LOGIN今年のこどもの日は、夫と一緒に私の実家で過ごす約束をしていた。 ところが、家を出る直前になって、夫が突然言った。 「やばい。また住所変えるの忘れてた。荷物、さゆりのところに届いちゃった!」 一瞬、体が固まった。 結婚して三年。夫はずっと、通販サイトのデフォルトの配送先を変更しないままだった。 ネットで買った電子レンジが元カノの家に届いたときは、「ちょうどあいつも電子レンジが壊れたって言ってたし」そう言って、そのまま彼女にあげた。 私への結婚記念日のプレゼントを元カノが受け取ったときは、「一度受け取られたものを返してもらうのも気まずいだろ」と言って、取り戻そうともしなかった。 バレンタインデーに、デリバリーアプリで私宛てに注文したはずのバラまで、元カノのもとへ届けられた。 そのときも夫は、「一度人の手に渡った花なんて、お前に渡せないだろ。あいつにやればいいよ」と言った。 今回、こどもの日に実家へ持っていく贈り物を選んだときは、半月も前から何度も念を押していた。 それなのにまた、元カノの家に送っていた。 私はできるだけ感情を抑えて言った。 「今から車で取りに行ってきて」 夫は途端に顔をしかめた。 「もう受け取ったんだぞ?今さらどうやって返してもらうんだよ。実家に行く途中で、適当に手土産を買えばいいだろ」 「取り返してきて」 私は譲らなかった。 すると夫は、あからさまに苛立った声を上げた。 「いい加減にしてくれないか?なんでお前はいちいちそんな面倒くさいんだよ」 元カノの家に荷物が届くたび、取り返してほしいと言うと、いつも返ってくるのはこの言葉だった。 爪が食い込むほど強く、手のひらを握りしめる。夫は乱暴にドアを閉め、そのまま出ていった。 私は頬を伝う涙を拭うと、弁護士にメッセージを送った。 【祝日なのに申し訳ありません。離婚協議書の作成をお願いできますでしょうか。よろしくお願いいたします】
View More旅行中も、ときどき母から電話やメッセージが届いた。清晃がまた実家まで来た、という話も何度か聞いた。どうにか両親を通して、私と連絡を取ろうとしていたらしい。そのうち両親も「ゆずは今、旅行に出てるから」と伝えたそうだ。それからは、早朝や真っ暗な夜に突然家の前へ現れて、両親を驚かせることもなくなった。電話越しに聞こえる母の穏やかな声。家であったこと。父のこと。そして、ときどき出てくる清晃の名前。でもその名前を聞いても、もう心は少しも揺れない。私の中で清晃は、完全に過去の人になっていた。清晃からの通知はすべてオフにしていたから、届いたメッセージもほとんど見なかった。もともと旅行は一か月の予定で、帰りの飛行機も早いうちに予約してあったので、予定どおりに家へ戻ることにした。旅先で面白いものや、記念に残しておきたいものを見つけるたび、その場で買って自宅へ送った。もちろん、配送先は自分の実家だ。住所を間違えることもない。ましてや「最初から別の人に贈ったものだから、お前には関係ない」なんて言われることもない。スーツケースも先に宅配便で送っておいた。帰りは出発したときよりも身軽だった。空港に着くと、母が花束を用意して待っていてくれた。笑顔で花を渡しながら、母が私を上から下まで眺める。「ちょっと痩せた?でも顔色はずっといいわね。楽しかった?」私は大きく頷いた。「楽しかった!毎日すごく楽しかったわ。充電満タン。これでまた元気に社畜できそう!」両親が揃って吹き出した。「自分で社畜って言うなよ」私も笑いながら顔を上げ、そこで、清晃の姿に気づいた。赤いバラの花束を抱えて立っている。一か月ぶりに見る清晃は、ひと回り痩せていた。もともと背が高いから、細身の体で大きな花束を抱えている姿は、人混みの中でもひどく目立った。両親の笑顔が、わずかに薄れる。でも、私の気持ちは少しも乱れなかった。私はそのまま清晃の前まで歩いていった。「まさか、私を迎えに来たの?」清晃の声は少しかすれていた。「ああ、迎えに来た。柚葉、ごめん。本当に少しでいいから時間をくれないか。座って、ちゃんと話したい」私は清晃が抱えている花へ目を向けた。「私ね、赤いバラって別に好きじゃないの。好きなのは、ひまわりとか、かすみ草」
