大神殿最奥、玉座の間……精悍なる顔に不敵な笑みを浮かべながら玉座に座すハルモニア皇帝ゼノンの御前に、死天衆の面々が次々と音もなく姿を現した。
アスモデウス、アザゼル、アモン、バアル──そして、リーダー格のベリアル。アモンを除く全員が、眼前に座すゼノンと同様、口元を歪めて不敵な笑みを浮かべていた。「──概ね予想通りでしたね、陛下」「うむ、確かに其方の申す通りであったな……我が戦友ベリアル?」「はい──滅亡の元凶たるベルフェゴールは力を使い果たして死亡……聖教会のクズ共が送り込んできた、天使シェムハザ率いる地上監視部隊"グリゴリ"もセラフィナたちによって全滅。その上、大精霊モレクまで排除済み。上出来です」「うむ……これで心置きなく、彼の地に《《進駐》》することが出来るな」 玉座の間に、アモンを除く全員の笑い声が響き渡る。セラフィナたちを涙の王国へと赴かせたのは、決して調査目的などではなかったのだ。 涙の王国に居座っていた堕天使ベルフェゴールを、セラフィナという圧倒的な武力を用いて排除し、緩衝地帯となっていた涙の王国へと帝国軍を進駐させる。それこそが、ベリアルとゼノンの真の狙いだったのである。 ベルフェゴールやモレクといった邪魔者たちを排除し、涙の王国へと帝国軍を進駐させれば、彼の地に与えられていた緩衝地帯という機能は消失し、聖教会に属する各勢力はハルモニアによって、自らの喉元に鋭利な刃を突き付けられたも同然となる。全て、ベリアルの狙い通りだった。「では、陛下……予定通り涙の王国へは、堕天使エリゴール率いる帝国第三軍を進駐させます。死すらも娯楽とする彼の者の前では、聖教騎士団すら恐るるに足らぬ存在となるでしょう」 堕天使エリゴール……死天衆に次ぐ強さを有する彼は、生まれながらにして戦の天才であった。常に数手先の未来を読む力を持っており、未だ敗北というものを知らない。「確かに、我が方きっての戦上手たるエリゴールならばその役目、適任であろうな」 ベリアルの言葉に、バアルが賛同を示す。アザゼルとアスモデウスは何も言わなかったが、ニヤニ夜明け前── シェイドは眠れないことに若干の苛立ちを覚え、ベッド上で何度も寝返りを打っていた。 涙の王国をセラフィナやマルコシアスと共に調査していた時、魔族の襲来に備えて座ったまま寝ていたので、身体がそれにすっかり順応してしまったのだろう。 ベッドの寝心地はかなり良いのだが、どうにも落ち着かない。慣れるまでは暫し時間が掛かりそうだ。 「……どうしたものかな」 外はまだ暗く、日が昇る気配もない。夜明けまで、屋敷の外で剣でも振ろうか。そう思った矢先── 「……うん?」 部屋の扉を軽くノックする音が聞こえ、シェイドは首を傾げる。このような時間に一体、誰だろうか。 訝しんでいると、扉の向こうから初老の男のものと思われる、やや|嗄《しわが》れた声が聞こえてきた。 「──ナベリウスで御座います、シェイド殿。まだ起きていらっしゃるご様子でしたので、お声掛け致しました」 「あぁ、執事さんか……こんな時間に一体、何の用だ?」 「大した用事ではありませぬが──そうですな、貴方様が中々寝付けぬご様子でしたので、若し宜しければ、この私めと茶でも飲みつつ世間話でもどうかと思いまして。貴方様のお口に合うかは分かりませぬが、茶菓子も幾つかご用意しております。如何でしょう、シェイド殿?」 断る理由はない。ナベリウスが気を遣ってくれた可能性も考えると、寧ろ有難いとさえ思った。 「──どうぞ、入って」 「ありがとう御座います。では──」 シェイドが扉を開けると、ティートロリーと呼ばれるワゴンを押しながら、ナベリウスが部屋の中へと入ってくる。皿に丁寧に盛り付けられた焼き菓子の匂いが室内に漂い、鼻腔を程よく刺激した。 シェイドをソファーに座らせると、ナベリウスは手際良くささやかな茶会の準備を始める。
