แชร์

第12話 凍てつく心 - 2

ผู้เขียน: 霜月イヅミ
last update ปรับปรุงล่าสุด: 2025-08-13 20:44:27

生きる。

 母との約束を胸に、セレスティナの中でその決意が確かな形を結んでから、彼女の世界を見る目は変わった。辺境の冬は依然として猛威を振るい、飢えと寒さが絶えず命を脅かす。だが、彼女はもはや、それをただ受け入れるだけの無力な人形ではなかった。その瞳には、かつて書物を読み解いていた時と同じ、鋭い観察力と分析の光が戻っていた。

 彼女の視線は、この極限の環境下で生きる人々の、些細な知恵や工夫を拾い集める。どの家の壁が風を防ぎ、どの道の窪みに雪解け水が溜まるのか。誰が一番丈夫な体力を持ち、誰が咳をこじらせ始めているのか。すべてを記憶し、分析する。それは、この過酷な現実という名の書物を、必死に読み解く作業に他ならなかった。

 そんなある日の午後、作業の合間のわずかな休息時間だった。

 追放者たちは、雪に覆われた瓦礫の山に身を寄せ合い、冷たい風から少しでも身を守ろうとしていた。あちこちから、乾いた咳の音が聞こえてくる。それは、この冬を越せずに命を落としていく者たちの、不吉な前奏曲のようだった。

 セレスティナの隣に座っていたのは、まだ若い娘だった。彼女は数日前からひどい咳に悩まされており、その顔色は青白く、呼吸も浅い。娘は、激しく咳き込んだ後、ぜいぜいと苦しげな息をつきながら、地面の雪を掴んで口に含んだ。

「やめなさい」

 不意に、隣から静かだが、凛とした声がした。

 娘が驚いて顔を上げると、そこにいたのは「人形令嬢」と呼ばれていたセレスティナだった。彼女が言葉を発するのを、この町の誰もが初めて聞いた。

 セレスティナは、娘の行動を制止しながら続けた。

「体を冷やすだけです。それに、その雪には何が含まれているか分からない」

 その声には、不思議な説得力があった。娘は、言われるがままに、口に含んだ雪を吐き出す。

 セレスティナは、自分のなけなしの配給である、錆びた器に入った白湯を娘に差し出した。

「これを少しずつ飲みなさい。気休めにしかなりませんが、雪よりはいい」

「あ、あんた…」

 娘は戸惑いながらも、その白湯を受け取った。温かいとは言えない液体が喉を通ると、少しだけ呼吸が楽になった気がした。

 周囲でその光景を見ていた他の追放者たちも、驚きの目でセレスティナを見ていた。「人形」が喋った。その事実だけで、彼らにとっては大きな出来事だった。

 セレスティナは、娘の様子を注意深く観察していた。熱に浮かされた潤んだ瞳、乾いた唇、そして時折胸を押さえる仕草。典型的な、体を冷やしたことによる気管支の炎症だ。王都にいれば、滋養のある食事と温かい寝床、そして簡単な薬草で、数日で回復する程度の病。だが、この場所では、それが死に直結する。

 彼女の脳裏に、父と共に手入れをした、アルトマイヤー公爵邸の広大な薬草園の光景が蘇る。カモミール、ミント、そしてリリア草。それぞれの薬草の効能が、鮮明に思い出された。

 (もし、ここに薬草があれば…)

 そう思った瞬間、彼女の思考は閃光のように一つの可能性に突き当たった。

 この辺境は、不毛の地だ。だが、不毛の地にも、そこに適応した植物は生えているはず。貴族の庭園で栽培されるような華やかな薬草はなくとも、民間療法で使われるような、生命力の強い薬草がどこかに自生しているのではないか。

