تسجيل الدخول後から思い返せば、フェルータとの会話はとても心地よかった。
まるで娯楽の少なかった昔の人間が、吟遊詩人の詩《ものがたり》に魅了されるような時間だった。 そう自覚させられるほど、彼女との小さなやり取りの一つ一つが、魂に染み渡る聖水のように俺の中の『何か』を破壊していくのを感じた。 だが、『暗殺者』の俺はそれに気が付かなかった……。 その時に気がついていたら、後の結末は変わっていたのだろうか? その時の『暗殺者』は舌打ちを繰り返して俺に『真実』を映し出すことはなかった。 まるでお前は絶対に変わることなど出来ないと、呪いをかけるように……。 そこまで感じさせるほどに彼女は、人を疑うということを知らずに育ったのだろう。 そう思った時……ふと、フェルータが最初に震わせていた手を思い出した。 あれは……どういう意味だったのだろう……? 今でも、それは分からない。 否、思い返した時には既に答え合わせは「それじゃあ、今度はあのビッググリズリーに向かって魔術を使ってみろ」 深い草むらに身を潜めながら、レクスはうろつく巨獣を見据えて顎《あご》をしゃくった。 木々の幹に残された真新しい爪痕《マーキング》と、むせ返るような獣臭。以前アーコブと出会った際にも気配を感じていた個体——この森の生態系の上位に君臨する巨大な魔獣だ。 しきりに鼻を鳴らし、こちらの匂いに気づいている素振りは見せるものの、絶対的な強者であるがゆえの慢心か、自らが『狩られる側』であるなどとは思考の片隅にもないらしい。 のっそりと辺りを見回しているが、俺たちの正確な位置を特定するには至っていなかった。 俺は深く息を吐き、先程レクスの体内を巡っていた『魔術の流れ』を意識の奥底でなぞる。 俺自身の回路で再現しようとしても、あの男の力強い奔流を完璧に模倣することは難しく、威力が落ちることは避けられない。 だが、それでもイメージは結ばれる。 ただ一つ。あの熊の太い首を、正確に刎《は》ね飛ばすことだけを。 淀《よど》みない殺意を『祈り』として具現化し、撃ち放つ。
「よし。じゃあまずは──お前の魔術の質を調べるぞ」 街の外に出て、レクスと俺はひたすらに『獲物』を探した。 しかし、レクスは純粋な戦闘者だからか、俺に比べて気配遮断能力……否、相手をただ殺すための下準備の力が、どう見ても及第点を与えられないほどお粗末なものだった。 そのため、俺がレクスから獲物の特徴を聞き出して探すことになった。 まずは獲物の能力。 嗅覚はそこそこあるが、絶対的な捕食者としての自信ゆえか、接近に警戒を抱くほどの鋭い嗅覚は持ち合わせていないらしい。ただ、目は前に付いているため、距離感を測るのは得意だそうだ。 典型的な肉食獣のものだな。 次に戦闘能力。 レクスの言う通りならば、そこら辺の魔術師の魔術はその剛毛を通らず、普通の武具も効かない。 だから、この生物には『ある感情』が強く表れる。 慢心。 自らが襲われるなんていう想像すらしない。 故にそこに付け入る隙がある。 だが、俺たちがそれを狩るには、魔術が使えることが大前提だ。 「その前に聞いていいですか?俺、魔術なんて無縁の世界にいたんですけど……使えるんですか?」 「ああ、人間である限り使える。条件はひとつ。流れさえつかめばな」 「流れ……?」 (気功みたいなものか?) そう思っているとレクスに腕を突きつけられた。 「ソル。俺の腕を、組ん
「さて……君の実力は、わかった」 場所はアーコブの執務室。 アーコブは椅子に深々と腰を沈み込ませて、一定間隔でトントンとリズムを刻んで指を机に打ち付けている。 まるでなにかに悩んでいるようだった。 そう。扱いに悩むおもちゃでどう遊ぶかを決める子供のような純粋な眼差しで。 しかし、その奥には威厳のある光が点《とも》っていた。 そして、レクスは隣で腕を組み、不貞腐れたまま……けれどもその眼光を依然として鋭くして立っている。 俺も何も言わない。 ただ、二人が沈黙を破るのを待つだけだ。 いや、皆なにも言おうとは考えていないのかもしれない。 その時間がどのくらい流れただろうか……? アーコブが指を打ち付けるのをやめて声を発した。 しかし、先ほどのように気さくに夕飯について聞くような軽々しい感じではなく。 覚悟を決めたような、どこか哀愁に満ちた響きがあった。 「次に──君の立場について話そうか」 きっとアーコブなりに考えた結
