ログイン腕を強く掴まれていて、御影さんから離れる事が出来ない。 私は何度も腕を振り払おうとしたけど、私の腕を掴む御影さんの力が増しているように感じる。 「茉莉花、お前に相応しいのは俺だろう!?あんな薄情な男より、俺の方が相応しい!俺と一緒にいれば、今後危険な目には遭わない!」 「──離してくださいっ!」 私たちの話し声は、次第に大きくなっていく。 御影さんの声に負けじと、私が大きな声で「離して」と言った瞬間、廊下を走ってくる使用人の足音が聞こえた。 「お嬢様、大丈夫ですか!?」 「──っ、ええ!お客様がお帰りよ。見送ってあげて」 「かしこまりました。御影様、お嬢様から離れてください。お見送りいたします」 やって来た男性使用人2人に囲まれた御影さんは、渋々といった体で私から手を離す。 私の横を通り過ぎる際、御影さんはぼそりと呟いた。 「涼子の暴走は止まらないぞ。……お前を守れるのは俺だけだと思っておいた方がいい」 御影さんは私にそう言うと、そのまま歩いて部屋を出て行った。 「──っ、最悪、だわ……」 ずきり、と御影さんに掴まれた腕が痛む。 ちらりと服の裾を捲って確認してみると、腕にははっきりと御影さんの指の痕が残っていた。 ◇ 翌日。 いつも通り会社に出社した私は、仕事をしつつ時折痛みを感じる自分の腕に目を向けた。 「痛いわね……。打撲みたいな感じになっているのかしら……。馬鹿力だったのね、あの人って……」 ズキズキと痛む腕のせいで集中が続かず、私は背もたれに深く背中を預けた。 天井を見上げ、ため息をついていると本部長室の扉がノックされた。 「──はい?」 「本部長、矢田です」 「矢田主任?どうぞ、入ってください」 「失礼します」 やって来たのは、矢田主任。 社内施策の報告にやって来てくれたみたいだった。 彼女は胸元にバインダーを抱えて、歩いて来る。 私の目の前までやって来た矢田主任は、バインダーを手渡してくる。 「本部長、こちらが今回の施策です。ご確認の上、署名をお願いします」 「ええ、分かりました。今確認しますね」 バインダーに手を伸ばした私に、矢田主任の表情が変わる。 手を伸ばした際に、私の服の裾から昨夜の痣が見えてしまったみたいで──。 「ほ、本部長!どうしたんですか、それ!?」 「えっ、ああ…
もしかしたら、苓さん──? そんな、微かな期待を抱いてしまう。 もしかしたら記憶が戻って、会いに来てくれたんじゃあ……。 そんな風に考えた私を嘲笑うかのように、使用人の女性が訪問者の名前を口にした。 「御影さんが、来られています」 「御影さん──?」 どうして御影さんが、と困惑する。 「……分かったわ、今行く。御影さんは客間に?」 「はい、外でお待ちいただくのも、と思い……」 「……そうね。記者はもう居なくなってるけど、他の人に見られる可能性があるから、中に通してくれて助かったわ、ありがとう」 「いえ、とんでもございません」 では、私はこれで。 そう告げて、使用人の女性は戻って行った。 私はため息を吐きつつ、カーディガンを上に羽織ると自室を出た。 客間に通されている、と言う御影さんの元に向かった。 ◇ ドアをノックし、室内に入る。 「こんな時間に何の用ですか、御影さん」 「──茉莉花」 私が部屋に入るなり、ソファに座っていた御影さんが立ち上がる。 私は部屋の扉を全開にしたまま、御影さんに近付いた。 部屋のすぐ外の部屋には、使用人が控えてくれている。 以前、会社に来た御影さんの行動を考えれば、彼を警戒するのは当たり前で。 私が御影さんから少し離れた場所で止まった事で、御影さんは不服そうな表情を浮かべた。 「……茉莉花、話を聞いた」 「話ですか?何の話でしょう?」 「小鳥遊が事故に遭い、大怪我を負ったらしいな。それに……お前の記憶を失った、と聞いたがそれは本当か?」 どこでそれを──。 私が言葉に詰まった事で、御影さんは確証を得たのだろう。 眉を寄せると私に1歩近付いた。 「本当だったんだな」 「どうして、それを御影さんが知っているんですか……?それに、それを知ったからと言って御影さんに何の関係があるって言うんですか?」 御影さんが近付いた分、私は1歩退がる。 そんな私の態度が不服なのだろう。 御影さんは眉を寄せたまま私の腕を掴んだ。 「だから俺にしろ、と言ったんだ。茉莉花の事を簡単に忘れるような男だぞ。お前の事なんて、大して思っていなかったんだ。そうじゃなきゃ、お前だけを忘れるか?」 「……っ、勝手な事を言わないでください。それに、例え苓さんが私の事を覚えてくれていなくても、私は苓さんの事が好