 彼女は立ち上がると、作業場の周囲を見回した。雪に覆われてはいるが、ところどころ、枯れ木や岩陰から、植物の残骸のようなものが顔を覗かせている。

 彼女は、監督役人の目を盗み、その一つに近づいた。

 雪を払いのけると、そこにあったのは、硬い茎を持つ、見慣れない植物の枯れ枝だった。だが、その枝を折り、鼻に近づけると、かすかに独特の匂いがした。それは、彼女が書物で知っていた、ある薬草の特徴と一致していた。

 サルビアの近縁種。鎮咳作用と、弱い抗菌作用を持つ。こんなものでは気休めにしかならないかもしれない。だが、何もしないよりはましだ。

 彼女は、その枯れ枝を数本、囚人服の袖に隠した。

 その日の作業が終わり、廃屋に戻ったセレスティナは、早速行動に移した。

 まず、配給された黒パンを少しだけ水で湿らせ、柔らかくする。そして、拾ってきた枯れ枝を石で細かく砕き、その粉をパンに混ぜ込んだ。さらに、それを火を起こすこともできない廃屋の中で、自分の体温で必死に温めた。

 しばらくして、彼女はそれを持って、昼間の娘がいるというあばら家を訪ねた。

 娘は、汚れた藁の上に横たわり、苦しげな息を繰り返していた。セレスティナが無言で中に入ってくると、娘は怯えたような、しかしどこか期待するような目で彼女を見つめる。

 セレスティナは娘のそばに膝をつくと、薬草を混ぜたパンを差し出した。

「これを、少しずつお食べなさい。薬と呼べるようなものではありませんが、何もしないよりは良いはずです」

 娘は、言われるがままに、それをゆっくりと口に運んだ。独特の苦味と香りが口に広がったが、不思議と不快ではなかった。そして、それを作ってくれたセレスティナの、真剣なすみれ色の瞳を見ていると、それだけで病が癒されるような気さえした。

 セレスティナは、娘がそれを食べ終わるのを見届けると、今度は自分のぼろぼろの服の裾を裂き、水で湿らせた。そして、熱で汗ばむ娘の額を、優しく拭ってやる。

 その手つきは、かつて母が病気の自分にしてくれたものと、全く同じだった。

 娘の瞳から、涙がこぼれた。それは、病の苦しさからではなく、生まれて初めて受けた、見返りを求めない純粋な優しさに対する、感謝の涙だった。

 セレスティナは何も言わず、ただ静かに、娘のそばに座っていた。

 翌日、娘の咳は、驚くほど軽くなっていた。

 もちろん、セレスティナの作った即席の薬の効果だけではないだろう。それ以上に、彼女の看病が、娘の心に生きる希望を与えたからに違いなかった。

 この出来事は、瞬く間に追放者たちの間に広まった。

 「人形令嬢が、薬草で病人を治した」

 噂は尾ひれがついて、まるでセレスティナが奇跡を起こしたかのように語られた。これまで彼女を気味悪がっていた者たちも、今度は藁にもすがる思いで、彼女の元へ助けを求めに来るようになった。

「頼む、お嬢様。うちの亭主も咳が止まらねえんだ」

「子供が熱を出していて…何か、何か薬になるものはないだろうか」

 セレスティナは、その一人一人に、冷静に対応した。彼女は魔法使いではない。できることには限りがある。だが、彼女は持てる知識のすべてを総動員した。

 彼女は、日々の労働の合間に、雪の下から薬草を探し出した。鎮咳作用のあるもの、解熱作用のあるもの、滋養強壮に繋がる植物の根。それらを、それぞれの症状に合わせて調合し、人々に与えた。

 彼女の行動は、中央の役人たちの目には、奇妙なままごと遊びのようにしか映らなかっただろう。彼らは、追放者たちが何人死のうと意に介さない。むしろ、厄介者が減ってせいせいするとさえ思っている。

