それは、ヴィスコンティ王家に伝わる治癒力——禁忌とされる力——の名残だ。
「私、生きてる……痛っっ?!」
「ロジータ、大丈夫か?」
ルイスの声は低かったが、気遣ってくれているのは分かった。
なぜなら両腕で、力強く私の肩を支えてくれているから。「ルイス……様? 私、なぜ生きて……!っ!」
胸の痛みが私の言葉を途切れさせる。
ルイスはふと視線を逸らし、無愛想に返事した。「その様子だと、小広間で兄に刺されたのは覚えているようだな。
ロジータ、あの後お前はもがき苦しみ、生死の境を彷徨《さまよ》っていた。 だが、俺の力で……かろうじて命は繋いだ。 しかし傷は思った以上に深い。 ヴィスコンティ家の星の能力が宿る剣で、心臓を刺されたのだ。 回復するには時間がかかる。 だから今はむやみに動くな、悪化する。」彼の左手にある、星形の刻印が淡く光っている。
まだ相手が見つかっていない、ルイスの刻印。 運命の相手がいないというだけで、微かな侘《わび》しさが滲んでいる。 痛みに耐えながら、私は眉を顰めて尋ねた。「なぜ……私を?ルイス様。あなたは私を嫌っていたでしょう。」
そう告げると、ルイスは大きな溜め息を吐いた。
「勘違いするな。お前のことは相変わらず嫌いだ。
リーアを虐げ、兄に媚びるお前の姿は、いつも見るに耐えなかった。 だが……あの小広間で、兄に踏みにじられるお前を、なぜか放っておけなかったんだ。 それに、俺の『星の刻印』が命じたんだ。 お前を救えと。」「刻印が?
……それについては、よく分かりませんが。 ルイス様。助けてくれたことは感謝しています。 ですが、私を救ったことがエルミニオ様たちにバレたら、あなたも無事では……」しかも禁忌の治癒力を使ったのだから、厳罰は免れないはず。
けれど人の心配をよそに、ルイスは特に焦った様子もなく目を細める。「お前、何か雰囲気が変わったな……?
あ、いや、分かっている。 ただあの時は……実は俺にも、よく分からない。 俺の星の刻印が反応した意味も。 とにかく、勝手に助けた責任は取る。 傷が癒えるまでは、ここにいてもいい。 だが、その後の面倒は見切れない。 癒え次第、出て行ってくれ。」出て行くといっても、どこに?
実家に?けれど私の命を狙っているのは王太子のエルミニオ。 もし追跡されたら、勝ち目なんてあるの? それに、容赦なく心臓を突き刺されたのだ。 王家の禁忌の力でも治りきらず、まだ猛烈に疼いてる。 きっと、ルイスが言った通り完治には時間がかかるだろう。 このままだと命の恩人であるルイスも危険だ。 そう考えると…… 思わず、立ち上がるルイスを引き止めていた。「待ってください、ルイス様!
一つご提案があります!」「提案?」
ルイスの横顔を見ながら、心の奥でエルミニオの笑顔がよぎった。
似ていないようで似ている、エルミニオの弟。 エルミニオが光なら、ルイスは影。 兄に憧れを抱きながら———完璧な兄を何一つ超えられない、影のような弟———。 愛するリーアがエルミニオに惹かれていくのを黙って見ているしかない、ルイスの心の闇。 その闇が、やがてあの悲劇を引き起こす。私はようやく、悪夢から目が覚めた。
原作とは違い、ルイスが私を救ってくれたから。 どうしてルイスの刻印が私に反応したのかは分からないけれど。 ここが小説の世界だと分かった以上、私も、命の恩人ルイスの運命も変えてみせる!「私と結婚してください!」
「ついに血迷ったか?ロジータ。」
ルイスが怪訝な顔をして私を見おろした。
「いいえ、決して血迷っているわけではありません!
