เข้าสู่ระบบ私は一呼吸おいた後、目の前に座る麗しい容貌の男——我が勇者(仮)に向け、ふんわりと極上に可憐な微笑を湛えて日本語で語りかけた。
『改めまして、先ほどはお見苦しいところを。
突然の状況に混乱されていると思いますが、まずは自己紹介をさせてください』
『……』
軽く会釈をして謝意を表情に表しつつ、可憐な王女を演じて低姿勢に言葉を紡ぐ。見れば、男の端正な眉が僅かに跳ね上がった。意外そうな顔をしている。
(フフ、この見知らぬ異境で、唯一言葉が通じる可憐な美少女が手を差し伸べてくれたのだもの。
先ほどの無礼は水に流してあげるから、このまま私を頼り、私に心を委ねてくれればいいのよ)
だが、私が〝転生者〟であることを明かすつもりは毛頭ない。
日本語を解する理由は、後ほど魔術的な方便で押し通す予定だ。
あくまで私は、異世界に召喚されて困惑する勇者に寄り添う、世界で唯一の理解者。
そして、不遇な王女の境遇を知った勇者は、次第にその心を私へと傾けていく——我ながら完璧な青写真だ。一分の隙もない。
初手の不遜な態度は気に食わないが、ポチの乱入で私の実力は誇示できた。こうして引きずり出した以上、この男には私の都合の良い切り札として動いてもらう。
『詳しい説明の前に、まずは私から名乗らせていただきますね。私の名前はアイン——』
『本当の名前は?』
突然、異国の言語で親密そうに語り合い始めた私たちに、周囲の王族や騎士たちが怪訝な表情を浮かべる。
だが、それ以上に男が遮るように放った一言が、私の貼り付けた笑顔を完全に凍りつかせた。
『……本当の名前、と仰いますと?』
『ああ、そういう態度を取るわけか。
いきなりこんな訳の分からない場所に放り込んでおいて。
ドラゴンを乗り回して、ボロボロのドレスのまま、いかにも『中身は同郷です』って目を隠そうともしないお前が、一番奇妙なんだよ。
なぁ、その分かりやすく嘘を貼り付けた笑顔で、これからも俺に接し続けるつもりか? 主犯格のお前が』
男の群青の瞳が、私の顔をじっと値踏みするように射抜く。 『……勘弁してくれ。とにかくお前や、この愉快でもない茶番の相手をしている暇はないんだ。
簡潔に現状を説明しろ。できるなら、今すぐに元の場所へ戻せ』
あ、駄目。——私の中で、冷たく、何かが弾ける音がした。
『……うるさいわね』 『は?』 『うるさいって言ったのよ!!』 思わず日本語で怒声を張り上げていた。 『私にだって色々と事情があるわ! !
大体、あなただって最初に私と対峙した時、不遜な態度で首にナイフを突きつけて、名乗りもしなかったでしょう!?
私は、この忌々しい王族どもが反吐が出るほど大嫌いで、自由になりたいの。
そのために魂を削るような思いをして、あなたを召喚した。それだけよ!