 だが、セレスティナの行動は、確実に、この灰色の町に変化をもたらしていた。

 それは、病が治るという物理的な効果だけではない。

 絶望し、互いに無関心だった人々が、セレスティナという存在を中心に、再び繋がり始めたのだ。人々は、薬草探しのための情報を交換し、乏しい食料を病人に分け与え、互いの体を温め合うようになった。

 彼女は、薬草の知識で人々を癒しただけではない。凍てついていた人々の心を、その行動で溶かし始めたのだ。

 Side: ライナス

 辺境伯の執務室の窓から、ライナスは雪に覆われた町を眺めていた。その金色の瞳は、猛禽類のように鋭く、町の隅々までを見通しているかのようだ。

 彼の側近である、ギデオンが報告書を手に部屋へ入ってきた。

「閣下。中央から派遣されている役人どもの、不正の証拠がまた一つ上がりました。やはり、奴らは冬の備蓄物資を横流しし、私腹を肥やしているようです」

 ギデオンは、苦々しげに言った。彼は、ライナスが傭兵だった頃からの腹心であり、鉄狼団の副長でもある。主君と同じく、中央貴族の腐敗を心の底から憎んでいた。

「だろうな」

 ライナスは、短く応じた。その声に、驚きはない。

「泳がせておけ。奴らの悪行は、いずれまとめて断罪する。今はまだ、その時ではない」

「はっ。しかし、このままでは町の者たちが…」

「分かっている」

 ライナスは、ギデオンの言葉を遮った。彼の視線は、町の追放者たちが暮らす、最も貧しい地区に向けられている。

「だが、面白い報告も上がってきているな」

「と、申しますと?」

「『人形令嬢』の話だ」

 ライナスの口の端に、かすかな笑みが浮かんだ。それは、彼が滅多に見せない表情だった。

「あのアルトマイヤーの娘が、薬草で病人を手当てしている、と。追放者たちの間で、『聖女』とまで呼ばれ始めているらしいじゃないか」

「はあ…私も耳にはしておりますが。所詮は素人療法。気休めにしかならないかと…」

「気休めで結構だ」

 ライナスは、きっぱりと言った。

「この町で今、最も必要なのは薬じゃない。生きる希望だ。あの女は、それを与えている。俺たちが武力で築こうとしている秩序とは、別のやり方でな」

 彼は、初めてセレスティナに出会った時のことを思い出していた。

 私兵に襲われ、泥にまみれ、絶望の淵にいながら、その瞳の奥の光だけは失っていなかった娘。彼女が、ただの没落令嬢ではないことを、彼は最初から見抜いていた。

 だからこそ、彼は彼女をあえて追放者たちの元に置いた。城で手厚く保護するのは簡単だ。だが、それでは彼女は、ただ守られるだけの、か弱い白百合のままで終わってしまう。

 彼は、彼女自身の力で、その過酷な運命を乗り越えることを期待していた。彼女の持つ知識と、その気高い魂が、この絶望の地でどのように輝くのかを、試していたのだ。

 そして今、彼女は、彼の期待を遥かに超える形で、その力を発揮し始めている。

「ギデオン」

「はっ」

「例の件、そろそろ潮時かもしれんな」

「!…かしこまりました。すぐに準備を」

 ギデオンは、主の意図を正確に理解し、一礼して部屋を出て行った。

 一人残されたライナスは、再び窓の外に視線を戻す。

 吹雪の向こう、小さな廃屋が立ち並ぶ一角。そこに、彼の心を捉えて離さない、気高い白百合がいる。

(セレスティナ・アルトマイヤー。お前という女は、俺の想像以上に面白い)

