《愛人の死に耐えられなかった夫、お前が死ねばよかったのにと言い残し自死ー妻は回帰したー》全部章節:第 11 章 - 第 20 章

50 章節

第11話

紫苑と碧斗が去ったあと、由利はベッドで仰向けに寝転がった。もう一度寝れば、今度こそあの世へ行けるだろうか。由利はじっと目を閉じるが、いつまで経っても睡魔は襲ってこない。三日も寝ていたせいか、今は眠れそうになかった。やっぱり夢ではないようだ。かといって、死後の世界というわけでもない。由利はそのことに酷く落胆した。それからしばらくの間現実逃避するかのように、虚ろな目で見慣れた天井をじっと眺めていた。「ずっとこうしていたい……」何だか全てがどうでもよくなった。このまま地獄のようなループからは一生抜け出せないのだろうか。一度目は大切な人たちが目の前で死んでいくのをただ眺めているだけしかできなかった。そんな自分に対する天罰だとでもいうかのように、愛する人からは嫌悪の眼差しを向けられた。二度目、今度は間違えないと思い自ら行動に移した。しかし、待っていたのは愛する人たちからの裏切りだった。そして三度目。紫苑と碧斗が生き残れば終わるかもしれないと思い、由利は自らが代わりに犠牲となることを選んだ。しかし、結果は同じ。一度目、二度目と変わらずあの日に戻ってきてしまった。「私のやってきたことって……何だったんだろう……」由利は無意識にそう呟いていた。彼女にとっては、紫苑も碧斗もとても大切な人だった。一度目では自分と違って誰からも愛される紫苑を羨ましく思い、妬むこともあったけれど……それでも、たった一人の妹に変わりはなかった。そして碧斗も、彼女の初恋であり、生涯で唯一愛した男だった。両親から愛されず、家庭に居場所の無かった由利にとっては彼だけが希望の光だったのだ。しかし、彼らを愛し、大切にした結果は残酷なものだった。どう足掻いても、死の運命からは逃れられないというのか。由利はベッドから起き上がった。その際に、彼女はこれまでずっと肌身離さず着けていた結婚指輪を外した。部屋にあった机の引き出しを開けると、いくつかのアクセサリーが視界に入った。ブレスレットにピアス、婚約指輪やネックレス。全て彼女が碧斗から貰ったものだった。両親は妹の紫苑には何でも買い与えていたのに対し、由利には何一つプレゼントしたことがない。彼女に贈り物をするくらいなら、紫苑にあげたほうがいいと思っていたせいだろう。由利は碧斗からもらった装飾品たちを全て手に取ると、何の迷いもなくゴミ箱に捨てた
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第12話

目覚めたその日の夕方、由利は近くにある美容院を訪れていた。「バッサリ切っちゃってください」「思いきりがいいですね、お客さん」彼女が訪れていたのは都内でも有名な美容院だ。回帰して早々、美容院へ行くだなんてと思うかもしれないが、由利にとっては大きな意味があることだった。由利と碧斗が結婚してすぐ、二人きりで過ごしていたときのことだ。由利は正面に座る碧斗に対し、自分の髪を指で触りながら尋ねた。『ねぇ、碧斗……私の髪、ちょっと長すぎると思わない?』『……そうか?』碧斗は彼女の触っている髪を見つめた。このときの由利は数年近く髪を切っておらず、腰まで伸びたスーパーロングヘアだった。毎日の手入れを欠かしていないため不潔ではないが、不便に感じることも多かった。『こんなに長いとシャンプーだって大変だし、切ろうか悩んでいるんだけど……どっちがいいかしら?』『……』彼はしばらく黙り込んだあと、ゆっくりと口を開いた。『俺は……髪が長い女の子のほうが好きだな』『…………そう、だったんだ』碧斗は由利から視線を逸らしてただそれだけ言った。彼がサラサラのロングヘアが好きなら、と由利は髪の手入れを入念に行った。定期的に美容院でトリートメントをし、自宅でのケアも毎日欠かさなかった。そんな彼女を見た彼が、ふいに言葉を零した。『由利、君は髪がとっても綺麗だな』その一言が大きなきっかけとなり、彼女はそのあともずっと髪を切ることは無かった。(……回帰してからは髪の手入れをする余裕もなかったから、それはもう悲惨なことになっていたわね)髪の毛は自分が唯一紫苑に勝てるところであると、そのような思いからずっと切らずにいた。しかし、もうそうする必要もない。「……やっぱり、長いと色々と大変ですから」「そうですよね、ドライヤーとかもめっちゃ時間かかりますもんね」由利の言葉に、美容師は愛想良く言葉を返した。「どれくらいまで切りましょうか?」「……肩くらいまでお願いします」「わぁ、ボブにするんですね」若い女性の美容師が驚いたように声を上げた。三十センチ以上も髪の毛を切ることなんて、普段あまりないだろう。「……似合うかわかんないですけど、チャレンジしてみたくって」「似合わないだなんて、そんなことはありません。きっとお似合いになると思いますよ」「え……?」由利は美容師のほうを
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第13話

