เข้าสู่ระบบ「な……っなんでそうなるんですか?そんなの嫌に決まってますっ」「は?……嫌だ?」「こ、恋人でもないのに同居なんて……そんなことができるほど男慣れしてませんっ」余計なことを言ったと後悔した。赤い顔であることを覚悟しながら京極を見上げると、眉間にシワを寄せた難しい顔になっている……「めずらしい子がいたもんだ。俺に誘われて拒否するとは」「さすが、京極さんですね」「……まぁな」腕を組んだ京極に、それとなく玄関までの通路を塞がれている気がする。「とにかくここより安全だから、当面必要な荷物をスーツケースに入れなさい」この部屋がある4階には、少し離れた部屋にもう一人入居者がいるだけ……ほかの階に入居者がどれほどいるのがわからない凪にとって、不審なことがあったこのビルに1人でいるのは確かに不安だ。「わかりました」凪は抵抗を諦めてスーツケースを引っ張り出し、荷物を詰めていった。最後に白い紙袋に線香や香炉、そして遺影を入れようとして……「荷物は持ってやるから、遺影は手で持っていきなさい」京極がスーツケースと紙袋に手を伸ばした。いつの間に呼んだのか、エントランスに降りると黒塗りの車が停まっていた。ドライバーは山田ではなく、京極REAL ESTATEで契約しているタクシー会社らしい。「どこか、住まいを見つけるまでの間で結構ですから」「そんなこと言っていいのか?」京極は車から降り、黒壁と同化するような大きな門を開け、中に入っていく。「何がですか?」後からついていくと、門の中に入ったところで振り向いた京極が、口角をいたずらっぽく上げた。「……入ったな?よしよし」「質問に答えてください!」頭を撫でられ、子供扱いされたようで悔しくなった凪は、京極の手を振り払う。「お母さんのネックレスはここにあるんだぞ?それを置いて出ていけるか?」「……ネックレスは、人質?!」「堂々と人聞きの悪いことを言うな。同じ家にいれば、婚約者との仲をどう壊すか相談したり、ネックレスについて調べたことを共有したり、何かと楽だろ?」タイパを考えろ……と言いながら、京極は大きな玄関の施錠を解く。中に一歩足を踏み入れると、天井が高く広々としていた。目の前に流れるような曲線の階段があり、その向こうは美しい芝生の庭が見える大きなガラスがはめ込まれている。「この家に部屋は6つある
「……2Kか。一人暮らしの世帯も多いわけだ」エントランスで京極と凪を降ろし、山田は挨拶もそこそこに走り去った。凪も調査のための宿泊だと割り切って自分の部屋へと京極を招き入れたところ……あちこちに京極の視線が行き、落ち着かない。「この階は全部2Kなんですか?」「わからない。……確か3部屋の間取りもあったと思うが」京極はカラーボックスの上に飾られた母の遺影に気づいたらしい。生花と思い出の品、そして線香と香炉を置いて、簡易的にこしらえた仏壇のようなものだった。……手を合わせてくれたことが、少し意外だった。「ありがとうございます。……お茶でも」「いや、俺のことはいいから。君は風呂に入って先に寝なさい」京極はそう言って玄関に向かった。見送ろうとついて行くと、ドアにセンサーのようなものを取り付けている。不思議そうに見つめる凪に京極が説明した。「鍵なんて信用ならないからな。これは不審者が無理に開けようとすると感知して警報が鳴って、警備会社に通報されるシステムだ」「……すごいですね。そんなグッズがあるなんて知りませんでした」「うちのオリジナルだからな。基本的にタワマンとか高級マンションにしか需要がない」その説明に納得する凪。これを活用するには警備会社との契約もしなくちゃならないから。「このドアが無理に解錠されたら俺の携帯に警報が入るように変えといた。調査が終わったら君の鍵で中に入るから、あとは気にせずに寝てくれ」はい、という返事を聞く間もなく、京極はドアを出ていく。ピロロという小さな電子音がして、警報が鳴るシステムが作動したとわかる。……ここまで、ものの10分。大げさな言い方をすれば、企業のトップとしての能力を見せつけられた気がした。問題が起きてからの決断と対応、対策……そのすべてに迷いがなくて的確。「とてもじゃないけど、かなわない……」張り合うつもりは毛頭なかった。けれど、つまみっ子倶楽部という団体のトップである凪にとって、京極の対応は賞賛に値した。「お布団……干したばっかりで良かった」やや緊張しながら入浴を済ませた凪は、座卓を片付け、京極のために布団を敷いた。奥にはベッドがあって一応寝室だが、別の部屋がいいに決まっている。敷布団に薄いピンク色のシーツをかけ、客用の枕には未使用のタオルを巻いた。秋の始まりでまだ寒さは本格的ではないので、さ
