LOGIN【今月の管理費は3万円です。お支払いをお願いします】 食卓に置いてあった夫の加藤涼太(かとう りょうた)のスマホが光り、私はちらっと見て手に取った。 「管理会社が計算を間違えたんじゃない?うちの団地、管理費は月1万円くらいでしょ?」 涼太はさっと立ち上がると、スマホを奪い取ろうとした。 「きっと向こうの間違いだよ。俺から言っておくから」 でも、私はもうリンクを開いて詳細画面を見てしまっていた。 【物件名、夕凪の丘。所有者、菅原恵(すがわら めぐみ)】 今、台所で料理をしている若い家政婦の名前が、恵だった。 頭の中が、真っ白になった。 私たち家族3人は古くてせまい団地で暮らしているのに、夫の涼太はうちの若い家政婦に、豪邸を買ってあげていたなんて。
View More「こちら依頼人の主張ですが、相手方は婚姻期間中、依頼人の同意なく、第三者のために豪邸を購入、また多額の金銭を送金しました。これは共有財産の悪質な移動にあたるため、返還を求めます」涼太は顔をくしゃくしゃにゆがめて、私をにらみつけた。私は笑って、もっと聞くようにと目くばせした。「さらに、こちらのチャット履歴をご覧ください。相手方は毎月、その母親への仕送りという名目で20万円を送金していました。しかし、その実態は愛人による不動産購入資金への流用であったことが確認できます。したがって、本件送金は共有財産の不当な処分に当たるものとして、その返還を求めます」涼太は、完全に頭に血がのぼっていた。彼は勢いよく立ち上がると、私を指さして叫んだ。「梓!俺を破産させる気か!」後ろの席にいた恵も焦って言った。「だめよ、涼太さん、子供の学費はどうするの……梓さんに渡しちゃだめ!」裁判官が木槌を鳴らすと、涼太は自分の弁護士に席へ押し戻され、何事か耳打ちされていた。涼太は唇を、血がにじむほど強く噛みしめていた。すべてを知ったあの夜の、私とまったく同じように。離婚調停は、終わった。親権と、ほぼすべての共有財産は私のものになった。そして涼太が恵に使ったお金は、すべて私に返還されることになった。涼太はほぼ無一文で家を追い出されることになり、さらに慰謝料として1000万円を私に支払うことになった。裁判所を出るとき、涼太がものすごい剣幕でつっかかってきたが、私の弁護士が間に入ってくれた。涼太の唇にはまだ血がにじんでいて、私に向かって怒鳴った。「梓、どうして俺に何も残してくれないんだ!お前が全部持っていったら、俺の子供たちはどうなるんだよ!」私はこの一件で、最近ずっとまともに眠れていなかった。涼太の叫び声を聞いても、今はもう眠たいだけ。私はあくびをして、言った。「涼太。月収100万円なのに、そのうち80万円も愛人につぎ込んでいたとき、あなたは私の逃げ道を考えてくれた?私と充はどうなるって、考えたの?」涼太は顔を真っ赤にして、獣のように吠えた。「生活費として20万円渡してただろ!それだけあれば十分じゃないか!」私は思わず笑ってしまって、スマホをいじりながら言った。「じゃあ、私からは20万円あげるわ。それで十分よね?
涼太は気まずそうに、私から視線をそらした。「物事には順序があるだろ。恵は妊娠してるんだ。まずは出産を待って、養育費をいくらか渡して、それからゆっくりお金を貯めて……」「どうしてお金を貯める必要があるの?あの夕凪の丘って、私が住んじゃだめなの?」「何を言ってるんだよ。あそこは恵の名義なんだ。彼女の家なんだよ!」私はコーヒーカップを置いて、一言一言、区切るように言った。「涼太、あなたも馬鹿じゃないから分かるでしょ。夫婦の共有財産で、私に内緒で愛人に家を買ったりお金を渡したりした場合、離婚の時に私がそれを取り戻せるってこと。それとも、恵さんは愛人なんかじゃなくて、お金を使うのは当たり前だって思ってるわけ?残念だけど、法律上、彼女はまぎれもない不倫相手なのよ」涼太の額に、じわっと冷や汗がにじんだ。明らかに分かっているのだ。ここへ来る前に、きっと弁護士にも相談したはずだ。そして、自分が裁判で勝てる可能性がどれだけ低いかも分かっていたに違いない。私が何も言わなくても、自分が持っていたタブレットの中身を私が見たことには、涼太はもう気づいているだろう。愛人のために家を買い、お金を振り込み、隠し子までいる。その隠し子に毎月お金を使い、おまけに二人目までお腹の中に。どれもこれも、浮気を裏付ける決定的な証拠だ。場の空気が重くなった。涼太は急に下手に出た。「お前は今、頭に血がのぼってるんだろ。これ以上、お前を怒らせるようなことはしたくない。お前が言ってた豪邸のことだけど、なんとかして取り返すつもりだ。これからは、恵ともきっぱり別れて、お前とやり直したいって本気で思ってる。信じてくれ。本当にお前を愛してるんだ。じゃなきゃ、結婚なんてしないだろ?本気で、お前と添い遂げたいって思ってたんだよ」今さら、まだそんな手でごまかそうとするなんて。これまでは、涼太の口にする「愛してる」の一言一言が嬉しかった。でも、今となっては吐き気がするだけだ。「涼太、一つ、すごく気になることがあるの。そもそも、恵さんを家政婦として雇う必要なんてなかったはずよね。彼女自身も言ってたけど、充のためじゃなければ、自分が油臭くなる必要なんてなかったって。豪邸で、あなたの両親に世話してもらいながら暮らして、娘の送り迎えもあなたがする。それで十分だった