名前はアイン。本当も何も、私は過去の記憶を持って生まれ変わった転生者。
嘘なんて一言も吐いていないわ。前世の名前は——〝姫神桜〟。
あちらで理不尽に殺されて、目を覚ましたら、この泥沼のような王家の末端に生まれていたのよ!』
私の苛烈な剣幕に、男は一瞬だけ息を呑んだ。だが——「姫神桜」というその名が私の口から滑り落ちた瞬間。
『……っ、お前、今……何と言った?』
男の目の色が一変した。
先ほどまでの飄々とした余裕が完全に消え失せ、群青の瞳が、まるで獲物の正体を確かめるかのような凄まじい鋭さで私を凝視する。
そのあまりの圧に、私の呼吸が一瞬止まった。
『な、なによ……。私の前世の名前がそんなに珍しいわけ?』
『……いや。何でもない』
男はすぐに、ふっと目を細めて元の冷徹なポーカーフェイスに戻った。
だが、その瞳の奥に、先ほどまでとは明らかに違う、どろりとした暗い熱が灯ったのを私は見逃さなかった。
勢いに任せて言い放ったものの、我に返れば周囲の空気が完全に凍りついている。やってしまった。大声を出しすぎたわ。
普段、兄姉たちの陰湿な嫌味を無視し続け、会話といえばマーリンとしか交わしていなかったせいだ。
久しぶりに他者と対等に対峙したことで、抑えていた素の自分が決壊してしまった。
とにかく、この場だけでも取り繕わなければならない。私の言葉の意味が、周囲の者たちに伝わっていないことだけが幸いだった。
「コホン——勇者様は、皆様の温かい歓待に深く感謝している、特にこの供された料理は至高の逸品であった、と仰っております」
何事もなかったかのように優雅に通訳をしてみせる私を、上位の兄姉たちが酷く胡乱な眼差しで見つめている。
「おお、そうか! 異界の勇者殿の口に我が国の料理が合ったか! それは喜ばしい限りだ」
「食を分かち合えるということは、友好への大いなる一歩。流石は父上の深い御配慮にございます」
私の欺瞞に満ちた通訳に気を良くする国王と、分かりやすく追従を述べる第一王子アレクサンダー。
『……今、堂々と偽りの通訳をしただろう。お前、相当悪い顔をしてるぞ』
『していません。多少、潤色しただけよ』
必死に完璧な笑顔を貼り付けたまま、視線は国王に向け、口の端だけを僅かに動かして応じる。
『まあ、大体の事情は察した。
お前の名は姫神桜。
それが今は、この見知らぬ世界で生まれ変わった、憐れな第十王女アイン様、というわけだ』
『——ええ、そうよ。その通りだけれど、何かしら』
何よその、すべてを見透かしたような言い草は。心の底から苛立ちがせり上がってくる。
『……そうか。それにしてもお前、随分と歪んでいるな』
『は? 意味が分からないわ。初対面のあなたにそんな断定をされる筋合いはないのだけれど』
『いや、歪んでいる。大なり小なり、すべてに絶望した人間の目だ。前世の因縁か、あるいはここでの環境か。だが……お前が言う通り、人のことを言える義理じゃないか』
男は自嘲気味に、低く小さく笑った。
『俺の名は
アイン王女殿下に異世界から呼び出された〝勇者〟様、か。……柄ではないがな。
この状況でお前に牙を剥くのも愚策だ。乗ってやるよ、アイン王女殿下の目的とやらに』
烏間——この男は、もう心の中で呼び捨てで充分だ。
烏間は私に向けて、皮肉げでありながらも、完璧に洗練された慇懃無礼な一礼をして見せた。
その優雅な所作に、周囲の人間が再びざわつき始める。一体どのような密約が私たちの間で交わされているのか、気が気ではないのだろう。
『やめて頂戴。周囲に変な猜疑心を植え付けるわ。
……それに、ドラゴンの件もそうだけど、異世界への適応が早すぎるのではないかしら。
もう少し困惑というものをなさいよ』
『割り切って動いた方が合理的だろう。お前は、俺を勇者として祭り上げることで〝自由〟の足がかりが欲しい。