 彼の金色の瞳が、獲物を見つけた狼のように、鋭く、そしてどこか楽しげに細められた。

 二人の運命が、再び交差する時は、もう間近に迫っていた。

อ่านหนังสือเล่มนี้ต่อได้ฟรี
สแกนรหัสเพื่อดาวน์โหลดแอป

บทล่าสุด

  • 辺境の狼は、虐げられた白百合を娶る ~没落令嬢と成り上がり英雄の復讐協奏曲~   第120話 辺境の狼は、愛する白百合を永遠に

     春。 辺境の地に、生命が芽吹く季節が訪れた。 長く厳しい冬を乗り越えた大地は、雪解け水で潤い、柔らかな陽光を浴びて一斉に緑の衣をまとう。城壁の向こうに連なる山々の頂にはまだ残雪の白が見えるが、麓の森では鳥たちが愛の歌を競い合い、麓の村々では新しい命の誕生を祝う声が響いていた。 十数年前、この地が中央から見捨てられた絶望の流刑地だったことなど、もはや若い世代の者たちは知らない。彼らにとって辺境とは、王国で最も豊かで、平和で、そして希望に満ちた故郷だった。 その春たけなわのある日、ライナス・アルトマイヤーの一家は、城の南に広がる広大な植物園を散策していた。 ここは、かつてセレスティナが、生きるために、そして人々を救うために、たった一人で始めた小さな薬草園だった場所だ。今では、彼女の知識と領民たちの愛情によって、王都の王立庭園さえも凌ぐほどの、見事な植物の楽園へと姿を変えていた。薬効のあるハーブの区画、色とりどりの花が咲き乱れる花壇、そして遠い国から取り寄せた珍しい果樹が並ぶ果樹園。その全てが完璧に手入れされ、領民たちの憩いの場として、広く開放されている。「お母様、見て! このお花、すみれ色だわ!」 小さな手が、足元に健気に咲く一輪のパンジーを指さした。 その声の主は、エレナ・アルトマイヤー。今年で三つになる、ライナスとセレスティナの長女だ。父親譲りの黒髪は、光に当たると母親の銀髪のようにきらきらと輝き、大きな瞳の色は、父親の金色と母親のすみれ色が混じり合ったような、不思議なヘーゼル色をしていた。 セレスティナは、娘の前に優しく屈み込むと、その柔らかな髪を撫でた。「本当ね、エレナ。とても綺麗。あなたのお兄様が生まれた年に、お母様が初めて植えたお花よ」「へええ」 エレナは、感心したようにその小さな花をじっと見つめている。 少し先では、ライナスと長男のリアムが、何やら真剣な顔で話し込んでいた。 リアムは、今年で八つになった。背はぐんと伸び、顔つきも幼さが抜けて、少年らしい精悍さが備わり始めている。その姿は、若い頃のライナスを彷彿とさせたが、時折見せる思慮深い表情は、母親から受け継いだものだった。

  • 辺境の狼は、虐げられた白百合を娶る ~没落令嬢と成り上がり英雄の復讐協奏曲~   第119話 私たちの協奏曲

     辺境の地に、収穫を祝う季節が巡ってきた。 黄金色に実った麦は刈り取られ、ずっしりと重い果実は籠に満ち、人々の一年の労苦が豊かな恵みとなって結実する。この時期、辺境全土は一年で最も陽気な祝祭の空気に包まれた。 城下町の広場には、巨大な焚き火がいくつも焚かれ、その周りでは老いも若きも関係なく、手を取り合ってダンスの輪が広がっている。楽師たちが奏でる笛や太鼓の軽快なリズム、香ばしい肉の焼ける匂い、そして何よりも、人々の屈託のない笑い声。その全てが混じり合い、生命力に満ちた一つの大きな音楽となって、秋空へと響き渡っていた。 ライナスとセレスティナ、そして息子のリアムもまた、その祝祭の輪の中にいた。 辺境伯夫妻は、もはや民衆にとって遠い存在ではない。ライナスは、鉄狼団の古参兵たちと豪快にエールを酌み交わし、セレスティナは、村の女たちが持ち寄った焼き菓子を「美味しい」と微笑みながら頬張る。「奥方様! このパイは、うちの畑で採れたカボチャなんですよ!」「まあ、素晴らしい。甘くて、太陽の味がしますわね」 そんな気さくなやり取りが、ごく自然に交わされる。 リアムは今年で五つになった。父親譲りの運動神経で、同じ年頃の子供たちと広場を駆け回り、頰をリンゴのように赤く染めている。時折、母親の元へ駆け寄っては、得意げに戦利品の木の実を見せに来た。 その光景は、数年前には誰も想像できなかった、平和そのものの縮図だった。この豊かさと笑顔こそが、ライナスとセレスティナが長い戦いの果てに手に入れた、何よりも尊い宝物だった。 やがて、太陽が西の山脈へと傾き始め、空が燃えるような茜色に染まる頃、祭りの喧騒も少しずつ穏やかになっていった。 ライナスは、人々の輪から少し離れた場所で、妻と息子の姿を静かに見つめていた。その金色の瞳は、いつになく穏やかで、深い思索の色を湛えている。 彼は、セレスティナの元へ歩み寄ると、その耳元で静かに囁いた。「セレスティナ。少し、付き合ってくれないか」「あなた? どこかへ?」「ああ。リアムも一緒に。とっておきの場所がある」 その悪戯っぽい笑みに、セレスティナはすぐに察しがつ