結婚と言っても見せかけの契約結婚です。」「見せかけ?だと?」
このところ幸せな気がして、すっかり油断していた。エルミニオから殺される運命を変えることができたと、安心しきっていた。「ルイスが倒れた……!?」また一緒に禁書庫に行こうと約束した前日、ルイスはマルツィオに任された外交で、使節団を迎えていた。彼は順調に仕事をこなしたのだが、さきほど自身の執務室に戻るなり急に倒れてしまったというのだ。血相を変えてマルコが私を呼びにきた時、急いでルイスの元へ駆けつけた。「ルイス……!」ベッドに横たわるルイスの顔は青く、酷くうなされていた。私が来たことも分からないくらい。部屋にはアメリアもいて、今にも泣き出しそうな瞳をして私を見つめていた。そっと近づくと、ルイスの右手の刻印が淡く光っていた。ただし、いつもとは違い、暗く薄暗い色をしていた。「ルイス、しっかりして!」「ロジータ様。今のルイス様は、会話すらできないようです。」アメリアが二、三度首を横に振った。荒々しいルイスの息遣いが部屋中に響き渡る。苦しむ彼の姿にぐっと胸が痛む。ベッドに近づき、私は彼の右手をぎゅっと握った。「マルコ、念のため国王陛下をここへ呼んで。それと、できれば治癒力を持った神官も呼んでほしいと伝えて。」「…分かりました、ロジータ様!」断定はできないけれど、たぶんこれは禁忌の治癒力によるものだわ。マルツィオの忠告が本当になってしまったのね。『治癒力』の使いすぎーーーやはり、リスクが本人に直に現れるということは間違いなかった。 それなのにルイスは昨夜も私の傷を……「ごめんね、ルイス。私がもっと強く止めていれば……!」彼の手を強く握りしめる。これは原作にはなかった展開だ。明らかに、ルイスが私を助けたせいで起きたこと。私がロジータ・スカルラッ
私たちはその晩、禁書庫で得た情報を照らし合わせていた。闇が深まり、ステンドグラスから差し込む月明かりと、ランタンの暖かな灯りが幻想的に寝室を照らしていた。今夜もアメリアが張り切って準備してくれたガウン姿で、私は中央のソファに座っていた。対面に座るルイスも、色気のあるガウン姿だった。「ヴィスコンティ語と古代語で書かれた、似たような図版を見比べてみたの。私の予想では、『禁忌の治癒力』は王国の建国時から存在していると思うわ。これを見て、ルイス。」私はあらかじめ図版を模写したものをルイスに差し出した。「第1に、『星の誕生』。おそらくこれがヴィスコンティ王国の始まり。そして第2が、『一致する運命の刻印』。第3が『冠をかぶった男女』。第4が、『眩い光を放つ冠の女性』。ケガを負った小動物や鹿、人間が回復している様子が描かれているわ。そして最後に、『女性を失い悲しみに暮れる冠をかぶった男』。」「なるほど。これは建国神話で、この男女は初代王と王妃だな。俺が見た禁書にも似たようなのがあった。」ルイスは頷きながら模写を見つめた。「その通りよ。おそらく、初代王妃は『治癒力』を持っていた。ルイスと同じように。」ヴィスコンティ国語で書かれた禁書には、初代王と王妃から始まる王家の家系図が描かれていた。それによると、初代王妃は早くに死別となっていた。王は後に別の妃を迎え、現在に至っている。途方もない年月を経て。「初代王妃は、なんらかの形で亡くなり、王が亡骸を抱えて悲しんでいるように見えるでしょう?」文字は分からなくても図板は、十分に当時の国王の悲しむ様子を伝えてくれている。ルイスは模写を手に持ち、しばらく見つめた。「そう見える。救えなかったのを嘆いているようだ。俺が見た図板では、彼女は多くの人に崇められていたようだった。」そう、まるで『聖女』のように。では、崇