由利は彼女が何を言っているのか、一瞬理解できなかった。彼女は今まで綺麗と言われたことなんて一度も無かったからだ。妹の紫苑は誰から見ても美人だった。学生時代から彼女は学内のアイドル的存在で、男女問わず人気があった。対する由利は、紫苑に比べたらとても地味だとよく言われていた。『あの人……根暗で陰鬱で何を考えているかわからないわ』『妹の愛らしさの十分の一も持ち合わせていないとは……何て可哀相な……』紫苑が光なら、由利は陰。そのようなことを両親からも言われ続けてきたせいか、彼女は褒められるのに慣れていなかった。由利は到底信じられない、というような顔で美容師を見つめた。「お、お世辞ですよね……?」「違いますよ!本当に綺麗なお顔をしていらっしゃいます!」「えぇ……そんな……」初めて褒められ、彼女は何て言葉を返せばいいかがわからなかった。そんなことはないと否定するべきなのか、素直にありがとうと礼を言うべきなのか。迷っている彼女に、美容師が不思議そうに首をかしげた。「お客さんはとても美人なのに……どうしてそんなにも否定するんですか?」「否定……」何故、美しいという言葉を否定するのか。彼女はそのことについてじっくりと考えた。(私は美しくなんてない……紫苑に比べたらとても惨めでみずぼらしくて……)そこで由利は、いつも自分を紫苑と比較してしまっていることに気が付いた。周囲から妹と比較され続けていると思って生きていたが、結局比較していたのは自分自身だったのだ。だから、こんなにも惨めな気持ちになって落ち込むのか。由利は謎が一つ解けたような気がした。「肌も白いし、目も大きいし!何より髪の毛がすっごく綺麗です!こんなにもサラッサラのストレートヘアは私も初めて見ました!」「え、えぇ……」そこまで褒められると、何だか照れ臭くなる。ここで否定してしまうのは、きっと違うだろう。(……ちょっとくらいは、認めてもいいのかしら)由利は頬を僅かに染めながらも、口を開いた。「あ、ありがとうございます……?」「アハハッ、どうして疑問形なんですか!」美容師は声を上げて笑った。明るい彼女に、何だかこっちまで前向きな気持ちになる。「人に褒められるのは初めてで、慣れていないんです」「えぇ!?初めて!?」突然の大声に、室内にいた人々の視線が二人に注目する。「じゃあ告白
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第14話