【藤堂様】 そんな出だしから始まった、苓さんの返信。 メールの返信には、取引相手として丁寧に文章が打たれていた。 退院と、怪我の気遣いに対するお礼。 それと現場視察の日程について、何ヶ所かは他の仕事を優先するために辞退する旨が記載されていた。 「は……、ははっ」 以前、苓さんが言っていた言葉を思い出す。 【茉莉花さんが心配だから。茉莉花さんが現場視察に行く時は必ず俺が一緒に行きますね。──他の仕事?茉莉花さんを最優先する以外に大事な事なんて無いですよ】 そんな風に、真面目な顔で真っ直ぐ私を見つめて言ってくれた苓さん。 だけど、今は──。 「もう、あの苓さんは居ない、のか……」 私は静かな本部長室でぽつり、と呟いた。 ◇ それから、ひと月の間。 仕事に復帰した苓さんとは、数回だけ現場視察をした。 その時の彼は、どこかよそよそしくて。 仕事に関わる、必要最低限の会話しかしない。 そして、仕事が終われば現地解散。 あれから、苓さんとプライベートな話も。 付き合っていた事についても話すきっかけが無くて。 私たちの今後は、一体どうなるのだろうか、と少し不安に思った。 「……婚約を発表した訳じゃ、ないから……苓さんが私を忘れてしまった時点で、もう私と苓さんの関係は終わってしまったの……?」 恋人だった頃の記憶があるのは私だけ。 苓さんにとっては、見知らぬ女と付き合っていた、と言う事実が信じられないだろう。 だからこそ、私との関わりは必要最低限、仕事でどうしても会わないといけない時だけに留めているのかもしれない。 「……私は、これからどうしたらいいの……」 苓さんが手配してくれた護衛の人は、まだ私とお父様を守ってくれている。 少し離れた場所にいる彼らが、まだ苓さんと繋がっている唯一の証のようで。 本当は護衛に関しても、こちらから断りを入れるか、藤堂で手配をした方がいいのだろう。 だけど、苓さんが手配してくれたから──。 「ああ、もう……っ、全然分からない。どうしたら……っ」 思いっきり泣いてしまいたい。 だけど、泣いたら諦めてしまいそうで。 苓さんとの関係を、1回リセットした方がいいんじゃないか。 そんな考えも浮かんで来ている。 ひと月経った今も、苓さんには記憶が戻る気配が無い。 2人で話した事がある和風
◇ それから、1週間後。 苓さんが退院した、との知らせを受けた。 圭吾さんから教えてもらい、私は無意識の内に自分のスマホを取り出した。 いつものように苓さんの名前を呼び出してタップしようとして、私の指はぴたりと止まる。 「──はっ、はは……。馬鹿みたい……私が急に連絡したら、苓さんは驚くわ……」 それに。 今の今まで私のスマホに苓さん本人からの連絡は1度も無い。 私の事を忘れてしまっているから、それは当然。 苓さんが私の私用連絡先に連絡を入れる訳が無い。 頭では分かっているけど、心がまだついていけていない。 「……苓さんの仕事用のアドレスに、連絡を入れておこう……」 まだ、カフェの現場視察は残ってる。 私だけで視察に参加してもいいんだけど、記憶を失う前の苓さんは現場視察には全て参加したい、と言っていた。 私は自分のパソコンで苓さんの仕事用アドレスを呼び出してメールの文章を打つ。 圭吾さんから退院したのを聞いた事、体を気遣いつつ、仕事への復帰はいつになるか。 そして、今後直近で行われるカフェ建設の現場視察のスケジュールを記載して、参加の有無を改めて問う。 