旅行に出て三日目、母から電話がかかってきた。「清晃くん、うちまで来たわよ。お父さんが家には上げなかったけど。態度だけ見ればずいぶん殊勝だったわ。両手いっぱいに手土産を抱えて、ゆずに謝りたいって。とてもじゃないけど、あんなことを何度もやらかす人には見えなかったわよ。出かける前に、この三年間にあったことを全部話してくれてなかったら、お父さんもお母さんも絶対わからなかったと思う。下手したら、そのまま家に上げてたかもしれないわ」確かにそうだ。もし私が別の人間だったなら、恥をさらしたくないから、自分の失敗を隠したいから、あるいは、人に笑われるのが怖いから。詳しい事情は伏せて、ただ、価値観の違いで、と説明していたかもしれない。でも私は違う。悪いのは私じゃない。それなのに、どうして私が隠さなければいけないの?どうして私が恥ずかしいと思わなければいけないの?どうして人に笑われることを怖がらなければいけないの?こんなことをした本人たちは、何とも思っていないのに。私は念を押すように母へ言った。「清晃、私にずっと電話もメッセージもしてきてるけど、全部無視してるの。それで実家まで行ったんだと思う。新しい離婚協議書も離婚届ももう送ってある。それでも最後までサインしないなら、裁判してでも離婚するから。とにかく、私は絶対に離婚する。お母さん、お父さんと一緒にちゃんと私の味方でいてね」母は即答した。「当たり前でしょう!ゆずは私たちの娘なんだから。清晃くんは、ゆずと結婚してなかったら、一生知り合うこともなかった他人よ。お父さんもお母さんも、まだそこまでボケてないわ。誰の味方をするべきかくらい、ちゃんとわかってるから安心しなさい」思わず笑ってしまった。その一方で、三年間の自分を思い出すと、少しだけ胸が痛んだ。両親は昔から、いつだってこうして私を支えてくれる人たちだった。考え方だって古くない。もしもっと早く、さゆりの存在や、清晃がしてきたことを話していたら、きっと両親は、もっと早い段階で離婚を勧めてくれていたはずだ。三年間、私を縛っていたのは私自身だった。自分で自分を閉じ込めて、三年もの時間を無駄にした。それでも、たった三年で済んだのだ。今ならまだ遅くない。両親が味方でいてくれるとわかり、私の
両親も手伝ってくれたおかげで、届いた荷物はすぐに片づいた。私はまた、子どものころからずっと使っていた自分の部屋へ戻ってきた。小さな部屋には、クローゼットと机が一つ。決して広くはないが、どこを見ても私らしさが詰まっていた。夜になると、両親が私の好きな料理をたくさん作ってくれた。昨日のこどもの日は、清晃も一緒に帰ってくると前もって伝えていた。だから両親は、わざわざ料理の半分以上を清晃の好みに合わせて用意していたが、結局彼は来なかった。もともと清晃は、私たち家族とは食の好みがかなり違う。そのせいで昨日は、せっかく作った料理がたくさん余ってしまった。でも今日は違う。ようやく家族三人、誰か一人に合わせて我慢する必要もなく、好きなものを好きなように食べられる。夕食のあと、両親はわざわざ私を散歩に連れ出してくれた。曲がりくねった石畳の道を、三人でゆっくり歩く。父が言った。「人生、何かが起きること自体は怖くないんだ。