一時間後。美容院から夏目家の邸宅へ帰った由利を、メイドが出迎えた。彼女は由利を見て目を丸くした。「お、お嬢様……!?」由利の自慢のロングヘアが、肩までバッサリと切られていたのだ。由利は美容院帰りの綺麗な髪に指を通した。「どうかしら?髪を切ってみたの」「何というか……すごく変わられましたね」メイドは驚きで言葉も出ないようだ。(そういえば、彼女にはいつも世話になっていたわね)流産で入院していたときも、家族も碧斗も来ない中、彼女だけが見舞いに来てくれた。邸で一人ぼっちだった由利を気遣ってくれたのは、彼女だけだった。「お嬢様が髪の毛を切られるとは、驚きました……」「あら、そう?」彼女はどれだけ由利が自分の髪の毛を誇りに思っていたかを知っていた。いつも顔を赤らめては碧斗に唯一褒められた場所なのよ、と周囲に話していたからだ。(そういえば、そうだったわね……)前世を含めると、十年ぶりくらいに髪を切ったことになる。重かった頭がスッキリしたせいか、何だか清々しい気持ちになった。面倒なヘアケアも、もうしなくていいんだ。そのことを考えると、とても心が楽だった。これからは誰の目も気にせず生きていく。どうせ死ぬ運命が待っているのなら、自分のやりたいことをたくさんやってから死にたい。彼女が今日、心に決めたことだった。メイドはしばらく由利をじっと見つめたあと、柔らかく微笑んだ。「――お嬢様、とってもお綺麗です」「ありがとう、嬉しいわ」由利は今度は悩むことなく、素直に褒め言葉を受け止めることができた。「今度、あなたへのプレゼントを用意するわ」「へっ?い、いきなりどういうことですか!?」由利は驚くメイドの手を両手で握った。「私、あなたにはとっても感謝しているのよ。もちろん、あなたは知らないでしょうけど……ずっと前からね」「か、感謝?私お嬢様に何かしましたっけ?」「しているわ、あなたに何度助けられたか……」当然、メイドには身に覚えのないことで、彼女は何も言えなかった。覚えていなくたってかまわない。彼女がとても優しい人だということだけは変わらないのだから。「これからもよろしくね――杏奈」「お嬢様、私の名前覚えていてくださったんですか!?」メイド――玉城杏奈(たましろあんな)は感動したように瞳を潤ませた。これまで、由利は碧斗にかまけていてまとも
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第15話

「碧斗……」由利は突然の彼の登場に呆然とし、立ち尽くしていた。彼とすれ違うことはよくあっても、声をかけられるのは珍しかった。由利が何も言わずに去って行く彼を呼び止め、何気ない会話を交わすのが大半だった。そんな碧斗が、何の用事もないときに自分を呼び止めるなんて。とても信じられないことだった。碧斗は彼女にゆっくりと歩み寄った。「由利、その髪は……」「あぁ、切ったのよ」やはり話題は彼女のバッサリと切られた髪だった。あまりにも雰囲気が変わりすぎているせいか、いつものように素通りはできなかったようだ。「変かしら?」「いや、そういうわけでは……」碧斗は気まずそうに視線を泳がせた。じっと見つめてくるから、似合っていないとでも言ってくるのかと思ったが、そういうわけでもないようだ。しばらく黙り込んでいた碧斗は、どこか名残惜しそうに尋ねた。「……あんなにも綺麗な髪を切ってしまったのか?」「……どういう意味よ」碧斗がロングヘアの女性を好んでいたのは知っていた。由利は彼のためにこれまでずっと髪の毛を伸ばしていたのだから。実際、紫苑も由利ほどではないが綺麗なロングヘアだった。彼女と違って元々軽くウェーブがかかっているけれど。「もうすぐ夏が来るでしょう?暑くなるし、シャンプーやドライヤーだって元々大変だったのよ」「そ、それはそうだな……」あなたの好みなんて知らないわ。仮に知っていたとしても、もうそれを気にかけることはない。由利は心の中で呟いた。「ところで、紫苑の容態はどう?」「紫苑……?あぁ、元気にしているさ。今のところは、だけどな」どうやら碧斗は紫苑の部屋から帰ってきたところのようだった。別にいつものことだから、気にもならない。夫と愛人の密会を公認する本妻だなんて、きっとこの世で私くらいだろう。「何もないならよかったわ」「あぁ……さっきの君の発言に関しては反省してもらわないといけないがな」「……」彼の言うさっきの発言とは、紫苑に対して冷たくしたことだろう。あんな些細なことを、未だにネチネチ言ってくるのか。仮にも妻である女性に対する言葉だとは思えなかった。こんなにも器が小さい人だったのか。頭に来た彼女は、ちょっとした仕返しをすることにした。「――碧斗、ズボンのチャックが開いているわよ。それに何だか……胸元も乱れているみたい」「……!?」
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第16話