俺は元の世界への帰還と……そうだな、この世界ならではの『武器』で手を打ってやる。
これでお互い、遠慮なく利用し合える歪んだ同志ってわけだ』
『……本当に、最悪の性格ね』こちらの思惑などすべて掌の上だと言わんばかりの態度。
なぜ、このような男を召喚してしまったのか。
これなら、自尊心をくすぐれば操りやすい傲慢な騎士崩れの方が、幾分か御しやすかった。
「アインよ、勇者殿は何と? 何と申されておるのだ」
痺れを切らした国王が、身を乗り出すようにして問いかけてくる。
兄姉たちも冷ややかな視線を保っているが、その耳朶は確実にこちらの言葉を拾おうと澄まされていた。
『好きに通訳して構わないぜ。どうせ彼らには理解できない。お前の独壇場だ』
『ふん、言われなくてもそうするわよ。
言っておくけれど、あなたはあくまで代用品よ。次こそは、必ず私の望む通りの〝本物〟を召喚してみせるから』
『本物、か。ククッ、いいぜ。お前がその〝本物〟とやらを呼び出すまでの間、俺はお前の望む通りの勇者として振る舞い、力を貸してやる。
首尾よく本物が召喚できたら、俺は元の世界へと帰してもらう。どうだ? 悪くない取引だろう』
饒舌に条件を提示してくる烏間の言葉に、不快感を覚えながらも、私は完璧な王女の仮面を維持し、友好的な笑みを浮かべて見せた。
あまりに引き絞ったせいで、口角が攣りそうだ。
「お父様、お兄様、お姉様」
私はスッと烏間から視線を外し、国王と兄姉たちへ、たおやかに視線を巡らせた。
「勇者様は、我がガルムス王国の為にその大いなる力を惜しみなく振るってくださる、と誓われました。
ただ、その前に、一刻も早くこの国の言語を習得し、皆様と直にお言葉を交わしたいと望んでおられます。
当面は、私が不束ながら言語の指南役を仰せつかり、お側でお仕えしようかと存じます」
スン、と澄ました表情の裏で、ぎちぎちと軋む奥歯の音だけが、私の耳の奥に冷たく響いていた。禍々しい雰囲気を漂わせ始めた『暴食の大鎌』を見やり、緊迫感のない表情でポリポリと頬を掻くリヒト。 次第に彼の手にしていた鎌から紫黒の瘴気が溢れ出し、蛇のようにリヒトの腕へと絡みつこうとする。(うげ、なんだコイツ!気持ち悪りぃな!!) ひょっこりと姿を現した美少年のコクライが、その瘴気のモヤを空中で蹴り飛ばし、容赦なく踏みつけた。『きひっ!? 痛いってのっ!! このちびガキ!!』「え……? あなた、今何か言ったかしら?」 どこからか、妙に癇に障る甲高い声が聞こえたような気がした。「いや、俺じゃないぞ……。爺さん、そういう質の悪い冗談は笑えないな」「はて? 声とは何のことですかな? ワシには何も聞こえませぬが」 首を傾げながら応えるマーリン。私たちの視線は自然と、コクライに足蹴にされている大鎌へと向かう。(誰がチビだと……? 消し飛ばしてやる! 灰塵になりやがれ!!) 額に青筋を浮かべてモヤを踏みにじるコクライの周囲に濃密な魔力が渦巻き、バチバチと黒い雷光が迸る。「こ、これは……! 遥か古の暗黒時代、地上を焼き尽くしたと言われる神話の『漆黒の雷』!? いや、まさか、そんなはずは……!」 マーリンが良くわからない大古の伝説を引き合いに出して狼狽え始めた。 マーリンには精霊であるコクライの姿が見えていないため、大鎌から直接雷が湧き出しているように見えているのだろう。 なんにせよ、これ以上コクライが暴れるのはまずい。 この塔が崩壊したら、マーリンの住処がなくなってしまう。『きひひっ! 上等ぢゃ〜ん! ちびガキ!! この宿主を食った後はお前の『存在』ごと喰い尽くしてやるわよっ!』 下品な笑い声とともに、溢れ出した瘴気の波がリヒトを覆い尽くそうと、その全身にまとわりつく。「あの、アイン様? 助けてもらったりなんか……」「嫌よ、自業自得でしょう?」「ですよねぇー……」 とはいえ、私自身の信条としても、私やマーリンの身に危害が及ばない限り、自ら「手助け」などという殊勝な真似をするつもりはない。 そもそも、私の宝物庫を踏み荒らしたリヒトが悪いのだから。 面倒くさい? ええ、そうね、否定はしないわ? 私、歪んでいるらしいし?「なんと禍々しい呪詛の力……! アイン様! ここはワシに任せてお逃げくだされ!」 瘴気と漆黒の雷光が周囲に満
