下ろしていた。彼女は、それに気づいてしまったのか?だから、ミッションを放棄したのか?友沢も、その可能性に思い至った。彼は苦痛に頭を抱えた。「兄さん、俺が、俺が明日奈を殺したんだ。もし……あの時、殴られているのが明日奈だって気づいていれば、彼女は死なずに済んだんじゃないのか?」明日奈の亡骸が、手術台の上に冷たく横たわっている。その光景に、洋介の体はぐらりと揺れた。そして友沢は、罪悪感に苛まれ、明日奈の前に跪いた。「明日……奈……ごめん、全部、俺のせいだ。恨むなら俺を恨んでくれ。俺が、お前を殺したんだ……」そう言うと、友沢はためらうことなく、自分の頬を何度も、何度も平手で打ち始めた。そうやって自分を痛めつけることでのみ、己の罪悪感を少しでも和らげられるとでも言うように。乾いた打撃音が、処置室に虚しく響き渡る。友沢が自分の顔を赤く腫れ上がるまで打ち続けるのを、洋介さえも見ていられなくなった。「もうやめろ!明日奈はもう死んだんだ。お前がいくら自分を責めても意味はない。俺たちがすべきことは、明日奈の仇を討つことだ」その言葉に、友沢の瞳が光を取り戻し、陰惨な光が一瞬よぎった。「そうだな。あのクソ女ども、絶対に許さない」彼らは明日奈の亡骸を江口家へ連れ帰り、明日奈を傷つけた恵美のファンたちを
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