「ゼノン、アレクと準聖騎士さんも。大丈夫かな……」
村に到着して三日目、私は毒を受けた人々の治療を続けている。
魔力を通した薬草の効果はある程度出て、みな意識を取り戻した。 横になったままの母親に、小さい女の子が取りすがってわんわん泣いている。お母さんはその子の背中をぎこちなく撫でている。 まだ麻痺が残っているのだ。「襲ってきた魔物の姿を、覚えていますか?」
私の問いに、患者たちはみな首を横に振った。
「急に、後ろから、襲われて」
「お役に立てず……すみません」
患者たちが回らない舌で言う。
「いえ、いいんです。ただ、皆さんに共通する傷。これって刺し傷ですよね」
ほとんどの人は背中に刺し傷があった。太い針を刺したような傷だ。
予想される魔物は巨大蜂などだが、それなら誰も気づかないわけがない。あいつら、ブンブンすごい羽音で飛び回るから。薬の投与と魔力の循環で、患者たちの容態はだんだん良くなっている。
この調子であれば、あと一週間もすれば立って歩けるようになるだろう。 魔物の討伐はゼノンたちを信じるしかない。 私はできることやろう。++++【ゼノン視点】エリーさんを村に残して、僕たちは山へと分け入った。
出発前にエリーさんと話したが、「大丈夫。毒とか薬草とかは得意なの。必ず患者さんを助けるから、ゼノンは気を付けて行ってきてね」と言っていた。 彼女はやはりすごい人だ。期待を裏切らないよう、きっちりと魔物を始末しな朝になってゼノンが迎えに来てくれた。 兄が挨拶するとうるさかったが、ゼノンを煩わせたくない。サンドイッチを対価に部屋から出ないでもらった。 二年前と同じ道を二人で歩いていく。 今日もよく晴れた日で、見事な朝焼けが空を染めていた。「僕は昔、夕焼けよりも朝焼けが好きでした。夜の闇が朝の明るい光で払われて、それが安心できて」 ゼノンが言う。「けど今は、夕焼けも好きです。昼の時間の最後はエリーさんの髪の色。それを僕の闇色が覆い隠していくようで……」「ふふっ。闇属性の理解に役立てたみたいで、良かったよ」 私が答えると、ゼノンは「そういうことじゃないのに。相変わらず手強いなぁ」と呟いていた。 道中は二年間の思い出を話しながら歩いた。この二年半、いろんなことがあった。 話は尽きなくて、気がつけば湖の近くまでやって来ていた。「あのカエル、今も岩場にいるのでしょうか」「どうだろ、もう秋だから。そろそろ冬眠の準備をしているかもしれないね」 湖の周囲の森は紅葉で色づいて、とてもきれいだった。 静かな湖面に赤や黄色の木々が映り込んで、まるで絵画のようだ。 でも、そんな光景よりも。私は隣に立つゼノンを見る。 彼こそが芸術品のように美しいと思う。 少し伸びた黒髪は頬を流れて、整った横顔を際立たせている。 間近に見上げるまつ毛はとても長く、冬空の青い瞳を縁取っている。 原作の漫画よりも、アニメよりも。 生身の彼は生き生きとして美しい。 何よりも瞳に生気が灯っている。息遣いが感じられる。 ふと、湖面を眺めていたゼノンがこちらを見た。 すぐ近くでぶつかった視線に、私は照れて目をそらす。「秋の光景は美しいけれど」 ゼノンは淡く微笑んだ。「エリーさんの美しさには及びません」「そんな、言いすぎでしょ。私は平凡な見た目で、別にこれと言ってきれいでもないし」「僕はエリーさんがこの世
約束の日。 私は前日ぜんぜん眠れなくて、結局夜中から起き出してサンドイッチを作った。「エリー? こんな夜中に何をやっているんだい?」 寝ぼけまなこの兄がキッチンに顔を出した。「明日、お出かけするの。だからお弁当作ってるのよ」「……ゼノン様か」 兄はため息をついた。 私とゼノンは以前はよく一緒に出歩いていたし、任務で組んだこともある。担当の訓練官でもある。いろいろ噂になっているのは知っていた。 実際は全く違うのだが噂は否定したところで消えてくれない。ゼノンと相談した結果、放っておくことにしたのだ。「そうよ、悪い? あの人は今まで一人で頑張ってきたから、姉みたいに甘えられる相手が欲しいの。聖騎士様の心の安定のためだもの、別にいいでしょ」 なぜだか喧嘩腰になってしまった私に、兄はもう一度ため息をついた。