その日の深夜── ゼノンから一月の療養を命じられたセラフィナたちは、ドラゴンに乗ってグノーシス辺境伯領へと向かっていた。 「アモン──グノーシス辺境伯領までは、あとどれくらい時間が掛かるんだ?」 大きな欠伸をするマルコシアスの毛繕いをしてやりつつシェイドがそう尋ねると、アモンはドラゴンに軽く鞭を入れながら、 「うむ──このまま、北西に小一時間ほど進めばグノーシス辺境伯領に入るぞ、シェイドよ」 セラフィナは左腕を負傷しているため、同行しているアモンが代わりにドラゴンを御し、領主の館まで彼女たちを送り届けることになっている。 流石は、上位魔族たちを統率する死天衆のメンバーと言ったところか。慣れた手付きでドラゴンを御するその姿は、驚くほど様になっていた。 「……出来れば、戻りたくはなかったんだけどね。何一つ、目的を果たせていないし」 自らの膝の上で、母に抱かれた幼子のような顔をして静かな寝息を立てているキリエの髪を優しく撫でながら、セラフィナはほっと一つ溜め息を吐く。どうやら彼女は、キリエにすっかり懐かれてしまったらしい。 三角巾で固定された左腕が、何とも痛々しい。その傷はシェムハザ率いる、グリゴリの天使たちとの戦闘で負ったものだ。剣で深々と斬られた際に筋肉の一部が断裂してしまったとのことで、暫くはまともに動かせないと聞かされている。 「そう言うな、セラフィナ……其方の気持ちは分からんでもないが、その身体でアレスの行方を追うのは無謀と言うもの。ゆっくりと身を休めるのも重要だ」 アモンに窘められ、セラフィナは再度溜め息を吐いた。早くアレスを見つけ出したい彼女としては、涙の王国の件と言い、今回の療養と言い、とんでもない遠回りをさせられている気分なのだろう。 無表情ではあったものの相当苛立っているのが、向かい合って座っているシェイドにも伝わってくる。周囲に当たり散らさないのが幸いだが、若し怒りが臨界点を超えて爆発したらどうなってしまうのか、正直気が気でない。 「……なぁ、セラフィナ。グノーシス辺境伯
大神殿最奥、玉座の間……精悍なる顔に不敵な笑みを浮かべながら玉座に座すハルモニア皇帝ゼノンの御前に、死天衆の面々が次々と音もなく姿を現した。 アスモデウス、アザゼル、アモン、バアル──そして、リーダー格のベリアル。アモンを除く全員が、眼前に座すゼノンと同様、口元を歪めて不敵な笑みを浮かべていた。「──概ね予想通りでしたね、陛下」「うむ、確かに其方の申す通りであったな……我が戦友ベリアル?」「はい──滅亡の元凶たるベルフェゴールは力を使い果たして死亡……聖教会のクズ共が送り込んできた、天使シェムハザ率いる地上監視部隊"グリゴリ"もセラフィナたちによって全滅。その上、大精霊モレクまで排除済み。上出来です」「うむ……これで心置きなく、彼の地に《《進駐》》することが出来るな」 玉座の間に、アモンを除く全員の笑い声が響き渡る。セラフィナたちを涙の王国へと赴かせたのは、決して調査目的などではなかったのだ。 涙の王国に居座っていた堕天使ベルフェゴールを、セラフィナという圧倒的な武力を用いて排除し、緩衝地帯となっていた涙の王国へと帝国軍を進駐させる。それこそが、ベリアルとゼノンの真の狙いだったのである。 ベルフェゴールやモレクといった邪魔者たちを排除し、涙の王国へと帝国軍を進駐させれば、彼の地に与えられていた緩衝地帯という機能は消失し、聖教会に属する各勢力はハルモニアによって、自らの喉元に鋭利な刃を突き付けられたも同然となる。全て、ベリアルの狙い通りだった。「では、陛下……予定通り涙の王国へは、堕天使エリゴール率いる帝国第三軍を進駐させます。死すらも娯楽とする彼の者の前では、聖教騎士団すら恐るるに足らぬ存在となるでしょう」 堕天使エリゴール……死天衆に次ぐ強さを有する彼は、生まれながらにして戦の天才であった。常に数手先の未来を読む力を持っており、未だ敗北というものを知らない。「確かに、我が方きっての戦上手たるエリゴールならばその役目、適任であろうな」 ベリアルの言葉に、バアルが賛同を示す。アザゼルとアスモデウスは何も言わなかったが、ニヤニ