離宮の見張り塔ほどもある高さだろうか。 私は今、我が離宮の北側にそびえる『賢者の塔』のバルコニーへ向け、ポチの背に乗って上空から降下している最中だった。「あら。本当に走って来ているわね」 城の私室からここまで、庭園の小道を全速力で駆けていく哀れな人影を視界の端に捉えたけれど、特に気にかけることもなくポチをバルコニーへ着陸させる。 吹き抜けの広大なバルコニーは、四方を優美な柱で囲まれているだけで、遮る壁も窓もない。私はそのまま、堂々と塔の内部へと足を踏み入れた。「これはこれは、アイン様。困りますなぁ。このマーリンが施した『反魔結界』を、毎回こうも易々とすり抜けられては。ワシ、その度に自信をなくして泣いてしまいそうなのですぞ」 魔術式を言葉ではなく「感覚」で構築できる私にとって、この程度の結界をすり抜けるのは、飛んでくる風船を避けるくらい容易いことなのだ。「あら、ごめんなさい。結界があることすら忘れていたわ」「忘れて……。ワシ、今日はもう立ち直れそうにありませんじゃ」 どんよりとした精神的な暗雲が老魔術師の周囲に漂っている気がするけれど、面倒なので無視することにする。「マーリンも大変よね。かつては宮廷魔術師の筆頭だったのに、こんな離宮の隅の塔に追いやられて。 ……半分は、私のせいでもあるのだけれど」「何を仰います。住み慣れればここも素晴らしい場所ですぞ。並の侵入者では辿り着くことすら困難な造りゆえ、夜も安心して眠れます。おかげでこの通り、お肌もツヤツヤですぞ!」 両手を頬に添えて年齢不詳な老魔術師のお肌のツヤをアピールされても、誰に対する需要もない。「……へえ、うん、すごいわね」 こんな人でも、私にとっては数少ない恩人だ。 内心で「気持ちが悪い」などと切って捨てるのは流石に心が痛む。……それ以上クネクネされると本当に、少々、大分気持ちが悪いけれど。「アイン様、表情が青ざめておりますが如何なされ――む、今度はワシの反魔結界に何かが引っかかったようですな」 途端に鋭い眼光を宿したマーリンが全身に濃密な魔力を纏わせ、颯爽と塔のバルコニーから階下へと身を躍らせた。「ああ――それは……」 この塔には実質、まともな出入り口が存在しない。 適切な手順を踏んで結界を解除しなければ、あらゆる殺意を孕んだ防衛機構が侵入者を迎撃する、かつての『重
「お兄様? 起きてください、お兄様」「んぁ……? ここは……アイン? はっ! 勇者様は!?」 私の、どこまでも柔らかく慈愛に満ちた声に目を覚ましたアルフレッドお兄様は、意識を取り戻すと同時にガバッとその場で飛び起き、 狼狽した様子で周囲に視線を巡らせた。 だが、今の彼の視界には、穏やかな笑みを湛える美しい妹の姿以外、何も映っていないはずだ。「勇者……様、が……?」「何のことですか? お兄様」 お兄様の背後、ベッドの上でのたうち回っている、シルクのシーツを幾重にも巻き付けられた人型の「す巻き」など、決して視界に入ってはいない。「い、いや……なんでもない、な」 底の知れない穏やかな笑みを浮かべたまま佇む私を見て、流石に察してくれたのだろう。 アルフレッドお兄様はそれ以上何も追及することなく、引きつった笑みを浮かべて私だけを見つめていた。