私たちの異様な様子に、ユリが躊躇いがちにエルミニオに報告をした。リーアが?何でもいいからいいタイミングだわ。さっさとこの男を、私の前から連れて行って。「何、リーアが?ここへは来るなと言っておいたのに。」これで、ようやく解放されると思ったのに。「仕方ない。入り口付近で待たせておくように。」訝しげに吐き捨てると、再びエルミニオは私に冷たい視線を向けた。ユリは不満げに私を見たが、小さく頭を下げて、その場を去ってしまった。「逃げられると思ったのか?ロジータ。」「ふふ。本当に呆れますね。ですから逃げるも何も、殿下こそご自分が何をやっているのか自覚はあるのですか?」言われっぱなしは癪に触る。私もエルミニオに刺々しく言い返すが、全く通じてないようだ。愛しいリーアを放っておいて、憎い私に構っている場合ではないでしょう?どうしたら納得するのよ、この男は!そんなあからさまな殺意を向けないで欲しいものだわ。憎らしいのはこっちだって同じよ!「エルミニオ様……!」その時、エルミニオの背後に勢いよく何かが飛び込んできた。使用人とは思えない、美しいローズピンク色のドレスを着たリーアだった。もうすっかり王太子妃気取りね。彼女は甘えた様子でエルミニオの背後に隠れ、私に怯えたような視線を向けた。「あ……!ロジータ様もご一緒だったのですね。」「一体どうしたのだ?リーア。図書室には来るなと言っておいただろう?」やっとエルミニオが私から離れ、代わりに宥めるようにリーアの肩を叩いた。「だって、エルミニオ様がいないとつまらなくて。」「困ったな。君が退屈しないよう、使用人をつけたじゃないか。」「ええ、でもやはり、エルミニオ様のそばにいたいんです。」純真な雰囲気を匂わせて彼女はエルミニオに抱きつき、目は私を憐れんだ
最悪だわ。あの時、お怒り気味に馬車を追いかけてきた時以来かしら?いくら広大な敷地面積を誇る王宮だとはいえ、やはり会う時は会ってしまうものなのね。背後には何冊か書物を持ったユリ、入り口近くに待機したルドルフォの姿が見える。エルミニオは目の前に立ち、黒に金糸の入ったダブレット姿で、まるで獲物を追いつめるような鋭い瞳で私を見下ろしてくる。殺したくても殺せないのがもどかしい、といった表情かしら?だからって、そう睨みつけないでほしいわ。「王国の若き太陽、エルミニオ王太子殿下に拝謁いたします。」私はエルミニオの顔もろくに見ず、無難にカーテシーを披露した。今、禁書庫に戻るのは避けたほうがいいだろう。エルミニオに、ルイスが禁忌の治癒力を使ったことを気づかれてはいけない。弱みを握らせることになってしまうから。それはそうと、今日はリーアを連れていないのかしら?いつもどこに行くにも必ずと言っていいほどリーアを連れていたのに、今日は珍しいわね。背後からユリが何か言いたそうにしかめっ面をしているけれど、思いっきり無視しよう。「それでは、殿下、私はこれにて失礼いたします。」サッと頭を下げ、私はエルミニオの脇を通り抜けて禁書庫とは反対側へ去ろうとした。「——— ルイスとの“新婚ごっこ”は楽しいか?」通りすがりそう皮肉を吐き捨てられる。何?新婚ごっこですって?腹は立つけれど、ここは我慢よ。丁寧に振り返って、私は微笑み返した。「お言葉ですが、殿下。私とルイスは真剣に愛し合っているので、“ごっこ”呼ばわりはどうかと。まあ、幸福と聞かれましたら、そうですね。お陰様で、彼との新婚生活は満喫しております。」実際にルイスとの契約結婚生活は楽しくて、嘘ではない。「は!白々しい。ロジータ、一体いつからルイスと手を組んでいたのだ?」刺々しい声、苛
翌日、私とルイスは王室の図書室———その最奥にある『禁書庫』の前に立っていた。「ここが、ヴィスコンティ王家の禁書庫ね。」「ああ、俺も中に入るのは初めてだ。開けるぞ。」ヴィスコンティ王家の紋章が刻まれた重厚なドアの鍵穴に、ルイスが国王マルツィオから受け取った古い鍵を差し込む。ゆっくりルイスが扉を押すと、中からひんやりとした空気が流れ込んできた。王室の図書室だけでも荘厳な作りで、膨大な書物の数に圧倒されそうだった。禁書庫には一体どんな書物があるのだろう?「あ、あれ?意外と狭い……。」一つの宮殿にも匹敵するほどの広さを誇る図書室とは違い、禁書庫はこぢんまりとした作りになっていた。