開けられた窓から、たくさんの花が部屋の中へと入ってくる。|踊《おどり》りながら|侵入《しんにゅう》するのは|椿《つばき》や|牡丹《ぼたん》、|山茶花《さざんか》など。町中で売られている花だった。
まるで|華 閻李《ホゥア イェンリー》を護るかのように囲う。それはとても幻想的で、子供を|儚《はかな》げに繋ぎ止めていた。
|華 閻李《ホゥア イェンリー》がそれを手に取れば、柔らかで甘い|蜜《みつ》の香りがした。花びらの表面を|撫《な》で、|眼前《がんぜん》にいる|爛 春犂《ばく しゅんれい》へと視線を送る。
「先生、そもそも|殭屍《キョンシー》とは何なのでしょう?」
最初は遺体を運ぶ為に|用《もち》いられていた。しかしそれは、何の力もない|直人《ただびと》が|考案《こうあん》したことである。力がないからこそ物理的な物で運ぶ。知恵を|絞《しぼ》って作り出した案、それが|殭屍《キョンシー》の始まりとされていた。
彼は、そこから|殭屍《キョンシー》が生まれたのではないかと|推測《すいそく》する。
けれど|爛 春犂《ばく しゅんれい》は首を縦にふるわけでもなければ、横にすら動かさなかった。ふうーと口を閉じて鼻で息をする。
「|直人《ただびと》が始めた事なのは間違いない。しかしそれが|殭屍《キョンシー》というわけではない。死者ではあるが、体という器があっても魂なくては動かぬ者。|殭屍《キョンシー》とは似て非なるものと言われている」
では、亡くなった者がどうやって|殭屍《キョンシー》になるのか。彼は、|華 閻李《ホゥア イェンリー》の答えを待っているかのようにまっ直ぐ見つめてきた。
子供は、彼の意図する部分を|捉《とら》える。腰をあげて窓|枠《わく》に片肘をつかせ、手のひらの上に|顎《あご》を乗せた。
背中越しに座っている彼へ振り向くことなく、花が舞い続ける景色を|眺《なが》める。
前髪が風に遊
木々が、彼らに道を開けていく。 黒い髪を三つ編みにした端麗な顔立ちの男──|全 思風《チュアン スーファン》──が先頭を歩けば、空気が冷たく肌を触る。 彼が歩いた瞬間、草木は|枯《か》れた。地面は沼のようにドロドロになり、土の中で眠っていた虫たちが|骸《むくろ》となって現れる。 彼に手を握られて肩を抱かれながら歩くのは|華 閻李《ホゥア イェンリー》だ。頭の上に|躑躅《ツツジ》、首には|青龍《せいりゅう》をかけている。右肩にはもふっとした白い仔猫、|牡丹《ボタン》がいた。 そして不思議なことに彼の歩いた場所を踏めば、色素を失った草木は|甦《よみがえ》り、元気にまっすぐ伸びる。地は一瞬にして固まり、死んだ虫たちが息を吹き替えしていた。「──ふふ。私が死を呼ぶなら、|小猫《シャオマオ》は生を作り出す存在なのかもね?」「……?」 彼の発言は子供の小首を|傾《かし》げさせる。少年とともにいる動物たちまでもがきょとんとしながら、子供と同じ行動をとっていた。 ──んんっ! |小猫《シャオマオ》、可愛い! ……ああ、そうか。この子は無意識にやってるんだね。 彼の力を浄化する。たったそれだけのことだが、子供が持つ特殊な力が発揮されていた。 けれど少年は、ときおりそれらを無意識に放つ傾向がある。今回もそれだろうと納得した。 そんなふたりの後ろには|黄《き》族の|長《おさ》、|黄 沐阳《コウ ムーヤン》が。|殿《しんがり》を努めるのは|黒《こく》族の新しき当主、|黒 虎明《ヘイ ハゥミン》がいた。 彼らは壊れては再生されている自然や生き物に驚きながら、これがこのふたりなのだと口を挟むことをしない。 やがて先頭を歩く|全 思風《チュアン スーファン》の足がとまる。子供の細腰に手を回し、抱きよせた。