  • 辺境の狼は、虐げられた白百合を娶る ~没落令嬢と成り上がり英雄の復讐協奏曲~   第118話 陽だまりの家族

     王都での激務を終え、辺境に戻ってから、さらに三年という歳月が流れた。 ライナス・アルトマイヤーの名は、今や王国全土に轟いている。若き国王の最も信頼篤い臣下として国政の中枢に関わりながら、彼は決して辺境の主であることを忘れなかった。王都での改革が軌道に乗ると、その後の実務は信頼できる者たちに任せ、自身は愛する妻と民が待つこの土地へと帰還した。 彼の不在中も、辺境はセレスティナとギデオンによって見事に治められ、その豊かさは留まるところを知らなかった。王国に新しい秩序が生まれ、辺境がその礎として確固たる地位を築いた今、かつてのような戦乱の日は遠い昔の物語のように感じられた。 そして、その穏やかな日々の中に、新しい光が一つ、灯っていた。 その日の午後、城の書庫は静かな陽光で満たされていた。 セレスティナは、大きな机に領内の村から届いた陳情書の束を広げ、一本一本丁寧に目を通していた。その横顔は、母親となったことで、かつての凛とした美しさに、さらに深い慈愛と柔和さが加わっている。 ふと、ペンを置いた彼女は、窓の外へと視線を向けた。書庫の窓からは、手入れの行き届いた中庭が一望できる。初夏の風が木々の葉を揺らし、色とりどりの花が陽光を浴びて咲き誇っていた。 その、絵画のように美しい庭の一角に、彼女の愛する二人の姿があった。 夫であるライナスと、彼らの息子。 セレスティナは、思わず笑みを浮かべた。その光景は、彼女がこの世で最も尊いと感じる、陽だまりのような時間の結晶だった。 中庭の芝生の上で、ライナスは屈強な体を小さくかがめ、目の前に立つ小さな男の子と向き合っていた。 男の子の名は、リアム・アルトマイヤー。 今年で四つになる、辺境伯夫妻の待望の長子だ。父親譲りの癖のない黒髪と、母親から受け継いだ澄んだすみれ色の瞳を持っている。その小さな手には、彼のために作られた短い木剣が、少し頼りなげに握られていた。「リアム。剣はそうやって振り回すものではない」 ライナスの声は、軍を指揮する時と同じように低く、厳しい。だが、その声色には、隠しようもない愛情が滲んでいた。「足を開け。腰を落とす。そうだ、もっと