碧斗は鎌をかけられたことに気付き、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、由利への不信感が宿っていた。「あら、ごめんなさい。どうやら見間違えたようだわ」「ゆ、由利……驚かせないでくれ……」碧斗は平静を装いながら、服を再度確認した。そこまで何度も見るということは、やはりついさっきまで紫苑と愛を交わしていたのだろう。(昼間から本妻のいる家で堂々とやるって……お盛んねぇ)いや、私が外出した隙を狙ってやったのか。一応そういう気遣いはするのね。どちらにせよ、家族を裏切っていることに変わりはない。せめて、声だけは漏れないようにしてね。あなたたちの行為中の喘ぎ声なんか聞きたくもないから。由利はそのような意味を込めて、碧斗にニコッと笑いかけた。由利はそのまま碧斗の前から立ち去ろうとした。そんな彼女を、彼は引き留めた。「待ってくれ、由利」「……まだ何か?」由利は面倒くさそうに振り返った。「さっき連絡があったんだが、今日は義父さんも義母さんも遅くなるそうだ」「……そう」由利と紫苑にとっては実の両親で、碧斗にとっては義理の両親である人。由利は碧斗のその報告に安堵感を隠しきれなかった。紫苑にとっては優しい父と母だっただろうが、由利には優しさの欠片なんて見せたことの無い人たちだ。彼らとはできるだけ会いたくなかったからちょうどよかった。安堵の息を吐いていた彼女に、碧斗はとんでもない提案をした。「君が目覚めたことへの祝いも兼ねて、紫苑と三人でどこか行かないか」「……何ですって?」紫苑と二人ならともかく、どうして私まで。由利はそう思ったが、口には出せなかった。碧斗は普段と変わらない、優しい笑みで彼女に近付いた。「君が来てくれたら、紫苑もきっと喜ぶよ。最近は彼女も普通に外を歩けるようだし」「……」碧斗の穏やかな笑顔が、今ではゾッとする。その笑顔、その優しさの裏でどれだけ人を傷付けてきたのか。彼の残忍な一面を知っている由利は、そう思えてならなかった。『お前が死ねばよかったのに』一度目の人生で最後に彼に言われた言葉が、由利の頭によぎった。何度も夢にまで見た、残酷で冷淡な台詞。彼女はあの日から、その一言を忘れたことなんて一度もなかった。「そうね、たまにくらいならいいわ」由利は引きつった表情を何とか直し、頷いた。二人との食事なんて絶対地獄に決まっている。本当は行き
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第17話

あっという間に時間は流れ、夕方になった。「お嬢様、碧斗様がお迎えにいらっしゃる時間です」「あ……そういえばそうだったわね……」「も、もしかして忘れていらっしゃったのですか?」部屋のソファでくつろいでいた由利を、部屋に入ってきた杏奈が驚いたように見つめた。彼女がそのような反応をするのも無理はない。これまでの由利は碧斗からの誘いを受けるたびに、何時間も前から入念に準備をしていたのだから。愛する人に少しでも美しく見られたい、という思いからだった。しかし、今はそうする必要はない。クローゼットの中から服を選んでいる由利に、杏奈が声をかけた。「お嬢様、今からでも準備をなさいますか?」「いいえ、このままで行くわ。どうせすぐに帰ってくるから」由利はすっきりした髪の毛を軽くブラシで梳かし、服を着替えた。メイクは元々軽くしてあったから、十分このまま出かけることができる。由利はその姿のまま鏡の前に立った。今日の彼女はズボンに白いブラウスというラフな格好だった。由利は碧斗の前でこのような格好をしたことがなかった。いつも紫苑がよく着ているような花柄のワンピースを無理して着用していた。碧斗は女の子らしい人が好きだったから。自分でも似合わないことくらいわかっていたが、それでも彼の好みに合わせたかった。(あの服……あまり似合っていなかったのね……)由利は鏡に映った自分の姿を見つめながら、心の中で呟いた。紫苑にはよく似合っていたが、由利にはお世辞にも似合うとは言えなかった。どうしてあんな服を着ていたんだろう。何だか自分が恥ずかしくなってくる。鏡を後ろから覗き込んだ杏奈が笑みを浮かべながら由利に話しかけた。「何だか……今日のお嬢様はいつもとかなり雰囲気が違いますね」「髪を切ったからね」「いえ、そういう意味ではなく……」何か言いたそうな杏奈をよそに、由利は財布とスマホを入れたカバンを手に取った。準備は万端だ。いつでも出発できる。由利は杏奈のほうを振り返った。「そろそろ行くわ」「お嬢様、碧斗様を待たなくてよろしいのですか?」そういえば、迎えに来るとか言っていたっけ。前世ではいつも部屋で彼のことを心待ちにしていたな。由利はフッと冷たい笑みを漏らした。「必要ないわ。どうせ先に紫苑を迎えに行っているはずだから」「お嬢様……」いつも迎えに来ると言っておきながら、
last update最後更新 : 2026-05-11
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第18話