「着いたね。さて……ようこそ、死と闇が眠る地【|夔山《ぎざん》】へ──」 そこは何もない地だった。 それは山と呼べるような場所にあらず。 ただ中心に大きな穴のようなものがある。そして、奥の崖に鉄格子のようなものが挟まっているだけであった。「……な、に、これ……」 彼の腕の中で、美しい顔立ちの子供が怯えてしまう。彼の服を強く掴み、見たくないと|云《い》って目を|背《そむ》けた。泣いてはいないが声に震えが含まれている。 彼は少年に優しい笑みを落とした。柔ら
|爛 春犂《ばく しゅんれい》という名も、|瑛 劉偉《エイ リュウウェイ》という人物すらも、誰も知らない。ただそれだけならば、隠密のような存在として活躍しているということで納得はいくのだろう。 しかし|爛 春犂《ばく しゅんれい》が持っていた八卦鏡(パーコーチン)。今は|華 閻李《ホゥア イェンリー》の体内にあるが、元は彼が持参していたものだった。「……あれは皇帝ひとりにつき、ひとつだけしか使用を許されない物だ。皇帝がひとりだけ選び、その人に与える。その人が死んだとしても、皇帝が生き続ける限りは、違う誰かが持つなんて事はないんだ」 皇帝が亡くなれば新しい八卦鏡(パーコーチン)が作られ、また、誰かに渡される。けれどその人も、皇帝すらも八卦鏡(パーコーチン)をそれ以上作ることは叶わず。渡すこともできない。 それが|爛 春犂《ばく しゅんれい》が腰にかけていた八卦鏡(パーコーチン)の、最大の秘密であった。「あんたが聞いてきた事が本当なら、|爛 春犂《ばく しゅんれい》が持っていたという事そのものがおかしくなるね」 |全 思風《チュアン スーファン》の瞳は空を見上げる。 陽は沈み始め、空は暗くなっていた。月はなく、星もない。代わりにあるのは上空から降る白い結晶の雪だった。「これは定められている事だ。例え皇帝であったとしても、|覆《くつがえ》す事はできない」 彼の低い声には|覇気《はき》がない。他人事、されど自分のことのように語った。 腰を上げ、|焚《た》き火をしようと提案する。 隣で黙って話を聞いていた|黒 虎明《ヘイ ハゥミン》は|頷《うなず》いた。 □ □ □ ■ ■ ■ バチバチと、|焚《た》き火の|焔《ほのお》が風に|煽《あお》られている。 少し離れた場所にいる馬を見れば、雑草をむしゃむしゃと食べていた。馬の頭の上には|躑躅《ツツジ》が乗り、気持ちよさそうに眠っている。 「……動物は|呑気《のんき》でいいよな? 俺らが生きるために頑張ってるってのにさ」 そんな|愚痴《ぐち》を溢すのは|黄 沐阳《コウ ムーヤン》だ。彼は片膝を曲げて、|焚《た》き火を見つめている。いつもの|漢服《かんふく》を着、深くため息をついていた。「人間の言葉はわからんのだろうさ……それよりも、お前の屋敷にいた|爛 春犂《ばく しゅんれい》。奴は本当に、何者
|殷《いん》が|周《しゅう》へと変わったように、時代が進むにつれて|國《くに》は変化を遂げていった。大きい、小さい。それに関わらず、この地を治める者たちは今もなお、変化をもたらしていった。 そしていくつかの|刻《とき》を巡り、|國《くに》は|禿《とく》王朝を築く。その|禿《とく》の始まりの王、それが|魏 宇然《ウェイ ユーラン》であった。「──|魏 宇然《ウェイ ユーラン》は、庶民の出でね。本来なら、たくさんいた兄たちが皇帝となるはずだったんだ」 ガタガタと揺れる荷馬車の中で、|全 思風《チュアン スーファン》が低い声を|轟《とどろ》かす。膝の上には銀髪の美しい子供、|華 閻李《ホゥア イェンリー》が座っていた。「初代皇帝の名って、初めて聞いたかも」「ん? そうなのかい?」