怖いのは、一度転んだまま立ち上がれなくなることだからな」母も続けた。「ゆずがもう離婚すると決めたなら、これ以上清晃くんに振り回されちゃ駄目よ」私は頷いた。「もちろん。もう完全に気持ちが冷めたから、離婚を決めたのよ。実は仕事も、前から転職したいと思ってたの。今までは妊活するつもりだったから、今の仕事なら比較的余裕があるし、妊娠して出産して、そのまま子育てするにはちょうどいいかなって思って続けてただけ。でももうその必要もなくなったから辞めた。まず一か月くらい旅行して、帰ってきたらまた働くつもり。次の仕事も、もういくつか当てがある」私がこれからのことをきちんと考えているとわかると、両親も安心したように何度も頷いた。「ちゃんと考えてるならそれでいい。大学を卒業してから、ほとんどゆっくり遊ぶ暇もなかったもんな。せっかくだし、思いきり旅行してこい」その夜、寝る直前になって、ようやく清晃から三通のメッセージが届いた。【お前の荷物、どこ行ったんだよ?柚葉、まさか全部実家に運んだのか?】【いくつだよ。子どもじゃあるまいし、ちょっと喧嘩したくらいで親に言いつけるとか幼稚すぎるだろ】私から返事がないまま、最後にもう一通。【勝手にしろよ。いつまで意地張ってられるか見ものだな】ここまで来ても清晃は
清晃は、目の前に置かれた離婚協議書と離婚届を呆然と見つめていた。広い個室が一瞬にして静まり返る。真っ先に立ち上がったのは、さゆりだった。ひどく慌てた顔で清晃を見る。「アキくん、柚葉さん、何か誤解してるんじゃない?ちゃんと説明してあげてよ!」それから私へ向き直った。「柚葉さん、みんな酔ってて、ふざけて言っただけなんです。そんなに気にしないでください……」私は冷めた目で清晃を見ていた。最初は驚きと焦りに満ちていたその表情が、さゆりの言葉を聞くうちに、少しずつ苛立ちへと変わっていく。清晃は怒りを抑えるようにして言った。「柚葉、今日は同僚も友達もこんなにいて、うちの親まで来てるんだぞ。みんながちょっとふざけただけだろ。嫌だったなら、やめろって言えばそれで済む話じゃないか。こんなところで離婚だなんだって騒いで、恥さらすのやめてくれよ」義父母も、引きつった笑みを浮かべながら私をなだめた。「柚葉さん、さっきはみんな少し悪ノリしすぎたわ。でも、だからってすぐ離婚なんて言うものじゃないでしょう?若いうちは腹が立つこともあるだろうけど、喧嘩するたびに離婚を持ち出しちゃ駄目よ。そんなことを繰り返していたら、本当に夫婦の縁までなくなってしまうわ」私は少し黙ってから答えた。「お義父さん、お義母さん。勢いで言っているわけじゃありません。本当に離婚するつもりです」そして、もう一度清晃を見る。「サインして」すると、さゆりが突然泣き出した。涙を拭いながら、必死な様子で清晃に訴える。「アキくん、早く柚葉さんに謝って!私、もう二度と来ないから。アキくんとも縁を切る。もう連絡もしないから。みんなも今日はもう帰ろう?あとは家族だけで、ちゃんと柚葉さんに謝って話し合って……」義父母の顔色は、見る見るうちに悪くなっていった。周りの人たちも互いに顔を見合わせ、私と清晃を見ながら何か言いたそうにしている。清晃は荒い息を二度ほど吐いた次の瞬間、テーブルの上に置かれていた離婚届をつかみ、何度も引き裂いた。紙はあっという間に細かな破片になった。用意しておいたペンまで壁へ叩きつけられる。床に落ちたペンは転がって、そのままテーブルの下へ消えた。私はバッグを手に取った。「明日、新しい離婚届を送るから。今度はちゃんとサインして。私は帰る
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