震える手をなんとか鎮めようと思うのに、小刻みに揺れる手は止まってくれない。意外にも京極は、差し出したネックレスにすぐに手を出さなかった。「これを俺に預ければ君は安全だと?」「……それは、多分」「隣の部屋から誰か出てきたって言うが、君の部屋は402号室。隣の403と401は空き部屋のはずだぞ?」京極の言葉にハッとした。……サバンナビルディングは空き部屋ばかりで、どこに人が住んでいるのか凪は把握していなかった。「とりあえず今夜は、つまみっ子倶楽部で過ごします」もう一度ネックレスを差し出す凪に、京極は少し考えてから口を開く。「……部屋の鍵は?」京極は凪の姿を確認するように眺めた。ぽん、とバッグを叩かれたということは、荷物を持っていることを確かめたということだろう。「鍵は、開ける前だったので」答えながらバッグの中を探り、鍵を取り出して見せる。「ならいいだろう。乗りなさい」有無を言わせない言い方に思わず従ってしまった。すると、京極と並んでシートに座った凪に、秘書の山田が運転席から顔を向けた。「……いらっしゃいませ、凪社長!」なぜか1人嬉しそうな山田。強めのアイシャドウで縁取られた瞳を後部座席に向け、ニカっと笑った。「あ、再び、お世話になります」「……いいから、速く発進させなさい」京極には山田の笑顔の理由がわかっているようだ。なぜ嬉しそうなのか聞いてみようと口を開きかけたところで、京極の次の言葉が飛ぶ。「君はいつになったらその厚化粧をやめるつもりだ?それから甘ったるい変な匂いも!」「……化粧は身だしなみでして……そして変な匂いとおっしゃいますが、これは有名ブランドの人気No.1を店員さんに勧められてですね……」「そんなものをまとわなくても君は十分魅力的だと言っている」やりとりを聞いて思った。この2人はいわゆる社長と秘書以上の関係なのかと。「それに何より臭い!」……そういうわけではなさそうだ。2人のユーモラスなやりとりを聞いて、つい先ほどまでの恐怖が薄れていることに気づいた。いつの間にか震えていた手も落ち着いている。「……あの、これからどちらへ行かれるんですか?」「俺の家だ」どうしてお宅へ行くのかと聞こうとして、車が急に左折した。その勢いで京極に体ごとぶつかってしまう凪。とっさに腕が開かれ、その胸に頬がぶつかった。「……山
『約束のビルの解体、どんな感じで進んでます?』 凪が運営するつまみっ子倶楽部に行く直前、極道組織、黒石一家から連絡をもらった。 「あぁ、こっちからも連絡をしようと思ってたんですけど、サバンナビルディングは壊せなくなりましてね。今代わりのビルを探してますから……」 『はぁ?話が違いますね?』 携帯の向こうで凄むのは、黒石一家の若頭であり息子である岳。冷たい声でこちらの話を遮った。 『わかってるでしょ?うちだって急いでんだ』 組長と違って若頭はそれなりにキレる。ごまかしが利かないことは承知の上だが……イチかバチか、京極は話を変えてみた。 「黒石さんのとこ、確か年配の家政婦が辞めて困ってるって言ってなかったか?」 食いついてこなければ、次の手を考えるしかない。 ……どのみち、サバンナビルディングを壊す選択肢はもう俺の中にはなかった。 だが、岳とは子供の頃からの付き合いだ。京極には確信があった。 「組長は食にうるさいから大変でしょ?それに、いつ何があって命を落とすかもしれない稼業だ。美味い飯くらい思う存分食べたいだろう……」 『なんだよ……婆さんがひどい腰痛だってこと、知ってたのか』 「俺はいつも黒石さんとこを気にしてるから。……どう?代わりの家政婦でも紹介しようか?」 『マジか……?!』 ……食いついたな。 訳アリ稼業の黒石一家が、ハローワークに求人を出せるはずがない。たとえその辺に張り紙でもして奇跡的に応募してくれる人がいたとして、本業を知ったら逃げ出すのがオチだ。 「だから働いてくれる家政婦は、婆さんになるまで使い倒すと……」 『……なんか言ったか?』 「……いや。真面目で働き者のいい娘知ってるから、ちょっとやる気だけ確かめて紹介しますよ」 この時頭に浮かんでいたのは、たまに行くクラブの女の子だ。反吐が出そうなほど悪い男と付き合っていて、金を稼いで姿をくらましたいと打ち明けられていた。 やる気があるなら黒石の家政婦を紹介しようと思いながら……実はこの時、もう1人京極の頭をかすめたのは…… 同じく妙な男に付きまとわれているらしい汐沢凪。 結局、軍配は凪に上がったわけだ そして数日後。 凪を黒石家へ紹介した初日、思いがけないことを言われた。 「凪ちゃんには来てもらいたい
