ログイン私が死んでから五年、夫の深沢礼司(ふかさわ れいじ)はまたしても、幼なじみの篠原玲奈(しのはら れな)が起こした飲酒運転事件の罪を私になすりつけようとしていた。 捏造した証拠を手に、礼司は私の家へ押しかけてきた。だが家の中には私の姿どころか、人が暮らしている気配すらない。 仕方なく礼司は隣の佐藤さんの家のドアを叩いた。すると隣人は怪訝そうな顔で言った。 「深沢美羽(ふかさわ みう)さん?あの子なら、とっくに亡くなってるよ。 前の事件の被害者遺族が判決に納得できなかったらしくてね。出所したその日にさらわれて、三日三晩痛めつけられたそうだよ」 だが礼司は信じなかった。私が逃げるために、佐藤さんまで金で買収して嘘をつかせているのだと思い込んだらしい。 礼司は怒鳴り声を上げた。 「美羽から金をもらって、口裏を合わせてるんだろ! 隠れたって無駄だって伝えろ。三日以内に俺へ連絡してこなかったら、あのどこの馬の骨とも知れないガキの養育費なんて、もう一円も払わない!」 礼司は知らなかった。 玲奈が飲酒運転で轢き殺したのは、礼司が「あのガキ」と吐き捨てた、まさに私たちの子供だった。
もっと見る春のお彼岸、墓地には細かな雨が静かに降り続いていた。悠人は黒い傘を差し、私とひなたが眠る墓の前に立っていた。雨粒に濡れた白いバラの花束をそっと供える。「全部終わったよ。礼司も死んだ」雨粒は透明な私の体をすり抜け、新しく刻まれた墓碑の文字へ落ちていった。——ここに眠るのは優しく強い母と、永遠に愛らしく無邪気な小さなお姫さま。悠人が傘を差したまま立ち去ろうとしたとき、ふと遠くに、見覚えのある人影が見えた。礼司だった。魂となった彼が一本の木の下に立ち、こちらの様子を窺うように、おずおずと見つめている。ようやく私のもとへ戻ってこられたひなたは、私の腕の中からするりと抜け出した。そして嬉しそうに礼司の方へ駆けていく。私はその場から動かなかった。礼司はひなたの前にしゃがみ込んだ。震える手を伸ばし、娘を抱きしめようとする。だがその腕が抱いたのは、何もない空間だけだった。それを見てから、私はようやくゆっくりと二人のもとへ歩いていった。「ママ!」ひなたが私の服の裾をつかんだ。「パパ、泣いてるよ……」礼司が顔を上げた。涙が次から次へと頬を伝い、止まることなくこぼれ落ちていた。何かを言おうと口を開くが、声は出なかった。私はそんな礼司を見つめながら、ふいに昔のことを思い出した。ずっと前の、あの雨の日。私の傘の下に立つ礼司の睫毛には、小さな雨粒がいくつも残っていた。あの頃の私はそんな彼を心から愛していた。けれど今、目の前にいる礼司にかける言葉は何もなかった。まるで見知らぬ人を見るように、私は静かにひなたの手を取った。そしてそのまま墓地の奥へと歩き出す。背後から礼司の悲痛な叫び声が聞こえた。それでも私は一度も振り返らなかった。分かっているから。どれほど後悔しても、どれほど苦しんでも、一生許されるべきではない過ちもあるのだ。(完)
礼司は最終的に、殺人などの罪で死刑判決を受けた。さらに残酷なことに、末期の胃がんまで見つかった。治療のために刑の執行を一時的に止めてもらう道もあった。だが礼司はそれを拒んだ。これは俺の償いだから、とそう言ったらしい。私は刑務所の医務室、その天井近くを漂いながら、病床で小さく丸まる礼司を見つめていた。髪は真っ白になり、体は骨と皮ばかりになるほど痩せ細っている。それでも手には、ウェディングフォトを強く握りしめていた。写真の中の礼司はあんなにも幸せそうに笑っている。そして隣にいる私は馬鹿みたいに優しい目で彼を見つめていた。「美羽……ひなた……」また私たちの名前を呼んでいる。この三か月、私は礼司が日に日に弱っていく姿を見続けてきた。胃がんは容赦なく彼の体を蝕み、もう以前の面影すらほとんど残っていない。だが礼司を本当に殺しているのは病気ではないように思えた。記憶だ。吐くたびに礼司は泣いた。意識を失うように眠るたび、ひなたの名前を呼んだ。夜中に突然目を覚ますと、鉄格子の向こうに浮かぶ月へ手を伸ばすこともあった。まるでそうすれば失った何かをつかみ取れるとでも思っているように。刑務官の話では、礼司はよく紙に何かを書き続け、翌朝になるとすべて破り捨ててしまうらしい。何を書いているのかは、誰も知らなかった。でも私は知っていた。礼司はただ、ごめんなさい、とその言葉を書いていた。何度も。何度も。悠人が面会に来た日、私は礼司のすぐ後ろに漂っていた。「後悔してるか?」悠人が尋ねた。その瞬間、礼司の背中が電気に打たれたように震えた。ガラスに触れた指先から汗が滲み、喉からは壊れかけた機械のような、掠れた呼吸音が漏れている。「俺……夢を見るんだ……毎晩……ひなたがワンピースを着て……俺のことを、パパって呼ぶんだ……」涙が面会台にぽたぽたと落ちた。礼司は子どものように袖で拭う。だが拭けば拭くほど涙は溢れてきた。「俺はひなたを……俺たちの娘を……あのガキって呼んだ……俺なんかが……父親でいる資格なんて……あるわけない……」激しい痛みと罪悪感に耐えきれなくなったのか、礼司は突然、ガラスに何度も頭を打ちつけ始めた。刑務官たちが駆け込んできて、必死に礼司を押さえつける。その中で礼司は最後に悠人へ向かって
