夜明けは、厚い毛布の温もりと共に訪れた。
それは、セレスティナがこの辺境の地に来てから、初めて経験する穏やかな目覚めだった。壁の隙間から吹き込む風は相変わらず肌を刺したが、ライナスから与えられた上質な毛布が、その冷気を確かに遮ってくれていた。自分の体温で温められたその空間は、まるで小さな巣のようだ。 彼女はゆっくりと身を起こした。体の節々の痛みは残っているが、昨夜の温かいスープと柔らかなパンのおかげか、昨日までの鉛のような疲労感は薄らいでいる。 彼女の視線は、足元に畳まれた毛布と、空になったスープの器に向けられた。 辺境伯、ライナス。 あの男が、これを。 なぜ。その問いが、再び彼女の心に浮かんでは消える。 断罪の場で見た、あの冷徹な金色の瞳。罪人を容赦なく裁き、「俺が法だ」と断言した、絶対的な支配者の姿。その姿と、この温かい毛布が、どうしても結びつかない。 彼は、自分をどうしたいのだろうか。 気まぐれな同情か。あるいは、これはより質の悪い、新たな支配の形なのかもしれない。飴と鞭。絶望を与えた後に、ささやかな温もりを与えることで、相手の心を完全に掌握する。父の書斎にあった書物の中に、そんな統治術について書かれたものがあったことを、彼女はふと思い出した。 そうだ、きっとそうなのだ。あの「狼」が、見返りもなく他人に情けをかけるはずがない。 セレスティナは、そう結論づけようとした。だが、心のどこかで、その結論に納得しきれない自分がいることにも気づいていた。兵士が残した「風邪など引くな」という、ぶっきらぼうな言葉。その響きには、計算された支配者のそれとは違う、不器用な何かが含まれていた気がしてならなかった。 混乱したまま、彼女は立ち上がり、廃屋の扉を押し開けた。町の空気は、明らかに変わっていた。
空は相変わらず鉛色だったが、人々を支配していた重苦しい絶望の澱が、少しだけ晴れているように感じられた。道端に座り込む人々の数は減り、代わりに、三々五々集まってひそひそと何かを話し込む姿が見られる。その顔にはまだ、鉄狼団への恐怖の色は濃いが、昨日までの理不尽な搾取から解放されたことへの、確かな安堵が浮かんでいた。 広場へ向かうと、その変化はより顕著だった。 労働者たちを監視しているのは、黒鉄の鎧をまとった鉄狼団の兵士たちだけになっていた。鞭を振り回す監督役人も、威張り散らす中央の役人も、もうどこにもいない。兵士たちは相変わらず無表情で、労働者たちに必要以上の言葉をかけることはない。だが、理不尽な暴力や罵声がなくなっただけで、現場の空気はまるで違っていた。 その日の作業も瓦礫の撤去だったが、以前のような殺伐とした雰囲気はなかった。人々は黙々と、しかし昨日よりは少しだけましな顔つきで働いている。 セレスティナは、その光景を静かに見つめていた。 ライナスがもたらしたものは、恐怖だけではなかった。彼は、腐敗した権力を一掃し、この町に新しい秩序をもたらした。その秩序は、あまりに暴力的で、独善的かもしれない。だが、それは少なくとも、誰かが不当に虐げられることのない、公正な秩序だった。 父が目指した理想とは、あまりにかけ離れたやり方だ。しかし、その結果として、今、目の前の人々がほんの少しだけ救われているのもまた、事実だった。 彼女のライナスに対する評価は、恐怖と混乱と、そしてほんのわずかな理解の間で、激しく揺れ動いていた。昼餉の時間。
配給されたのは、昨日と同じ、薄いが温かいスープと、以前よりは随分と柔らかい黒パンだった。人々はそれを、感謝とも畏怖ともつかない複雑な表情で受け取る。 セレスティナが壁際で食事を摂っていると、一人の女性が、おずおずと彼女の隣に座った。数日前、セレスティナが咳をしていた娘を助けた時に、手伝ってくれた女性の一人だった。 「お嬢様…」 女性は、声を潜めて話しかけてきた。 「昨夜、鉄狼団の兵隊さんが、お嬢様のところに何か持ってきたって、本当かい?」 噂は、あっという間に広まるものらしい。セレスティナは何も答えず、ただ静かにスープをすする。 女性は、その沈黙を肯定と受け取ったようだった。 「やっぱり…。辺境伯様は、お嬢様のことを気にかけてらっしゃるんだね。あんたがあの役人どもに逆らって、あたしたちを助けようとしてくれたこと、きっと見ててくれたんだよ」 その言葉には、かすかな希望が滲んでいた。この町の新しい支配者が、理不尽を許さず、正しい行いをする者を認めてくれるのかもしれない。そんな期待が、人々の間に生まれ始めていた。 セレスティナは、その言葉を聞きながら、心の中で静かに首を振った。 違う。きっとそうではない。あの男は、そんな感傷的な理由で動く人間ではないはずだ。彼女の行動の裏にある価値を、冷徹に計算したに過ぎない。 そう自分に言い聞かせなければ、心が揺らいでしまいそうだった。あの男に、何かを期待してしまいそうだった。それは、危険なことだと彼女の本能が告げていた。一度裏切られた心は、新たな希望を受け入れることをひどく恐れていた。その日の午後、小さな事件が起きた。