  • 辺境の狼は、虐げられた白百合を娶る ~没落令嬢と成り上がり英雄の復讐協奏曲~   第117話 王国の礎

     辺境の朝は、いつも変わらぬ静けさと共に訪れる。 城壁の向こうに広がる山脈の稜線が、暁の淡い光を浴びて紫水晶のように輝き始める頃、ライナス・アルトマイヤーはすでに馬上の人となっていた。彼の愛馬である漆黒の軍馬は、主の意を汲んでか、土を踏む蹄の音も静かだ。 冷たく澄んだ空気が肺を満たす。この感覚こそが、彼に生きていることを実感させた。 セレスティナと結ばれて五年。辺境は劇的な変化を遂げた。かつて絶望の色に染まっていた大地は、今や王国で最も豊かな土地の一つとして知られている。その変革の中心にいたのは、間違いなくこの二人だった。ライナスの揺るぎない統率力と、セレスティナの深い知識と慈愛。二つの力が完璧に融合した時、奇跡は必然としてこの地に起きたのだ。 日の出前の薄闇の中、ライナスは馬を駆り、広大な麦畑を見下ろす丘の上で足を止めた。眼下に広がるのは、収穫を間近に控えた黄金色の海。風が渡るたびに、さざ波のように穂が揺れる。五年前には、痩せた土地と荒れ果てた村々が広がっていた場所だ。「…見事なものだ」 誰に言うともなく、ライナスは呟いた。その金色の瞳には、戦場で敵を射抜く鋭さとは違う、穏やかで深い満足の色が浮かんでいる。 背後から、もう一頭の馬が静かに近づいてきた。鉄狼団の副長であり、今や辺境の内政を実質的に取り仕切るギデオンだ。「旦那様。そろそろお戻りになりませんと、奥方様がご心配なさいます」「ああ、分かっている」 ライナスは頷き、手綱を返した。彼が辺境の狼と呼ばれた男から、一人の夫、そして父へと変わったことを、ギデオンは誰よりも強く感じていた。 城へ戻ると、セレスティナが玄関ホールで彼を迎えた。彼女はもう、華奢なだけの令嬢ではない。辺境の女主としての気品と落ち着きが、その全身から滲み出ている。「おかえりなさい、あなた。今朝も早かったのですね」「ああ。畑の様子を見てきた。今年の収穫は期待できそうだ」 ライナスは馬から降りると、ごく自然に彼女の腰を抱き寄せ、その額に口づけを落とした。彼らの間では、もう日常となった光景だ。「それより、王都からの急使が参着しております。旦那

  • 辺境の狼は、虐げられた白百合を娶る ~没落令嬢と成り上がり英雄の復讐協奏曲~   第116話 豊穣の大地

     湖畔の樫の木の下で永遠の愛を誓い合ってから、五年という歳月が流れた。  辺境の地は、まるで長い眠りから覚めたかのように、その姿を劇的に変えていた。  かつて、中央から見捨てられた罪人たちの流刑地であり、灰色の絶望が支配していた町は、もうどこにもない。街道は整備され、石畳の道には活気ある人々の声と、荷馬車の車輪の音が陽気に響いている。家々の壁は白く塗り直され、窓辺には色とりどりの花が飾られていた。町の中心を流れる川には、頑丈で美しい石橋が架けられ、子供たちの笑い声が水面に弾ける。  それは、ただ町並みが綺麗になったというだけの変化ではなかった。人々の顔つきそのものが、変わったのだ。誰もがその背筋を伸ばし、自分の仕事に誇りを持ち、明日という日を信じて生きている。その瞳には、かつての諦観の色はなく、自分たちの手で未来を築くのだという、力強い光が宿っていた。  この奇跡のような変化をもたらしたのが、彼らが心から敬愛する辺境伯夫妻、ライナス・アルトマイヤーとセレスティナ・アルトマイヤーであることは、この地に住まう者ならば誰もが知っていた。 その日の午後、セレスティナは簡素な作りの馬車に揺られ、領内の視察に出かけていた。  五年という月日は、彼女にも穏やかな変化をもたらしていた。かつての儚げな少女の面影は薄れ、今は辺境の女主人としての落ち着きと、慈愛に満ちた柔らかな風格が備わっている。銀糸の髪は、今は実務的な三つ編みにまとめられていることが多かったが、その気高さは少しも損なわれてはいない。  最初に訪れたのは、町の東地区に建てられた、領内最大規模の診療所だった。 「奥方様、ようこそお越しくださいました」  白衣をまとった初老の医師が、深々と頭を下げて彼女を迎えた。彼は、セレスティナの呼びかけに応じて、王都からこの辺境の地へやってきた、数少ない良心的な知識人の一人だった。 「変わりはありませんか、先生」 「はい。おかげさまで、皆、健やかに過ごしております。これもひとえに、奥方様がこの地に衛生という概念と、薬草学の知識を広めてくださったおかげです」  診療所の中は、清潔な木の匂いと、薬草を煎じる穏やかな香りで満ちていた。かつて、