部屋を出た由利は、しばらく歩いて紫苑の部屋の前に差し掛かった。「碧斗義兄さん、ちょっと待ってよ。私まだ髪がボサボサだわ」「紫苑、着る服は決めたのか?」「それもまだ決まっていないの。どうしよう、義兄さん。どっちの方が私に似合うかしら?」「そうだな……」部屋から碧斗と紫苑の声が聞こえてくる。由利は一度その部屋の前で立ち止まった。(ウチの夫と妹はとっても仲良しなのね)優しい碧斗はわざわざ紫苑の身支度を手伝ってあげているようだ。メイドにやらせればいいものを、いちいち彼自らやるだなんて。『君は健康だから、一人で何でもできるだろう』由利が昔からよく碧斗に言われてきた言葉だった。由利が助けを求めるたびに、彼はそう言って彼女を突き放した。君は健康体だから一人で何でもできるが、紫苑は体が弱いから自分の助けが必要なんだ。(馬鹿馬鹿しい……紫苑だって着替えくらい一人でできるわよ)紫苑は碧斗や両親を心から愛している。だからこそ彼らに甘えたいのだろう。由利は昔から甘えることなんて許されなかった。幼い頃から両親は紫苑につきっきりで、子供らしく我儘を言うことすらできなかった。由利はしばらく立ち止まったあと、紫苑の部屋を通り過ぎた。彼らはまだ時間がかかりそうだから、遅くなるだろう。(そうねぇ……どうせあと十分はかかりそうだから、適当に外を散歩でもしていようかしら)気分転換にはうってつけだ。どうせ明日からはいつも通り仕事が始まるわけだし。由利は軽い足取りで外へ出た。***「紫苑……そろそろいいか?」「えぇ、碧斗義兄さん!準備できたわよ!」真っ白なレースのワンピースに身を包んだ紫苑が頬を赤らめてくるくると回った。ワンピースの裾がふんわりと舞った。「義兄さん、私、綺麗?」「あぁ、とっても綺麗だ……紫苑」碧斗はうっとりとした表情で紫苑を見つめていた。今日の紫苑はいつにも増して美しかった。緩くウェーブのかかったロングヘアに、花のカチューシャをつけている。その姿はまるで春の妖精のようだった。「どれくらい綺麗?義兄さん」「何を聞いているんだ、紫苑……世界で一番綺麗だよ」そう言うと、紫苑は嬉しそうに笑った。彼女の無邪気な笑顔を見るたびに、碧斗は日々の疲れが癒されるようだった。由利は普段、このように笑うことはほとんどなかった。由利と紫苑は姉妹であるのにあまり似て
last update最後更新 : 2026-05-11
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第19話