それ以外の余計なものには一切視線を向けない、という明確な意思表示を伴って。「ところでお兄様? 先ほどのお話ですけれど」「ん? ああ、いや、やはり兄として、妹に縋るなどというのはあまりに――」「お受けいたしますわ」「へ?」 静かに即答して完璧な笑顔を向けた私に、アルフレッドお兄様はポカンと間の抜けた声を漏らした。「お兄様の危機ですもの。私にできることがあるのなら、喜んでお役に立ちたいですわ。 勿論、私だけでは戦場では力不足ですから、勇者様に同行してもらうという形で……。 お父様には私の方からお話を通しておきますわね。『勇者としての見聞を広める目的』と、今後のために『功績を立てる好機』だと説明すれば、きっと納得してくださるでしょう」 ――だから、後のことは分かるわね? そう無言の圧力を込めて微笑みかける私に、お兄様はゴクリと緊張に喉を鳴らした。「僕としてはこれ以上ない有り難い話だが……ただでさえ戦況は最悪だ。 そんな泥沼の状況に勇者様を送り込んで、もしものことがあれば……。 勇者様を召喚したという威光は、予想以上に我が国の貴族たちにも多大な影響を及ぼしている。 国王や上層部が、そんな貴重な人材をみすみす危険な場所に送り出すだろうか」 ……最初から勇者の武力をアテにして私を頼ってきたのでしょうに。 もしかして本当に、私個人に助けてもらうつもりだったのかしら? だとしたら、この人の中での私
この場にいるはずのない、あまりにも聞き慣れた男の声。 私は全身の毛が逆立つような衝撃に、弾かれたように背後を振り向いた。 同時に、恐怖に顔を白くしたアルフレッドお兄様が、あろうことか私の背中に隠れるようにして後ろから覗き込んでくる。 ——仮にも王族で、しかも一応兄が妹を盾に隠れるのは如何なものかしら。 そんな内心の毒づきさえ、次の瞬間の光栄によって消し飛んだ。 視線の先——ついさっきまで私が微睡んでいた天蓋付きのベッドが、モゴモゴと怪しげに蠢いている。 直後、豪奢なシルクのシーツが勢いよく撥ね除けられ、そこから一人の男が姿を現した。 「ぷはっ! やっとあの骨の地獄から生還できたぞ……! よぅ、アイン様? サプライズは成功したか?」 全身傷だらけで、衣服はボロ布のように裂け、もはや裸同然の格好をしたリヒトが、悪戯っぽく白い歯を見せて笑っていた。 なぜ、ここにリヒトがいるのか。……いや、考えるまでもない。 彼の影に潜む黒い思惑の気配——コクライの仕業だ。 この際、彼の言葉が酷く流暢なこちらの言語になっている驚きすら、今は後回しにするしかなかった。 最悪の状況だ。 「ゆう、勇者……様? 勇者様がなぜ、そのような……破廉恥な格好で、アインのベッドから……。まさか、お前たち、既に——」 アルフレッドお兄様の顔から完全に血の気が引き、哀れなほどに唇を震わせている。 私は即座に、彼の言葉を遮った。 「いたしていません! 断じて、何一つ、指一本たりとも! そのような不埒な事実はありませんわ!!」 声音に冷徹な魔力を乗せ、真っ直ぐに兄の瞳を射すくめる。 「あ、ああ、わかった……。信じる、信じるよ、アイン……」 お兄様は凄まじい勢いで視線を泳がせながら、チラチラとリヒトの無駄に引き締まった半裸の肉体を気にしている。 ——だめだわ、この男、一ミリも信じていない。 婚姻を控えた王族の乙女が、自身の私室のベッドに、半裸の異性を囲っている。 この事実だけでも、この世界の厳格な社交界の常識に照らし合わせれば一発でアウトだ。 最悪の場合、王室の不名誉として幽閉、あるいは永久追放すらあり得る。 「なぁ、あんたがアイン様の兄貴か? 俺は一応勇者だが、それ以上にアイン様とは『召喚』という深い、血よりも濃い絆で心も身体も結ばれて——ゴフゥッ!?