「……うん。だって、歴史書物とかに記載されてないから」 勉強熱心な子供にとって、初めて聞く名は|興奮《こうふん》の対象となっているよう。そわそわしながら両目を輝かせ続きを早くと、視線で|訴《うった》えていた。「うっ!」 この顔に弱い彼は言葉を詰まらせる。咳払いし、子供をぎゅうと抱きしめた。「……|魏 宇然《ウェイ ユーラン》は、半ば無理やり王になった。皇帝としての知識もないまま、ね」 何の知識も持たぬものが政治など行えるのだろうか。その不安は、民たちによる|謀反《むほん》によって証明されてしまった。 「今の皇帝、|魏 孫権《ウェイ ソンケン》がまさしく、初代皇帝と同じ立場にいる」 民からの声をなあなあにした結果、内戦にまで発展してしまう。それは初代のときとまったく同じであり、このままいけば滅びを待つだけだと宣告した。「……確かにこうしてる間も、あちこちで内戦が続いてるって聞いたよ。日に日に、|戦火《せんか》は激しくなってるみたいだし」 だけどさと、子供は見上げる。その先には戸惑うように眉根をよせる彼がいた。「どうして|思《スー》は、そこまで知ってるの? どうして歴史書物に載ってない事にまで、詳しいの?」 裏表のない純粋な眼差しが、彼にのしかかる。 それでも彼は|毅然《きぜん》としながら瞳を細めて笑んだ。「そう、だね。それも含めての|夔山《ぎざん》、かな?」 少しばかり声が震えてしまう。 |勘《かん》の|鋭《するど》い子供のことだ。ほんの少しの変化で
|夔山《ぎざん》へ向かう。 たったそれだけのことなのに、|全 思風《チュアン スーファン》は全身が|鉛《なまり》のように重たく感じた。 ──あそこへ戻るということは、全てを伝えなくてはならないということだ。私の過去はもちろん、|小猫《シャオマオ》の両親についても、だ。 |夔山《ぎざん》に行けば、今を流れる|刻《とき》の秘密は暴かれよう。けれど胸にしまい続けている過去も、同時に伝えねばならない。 そうなってしまったら、大切な子の心が壊れてしまわないだろうか。 何よりも、それが一番心配でならなかった。 すると子供が不安そうに眉をしかめる。彼の逞しい腕に触れ、大丈夫かと尋ねた。「え? ……あ、ああ、うん。大丈夫だよ」 子供の頭を撫で、笑みを落とす。瞬間、ふっと目を細めた。美しい顔に|哀《かな》しみにも似た微笑みを浮かべる。「|小猫《シャオマオ》、|夔山《ぎざん》へ行かないかい?」「|夔山《ぎざん》?」 少年の|煌《きら》めく銀の髪が|緩《ゆる》やかに流れた。大きな瞳をまん丸にさせ、きょとんとしながら小首を|傾《かし》げる。「……うん、|夔山《ぎざん》だよ。あそこに行けば、全てがわかるはずだよ。あそこは時代の始まりの地にして、|悲劇《ひげき》の始まりの場所でもあるんだ」 音もなく腰を上げた。肩にかかる長い三つ編みを振り払い、黒い|焔《ほのお》の先を凝視する。そこには未だに倒れていない|殭屍《キョンシー》、亡霊がいた。 彼らは|全 思風《チュアン スーファン》が造りし結界を破らんと、必死に爪や牙などで攻撃をしている。けれど彼の強い|護《まも》りの力はびくともしなかった。&nb
