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第1話「香織の告白」

Author: 奏拓人
last update Last Updated: 2025-08-07 20:06:29

「……かなくん――」

ピリリリッ、ピリリリッ……

目覚ましの音が、夢の続きを容赦なく断ち切る。

誰かが俺の名前を呼んでいた気がする。

まるで昔聞いたことのある声のように、胸の奥を揺らした。

目を開けると、天井。見慣れた部屋。現実。

手探りでスマホを手に取ると、ロック画面には、俺の推し、白咲香織の写真が映っていた。

「香織……最高に可愛いな」

スマホを握りしめる手に、無意識に力が入る。

何度も見返したくなるその写真は、俺の心の支えであり、時に苦しくなるほどの愛おしさだった。

あの日――

ライブハウスのステージで初めて見た香織のパフォーマンスが、今でも頭から離れない。

歌声、ダンス、そして表情――どれを取っても抜け目がなかった。

これまで色んな地下アイドルの現場に足を運んできたけど、ここまで“完璧”だと思えたアイドルには出会ったことがなかった。

一瞬で視線を奪われて、気づけばその存在に夢中になっていた。

さらに、黒髪ボブに大きな瞳、整った顔立ち――見た目も完全に俺の好みだった。

だけど、本当に惹かれたのはそこじゃない。

見た目以上に惹かれたのは――そのまっすぐな眼差し、ブレない芯、誰にでも丁寧に向き合う誠実さ。

ステージでは目が離せないほど輝いて、

対話では思わず心を許してしまうほど優しくて。

気づけば、彼女の存在が、俺の毎日を照らす“光”になっていた。

でも―まさか、こんな夜が来るなんて。

「お先に失礼します!」

職場をあとにしながら、ポケットの中のスマホを取り出し、LUMINAのスケジュールを確認していた。

「LUMINAの現場、次は明日か……早く香織に会いたいな」

今日はライブも特典会もない“オフ日”。

推しに会えない日は、どうしても気持ちが空っぽになる。

家に帰っても一人だし、まっすぐ帰る気になれなくて、少し遠回りして晩飯を済ませた。

通り道の小さな公園に差しかかる。

昼間は子供たちでにぎわっている場所だが、夜になると街灯もまばらで、いつもは人影すら見かけない。

ふと、ブランコのあたりに――誰かが座っているのが見えた。

(……こんな時間に、人?)

足を止めて目を凝らす。

街灯の明かりに照らされたその姿は、長い髪に華奢な肩――どうやら、女性のようだ。

さらに近づくと、微かに聞こえてきた。

「……♪ 目を閉じれば浮かぶ景色 あの日のまま止まってる……」

どこか寂しげなメロディ。

それは、俺が何度も聴いた――LUMINAの楽曲「光」だった。

(……まさか、LUMINA?)

一瞬、心臓が跳ねる。

その声に、聴き覚えがあった。

少し低めで、でも芯のある歌声。ライブで、何度も耳にしてきた“あの声”。

足音をひそめて近づくと、月明かりの下に浮かび上がったのは――

やっぱり、白咲香織だった。

(あの“香織”が、こんな場所で?)

慌てて物陰に隠れたが、その時。

「奏くん?」

優しくも不安げな声が、夜の空気を震わせる。

驚いて振り返ると、香織がこちらを見ていた。

ステージ上の彼女とは違う、素のままの顔。まっすぐな瞳が、少しだけ揺れている。

「……よっ。こんな夜遅くに……どうしたんだ? 女の子ひとりで、危ないだろ」

そう言いながら、LUMINAのオタクがいないか公園のまわりをさりげなく見渡しながら、俺は彼女が座っていたブランコの隣にそっと腰を下ろした。

「少し、考えごと。……奏くんこそ、どうしたの?」

「仕事帰り。LUMINAの現場も今日はないし、晩飯食べてちょっと遠回りしてた。……家、近くだからさ」

「そっか。……お仕事、お疲れ様」

「ありがとう。現場がない日は、こんな感じで気が抜けてるよ」

「ふふ……想像できる。奏くん、現場のときと全然雰囲気違うから」

「……独り身で悪かったな。でも、香織に会えないとマジで元気出ないんだよ。……って、そんなことより、元気なさそうだけど?何かあった?」

香織の笑顔が、ふっと陰る。

そして小さくため息をつくと、迷うように言葉を探したあと、口を開いた。

「……えっと。どうしよう……」

香織が少し俯いて、膝の上で手を握る。

「……奏くんって、他のオタクとちょっと違うよね。いつもちゃんと見てくれてるっていうか……」

「そ、そうか……?」

一度だけこちらを見て、また視線を外す。

「――私、アイドル、辞めようと思ってて……」

時間が止まったようだった。

「えっ……なんで……?」

戸惑う俺に、香織は俯いたまま話し始めた。

「まだ誰にも言ってないんだけど……

うちはずっと母子家庭で、私が中学生の時にお父さんはいなくなっちゃって。

それからずっと、お母さんがひとりで私と妹と弟を育ててくれてたの。

いつも応援してくれて、現場にも何度か来てくれてたんだけど……

この間、お母さんが倒れて、入院しちゃって。

まだ妹も弟も小さいし、

私がちゃんと支えなきゃって思った。

だから、もう……アイドル辞めようって。

家のことに専念しようって、決めたの」

香織の声が震えていた。

「……香織、そんな状況だったんだな」

俺は思わず拳を握りしめる。

「香織が決めたことなら尊重するよ。

でも……正直言うと、まだステージに立ってる香織を見ていたいんだ。

香織みたいなアイドル、他にいない。

いや、俺にとっては香織がいない人生なんて考えられない」

香織は小さくうつむいたまま、涙声になった。

「……奏くん、ありがとう。そうやって言ってくれて嬉しい。でも……これは、もう決めたことなの。」

ほんのわずかだけ、声が揺れた気がした。

香織は視線を落としたまま、何か言いたげに唇を動かしかけて――それでも、言葉にはしなかった。

「……ごめんね。話、聞いてくれてありがとう」

少し間を置いてから、ようやく立ち上がる。

俺の方をちらりと見て、小さく笑った。

「またね」

その一言を残し、香織は夜の街へと歩き出す。

肌を刺す夜風が吹く。

俺はその場に取り残されたまま、何もできずに立ち尽くしていた。

香織の背中が見えなくなっても、しばらく動けなかった。

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