真っ白な転移の視界に鮮やかな色彩が戻れば、そこは見慣れた私の離宮の私室だった。「到着、と。 ……はぁ、なんだか疲れたわ。ぽん太、ありがとう。また呼ぶけれど、それまで休んでいてちょうだい」「キィッ」 短く愛らしい鳴き声を返したぽん太が、フッと虚空へ溶けるように消えていく。 空間転移——前世の常識からすれば、あまりにも超常的で便利な魔術だ。 行ったことのない場所へは跳べないという制約こそあるものの、そんなものは常識の範疇であり、ぽん太の持つ能力の驚異的な価値をいささかも損ねるものではない。 実際、魔術という不可思議な概念が満ち溢れているこの異世界だが、馴染んでしまえば案外普通というか、想像していたほどの「万能」というわけでもなかった。「少し、休憩ね……」 贅沢な弾力を持つ天蓋付きのベッドに腰掛ければ、柔らかな反発が私を優しく包み込む。 この肌触りも、前世の記憶にあるものと大差ない。 いや、前世の私の部屋にあった狭いシングルベッドとは雲泥の差だが、あるべき場所にはありそうな、調度品の一つに過ぎないのだ。 食べ物も、文化も、特に致命的な違和感はない。 日常生活を支えていた前世の科学技術が、そのまま魔術というエネルギーにシフトしただけ、という感覚だった。 細かい利便性を言えば、インフラの整っていた前世の方が圧倒的に勝っているが。 だが、生活する分には困らない。 電気もガスもないが、魔術の灯火は夜を照らし、蛇口をひねれば温かな湯が出る。 風の魔術を応用した『魔道具』を使えば一瞬で髪は乾くし、その気になれば空だって飛べる。 ——もっとも、飛行魔術は一部の限定的な才を持つ者か、私のように「手段」を持つ者に限られるけれど。「……退屈だわ」 ただ一つ。この世界には、決定的に娯楽が欠如している。 かつて貪るように消費していたゲーム、漫画、アニメ、ドラマ。 そして、それらすべてを内包していた電子の文明。 掌の上の小さな画面がもたらしていた、あの果てしない娯楽の海。 それらが存在しないということこそが、私にとって何よりの不自由だった。 先ほどの転移にしても、確かに便利ではあるし、一個人が容易に所有できる技術ではない。 私の使役する『転移コウモリ』は世界でも超絶な希少価値を誇る魔獣であり、普通は捕獲して使役するなどという発想にすら至らない
ギルド本部での騒動から数日。 大々的な勇者のお披露目の儀や、軍事会議への強制参加など。 色々と煩わしく多忙な日々は巡っているが、特に私の状況が劇的に好転した訳ではない。 強いて言うなら、私の台頭を警戒する兄姉たちの対応が、以前にも増して冷淡なものに変わってきた事くらいだ。 リヒトとコクライは、なんだかんだと上手くやっている。 常にリヒトの肩の辺りをパタパタと飛び回っているコクライとは、相変わらず口を開けば子生意気な発言ばかりして、リヒトが反論してと騒がしい感じである。「それじゃあ、今日はあなた達の連携確認を兼ねた戦闘訓練を行うけれど。準備はいいかしら?」 王都から数キロほど離れた荒野。 人の往来が一切ない、荒れ果てた大地に私たちは立っていた。(ハッハァ!! ようやく暴れられるぜぇ!! 複数の町をまとめて焼き払うのか? それとも国ごと更地に変えるかっ——っが、やめろ! リヒト! 冗談っ、アバババババ) 手のひらサイズでツンツン髪のコクライが、私の目の前で威勢よく黒い電撃を散らした瞬間、背後から伸びてきたリヒトの大きな手に、またしても無造作に鷲掴みにされて短い手足をジタバタと暴れさせていた。『ったく、いい加減その物騒な発想をしまえ。俺らはアイン様専属の勇者だぞ?俺らの一挙手一投足全てはアイン様に捧げるべく、俺とアイン様の間には主従を超えた深い深い——』「ただの取引相手よ。