白き服の者たち。彼らは白氏という、三大勢力の内のひとつでもあった。それと同時に|華 閻李《ホゥア イェンリー》や|華 茗沢《ホゥア ミンヅァ》といった、華の一族の血をひいているのではなかろうか。 |妲己《だっき》はそう告げた。「もしもそれが本当だとするならば、奴らが|血晶石《けっしょうせき》を作れる事も|頷《うなず》ける」 血が薄れていたとしても、その身に|華《ホゥア》の一族としての何かがあるとしたら……各地で起きている|殭屍《キョンシー》事件。これら全てに|辻褄《つじつま》が合うようになる。 けれどそうなると、ひとつの疑問が浮かんでしまう。 彼は、淡々と語りながら子供の頭を撫でた。心配そうに見上げてくる少年に微笑み、そっと抱きよせる。 狐と|爛 春犂《ばく しゅんれい》に視線を送り、続いて|殭屍《キョンシー》たちを見張った。 すると誰もが|頷《うなず》き、再び化け物たちを見やる。「……ただ、そうだとしても|白氏《はくし》がなぜ、こんな事をするのか。それが、いまいちわからない」 子供から剣を受け取り、|鞘《さや》から抜いた。切っ先を地へと突き刺し、そこを出発点として黒い|焔《ほのお》を作る。|焔《ほのお》は彼らを囲うように、地面を円の形へと|削《けず》っていった。 やがて|焔《ほのお》は|漆黒《しっこく》の羽のように広がり、彼らを包んでいく。 近づく亡霊も、位の高い|殭屍《キョンシー》ですら、|焔《ほのお》に触れたとたんに灰と化していった。 安全地帯を作りあげることに成功した彼は、丸い墓の|蓋《ふた》を軽くたたく。腰まで伸びた、長く美しい|濡羽《ぬれば》色の三つ編みをたなびかせた。 普段着ている黒い|漢服《かんふく》は|愛《いと》し子が身につけている。そのせいもあってか、|全 思風《チュアン スーファン》本人の姿勢のよさ、鍛えあげられた筋肉など。そのどれもが上品さのある、|端麗《たんれい》な男性として形作っていた。 そんな頼りがいのある背中を、細い指がつつく。振り向けばそこには、|可憐《かれん》な容姿の子供がいた。 彼から渡された|漢服《かんふく》はブカブカで、袖がかなり余ってしまっている。下を引きずるように動き、手すら見えない袖を口元まで持ってきた。そのまま|上目遣《うわめづか》いで彼に語りかける。「服、返さなくても大丈夫?」
墓の外には|殭屍《キョンシー》が。敷地内には彼らの|陰《いん》の気に当てられた死者が、亡霊となって現れた。『──|紂王《チウワン》。そなたすらも、亡霊に成り果ててしまったか』 苦虫を噛み潰したように涙を|溢《こぼ》す。|瞬刻《しゅんこく》、涙を引っこませた。顔をあげて|瞳孔《どうこう》を細める。そして|悠然《ゆうぜん》とした姿勢でいる|全 思風《チュアン スーファン》へ、遠慮なく片づけろと|遠吠《とおぼ》えを与えた。 彼は云われなくともと、片口をつり上げる。子供にお守りとして|己《おのれ》の剣を渡し、|踵《きびす》を返す。 美しく気高い|見目《みめ》を崩さず、右手に|焔《ほのお》を|纏《まと》わせた。「|爛 春犂《ばく しゅんれい》! 亡霊は、あんたに任せるよ!」 隣に立つ男へ、亡霊という亡霊を丸投げする。 けれど|爛 春犂《ばく しゅんれい》は、彼がそうした理由がわかっている様子だった。任されたと、札に霊力をこめていく。「亡霊なんてのは、私の手には負えないんでね。|管轄外《かんかつがい》だ」 |冥界《めいかい》を|統《す》べる王にしては情けない言葉である。それでも苦手なものを隠さずにいるのは、大切な子の前だったからだ。 ──|小猫《シャオマオ》の前でなら、苦手なものも|晒《さら》す。それが私だからね。カッコ悪くてもありのままを見せる事が、私にとっての|流儀《りゅうぎ》だ。 美しく、それでいて|妖《あや》しい黒い|焔《ほのお》を|殭屍《キョンシー》たちへと放つ。|焔《ほのお》は渦となり、|眼前《がんぜん》にいる死体へと巻きついていった。 |殭屍《キョンシー》たちは抵抗する暇もなく、骨ごと焼き尽くされていく。しかしそれは前方にいる者たちだけ。後ろにいる|殭屍《キョンシー》たちは焼けて灰になった者たちを踏み潰しながら、次々と墓