「姉みたいに、ね。俺が言うのも何だが、あまり、その……勘違いをしてやるなよ」「何、それ?」「俺の口からは言いたくない。本人にちゃんと聞きなさい。……さて、もう一度寝てくる。おやすみ」「……おやすみ」 兄は引っ込んだ、と思ったらまた顔を出した。「ところで、サンドイッチ。俺の分も作ってもらえないかな? エリーのサンドイッチはおいしくて、食べると力が出るから」「はいはい。ハム多めで作っておくから」「ありがとう、エリー! 大好き!」 兄ががばっと抱きついてきたので、調理をしている手をバンザイして避けた。「もう、やめてよ!」「俺のかわいいエリー! 兄さんはいつだって味方だからな」 兄がやっと離れていったので、やれやれと肩をすくめる。 アレも一応は異性だけど、さすがに全くドキドキはしない。家族だから当たり前だ。 けど、ゼノンは……。 私は最初から彼にときめいていた。だって
山の村の魔獣退治からまた少しの時間が経過した。 私は魔術棟の自分の席に座って、今の状況をぼんやりと考える。 闇の魔力を使いこなすようになったゼノンは、年上の聖騎士たちよりもさらに実力を上げていった。 それに触発されたのだろう、アレクもどんどん強くなっていく。 各地の魔物討伐で実戦をこなしていくうちに、彼らは十七歳にして『神皇国の双璧』と呼ばれるようになっていた。 魔術士や一般人の女子はみんなゼノンもしくはアレクのファンで、彼らはいつも女の子に囲まれている。 アレクは愛想よく対応しているが、ゼノンはいつも迷惑そうだ。「せっかくモテているんだから、恋人を作ったら?」 と私が言うと、ゼノンは苦虫を噛み潰したような顔で、「前にも言いましたよね。僕の大事な人はたった一人だけなんです」 と答えていた。どこまでも一途な人である。 神皇国の双璧の称号は原作の漫画でも語られていた。 けれどあくまでアレクが一枚上手で、ゼノンが二番手だったはずだ。 原作のゼノンは闇落ちするまで、闇属性を発動させられなかった。氷属性もオーバーキルが多くて熟練度は高くない印象だった。 けれど今は違う。 アレクとゼノンに差はなく、彼らは心からのライバルだ。 一つだけ気になるのは、女神様との関係。 一介の下級魔術士にすぎない私では、女神様と接する機会があまりない。 けれど遠目に言葉を賜るたび、お姿を見かけるたび、神威に打たれるような気持ちになる。 原作のゼノンの陰が濃くなったのも、女神が降臨して以降だった。 女の私ですら女神様に惹かれるのだから、男性であれば言わずもがな。 けれど原作のことを考えれば、女神様はアレクを選ぶ可能性が高い。 その時、ゼノンは……。 彼の言う『大事な人』はきっと……。「あぁ、やめやめ!」 私は思わず大声を出して、隣の席の同僚がビクッとした。うん、ごめん。「私
森の中をゼノンは疾駆する。 エリーの無事を祈りながら、無力な自分を恨みながら。(このままでは間に合わない。もっと早く。もっと!) 木々の切れ目から見えるのは、夕焼けの赤。いつもは美しいそれは、今は不吉の色に見える。 空の端が紺色に染まり始めている。夜が迫っている。 夕焼けの紅色に夜の闇色。 地を駆けるゼノンの足が、ふと宙に浮いた。走る勢いをそのままにさらに速度を上げて。 夕焼けの空が近い。夜の闇が手の届きそうなほどすぐそばにある。 ばさりと羽ばたきの音がする。闇色の翼が背中にある。 必死で進むゼノンは、その自覚すらないまま。 素晴らしいスピードで空を飛駆け抜けていった。++++ 目を閉じた暗闇の中で、苦痛も衝撃もいつまで経ってもやって来ない。 いぶかしく思ってそっとまぶたを開けてみると、真っ暗だった。 今は夕暮れだったはずなのに。もしかしたら、気づかないうちに死んでしまったのかもしれなかった。 けれど、違った。 真っ暗なのは、漆黒の何かが目の前に広がっているからだ。 暮れなずむ夕闇の、静かな夜のとばりと同じ色。 星の光を微かに内包する美しい黒が、私の前に広がっている。 巨大な翼として、私を守ってくれている。「エリーさん。無事ですか」 闇の向こうから声がした。聞き慣れた大好きなゼノンの声。「うん。私は大丈夫」「良かった。すぐ、この化け物を始末しますから」 闇がひるがえった。 開けた視界の向こうには、毒尾を切り下ろされた魔獣の姿。苦痛と屈辱に怒り狂っている。 ゼノンは闇の翼を羽ばたかせ、一気に魔獣へと肉薄した。 そして剣の一振りで、魔獣の首を落とした。鮮やかな一撃だった。 首はどす黒い血を撒き散らしながら地面に落ちる。 ゼノンは地魔法で穴を作り、魔獣の死体を落とした。少し離れた場所に落ちていた尾も蹴り入れる。