「これくらいで……いいわよね……」 当たり障りのない、温度の無い文章。 ビジネスメールと言って遜色ない程のメール内容。 これが、自分の婚約者相手の文章なんて、と私はメール画面を見て笑ってしまった。 「凄く、他人行儀だわ……」 苦笑いを浮かべつつ、メールを送信する。 メールが無事に送信された事を確認した私は、メールの画面を閉じて別の仕事に取りかかる。 カフェの完成まで、あと2ヶ月程。 終盤になれば、外装と内装が始まって、それが終われば様々な物の搬入が始まる。 形が出来たら、後はカフェ事業の広報活動だ。 それに関しては、虎おじさまが全面的にサポートしてくれるから凄く話題になるだろう。 「オープンに向けて、施策も打たないと……」 やるべき事はまだまだ山積みだ。 私は自分のチームのみんなと協力しつつ、仕事に没頭した。 夜。 定時を大分過ぎた時間。 私はふ、とパソコンから顔を上げてぐっと伸びをした。 同じチームの皆は既に帰宅している。 私は、自分の家に帰るのが何だか嫌で。 仕事を持ち帰って家でやろうか、とも考えたけど。 あの家には、苓さんは何度も泊ま
◇ 藤堂の家に私を送ってくれたお父様。 お父様は私を気遣い、暫く仕事──会社は休むか、と聞いて下さったけど休む事はしたくない。 確かに苓さんに忘れられてしまった事はショックで。 悲しくて悲しくて辛いけど、だからと言って、苓さんと一緒に進めていたカフェ事業を途中で放り投げる事も、休む事もしたくない。 だから私はお父様に「大丈夫」だと伝えた。 お父様は心配そうにしていたけど、会社に戻らないといけないらしく、私を家まで送って下さった後は会社に戻った。 家で1人になった私は、ふと家の中を見回した。 すると、家の中や外……庭先で苓さんと一緒に過ごした思い出が蘇る。 「そう言えば、苓さんが寝泊まりしている客間で一緒に寝た事もあったし……。私のお部屋で過ごした事もあったわ……」 そうだ。 そして、まだ存命していたお祖父様と、お父様と苓さんが夜にお酒を飲んで談笑していた時もある。 それに、苓さんと手を繋いで離れの日本庭園を何度も散歩した事を思い出す。 「あの離れは、お母様がお気に入りだって事を苓さんにもお話したものね……」 庭園の見事さに、苓さんが感動してくれていた事も、しっかりと覚えている。 「……苓さん」 いつか、私の事を思い出してくれるだろうか。 それとも、今後一生……私の事は思い出してくれないのだろうか──。 でも。 苓さんは、私の事を好きになってくれたんだから、もう1度好きになって貰えるよう、努力しよう。 苓さんから沢山「好き」を「愛情」を貰ったから、今度は私から沢山苓さんに好きと愛情を伝えて。 そして、もう1度私を見てもらって──。 好きになってもらえばいいんだ。 「──うん、うん……。そうよね。苓さんに忘れられちゃった事で、絶望している暇は無いわ。仕事もあるし、今後も苓さんと会う機会は沢山ある。苓さんに私を改めて知ってもらおう」 私はそう気合いを入れると、ぐっと握りこぶしを握って自分の部屋に戻った。 誰か──。 恐らく、涼子だろう。 涼子から送られてきたあんなメッセージなんかに、私は傷付いたりしないんだから──。 ◇ 翌日から、私は今まで以上に仕事に打ち込むようになった。 時折、本部長室にやってくる志木チーム長や矢田主任は不思議そうに、心配そうに私を見てくるけど、特に彼らから何かを言われる事は、無い。