礼司は玲奈を地下室に閉じ込めた。そこは湿気を含んだ冷たい空気に満ち、血の生臭さと腐ったような臭いが入り混じっていた。礼司は木製の椅子に腰かけ、肘掛けを指先でゆっくりと叩きながら、床にうずくまる女を冷たい目で見下ろしていた。玲奈はもう見る影もなかった。指は一本ずつ折られ、爪の隙間には細い針が何本も刺さっている。顔にも乾いた血がこびりつき、唇は裂け、喉からは掠れた呻き声しか出てこない。まるで、あの頃の私のように。「礼司……お願い……もう、許して……」地獄の底から絞り出したような声だった。死を目前にした絶望が滲んでいる。礼司は少し考えるような素振りを見せると、ふいに笑った。「許す?」椅子から立ち上がり、一歩ずつ玲奈へ近づいていく。逃げ場などないと告げるような、重い威圧感をまとっていた。「じゃあ、お前は美羽を許したのか?ひなたを見逃してやったのか?」玲奈は全身を震わせた。涙と血が混じり合い、頬を伝っていく。「ごめんなさい……本当にごめんなさい……怖かっただけなの……刑務所に入りたくなかったの……」礼司は玲奈の前にしゃがみ込むと、その髪を乱暴につかみ、無理やり顔を上げさせた。「怖かった?」まるで子どもをあやすような優しい声だった。だがその瞳には何の感情もなかった。「じゃあ、美羽が刑務所で毎日どんな思いをしてたか、お前は知ってるのか?ひなたが車に撥ね飛ばされたとき、どれだけ痛かったと思う?」玲奈の瞳が大きく揺れた。必死に首を横に振る。「私だけのせいじゃない!美羽さんに罪をかぶせたのはあんたでしょ!ひなたちゃんを自分の子じゃないって突き放したのもあんたじゃない!なんで全部、私のせいにするのよ!」礼司の手に力がこもった。爪が玲奈の頭皮に食い込む。「そうだな。俺が馬鹿だった。だから美羽もひなたも失った。それは俺が受けるべき報いだ。でも、お前は……」礼司は突然玲奈の髪から手を離し、立ち上がった。そして傍らのテーブルから一本のナイフを手に取った。「生きていていい人間じゃない」玲奈は完全に取り乱した。必死に床を這いながら泣き叫ぶ。「違う!全部私のせいじゃない!美羽さんに身代わりをさせたのはあんたでしょ!自分の娘を捨てたのもあんたじゃない!どうして私だけがこんな目に遭わなきゃいけないの?礼
判決が言い渡される瞬間、法廷は異様なほど静まり返っていた。「主要な容疑については証拠不十分により無罪。被告人、篠原玲奈を釈放する。なお、関連する違反について罰金百万円を科す」判決が下された瞬間、悠人が勢いよく立ち上がった。顔は怒りで青ざめている。礼司を睨みつけるその目には、今にもすべてを焼き尽くしそうなほどの怒りが宿っていた。「お前、自分の娘が殺されたのに、それでもどうでもいいのか!」礼司は席に座ったまま、何も答えなかった。勝った。玲奈を守るために礼司が用意した道筋は完璧だった。けれどその代わり彼自身は何もかも失った。法廷を出ると、玲奈が満面の笑みで駆け寄ってきた。そのまま勢いよく礼司に抱きつく。「礼司!やったね!私たちの勝ちだよ!礼司なら絶対に助けてくれるって信じてた!」礼司はゆっくりと玲奈を引き離した。その顔には、何の表情も浮かんでいない。玲奈は一瞬きょとんとしたものの、すぐに笑顔を作った。「どうしたの?疲れた?じゃあ、ご飯でも食べに……」「玲奈、お前、ひなたが俺の娘だって、最初から知ってたのか?」声はとても静かだった。けれどその一言に、玲奈の笑顔が凍りついた。「礼司、何言ってるの?私……」「お前は昔、病気になんてなってなかった。ギャンブルで借金を作って、取り立てから逃げるために海外へ行った。最初から最後まで、全部俺を騙してたんだろ?」玲奈の瞳が大きく揺れた。それでもすぐに無理やり笑みを浮かべる。「礼司、今日どうしたの?誰かに変なこと吹き込まれたんじゃない?私がそんなことするわけ……」「全部知ってるんだよ!」礼司は玲奈をまっすぐ見据え、一言ずつ噛みしめるように言った。今度こそ玲奈の顔色が完全に変わった。一歩後ずさり、震える声で訴える。「礼司、話を聞いて。あれは事故だったの!それに……私だって、あの子が礼司の娘だなんて知らなかった!私はてっきり……」「知ってただろ」礼司が遮った。そして突然笑った。見ているこちらがぞっとするような笑みだった。「お前は、ずっと知ってた」ついに玲奈の仮面が剥がれ落ちた。怯えていた表情が、一気に醜く歪む。まだ言い逃れをしようとしていたようだが、すべてを見透かすような礼司の目を見て、とうとう開き直った。「そうよ!知ってた!だから何
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