【エリー視点】 ゼノンたちが山に入ってから、もう丸一日以上が経過している。 まだ戻ってこないということは、魔獣が見つからないのだろう。 返り討ちにされてしまった……とは考えない。だって彼らは若いとはいえ優秀な聖騎士。生半可な魔物に負けるはずがない。「手持ちの薬草が少なくなってしまいました。皇都から取り寄せますが、もしオウキやセリカがあれば、代用品になるんですが」 私は一般的な解毒の薬草の名前を挙げた。 村の薬師の女性がうなずく。「オウキでしたら、村の裏に生えています。森に入る手前の場所です」「少しもらっていいですか?」「もちろん」 魔獣が心配だったけど、森に入らなければ危険は低いだろう。 私と薬師は連れ立って、オウキが生えている場所に行った。 時間はもう夕暮れ時。さっさとやらないと暗くなってしまう。 村を出ると、森の手前にオウキがたくさん生えていた。 高さ一メートルくらいの草で、てっぺんに赤い実がついている。オウキで間違いない。 薬になるのは実の部分だ。私は手を伸ばして実を摘んで、カゴに入れた。「うん、このくらいでいいかな。薬師さん、帰りましょうか。……薬師さん?」 振り返えると、つい先程までそばにいた薬師の姿がない。 周りの草は一メートル程度なので、姿が隠れるほどでもないのに。 首をかしげていると、ガサリと草を分ける音がした。「薬師さん、そこにいたんですね。もう十分なので帰――」 言葉は途中で途切れた。 ほんの四、五メートルほど向こうにいるのは、薬師ではない。 醜く皺深い老人のような顔。 黄ばんで不潔な白髪。 獣の身体と折りたたまれた翼……そして、巨大なサソリの尾。 どさり。 サソリの尾に貫かれていた薬師が地面に落ちた。 毒が回ってしまったのだろう、激しく痙攣している。 まずい、あの
【三人称】 マンティコアは心の底から怒っていた。 彼は冥府の神のしもべであるが、常に命令を聞いて動いているわけではない。 今回は住むのにいい場所を探して、この山にたどり着いただけだった。 女神と聖騎士の本拠地に近いのは知っていたが、危険が迫ればすぐに逃げる予定だったのだ。 それが人間をほんの十数人ばかり襲っただけで、さっそく聖騎士が来てしまった。 けれどその聖騎士たちはまだ若く、ほとんど子どものようだったので、返り討ちにできるとマンティコアは考えた。 夜を待って襲撃するつもりが、先手を取られた。 洞穴は深く複雑に絡み合っている。出入り口も複数ある。いつでも逃げられるはずだったのに、いつの間にか出口を塞がれていた。 逃げ道を絶たれて火花を投げ入れられ、たまらず飛び出してしまったのだ。 だが、それでもマンティコアは優位を確信している。 彼には翼がある。地べたを這いずるしかない人間とは違うのだ。 案の定、聖騎士たちは中途半端な魔法を撃ってくるだけで、マンティコアに傷をつけられないでいた。『次は毒の魔法でいくか。弱らせて食ってやる』 マンティコアは聖騎士の肉の味を想像して舌なめずりをした。 と。 聖騎士の一人、金の髪の少年が剣を構えた。届きもしないのに、マンティコアは鼻で笑う。 ところが次の瞬間、少年は宙を駆け上がる。 あっという間にマンティコアに肉薄した。『な、なんだと……!』 見れば少年の足元に、きらきらと輝く氷の足場がいくつも生まれていた。 それは夕焼けを反射して、まるで血の色のように美しく光る。 足場は少年の動きに合わせて、自由自在に組み立てられて行く。まるで彼の意思を汲み取ったかのように。 反射的に地面を見れば、黒髪の少年が氷の魔力を操っていた。「たあっ!」 少年――アレクが振るった剣を、魔獣はかろうじて回避した。けれど避けきれず、胴体の側面に一筋の血が走る。 その傷は浅いはずなのに、