地下へと続く螺旋階段を、セラフィナに肩を貸してもらいながら、ベルフェゴールはゆっくりと下ってゆく。歩く度にポタポタと血を滴らせながら、ゆっくりと、ゆっくりと。「……全く、不甲斐ないな。儘ならぬ我が身が恥ずかしい。君も酷い怪我だと言うのに、こうして肩を貸してもらうことになるとは」「……困った時はお互い様だよ。それに……貴方の負った傷の大半は、他ならぬこの私が負わせたものだし」「それは、確かにそうだな……ふふっ、違いない」 セラフィナの言葉を受け、ベルフェゴールは苦笑する。 シェイドとマルコシアスは地上に残り、調査の終了を告げる信号弾を打ち上げてハルモニアからの迎えを要請しつつ、周囲の安全を確保するべく動き回っている。 信号弾には魔力が込められており、打ち上がったのを確認次第、アモンが自らの手勢を引き連れて、迎えに来る手筈となっていた。転移魔法で来ると言っていたので、割と直ぐにやって来るのではないだろうか。「それで……本当に良いの? 涙の王国の第一王女キリエを、ハルモニアで保護してもらうっていう話だけど」「何を馬鹿なことを。ハルモニアじゃない。セラフィナ……君個人に彼女を保護してもらうと言ったんだ。生憎私は、ハルモニア皇帝や死天衆の連中など、これっぽっちも信用などしてはいない」 自分に拒否権はないのかと思いつつ、セラフィナは小さな溜め息を一つ吐いた。 とはいえ、天空の神ソルに背いた叛逆者であるベルフェゴールは、今後も天使たちに狙われる可能性が高く、そうなれば必然的にキリエの身が危険に晒されるのは間違いない。 剣を交え、そして共闘したセラフィナという、唯一と言っても良い信ずるに値する存在に、キリエを託そうというベルフェゴールの考えは、理解出来なくもなかった。 城の地下に存在する拷問部屋へと辿り着くと、部屋の中央にある拷問台の上に、珠の如く清らかなる黒髪の少女が横たわっているのが目に飛び込んでくる。「あれが……第一王女キリエ……」 "|最終戦争《ハルマゲドン》"の終戦直後、服毒自殺という形で
モレクが、緩慢なる動きで腕を大きく振りかぶる。生じた隙を見逃さず、セラフィナは抜剣と同時に斬撃を放った。 しかし──黒鉄の鎧を思わせる頑強な皮膚に阻まれ、その斬撃は残念ながらモレクの身体を傷付けるには至らない。「……やはり、この程度の攻撃では駄目か」「……呑気に言っている場合か。来るぞ、セラフィナ」 直後──モレクの振り下ろした一撃が、地面に巨大なクレーターを形成した。直撃こそ辛うじて免れたものの、舞い上がった瓦礫が頭上から次々と降り注ぎ、セラフィナたちは瞬く間に傷だらけとなる。「──流石は、嘗て神の如く崇められた、偉大なる大精霊……何もかもが規格外だね」 瓦礫の一部が直撃し、頭から流れ出る血を手の甲で拭いながら、セラフィナはまるで他人事のように呟く。「このまま正面から戦っても、私たちが圧倒的に不利。生半可な攻撃は、寧ろ相手を激昂させるだけだね」「……その口振りだと、何か必勝の策があるようだな?」「まぁ、ね。あるには、あるよ──」 ベルフェゴールの問いに対し、セラフィナは無表情を維持したまま、小さく頷く。「──"レムレース"。現世を彷徨う死者たちの霊魂を、一点に収束させて放つ魔法。発動まで時間が掛かるから実用的とは言えないけど、威力の高さは保証するよ」「ふむ……そうか、威力の高さは保証してくれるか。それならば安心だ」 モレクが咆哮を発すると同時に、頭に生やした二本の角から、セラフィナたち目掛けて強烈な雷撃が放たれた。防御結界を構築してそれを弾き返すと、ベルフェゴールは笑みを浮かべながらセラフィナの顔をちらりと見やる。「ならば──私が囮となって、君が魔術を発動するまでの時間を稼ぐとしよう」「……悪いね。最初からこうなるって分かっていたら、貴方に深手を負わせることもなかったのに」 ベルフェゴールは、明らかに重傷だった。殆ど気力だけで立っているような状態であり、ただでさえ危険な囮という役目を引き受けさせるのは正直憚られる。 しかし