「恵さんが電話で言ってたんだけど、ママからは8万円しかもらえないって。こんなお金じゃ何もできない、ごはん作ってるだけでもありがたいと思え、だって。パパもそれでいいって言ってる、とも言ってたよ」そう言うと、充はぱちぱちと瞬きをした。「パパ、8万円って、すごく少ないの?」涼太は、逃げるようにして家を出ていった。出ていくとき、顔も上げられなかった。ただ「用事ができた」とだけ急いで言うと、ドアから飛び出していった。充は何が何だか分からない様子で、ぽかんとしながら私に尋ねた。「ママ、パパはまたお仕事に行っちゃったの?そしたら、遊園地には行けないの?」私は胸が痛んで、充をぎゅっと抱きしめた。頭の中は後悔でいっぱいだった。恵は、私の前では本当にうまく演じていた。人懐っこくて素朴なふりをしてた。いつもポニーテールで、着古した服を着ていて。話の端々では、女手一つで娘を育てるのがどんなに大変かを匂わせていた。おまけに、毎晩ごちそうを作ってくれるくせに、涼太とはわざとらしく距離を置いていた。だから、私はちっとも怪しまなかったんだ。涼太も恵とは一切話さなかった。料理の味が濃いときですら、私を通して伝えるようにしていた。「変に誤解されたくないから」と言って。二人は何年も演じ続け、私は何年も見抜けなかった。私のせいで、息子を傷つけてしまった。「ママ、どうして泣いてるの?」充は腕の中から顔を上げて、私の涙を拭ってくれた。「パパとケンカしたの?」私は何も言えず、ただ黙って充をもっと強く抱きしめた。しばらくして、私は言った。「充、おじいちゃんとおばあちゃんに会いたい?」「会いたい!去年のお正月に、おばあちゃんが作ってくれたご飯、ずっとまた食べたいなって思ってたんだ!」私は苦い思いを飲み込んで、うなずいた。「荷物をまとめて。しばらくおばあちゃんの家で暮らそう。あっちなら遊園地も近いから、毎週だって行けるからね」「パパは一緒に行かないの?」「パパは行かないの。忙しいから」妊娠中の愛人と、その娘の世話。それから、夕凪の丘にあるお庭の世話でね。私はこの古くて狭い部屋をぐるりと見渡し、決意を固めた。涼太、あなたには1円だって残してやらない。その日の夜、私は家の鍵を交換して、充を連れて実家へ向
それなのに、私には「給料はこれだけだから」って言って、切り詰めた生活をさせてたなんて。怒りに震えながら、私はタブレットの情報をぜんぶ保存した。でもその数分後には、すべてのアカウントから強制的にログアウトさせられていた。涼太が、ドアを叩きながら叫んでる。「梓、開けてくれよ。ちゃんと話がしたいんだ。中にいるんだろ?返事をしてくれよ、心配になるじゃないか?梓、本当に俺が悪かった。母さんの言ってたことなんて全部でたらめだ。俺がずっと愛してるのはお前だけなんだよ……梓、とにかく中に入れてくれ!梓!いつまでたっても開けないなら、ドアを蹴破るからな!」涼太が蹴るよりも先に、私が中からドアを思いっきり蹴ってやった。ドアの向こうで、涼太がびっくりしたような声をあげた。でも、すぐに前より激しくドアを叩き始めた。「どうしたんだ!?もしかして怪我でもしたのか?梓、早く開けろって!」私は腕を組んだまま、ドア越しに言ってやった。「涼太。夕凪の丘っていう立派なおうちがあるじゃない?なんでわざわざここに来たわけ?」「いや、梓……まずは開けて話をさせてくれって。ご近所さんに聞かれたらまずいだろ?」「別にいいけど?むしろみんなに聞いてもらいたいくらいよ。私の夫が、愛人を家政婦だって偽って家に連れ込んで、おまけに豪邸や金まで買い与えてたってことをね!」私の声はどんどん大きくなっていった。言い終わる頃には、ドアの向こうの涼太の声が震えていた。「わ、わかった。怒るなって。もう行くから、な?すぐに行くから……」それからすぐ、ドアの向こうは静かになった。私はまた証拠集めを再開した。やがてアラームが鳴ったので、充を塾へ迎えに出かけた。でも、塾に着くと、先生から「さっき、お父さんが充くんを連れて帰りましたよ」と言われた。嫌な予感がして、急いで家に帰ると、テーブルの上には私と充が好きな料理がたくさん並んでいた。エプロン姿の涼太が、作り笑いを浮かべながら私を迎えた。「梓、おかえり。ちょうどごはんができたところなんだ。手を洗って、食べよう」充もこんなのは初めてだったんだろう。ハンバーグを頬張りながら、私のほうを振り返って言った。「ママも早く!パパのごはん、すっごくおいしいよ!前にいた恵さんが作ってくれたのと同じ味!」涼太の顔か