瓦礫を運んでいた年配の男が、突然その場に崩れ落ちたのだ。彼は数日前から咳き込んでおり、昨日の冷え込みで一気に体調を悪化させたらしかった。 周囲の労働者たちが、どうしたものかと遠巻きに見ている。以前なら、病人は監督役人に報告され、働けなくなった道具のように町の外れにある病棟(という名の、死を待つだけの小屋)へ放り込まれるだけだった。 セレスティナは、駆け寄ろうとして、はっと足を止めた。 彼女にはもう、彼を助けるための薬草がない。先日の役人たちの襲撃で、全て奪われてしまった。無力感が、再び彼女の胸を締め付ける。 その時、近くで監視していた鉄狼団の兵士が、倒れた男に気づいて近づいてきた。その兵士は、ライナスの側近であるギデオンにどこか雰囲気が似た、精悍な顔つきの男だった。 兵士は男の様子を一瞥すると、すぐに他の兵士に指示を出す。 「医務班を呼べ。急げ」 その手際の良さに、周囲の労働者たちは驚きの表情を浮かべた。中央の役人たちならば、病人が出ても見向きもしなかっただろう。 兵士の視線が、男のそばで立ち尽くすセレスティナに向けられた。 「お前。何か知っているのか」 低い、感情のない声だった。セレスティナは、自分が彼に見られていることに気づき、びくりと肩を震わせる。 彼女は口を開こうとして、言葉が出てこないことに気づいた。何か月もの間、言葉を発することをやめていた声帯は、うまく機能しない。 だが、彼女は必死に声を絞り出した。かすれた、ほとんど空気の漏れるような声で。 「…数日前から、咳を。体が、冷え切っているはずです」 兵士は、その言葉を聞くと、セレスティナの顔をじっと見つめた。その鋭い視線に、彼女の過去のすべてが見透かされているような気がして、思わず目を伏せる。 「そうか。お前が、薬草で病人を手当てしているという『人形令嬢』か」 やはり、彼らは全てを知っていたのだ。セレスティナは唇を噛む。 やがて、医務班と呼ばれる兵士たちが担架を持って駆けつけ、倒れた男は手際よく運ばれていった。その光景は、この町では革命的な出来事だった。 兵士は、再びセレスティナに向き直った。 「閣下は、城に新しい医務室を設けるおつもりだ。だが、俺たちには薬草の知識を持つ者が少ない」 彼はそこで言葉を切ると、命令する。 「今日の作業が終わったら、城へ来い。お前の知識が、役に立つかもしれん」 それは、拒否を許さない、決定事項の通達だった。兵士はそれだけ言うと、背を向けて持ち場へと戻っていった。 セレスティナは、その場に立ち尽くしていた。 城へ? あの、辺境伯ライナスのいる、狼の巣へ? 彼女の心臓が、恐怖と混乱で激しく鼓動を打つ。 だが、それと同時に、彼女の心の奥底で、忘れかけていた感情が蘇りつつあるのを感じていた。 役に立つ。 その言葉が、彼女の心を揺さぶった。この場所で、自分はただの罪人、労働力でしかなかった。だが、彼女が持つ知識が、父と共に学び、愛した薬草学の知識が、必要とされている。 それは、失われた自尊心を取り戻すための、最初の小さな一歩になるかもしれなかった。 恐怖と、ほんのわずかな希望。二つの相反する感情に引き裂かれながら、彼女はその日の残りの作業を、上の空でこなした。その夜、辺境の町は、厳しい吹雪に見舞われた。
風が獣のような唸り声をあげ、雪が容赦なく窓のない廃屋に吹き込んでくる。セレスティナは、ライナスから与えられた毛布に深くくるまり、壁際で小さくなっていた。 今日の作業が終わった後、彼女は結局、城へは呼ばれなかった。吹雪のために、予定が変更になったのかもしれない。彼女はそれに安堵する一方で、わずかに失望している自分に気づき、戸惑っていた。 彼女は、これからどうなるのだろう。本当に、あの城へ行くことになるのだろうか。そして、あの男、ライナスと、再び顔を合わせることに…? 様々な考えが、吹雪の音と共に頭の中を駆け巡る。 その時だった。 激しい風の音を切り裂くように、遠くから、異様な音が聞こえてきた。アオォォォーーーン……!