最早、何合目かも分からぬ激しい斬り合いを演じると、シェムハザとセラフィナは互いに間合いを取り直す。「──少々、お前の力を見くびっていたかもしれぬな」 物言わぬ骸と化した天使たちと、端麗なるセラフィナの顔とを交互に見やり、シェムハザは大きく舌打ちをする。剣聖アレスの子と言うだけあり、セラフィナの実力は正に次元が違っていた。「まさか、この私が押されることになろうとは……」 とはいえ、彼らの死は決して無駄などではなかった。物量にものを言わせ、出鱈目な強さを誇るセラフィナに、幾つかの傷を負わせることが出来たのだから。「…………」 セラフィナは無表情のまま、シェムハザの顔をじっと見つめている。力なく垂れ下がった左腕には痛々しい斬り傷が刻まれており、傷口からは鮮やかな紅い血が、止めどなく溢れ出していた。 シェムハザは、生き残っている天使たちに目配せすると魔法陣を無詠唱で展開し、セラフィナ目掛けて鎖を次々と発射した。 セラフィナはわずかに眉をひそめながら、飛来するそれらの鎖を手にした剣で容易く弾き返す。それと同時、背後へと回り込んでいた天使たちが、セラフィナの小さな背中目掛けて次々と得物を振り下ろした。 鎖によるシェムハザの攻撃は囮だった。本命は生き残った天使たちによる不意討ち……流石のセラフィナも、四方八方からの攻撃全てを躱すことは不可能だ。 これで、終わりだ──自らの勝利を確信し、シェムハザの顔に笑みが浮かぶ。 だが──天使たちの振り下ろした刃が、セラフィナの背に届くことはなかった。「君なら来てくれると、信じていたよ──マルコシアス」 セラフィナが、くすっと笑うと同時──風の如き疾さで駆けて来たマルコシアスが、勢いそのままに天使たちをまとめて吹き飛ばした。 マルコシアスはセラフィナの足に擦り寄ると、ポタポタと血が滴り落ちる彼女の指先を、不安そうな鳴き声を発しながら何度か舐める。「……大丈夫だよ、そんなに心配しないで。幸いなことに、骨には届いていないから」
雷鳴と共に、手に剣を携え、フードを目深に被った天使たちが次々と姿を現す。その数、凡そ二百余名。 天使たちは、セラフィナたちを包囲するかのように部隊を展開しており、少しずつではあったがその包囲網を狭めているのが見て取れた。 やがて部隊を率いる長と思しき、眉目秀麗なる天使が指を鳴らすと、天使たちは一斉にその動きを止めた。長は一歩前に進み出ると、セラフィナを見つめてニヤリと笑いながら、「──実に良い戦いを見させてもらったよ、異教の地ハルモニアより来たる、凄腕の剣士殿……まさか、こんな年端もいかぬ麗しいご令嬢だったとは、正直驚いているよ」「……貴方は一体、何者なの?」「異教徒と会話する舌など持たぬが、単身でベルフェゴールを撃破したその実力を称え、特別に教えてあげようか。私は天使シェムハザ……地上監視部隊"グリゴリ"の長だ」 自らをシェムハザと名乗ったその天使は、胸に手を当てて恭しく頭を下げる。「本来は、君とベルフェゴールの共倒れ……或いは、漁夫の利を狙っていたのだが、事情が変わった。どうやら最優先で君の首を取らねばならぬらしい」「漁夫の利……なるほど、私たちが王都に辿り着いた時から今の今まで、襲う機会は幾らでもあったのに敢えて傍観に徹していたのは、それが理由だったんだ」 感情が凪いだような目で、シェムハザの顔をじっと見つめるセラフィナ。彼女の足元では、ベルフェゴールが怒りに身を大きく震わせ、血が出るほど強く拳を握り締めていた。「この……外道が……!」「──負け犬の遠吠えなぞ、このシェムハザには聞こえぬ。そもそもの話、最終的に戦いに勝利さえすれば、その過程で行われし如何なる非道も必要なものであったと肯定される、これが世の摂理である。我らが漁夫の利を狙うことに、一体何の問題があろうか」 シェムハザはまるで汚物でも見るかのように、ベルフェゴールの痩けた顔をギロリと睨み付ける。 シェムハザが指を鳴らすと同時に、虚空より無数の鎖が飛来したかと思うと、ベルフェゴールの四肢を瞬く間に拘束した。満足に抵抗することも出来ぬまま、