この男は召喚の代価として、この世界ならではの強力な武器を携えて元の世界へ帰る。私は、勇者という大義名分を利用して王族としての立場を確立させる。それだけのことよ」 相変わらず何を考えているかわからない。 リヒトの軽薄な態度がどこまで本気なのか測れない。 いや、そもそも全部嘘ね。 今、妙に好意的な態度を見せるのも、すべては従属刻印のバグのせいなのだから。 リヒトは相変わらず日本語で喋っているけれど、コクライとの契約により感覚を共有したため、私の話すこの世界の言語は無条件で完全に理解できるようになっている。 簡単な受け答えができる程度には、裏で必死に言語の勉強もしているみたいだけれど。『相変わらず素直じゃないな、アイン様。ところで、この豪勢な剣がその報酬って訳じゃないよな? 正直使いにくいんだよこれ、無駄に眩しいし、重いし』「素直どころか、そもそもあなたには一欠片だ
ここぞとばかりに言語の優位性を最大限に活かし、言外に「この勇者は私が管理する」と突きつけた私に、しかし国王は大手を振って喜び、玉座から立ち上がった。 「おお、まことか! 勇者殿が我らの味方となってくださるとは心強い! これで魔族との長い争いも終わりに——」「ちょっと待て。待ってくれよ、親父殿」 まとまりかけた空気を無遠慮にぶち壊したのは、今まで不機嫌そうに無言を貫いていた第三王子ヨシュアだった。 「……チッ」『おいおい、露骨に不快そうな顔をしているぞ。スマイル、スマイル』 うるさいわね。 あんたのせいでこっちはもう表情筋が限界を迎えているのよ。 それにしても、よ
私が前世の凄惨な経験から学び、今世を生きる上で魂に深く刻み込んだ決意が三つある。 一つ、人は絶対に助けない。 一つ、自分の利益以外は何も考えない。 一つ、自分の決断からは決して逃げない。 我欲に塗れた悪女だと謗られようが、知ったことではない。私のこの決意に文句があるなら、あの雨の日に逆恨みされ、歩道橋の階段から突き落とされてみればいいのだ。 あの、内臓まで凍りつくような死の恐怖は、二度と御免だ。 誰かのために自分が不幸になるのも、人生をめちゃくちゃにされるのも、理不尽な暴力を振るわれるのも、背後から突き落とされるのも、本当にすべて、金輪際勘弁だった。 だから私は、この先の人
——篠崎エリカ。 私を、殺した女。 冷たい風が、前世の記憶をなぞる。 イジメられていた春野美咲を助けた高揚感。 無条件で私を過大評価し、縋り付いてくる彼女との関係は、当時の私にとって唯一の安らぎだった。 美咲は、物語のヒロインを地でいくような純粋で抜けている少女。 私は、自分が勇気のある「ヒーロ」だと思っていた。 けれど、現実は甘くなかった。 イジメの中心人物ミオたちに呼び出され、私は……物理的にも精神的にも満身創痍にされた。 この時、私は悟ったのだ。 物語の主人公のように颯爽と人を助けるなんて、生半可な覚悟でできることではない。 私の心は、手遅れな程バキバキに折
「……ッ、ぐぅッ!」 心臓を抉り取られるような激痛。 魔力だけでなく、私の生命そのものが霧散していく感覚に襲われる。 意識がプツリ、プツリと途切れる中、私は執念だけで最後の魔力を絞り出した。 (今度こそ……今度こそ、私をこの泥沼から救ってくれる“運命”を……ッ!) その時、凍えそうな私の身体を、限界を察知したマーリンの温かな魔力が包み込んだ。 「何をこれしきっ、アイン様、あまり無理をなさらんでください!」 「マーリン、ごめん……ありがとう……!」 視界を埋め尽くした眩い光の粒子が、爆発的な勢いで収束していく。 魔法陣の中心。光の霧の