それは、以前にも聞いた、狼の遠吠えに似ていた。だが、もっと低く、地を這うような、複数の声が重なり合った雄叫びだった。それは、自然の獣の声ではない。人間の、それも大勢の男たちが、戦意を高めるために発する、鬨の声。
その声は、城の方角から聞こえてくるようだった。 町のあちこちの家から、恐怖に満ちた囁き声が漏れ聞こえてくる。 「なんだ、今の音は…」 「狼だ! 鉄狼団の狼どもが、吠えてるんだ!」 「辺境伯様が、何かにお怒りなんだろうか。我々は、何か気に障るようなことをしてしまったのか…?」 人々は、その得体の知れない雄叫びに、絶対的な支配者の怒りを感じ取り、恐怖に身を震わせている。 セレスティナもまた、その声に背筋が凍るのを感じた。それは、理性を失った獣の咆哮。圧倒的な暴力の予感。 だが、彼女の心の中には、恐怖だけではない、別の感情も生まれていた。 なぜ、彼らは吠えているのか。 あの声の先に、一体何があるというのか。 先日の役人たちの粛清とは、明らかに違う。あれは静かで、迅速な狩りだった。だが、今夜のこれは、獲物に向けて放たれる、威嚇の咆哮。 町の外では、役人たちの支配力が消えたことを好機と見た、ならず者の盗賊団が活動を活発化させているという噂を、彼女は耳にしていた。 まさか。 その声は、辺境の治安を乱す、新たな敵に向けられたものなのではないか。 セレスティナは、毛布を握りしめたまま、じっと闇に耳を澄ませた。 恐怖は、まだある。だが、それ以上に、彼女の心を占め始めていたのは、この辺境という土地と、ライナスという男の真の姿を知りたいという、抑えがたい知的好奇心だった。 「虐げられる日々」は、終わったのかもしれない。 だが、それは穏やかな日々の始まりを意味するわけではなかった。彼女は今、より大きく、より危険な物語の入り口に立っている。 遠吠えが、吹雪の夜を切り裂き、新たな章の幕開けを告げていた。彼女のすみれ色の瞳は、もはや虚空を彷徨ってはいなかった。音のする闇の向こう側を、じっと見据えていた。夜明けは、厚い毛布の温もりと共に訪れた。 それは、セレスティナがこの辺境の地に来てから、初めて経験する穏やかな目覚めだった。壁の隙間から吹き込む風は相変わらず肌を刺したが、ライナスから与えられた上質な毛布が、その冷気を確かに遮ってくれていた。自分の体温で温められたその空間は、まるで小さな巣のようだ。 彼女はゆっくりと身を起こした。体の節々の痛みは残っているが、昨夜の温かいスープと柔らかなパンのおかげか、昨日までの鉛のような疲労感は薄らいでいる。 彼女の視線は、足元に畳まれた毛布と、空になったスープの器に向けられた。 辺境伯、ライナス。 あの男が、これを。 なぜ。その問いが、再び彼女の心に浮かんでは消える。 断罪の場で見た、あの冷徹な金色の瞳。罪人を容赦なく裁き、「俺が法だ」と断言した、絶対的な支配者の姿。その姿と、この温かい毛布が、どうしても結びつかない。 彼は、自分をどうしたいのだろうか。 気まぐれな同情か。あるいは、これはより質の悪い、新たな支配の形なのかもしれない。飴と鞭。絶望を与えた後に、ささやかな温もりを与えることで、相手の心を完全に掌握する。父の書斎にあった書物の中に、そんな統治術について書かれたものがあったことを、彼女はふと思い出した。 そうだ、きっとそうなのだ。あの「狼」が、見返りもなく他人に情けをかけるはずがない。 セレスティナは、そう結論づけようとした。だが、心のどこかで、その結論に納得しきれない自分がいることにも気づいていた。兵士が残した「風邪など引くな」という、ぶっきらぼうな言葉。その響きには、計算された支配者のそれとは違う、不器用な何かが含まれていた気がしてならなかった。 混乱したまま、彼女は立ち上がり、廃屋の扉を押し開けた。 町の空気は、明らかに変わっていた。 空は相変わらず鉛色だったが、人々を支配していた重苦しい絶望の澱が、少しだけ晴れているように感じられた。道端に座り込む人々の数は減り、代わりに、三々五々集まってひそひそと何かを話し込む姿が見られる。その顔にはまだ、鉄狼団への恐怖の色は濃いが、昨日までの理不尽な搾取から解放されたことへの、確かな安堵が浮かんで