一方その頃、由利は家の近辺をぐるりと一周散歩していた。「今日は本当に良い天気ね!風が気持ちいいわ!」季節はちょうど春だった。暑くもなく、寒くもない。ちょうどいい気候だ。晴れ渡る青い空を見上げると、眩いほど輝く太陽が目に入った。あまりにも強い光に、目を開けていることすら難しかった。暖かい春の風が吹き抜け、短くなった彼女の髪をなびかせた。(いつもみたいにヒールを履いていないから歩きやすいし……)由利は特に時間を気にすることなく、歩き続けた。「わぁ、とっても綺麗なお花!」視界の端に、美しく咲き誇る花が入った。花といえば、幼い頃に……『綺麗なお花を、紫苑のために摘んできたの!紫苑、喜んでくれるかなぁ』『お嬢様は妹思いでとっても優しいんですね』まだ由利が小学生だった頃、学校帰りに彼女は道端に咲いている花を摘んだ。今ではもう色すらよく覚えていなかったが、可憐なところが紫苑にそっくりだった。『きっと紫苑お嬢様もお喜びになられますよ。由利お嬢様からのプレゼントですから』『そう?そうだったらいいな……』由利は手に持った一輪の花をギュッと握りしめた。このとき、既に両親は病弱な紫苑につきっきりで由利は放置されていた。まだ幼かった彼女は、親からの愛を求めていた。そんな思いから、両親が大切にする妹へのプレゼントを用意したのだ。いつもは厳しい両親も褒めてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、由利は家に帰った。『お母さん、ただいま』『あぁ……おかえりなさい』家にいた母親は、いつものように由利に素っ気なく返事をした。母はいつも娘である由利にこのような接し方だった。彼女には冷たくしていたが、紫苑に対しては惜しみなく愛情を注いでいた。そして、そんな母の横には紫苑もいた。母は由利をチラリと一瞥すると、すぐに紫苑に視線を戻した。――母の目には、昔から紫苑しか映っていなかった。由利はそのことを誰よりもよく知っていたが、それでもめげなかった。『お母さん、今日は……紫苑にプレゼントを持ってきたんです』『……プレゼント?』母と紫苑が振り返った。由利は自分が母の目に映ったことに、小さな喜びを感じた。何とも健気な少女だった。『はい、学校帰りに綺麗なお花が咲いていたので……紫苑にピッタリだと思って……』『お花?』由利は後ろに隠していた花を前に出し、紫苑に
last update最後更新 : 2026-05-12
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第20話

碧斗の後ろには紫苑もいた。彼は不機嫌そうな顔で由利を見つめていた。(あと三十分はかかるだろうと思ってゆっくり散歩してたけど……思ったより早かったようね)そんな彼の顔を見ても、由利は何とも思わなかった。少し前の彼女なら困惑していただろうが、今はそんなこといちいち気にしていられない。「由利、こんなにも長い時間一体どこへ行っていたんだ」「……どこへ?ちょっと散歩してただけよ」「散歩だと?」碧斗の顔が険しくなった。俺たちを待たせていたことを自覚しているのか、とでも言いたげな表情だ。(不機嫌そうにしているけどね……あなたたちが普段からやっていることを私はお返ししただけよ)これまで、何十分も待たされていたのは由利の方なのだ。もちろん、彼らはそのことに全く気付いていないだろうが。「迎えに行くって言っただろう?何故俺を待たなかった?」「いつもみたいに十分以上遅れてくると思ったから……ちょっと散歩していたのよ」実際、由利の予想は的中していた。紫苑が準備を終えたのは、碧斗が由利を迎えに行く時間の十五分後だった。そのことを指摘されたのが悔しいのか、彼が顔を歪ませた。「君はちょっとくらい待つこともできないのか?」「そうね、今日はできそうもなかったわ。ところで、十五分をちょっとくらいって言うのはどうかと思うけれど。仕事なら完全遅刻よ」もう、待つのはこりごりだった。碧斗は彼を待っている間、由利がどれだけ惨めな思いをしていたか知る由もないだろう。待たされていたのは今回のような外出時だけではなかった。前世でも、彼女は流産したとき夫である碧斗が来るのを病室で待ち続けていた。結局、彼は紫苑につきっきりで一度たりとも彼女を見舞いに来なかったが。そのときのことを思い出し、由利の碧斗を見る目に鋭さが増した。碧斗は彼女から初めて向けられる目に一瞬だけビクッとした。険悪な雰囲気の二人の間に、紫苑が割って入った。「――姉さん、そんな言い方はないじゃない?碧斗義兄さんは姉さんのことを心配していたのよ」「紫苑……」彼女は碧斗を庇うように前に出た。どこかで見たことがあるような展開だ。今はとても、彼らの茶番に付き合う気にはなれなかった。由利は悲痛な面持ちの紫苑に、冷たく言い放った。「心配だなんて、碧斗はそんなものしていないでしょう」「姉さん、どうしてそんなことを言うの!私も
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