三日後── 王都に辿り着いたセラフィナたちの目に飛び込んできたのは、原型を留めぬほどに破壊され、瓦礫の山と化した街並みだった。 上空には巨大な暗雲が渦巻き、風の哭く声が、雷鳴に混じって聞こえてくる。全てを拒絶するかの如く、天よりひらひらと舞い降りる雪は、本能的に死を連想させた。 至る所に転がる瓦礫の所為で、足場が非常に悪い。これより先は徒歩で進む他ないだろう。「──馬はここに置いていくよ、シェイド。必要な武器と信号弾だけ持って、なるべく装備を身軽にして」 そう言うや否や、セラフィナはマルコシアスを伴い、軽やかな動きで馬そりから飛び降りると、王都の中心を目指して足早に駆けてゆく。「了解──セラフィナ」 言われた物を素早く用意すると、シェイドはセラフィナの背に続いた。 王都の中心へと近付くにつれて、風が少しずつ強くなってゆく。それに混じって、人間ではない何者かの視線を感じるようになった。進めば進むほどに、こちらを見つめる何者かの数は増えてゆく。雪で視界が悪く、残念ながら相手の姿を確認することは出来ない。 ただ、こちら側に対する明確な殺意と敵意だけは、向けられる視線からひしひしと伝わってきた。 ふと、セラフィナが足を止めた。無表情のまま、正面をじっと見つめている。「──どうした?」 シェイドが尋ねると、セラフィナは無言で、自らの視線の先をそっと指差した。 雪でぼんやりと霞む視線の先──黒い襤褸きれの如きローブを纏った、痩せ細った男が音もなく姿を現し、こちらへと向かってくるのが見えた。背には巨大な黒い翼を生やし、頭上には|光輪《ヘイロー》を戴いている。 男はセラフィナとシェイドの顔を交互に見やると、口角をわずかに上げて笑みを浮かべながら、「遠きハルモニアの地より、よくここまで辿り着いた。招かれざる者たちよ、死天衆の犬どもよ。だが──」 刹那──男の双眸に、怒りの焔が宿る。「──この地に足を踏み入れる者は、全て敵だ。我が恩人キリエの安
地下へと通じる螺旋階段を、堕天使ベルフェゴールは無言で黙々と降りてゆく。ただ足音だけをコツコツと虚しく響かせながら、ゆっくりと、ゆっくりと。 度重なる実験ですっかり痩せ細り、最早骨と皮しか存在しないようなその両腕には、まだ目を覚まさぬ第一王女キリエがしっかりと抱かれていた。 「…………」 シェムハザ率いるグリゴリの天使たち……彼らが、大精霊モレクの封印を解き、支配下に置いたのは全くの想定外だった。モレクの放った火球により、一瞬にしてこの世から焼滅してしまった王都近郊の街並みの様子を思い出し、ベルフェゴールの表情は暗くなる。 若し、グリゴリの天使たちがモレクを支配下に置いたことを知らないまま、彼らと矛を交えていたならば、キリエの身を危険に晒していたかもしれない。 事前に知ることが出来たのは僥倖と言えたが、それと同時にグリゴリに対する自らの認識の甘さをこれでもかと痛感させられた。 城地下に存在する拷問部屋……その中央に位置する台座に、慎重な手付きでキリエの華奢な身体を横たえる。ここならば流石に、モレクの火球も届かないだろう。 勿論、爆発に伴う振動で壁や天井が崩落する恐れはあるのだが。その対策も既に、ベルフェゴールは編み出していた。 「──"水よ、彼の者の身を護り給え"」 ベルフェゴールがキリエの身に手をかざすと、仄かで暖かな光を放ちながら、水で出来た防御結界が構築される。わずか数秒ほどで、キリエの周囲には幾重もの強力な水のヴェールが形成された。 「……些か、寝心地は悪いだろうが、今はこれで我慢して欲しい、キリエ。お前の身に、何かが起こってからでは余りにも遅い……私はあの日、それを痛感させられたのだ。口から大量の血を流し、変わり果てた姿で床に倒れ伏すお前を見て、な」 キリエの身体にそっと毛布を被せ、黒蝶真珠を思わせる艶やかな前髪を優しく撫でながら、ベルフェゴールは悲しそうな笑みを湛えつつポツリと呟く。