役人たちによる理不尽な略奪は、追放者たちの心に再び絶望の影を落とした。だが、その影は以前のものとは少し質が違っていた。かつてはただ無力感に打ちひしがれるだけだった彼らの心に、セレスティナという存在が灯した小さな灯火は、まだ完全には消えていなかったのだ。「諦めたら、それこそ彼らの思う壺です」 泥の中から薬草の欠片を拾いながら放たれた彼女の言葉は、人々の心に深く刻み込まれていた。それは、この灰色の町で初めて耳にした、希望を諦めないという意志の表明だった。 翌日から、彼らのささやかな抵抗が始まった。 それは、武器を取るような大仰なものではない。もっと静かで、知恵を使った、弱者のための戦術だった。 セレスティナの提案で、彼らは薬草や乏しい食料の隠し場所を分散させた。崩れた壁の隙間、瓦礫の山の奥深く、誰も近寄らない廃屋の床下。子供たちが見張りに立ち、役人や私兵の姿が見えれば、鳥の鳴き真似で仲間たちに知らせる。集めた薬草はすぐに乾燥させ、小さく砕いて布袋に入れ、いつでも持ち運べるようにした。 セレスティナは、その中心にいた。彼女はもはや、ただ看病をするだけの「聖女」ではなかった。その聡明な頭脳は、この極限状況を生き抜くための司令塔として機能し始めていた。どの場所に何を隠せば見つかりにくいか、誰に何を集めさせれば効率的か、病人の症状に応じて、どの薬草を優先的に確保すべきか。彼女は冷静に判断し、人々に的確な指示を与えた。 人々は、自然と彼女に従った。彼女のすみれ色の瞳には、この絶望的な状況を何とかしようとする、真摯な光が宿っていたからだ。かつて「人形令嬢」と囁いた者たちも、今では全幅の信頼を寄せていた。彼女の言葉は、この町の唯一の法であり、希望だった。 だが、その希望はあまりにも脆く、いつまた踏み潰されるか分からない、か細い光でしかなかった。彼らは常に、役人たちの気まぐれな暴力と、辺境伯という得体の知れない「狼」の影に怯えながら、息を潜めて生きていた。 その夜、辺境の町は深い闇と静寂に包まれていた。 冷たい風が、廃屋の隙間をひゅうと鳴らしながら吹き抜ける。人々はそれぞれの塒で、なけなしの布にくるまり、つかの間の休息を取っていた。セレスティナもまた、
辺境の冬は、容赦を知らない暴君だった。空から絶え間なく降り注ぐ雪は、世界の輪郭を白く塗りつぶし、人々のささやかな希望さえも凍らせていく。飢えと寒さは死の同義語であり、昨日まで言葉を交わした者が、翌朝には冷たい骸となって発見されることも珍しくなかった。 だが、そんな灰色の絶望が支配する町の一角で、ほんの小さな、しかし確かな変化が生まれていた。 セレスティナが寝床とする廃屋。その場所は、いつしか「診療所」のような役割を担うようになっていた。彼女の元には、体調を崩した者やその家族が、途切れることなく助けを求めにやってくる。「お嬢様、どうか私の息子を…! 熱が下がらなくて…」 ぼろ布をまとった母親が、ぐったりとした幼い息子を抱いて駆け込んできた。セレスティナは、その青白い顔を一瞥すると、冷静に、しかし迅速に行動を始める。「こちらへ。とにかく体を温めないと」 彼女は、廃屋の風が一番当たらない隅に、追放者たちが持ち寄ってくれたなけなしの藁を厚く敷き、そこに子供を寝かせた。彼女自身のぼろぼろになった囚人服の上着を脱ぎ、子供の体にかけてやる。