  • 辺境の狼は、虐げられた白百合を娶る ~没落令嬢と成り上がり英雄の復讐協奏曲~   第115話 初夜

     夜空を彩っていた祝祭の篝火が、一つ、また一つと静かに消えていく。 あれほど賑やかだった城の広場も、今はもう祭りの後の心地よい静けさに包まれていた。名残惜しそうに帰っていく最後の民を見送り、ライナスとセレスティナは、あの夜誓いを交わした見張り台を後にした。 宴の熱気と喧騒が嘘のように静まり返った城の中を、二人は侍女頭のマルタに導かれて歩いていく。磨き上げられた石の床に、三人の足音だけが規則正しく響いていた。壁に灯された松明の炎が、影を長く揺らめかせる。 セレスティナは、隣を歩くライナスの大きな手を、知らず識らずのうちに強く握りしめていた。ライナスもまた、その小さな震えに気づいているのか、黙って力強く握り返してくれる。その温もりが、高鳴る心臓を少しだけ落ち着かせてくれた。 今日一日は、まるで疾風怒濤のようだった。 湖畔での誓いの儀、民衆からの万雷の祝福、そして身分の隔てなく酌み交わした祝宴の酒。その一つ一つが、セレスティナの胸に温かい光となって降り積もっている。かつて王都で経験した、虚飾と政略に満ちた夜会とは全く違う、魂が震えるような本物の喜びに満ちた一日だった。 だが、この長い一日の終わりには、まだ最後の、そして最も大切な儀式が残されている。 復讐でもなく、政略でもない。ただ、愛し合う男と女として、心も体も、完全に一つになる夜。 そう思うだけで、顔に熱が集まるのを感じた。嬉しい。心の底から、この日を迎えられたことが嬉しいのだ。けれど同時に、未知への不安と恥じらいが、彼女の足をほんの少しだけ重くしていた。 やがてマルタは、城の最上階に近い、最も静かな一室の前で足を止めた。重厚な樫の木で作られた扉は、この日のために新しく誂えられたものだろう。「旦那様、奥方様。こちらがお部屋でございます」 マルタは、いつもと変わらぬ厳格な表情で言ったが、その声には隠しきれない温かみが滲んでいた。彼女は、扉の横に控えていた若い侍女たちに目配せすると、セレスティナに向き直り、深く、深く頭を下げた。「…奥方様。どうか、末永く、お幸せに。我ら一同、心よりお祈り申し上げております」 その言葉は、主従の関係を超えた、ま

บทอื่นๆ
สำรวจและอ่านนวนิยายดีๆ ได้ฟรี
เข้าถึงนวนิยายดีๆ จำนวนมากได้ฟรีบนแอป GoodNovel ดาวน์โหลดหนังสือที่คุณชอบและอ่านได้ทุกที่ทุกเวลา
อ่านหนังสือฟรีบนแอป
สแกนรหัสเพื่ออ่านบนแอป
DMCA.com Protection Status