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第二段階その2

last update Date de publication: 2025-07-01 21:39:16

 頭の中に浮かんだのは、しわくちゃのおばあちゃんの顔だった。

 脳裏にひらめく海、貝殻、空、青色の絵具、美しい絵画、お気に入りの筆、綺麗な景色……

 気心の知れた数少ない友達、ネモフィラの花、それからチーズとソーセージ。

 ……すべて僕の好きなものや、お気に入りの人や場所だ。

「おばあちゃん……」

 僕のおばあちゃんは二ヶ月ほど前に死んだ。見つかった時には既に末期ガンで、余命三ヶ月と宣告された。

 僕はバイトや絵の仕事の合間をぬって、おばあちゃんに会うために病院に通った。

 両親共に仕事が好きで、よくおばあちゃんの家に預けられていた子どもだったから、大人になった今でもおばあちゃんっ子な自覚がある。

 おばあちゃんは僕にとって、とても安心できる大好きな人だった。

 バイトではじめてお金を稼いだ時も、両親よりも先におばあちゃんへのプレゼントを買ったくらいだ。

 とても穏やかで優しくて、僕を一番大切にしてくれる人だった。

 そんなおばあちゃんが、死ぬ間際に……あれ、なんだっけ。そこから先がどうしても思いだせない。

「拓海? ぼーっとしてるけど平気か?」

「あ、ごめん」

「いいけどさ。俺がいるのに、他の人のことなんて考えないでくれよ」

 カエンは脱力している俺の体にのしかかり、ぎゅーっと抱きしめた。少し重い……

 我ながらキスをした後に別の人のことを考えるのは酷いなと思ったので、ぼやくのはやめて抱きしめ返した。

「……もう大丈夫、いろいろ思いだしただけ」

「おばあちゃんのこと?」

「そう。あと好きな物とか、人とか」

「ふぅん」

 カエンは興味なさそうに呟いた。なんでだろう、協力してくれたのに、全然興味がなさそうだ。

「俺の言ったとおり、青色が好きだっただろ?」

「え? ああ、そうだね」

 確かにそうだった。思いだした綺麗な景色や絵画は、大体が青色の海だったり空だったり、緑が美しい風景だった。

 あとはそう、さっきの丘に咲いていた、ネモフィラの花を題材にしたものもあった。

 僕は風景画を専門に描いていたらしい。

 僕の返事を聞いて、カエンは青い目を細めて微笑んだ。

 カエンの青も好きだ。瞳は海のようだし、髪の水色はネモフィラの花と同じ色をしている。

 ネモフィラはおばあちゃんが好きだった花で、彼女が亡くなる前年まで、シーズンになるたびに花を見に誘っていた。

 一面の青と、それを目にして喜ぶおばあちゃんの笑顔を見ると、僕まで嬉しくなったものだった。

「拓海、疲れただろ? いったん休憩しよう。いきなりいろいろ思いだしても混乱するだけだと思うし、ゆっくりいこうな」

「そう? ……わかった」

 あんな気持ちのいいことなら、少しと言わずもっと続けてもらってもいいのだけれど、確かに体も頭も疲れている。

 カエンが体を起こしてベッドから降りる。僕も起きあがった。

 外を見ると日が暮れてきていた。びゅうびゅうと風が吹いているようだ。木々のざわめく音が頭上から聞こえてくる。

「夕方が過ぎたら、あまり外に出ない方がいいぞ。特に丘の方は強風が吹くんだ。崖もあるし危ないから、丘の方には一人で行くなよ」

「わかった。丘って、さっき歩いてきた花畑の方であってる?」

「そうそう、それな」

 窓ガラスに触れてみる。暮らしぶりも家もとても古風なのに、ガラスは現代の物と遜色なく精巧で、つるりとしている。

 窓には平凡な容姿をした若い男が映っていた。ああ、僕か。こんな顔をしていたっけ、そういえば。

 よく言えば優しそう、悪く言えば凡庸で気弱そうな顔立ちだ。

 髪は肩近くまで伸びていて、茶色く染めた部分より上は黒髪だ。五センチくらいプリン状態になっていてみっともない。

「ねえカエン、髪を切りたいんだけれど」

「その前にこれ着て」

「わぷっ」

 なにやらごそごそとタンスを物色していたカエンが、服を投げてよこした。

 黒いTシャツに文句も言わず袖を通す。やっぱりちょっとサイズが大きい。

 下着とパンツも身につけた頃には、カエンは隣の部屋で料理をしていた。ランプが居間を明るく照らしている。

 彼は火がついたかまどの前に立って、フライパンでなにかを調理している。卵料理のようだ。

 フッとかまどの火が消えて、皿に卵が盛りつけられた。今まで明々と燃えていたのに、かまどの火ってそんな急に消えるものだっけ……

 違和感を覚えるけれど、かまどなんて扱ったことがないから普通がわからない。

「はい、どーぞ」

 スクランブルエッグとトースト、それとサラダらしき野菜が皿に乗っていた。いつの間にやら、ケチャップまで卵にかかっている。

「ありがとう……食べていいんだよね? いただきます」

「召しあがれ」

 カエンは僕が食べる様子をニコニコしながら見つめている。一口食べると、彼も自分の皿を持って席についた。

 ふわふわの卵とシャキシャキのレタスが美味しい。こんな朝食みたいなメニューでお腹が膨れるのか疑問だったけれど、食べ終わる頃には満腹になっていた。

「ごちそうさま」

「美味かった?」

「うん」

「そりゃよかった」

 見ればカエンの皿も空になっている。彼は立ち上がると皿を洗いだした。

「僕がやるよ」

「いいから座ってな」

 カエンは手際よく皿の汚れを落として、桶の水で流している……ないのか、水道。

 手持ち無沙汰な僕は窓の外を見た。ごおごおと風の音がする。木々に遮られて月の光も星の明かりも届いていない、完全に真っ暗だ。

「……」

 家の中は別世界のように凪いでいた。まるで別の空間に閉じこめられているような。

「どうした、拓海」

「いや、ランプが明るいなって思って」

 電球みたいに明るいのに、ろうそくのように揺らぐ光を見ていると、だんだん目の前がぼやけてくる。

「……?」

「拓海? 疲れたのか? もう寝よう。ベッドに運ぶぞ」

 なにかがおかしい、おかしいはずなのに、なにがおかしいのかよくわからない。頭がボーッとする。

 力の抜けた体をひょいと抱き上げたカエンは、僕を寝室まで運んだ。

 鳥の雛に触れるような柔らかさで、僕の額にバードキスを落としたカエンは、慈しむように微笑んだ。

「おやすみ、拓海。安心して、明日はまだ俺のことを覚えているから」

 そっと目蓋を包むかのように大きな手のひらで包まれて、僕はすとんと眠りに落ちた。

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