「ありがとうございます、ありがとうございます…」 母親は涙ながらに感謝を繰り返す。セレスティナはそれに構わず、石で砕いた解熱作用のある植物の根を、ぬるま湯に溶かして子供の口に含ませた。それは薬と呼ぶにはあまりに粗末なものだったが、彼女の真摯な眼差しと優しい手つきは、それ以上の効果を持っているようだった。 セレスティナの周りには、いつしか数人の女性たちが集まり、彼女の手伝いを申し出るようになっていた。ある者は、雪の下から薬草を探し出すのを手伝い、ある者は、乏しい燃料を分け与えて、病人のための湯を沸かす。 かつては互いに無関心で、自分のことで精一杯だった人々が、セレスティナという存在を核にして、再び失われた絆を取り戻し始めていた。それは、この極寒の地で生き延びるための、小さな共同体の誕生だった。 セレスティナは、人々から「お嬢様」と呼ばれ、いつしかその呼び名は畏敬と親しみを込めたものに変わっていた。「人形令嬢」と囁かれていた頃の、気味悪げな視線を向ける者はもうい
生きる。 母との約束を胸に、セレスティナの中でその決意が確かな形を結んでから、彼女の世界を見る目は変わった。辺境の冬は依然として猛威を振るい、飢えと寒さが絶えず命を脅かす。だが、彼女はもはや、それをただ受け入れるだけの無力な人形ではなかった。その瞳には、かつて書物を読み解いていた時と同じ、鋭い観察力と分析の光が戻っていた。 彼女の視線は、この極限の環境下で生きる人々の、些細な知恵や工夫を拾い集める。どの家の壁が風を防ぎ、どの道の窪みに雪解け水が溜まるのか。誰が一番丈夫な体力を持ち、誰が咳をこじらせ始めているのか。すべてを記憶し、分析する。それは、この過酷な現実という名の書物を、必死に読み解く作業に他ならなかった。 そんなある日の午後、作業の合間のわずかな休息時間だった。 追放者たちは、雪に覆われた瓦礫の山に身を寄せ合い、冷たい風から少しでも身を守ろうとしていた。あちこちから、乾いた咳の音が聞こえてくる。それは、この冬を越せずに命を落としていく者たちの、不吉な前奏曲のようだった。 セレスティナの隣に座っていたのは、まだ若い娘だった。彼女は数日前からひどい咳に悩まされており、その顔色は青白く、呼吸も浅い。娘は、激しく咳き込んだ後、ぜいぜいと苦しげな息をつきながら、地面の雪を掴んで口に含んだ。「やめなさい」 不意に、隣から静かだが、凛とした声がした。 娘が驚いて顔を上げると、そこにいたのは「人形令嬢」と呼ばれていたセレスティナだった。彼女が言葉を発するのを、この町の誰もが初めて聞いた。 セレスティナは、娘の行動を制止しながら続けた。「体を冷やすだけです。それに、その雪には何が含まれているか分からない」 その声には、不思議な説得力があった。娘は、言われるがままに、口に含んだ雪を吐き出す。 セレスティナは、自分のなけなしの配給である、錆びた器に入った白湯を娘に差し出した。「これを少しずつ飲みなさい。気休めにしかなりませんが、雪よりはいい」「あ、あんた…」 娘は戸惑いながらも、その白湯を受け取った。温かいとは言えない液体が喉を通ると、少しだけ呼吸が楽になった気がした。
辺境の地に、冬が来た。 それは、じわじわと忍び寄る死のように、静かに、しかし確実に町を侵食していった。まず、空の色が変わった。これまで町を覆っていた鉛色の雲は、さらに重く、白く濁った色合いを帯び始める。太陽は日に日にその力を失い、昼間でも地上に届く光は弱々しく、何の暖かさももたらさなかった。 次に、風が変わった。乾いた砂埃を巻き上げていた風は、湿り気と、刃物のような鋭い冷たさを含むようになる。それは壁の隙間や屋根の穴から容赦なく吹き込み、人々の体温を根こそぎ奪っていった。 そしてある朝、セレスティナが目を覚ますと、世界は音を失っていた。 