「相変わらず速いな、レクス」 楽しむかのような声でアーコブは眼前の男──レクスに言葉を放った。 すると、レクスはその強面《こわもて》で鋭い目線をただ真っ直ぐにアーコブに向けた。 その重厚で鋭い目線は彼が歴戦の戦士であるということを一目で俺に理解させた。 「あんたらの反応が遅いだけだ。で、俺を呼び出して何の用だ?」 両肩に圧がかかったのを感じた。 (…………) 俺は思わず目を細くして彼だけを捉えた。 それは自身がレクスを『戦闘者』と認めているという感覚を残した。 機嫌の悪さを隠さずにレクスは用件だけを聞く。 そして、アーコブがどんな言い方をするのか……。それを想像していると、またもや今晩の夕餉《ゆうげ》を聞くように軽い口調でレクスに指示をする。 「そこにいる青年の実力を見たい。少し相手してくれ。 レクス、お前はこの村で最強の、まとう魔術師だ。お前に一矢でも報えるかどうかで、彼をお前の部隊に入れるか決める……」 そのアーコブの一言でレクスは
「……っ!!」 驚きはしたが、暗殺者としてのプライドがそれを顔に出すことを許さなかった。 それが薄汚れた俺が、この圧倒的な『上澄み』に対して見せられる……唯一の反逆だった。 しかし──まるで夕食の献立でも提案するみたいな口調で、自分の考えを見透かされたことに……。 俺は、奇妙な安堵を感じていた。 さっきまではこの老人をどう倒すか考えていたのに、今はその選択肢を手放した自分に、むしろほっとしている。 そうすれば俺はきっと後悔の念を感じる前にどうにかされていただろう……。 否、そう考えさせられるほどに。 ……このアーコブは、やはり只者《ただもの》ではないという認識が俺の中で強く印象づけられた。 だが、『暗殺者』が最後の抵抗を見せた。 無意識下で交渉の最適解を弾き出し、思考に追いつくよりも早く、即座に言葉を紡いだ。 「意味が分かりませんが?」 だが、その最後の悪あがきでさえ、アーコブの前では無意味だった。 「なあに、私の前でぼかしたり、嘘をついたりする必要はない。境《きょう》の者か?と問うたとき、君は怒らず肯定もせず。普通なら激昂する場面でも、あえてぼかした。だからこそ、私はここまで連れてきた。もし君が“境の者”なら、何かしら反応があったはずだ。なのに、君は何もしなかった。むしろフェルータには心を許し、いろいろ聞いていた。この世界の常識さえもだ」 つまらなそうに書類を眺めながら、アーコブは言葉を続ける。 「故に境の者ではない。そう判断した。ならば君は──久方ぶりに現れた、異世界から来た者だと思っただけだよ」 (……聞かれていたか) そう考えて、俺は天を仰ぎ見る。 そして、自分の失態を恥じた。 (魔法という力が存在している以上、それくらい想定すべきだった……)
後から思い返せば、フェルータとの会話はとても心地よかった。 まるで娯楽の少なかった昔の人間が、吟遊詩人の詩《ものがたり》に魅了されるような時間だった。 そう自覚させられるほど、彼女との小さなやり取りの一つ一つが、魂に染み渡る聖水のように俺の中の『何か』を破壊していくのを感じた。 だが、『暗殺者』の俺はそれに気が付かなかった……。 その時に気がついていたら、後の結末は変わっていたのだろうか? その時の『暗殺者』は舌打ちを繰り返して俺に『真実』を映し出すことはなかった。 まるでお前は絶対に変わることなど出来ないと、呪いをかけるように……。 そこまで感じさせるほどに彼女は、人を疑うということを知らずに育ったのだろう。 そう思った時……ふと、フェルータが最初に震わせていた手を思い出した。 あれは……どういう意味だったのだろう……? 今でも、それは分からない。 否、思い返した時には既に答え合わせは永久に出来なくなっていた。 俺はなんと愚かで傲慢《ごうまん》だったのだろうか? 結局後悔しても俺の本質は変わらないのだ。 ―――――――――――― 『暗殺者』の俺は限りある時間を有効活用して『道具』を利用した。俺の問いにフェルータは空気のように自然に答えてくれていた。 「ここはどこか」 「アーコブという老人は何者か」 「この世界はどういう構造で成り立っているか」 ──そのすべてを。 この村は、《対境《たいきょう》の山脈》に囲まれた森のなかにあるらしい。 地名は“境《きょう》に対する森”。 そしてここは、《エデレン王国》という巨