不思議な六角形をした、窓のない部屋。換気口はある。各所に星形のランタンが灯り、どこか温かみのある室内。天井は高く、神や天使といったヴィスコンティ特有の絵画が描かれていた。壁一面に木製の本棚が並び、羊皮紙の古い本の匂いが漂ってくるようだった。完全にファンタジーの世界。本棚には禁書とされる書物がびっしり詰まっていた。多くは皮や布で装丁された厚い本だが、中には金属の留め具で封印されたものや、ガラスケースに収められた巻物や石板まである。ほとんどが読めそうもない古代語で、この中から『禁忌の治癒力』について書かれた書物を探すのは骨が折れそうだ。「この中から探すのは、大変そうだな。」ルイスも同意見だったようで、私も頷いた。「これ、きっと古代語よね。読めそうなものから探すしかないかしら。」「そうだな。俺も古代語は読めないから、文字じゃなく、絵や図版が描かれた書物を探した方がいいかもしれない。」「さすがルイス!頭いい。」「……っ、そんなことはない。」「!!」謙遜しながら顔を赤くする彼を見て、こっちまで赤面が移ってしまう。最近、ルイスとは何かとハプニングだらけで……キスしたり、キスされたり、おまけに彼が人のことを『俺の妻』だなんて連呼するから。急に気まずくなって、私たちは背を向け合う。「と、とにかく探しましょう!」「そ、そうだな。」しばらく私たちは夢中で書物を探した。最初は手頃そうな物から手をつける。中にはヴィスコンティ国語で書かれたものもあったが、『禁忌の治癒力』について書かれた物は見つけられない。かと言って、ガラスケースに入った本を開けるに
思えばダンテも、リーアを密かに想う不憫な当て馬の一人である。原作でダンテは、好奇心から王宮を探索していてこの庭園にたどり着いた。その時に、泣いているリーアに出会った。ダンテはリーアが自分の親友の想い人だとは知らずに彼女を慰め、そこから二人の密会が始まった……という内容だった。ダンテの気持ちを知らないまま、リーアは彼にエルミニオとの恋の相談をすることになった。そう考えると、ルイスの結末よりはマシだとしても相当つらい恋のはずよね。「あなたもルイス殿下も、どうしてそう変わったのでしょう。」ダンテは、まるで自分が変わらないことが不満だとでも言いたげだった。「ダンテ様も、新しい恋でもしてみたらどうですか?」私はダンテを見おろしながら、つい無意識にそんなことを口走った。瞳が驚いたように大きく見開く。「面白いですね、ロジータ嬢。まるで私が、誰かに恋をして苦しんでいるかのような言い草だ。」「あら、そうではないのですか?」誰にも気づかれないと思っていたリーアへの想いを、私に知られていて驚いたかしら。確かにダンテに私は無意識に同情していた。宝剣で私を殺すことを、エルミニオに提案したひどい男なのに。「簡単に忘れられるなら、恋などしませんよ。ですがロジータ嬢、あなたは見事に忘れ去ることができたのですね。」「ええ。お陰さまで。真に愛するルイス様にも巡り合えましたし。」笑顔で私が答えると、ダンテは溜息混じりに苦笑した。そうやって笑えば美形なのだから、もっとリーア以外にも幅広く目を向ければいいのに。「ロジータ嬢、報酬は確かに受け取りました。」「ええ、嫌いな私に協力してくれてありがとうございました。」皮肉を混ぜて言うと、ダンテは袋を懐に仕舞いながらまた笑った。用事が済み、軽く頭を下げて私はその場を立ち去ろうとした。だが背後からダンテに腕を掴まれた。「!??」その瞬間、少し離れた建物に隠れていたマルコが飛び出してこようとする。しかし私は「大丈夫、心配いらないわ。」と目配せをして、マルコの動きを止めた。すでにダンテが、マルコの存在に気づいていたからだ。やはり油断ならない男ね!「一人きりで来るようにと言ったのに、少し残念です。ですが、許します。ルイス殿下があなたを相当大事になさってるようなので。それよりもロジータ嬢。私ともう一