彼女が廃屋の扉を押し開けると、そこに広がっていたのは、一面の白だった。夜の間に降った雪が、町の汚れた地面も、崩れた瓦礫の山も、すべてを等しく覆い隠している。それは一見すると美しくさえあったが、この町に住む者にとって、雪は死刑執行を告げる白い布告書に他ならなかった。 その日から、追放者たちの労働は、地獄の様相を呈し始めた。 これまでの瓦礫撤去作業に加え、雪かきという新たな苦役が課せられたのだ。粗末な木の板を渡され、凍てつく風雪の中で、積もった雪を道脇へと押しやる。手袋などない。手枷の冷たい鉄が、かじかんだ手首の皮膚に食い込み、感覚を麻痺させていく。指先はすぐに紫に変色し、ひび割れて血が滲んだ。 セレスティナは、他の者たちと同じように、ただ黙々と作業を続けた。彼女の心は、あの鉄狼団の兵士の姿を見て以来、不可解な疑問と混乱のさなかにあった。だが、この圧倒的な自然の猛威と、肉体を苛む苦痛の前では、そんな思考さえも贅沢なものに思えた。今はただ、生きるか死ぬか。その単純な現実だけが、彼女のすべてを支配していた。 食事の配給は、さらに劣悪になった。 水で薄められたスープは、もはやお湯と変わらない。硬い黒パンは、凍てついてさらに硬度を増し、噛み砕くことさえ困難だった。人々はそれを、凍える手で必死に温めながら、少しずつ削るようにして食べた。 飢えと寒さは、着実に人々の体力を奪っていく。 最初に倒れたのは、足の悪い老人だった。彼は雪かき作業の最中、突然その場に崩れ落ち、二度と動くことはなかった。監督役の役人
広場で老人が私兵に虐げられていた光景は、セレスティナの心に深く、冷たい楔を打ち込んだ。それはもはや、漠然とした恐怖や悲しみではなかった。より明確で、輪郭のはっきりとした絶望。この国そのものが、根底から腐敗しているという、揺るぎない認識だった。 父が守ろうとした正義も、母が信じた慈愛も、そしてアランが囁いた愛さえも、すべてはこの巨大な腐敗の前では、儚い砂上の楼閣に過ぎなかったのだ。 その日を境に、セレスティナの纏う空気はさらに変わった。彼女の中から、最後の人間的な揺らぎさえも消え失せたように見えた。恐怖に震えることもなく、ただ静かに、冷徹な観察者のように、この灰色の町で繰り返される日常を見つめる。 彼女はもはや、ただの「人形令嬢」ではなかった。その人形の硝子の目には、この世界の醜悪な真実が、焼き付くように映り込んでいた。 相変わらず、追放者たちの朝は早い。 乱暴な怒声に叩き起こされ、広場へと引きずり出される。そして、その日の労働現場へと、家畜の群れのように追い立てられていく。セレスティナもその無言の行列の中にいた。埃にまみれた銀髪が、鉛色の空の下で鈍い光を放っている。 その日の作業場所は、町の北側、城壁に近い地区だった。ここは他の地区に比べて、瓦礫の撤去がいくらか進んでいるように見えた。崩れた建物の残骸が整然と積み上げられ、再利用可能な木材や石材が分別されている。 そして、その作業を指揮しているのは、これまでセレスティナが見てきた中央の役人やその私兵たちではなかった。 屈強な体つきに、統一された黒鉄の鎧をまとった兵士の一団。彼らこそが、噂に聞く辺境伯直属の兵団、「鉄狼団」だった。 セレスティナは、初めて彼らを間近で見た。 その姿は、中央の私兵たちとはあらゆる点で対照的だった。私兵たちがだらしなく着崩した、けばけばしい装飾の鎧とは違い、鉄狼団の鎧は実用性のみを追求した、無駄のないデザインをしている。磨き上げられてはいるが、そこかしこに歴戦の傷跡が刻まれており、彼らが本物の戦場を生き抜いてきた者たちであることを物語っていた。 彼らは作業中、ほとんど私語を交わさない。指揮官の簡潔な命令一下、まるで一つの生き物のように統率の取れた