◇ 苓さんの病室を出た私とお父様を、圭吾さんが送ってくれる。 私の様子を心配したお父様は病室から少し離れた場所にある椅子の所までやって来ると、私を椅子に座らせた。 そして、お父様は圭吾さんに向き直る。 「小鳥遊さん、詳しく説明してもらってもいいかな……?」 「ええ、もちろんです」 お父様は何が起きているのか分からないのだろう。 だって、それは当然で。 お父様の事は、苓さんは覚えているのだから。 その証拠に、私が苓さんの病室に戻って来るまでお父様と苓さんは病室で談笑していた。 話す時間が長ければ、私の事だけを覚えていない苓さんに違和感を覚えたかもしれないけど、こんな風に少しの時間だけだったら苓さんの記憶の中に私が居ない事は気付かないだろう。 圭吾さんの説明を聞いていく内に、お父様の表情が険しくなって行くのが分かる。 「そんな事が……」 お父様は困惑したように自分の額を手で抑え、天井を仰ぐ。 「だが、記憶を取り戻そうとしてもらおうにも……無理をさせる事は出来ないしな……」 「ええ……。無理に記憶を戻そうとすると、強いストレスを感じてしまい、良くないそうです」 「そうか……。こればっかりはどうにも、できんな……」 お父様が溜息を吐き出しつつ、私に顔を向けた。 「茉莉花。あの状態の苓くんと会うのは辛いとは思う。だが……仕事は、仕事だ。彼が茉莉花を覚えていなくとも、今までのように一緒に仕事を出来るか?」 「──っ、」 はっきり言ってしまえば、あんな冷たい目をした苓さんと会うのは、怖い。 だけど、お父様の言葉は尤もだ。 たとえ、苓さんが私の事を忘れてしまったとしても。 私たちが始めたカフェ事業は待ってはくれない。 仕事は、仕事なのだ──。 私には、こんな風にショックを受けてくよくよしている暇なんてないんだ。 私は滲んだ涙を拭うようにして、椅子から立ち上がった。 「大丈夫です、お父様。仕事は、仕事……最後までしっかり全うします」 その言葉と共に、お父様を真っ直ぐ見上げる。 私の言葉と、表情を見たお父様は一瞬痛ましげに目を細めたけど、こくりと頷いてくれた。 「ああ、辛いだろうが頼んだぞ」 「──はい」 「……それじゃあ、そろそろ私たちは帰ろうか。……小鳥遊さん、彼が仕事に復帰する時にはまた連絡をお願いしたい」 「
◇ 苓さんの車の中、私の唇を何度も何度も塞ぐ苓さんに、最初は押し戻そうとしていたけど、いつの間にか私の手は縋るように苓さんの首に回っていた。 会社を出て、家まであと少し、という所で苓さんは路地に方向を変えて、車を停車した。 私が不思議そうに窓の外を見た時に、運転席側からシートベルトを外す音が聞こえた。 何か話でもあるのだろうか。 そう考えた私が、苓さんに顔を戻した時。 シートベルトを外し、体を私に寄せた苓さんに唇を塞がれたのは数分前だった。 「──んぅっ、ちょっ、苓さ……」 「すみません茉莉花さん、あと少し……」 「んっ」 何度も唇を合わせ、可愛らしいリップ音が車内に満
御影さんの言葉に、私は彼に視線を向ける。 けど、御影さんはお母様の眠る姿をじっと見つめたまま、言葉を続けた。 「昔は、あんなにお元気そうだったじゃないか……。病気……、か?」 気まずそうにそう問われ、私は首を横に振って答える。 「……いいえ、交通事故です」 「事故……。だが、もう手術は成功しているんだろう?何故、目覚めない?」 「お医者様にも、原因は不明だと言われております。……私たち家族だって、お母様に早く目覚めて欲しいです」 「いったい、いつ事故に……?犯人は捕まっているのか?」 「5年ほど前、です。……もちろん、犯人は捕まっています」 「5年──」 御影さんの眉間
「お祖父様?」 「藤堂会長」 お祖父様は、杖を片手にゆっくりと駐車場にやってくる。 そして、そこには私だけじゃなく、苓さんの姿もあった事に驚いたように目を見開いた。 「小鳥遊の倅か」 「こんばんは、会長。茉莉花さんがまだ会社で残業をされていたので、ちょうど近くを通りかかったので、お送りしました」 「そうか、そうか。わざわざ茉莉花を送ってくれてありがとうな」 お祖父様は機嫌良さげに苓さん
走り去って行く涼子の背中を見送りながら、私は首を傾げてしまう。 涼子は、一体何が目的でこの病院に来たのだろうか。 「あの女性……何だったのでしょうか?」 「さぁ……私にもよく分からないわね……」 運転手とも、顔を見合わせてお互い不思議そうに瞳を瞬かせる。 もう、姿が見えなくなってしまった涼子をいつまでも気にしていても仕方ない。 私は、気を取り直して運転手に向き直った。 「今日はお母様のお見