「さてどこへ行こうか」 「つまみっ子倶楽部でいいですよ。今の時間ならスタッフは帰りましたから」 黒石興業で料理をしながらずっと考えていた。……どう切り出そうか。 考える凪の横で、京極はしかめっ面になり、次に薄く笑った。 「せっかくだから高級レストランに行きたいとか言えばいいのに」 「私のガラじゃないですよ」 とは言っても運転しているのは京極だ。……結局、雰囲気のあるカフェバーに連れて行かれた。 「いらっしゃいませ、京極さま」 奥のボックス席に落ち着くと、いかにもオーナー風情の男性がやって来て京極に頭を下げた。チラリと見られて、慌てて会釈してみる…… 「マクラレンの25年。この子には何か食事になるものと……?」 「生ビールお願いします」 京極にはてな顔を向けられて自分で注文した。それに驚いたのか、生ビールに驚いたのか、京極はちょっと肩をすくめた。 男性はにこやかな笑顔を残し、立ち去っていく。 「話というのは、」 「やっぱり変わってるな」 同時に話し始め、凪は言葉を切って京極を見上げた。 「男との食事だぞ?しかもこんな雰囲気の店で……生ビールとはな」 「……だからつまみっ子倶楽部でって言ったんですよ」 のどが乾いてると思われたのか、さっきの男性が早速ビールを運んできてくれる。 「それに、私はこんな格好なのに……男との食事を楽しむ雰囲気なんかあったもんじゃありません!」 「なるほどな。……だが、俺の時間をやったんだ。少しはこっちにも合わせろよ?……話の本題は食事が終わってから。それまで少しは艶っぽい表情を見せること」 言い終わると同時に、京極は顎で生ビールを指す。先に飲め、ということだろう。凪は遠慮なくグラスを持ち上げた。 よく冷えたビールは泡がきめ細かくてとても美味しい。気づけばグラス半分ほどまで飲み干してしまった。 京極は飲みっぷりを眺めて口角を上げ、ウイスキーと共に運ばれてきたミックスナッツを凪に差し出す。ところが……遠慮なく手を伸ばした凪の手が、ナッツに触れた瞬間……皿が引かれた。不意を突かれ、伸ばした腕をそのままに、不思議な気持ちで京極を見上げると、あきらかにからかっている表情。 「あの、こんな古典的ないじわるをされて……艶っぽい表情なんてできません」 口を尖らす凪を
「ここ、ですか?」 「あぁ。話した黒石興業。仕事は家政婦な?」 数日後、京極に連れて行かれた場所には、確かに『黒石興業』という小さな表札がかかっている。中に足を踏み入れると、遠目に人が動き回っているのが見えた。全員が黒いスーツ……シャツも黒っぽくて皆同じに見えた。 「業種はまぁ、冠婚葬祭の、葬を主に扱っている」 「だから皆さん喪服なんですね……」 「……まぁ、そんなところだ」 京極に笑われていることなど知らず、凪は先に歩き出す。 「おい!全員整列しろ!」 誰かが凪と京極の訪問に気づいたらしい。あちこちから「へいっ!」という威勢のいい声が聞こえて、廊下に黒い男たちが並ぶ。 「京極社長に紹介されて参りました、つまみっ子倶楽部の汐沢と申します」 「ようこそおいでくださいました。今日から2週間、よろしくお願いします」 頭を下げてくれた年配の男性は社長だと、京極が教えてくれた。早速中に入り、キッチンに案内してもらう。 「……わぁ、綺麗にしてますね」 「えぇ。長いこと勤めてくれてた婆さん……いや、女性スタッフがよくやってくれてて。腰を痛めて急に辞めてしまったので困ってたんですよ」 「少しでもお役に立てるよう頑張ります」 京極を間に挟み、契約書を取り交わし、凪は早速夕食の支度に取りかかる。 人数は聞いていた通り15名ほどのようだ。 「20人分くらいの食事を用意すればいいでしょうか?……おかわりしたい方もいるでしょうから」 「……おかわり、ですか」 「はい。足りないと困るので」 「いやぁ……こいつら、喜びますよ」 社長と京極が顔を見合わせて笑った。……何かおかしいことでも言ったのだろうか。 その日は無難にカレーを作り、翌日の朝食の準備をして帰るという契約。 「明日の朝食は鶏粥です。このスープの中にご飯を入れて15分ほど煮てください。トッピングは別皿に盛って召し上がってください」 他にいくつかの料理を冷蔵庫に入れ、凪は割烹着を脱ぐ。 なぜか凪が帰るまで滞在していた京極が、タイミングを合わせて玄関先にやってきた。 「なんだか、楽勝なんですけど」 「そうか、なら良かった」 勧められるまま助手席に乗り込み、京極の車は音もなく走り出す。明日は11時、昼食前に出勤して昼と夜、朝の仕込みをして休憩1時間。今日と同じく20時頃退勤する予定だ。